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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

注に過去のブログの文章を載っけるスタイル
焚巣館 -後漢書東夷列伝 倭-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/chousenshi_chuugoku_shisho/gokanjotouiretsuden/07wa.html

 本日の更新。注が6000字近い。「倭国王の帥升」と「桓帝と霊帝の年間」の注で3000字を超えている。

 「倭国王の帥升」の方の注はこれまでブログでちらほら書いてきたことのまとめみたいな内容で、「桓帝と霊帝の年間」は過去のブログで書いた文章のコピペを編集した部分も含まれている。邪馬台国は私の中で今のところ畿内説でまとまりつつあるけど、今度は倭国王帥升が私の中で九州説(伊都国説)と畿内説(奈良県磯城説)に割れている! どっちにせよ安寧天皇説を提唱しているのだけれども。

 実は二つ前の後漢書東夷列伝濊の「※20虎を祠に祭って神とする。」において、既に過去のブログ記事をコピペしたものを編集して記したりしている。

 これまで、ホームページ上の注は自説の開陳をひそめて諸説の陳列に尽くし、自身の考察や自説はブログの方に主に書いてきたけど、別に私は公的な何かを編纂しているわけじゃないし、詳説なら専門書に勝てるわけないのだから、好きなように自説を注で開陳してもいいかなー、と思う。というより、最初の頃はそのように注を記すことが多かったのに、変に「まともに読む」ようになってから注も硬くなっていたように思う。最初に三国史記に注を付けた際の過去の記事では、ティーツー出版のヨッシーアイランド攻略本や『超アレ国志』、更には普段は糾弾している『封建主義者かく語りき』や『電波男』まで取り出して、好き勝手書いている感じの注を賞賛している。まあこのへんはおそらく古くは『悪魔の辞典』とかのノリで、そういうのをやる気はないのだけど。

 後漢書東夷伝の訳し直しと注の追記は、ペースを決めて休まず毎日やろうとしていたので、どうしても日々の仕事に忙殺される私は手抜きが必要になる場面もあった(それでも一回は間に合わなかったし……)。その手抜きのひとつとして過去のブログ記事をコピペする方法を用いたわけだけど、個人的には良かったと思っている。どんなもんだろう。漢籍についてはブログの更新記事よりも、今後は注に入れられるものは最大限いろいろ入れていきたいなー、と思っている。

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