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前回:
夏王朝を崩壊させたとされる末喜、殷王朝を亡国に導いたとされる妲己に続き、今回は周王朝の権威を失墜させたとされる悪女褎姒の伝。彼女らの夫、夏桀王、殷紂王、周幽王はそれぞれ暗君の象徴とされるが、これまでのケースと違い、幽王の代に周は完全に滅亡したわけではない。しかし、幽王の代に周王朝の権威は失墜し、冊封されていた諸国はバラバラになり、争いを始めた。春秋時代の幕開けである。孔子が生まれたのは、この春秋時代であり、褎姒が生まれたのは孔子が生まれるおよそ300年前のことである。≪漢文≫
褎姒者、童妾之女。周幽王之后也。
初、夏之衰也、褎人之神化為二龍。
同於王庭而言曰、余、褒之二君也。
夏后卜殺之與去、莫吉。
卜請其漦藏之而吉、乃布幣焉。
龍忽不見、而藏漦櫝中、乃置之郊、至周、莫之敢發也。
及周厲王之末、發而觀之、漦流於庭、不可除也。
王使婦人裸而譟之。
化為玄蚖、入後宮、宮之童妾未毀而遭之、既笄而孕、當宣王之時產。
無夫而乳、懼而棄之。
先是有童謠曰、檿弧箕服、寔亡周國。
宣王聞之。
後有人夫妻賣览弧箕服之器者、王使執而戮之。
夫妻夜逃、聞童妾遭棄而夜號、哀而取之、遂竄於褒。
長而美好、褎人姁有獄、獻之以贖。
幽王受而嬖之、遂釋褒姁。
故號曰褎姒。
≪書き下し文≫
褎姒は童妾の女、周幽王の后なり。
初め、夏の衰えるや、褎人の神化して二龍と為る。
王庭に同じくして言いて曰く、余、褒の二君なり。
夏后之れを殺すことと去ることを卜い、吉なるもの莫し。
卜は其の漦を請いて之れを藏り而して吉となり、乃ち布幣す。
龍忽として見えず、而して漦を櫝中に藏り、乃ち之れを郊に置き、周に至り、之れを敢えて發するもの莫きなり。
周厲王の末に及び、發して之れを觀、漦庭に流れ、除く可からざるなり。
王婦人をして裸せしめ、而して之れを譟わがせしむ。
化して玄蚖と為し、後宮に入り、宮の童妾未だ毀せずして之れに遭い、既笄して孕み、當に宣王の時に產む。
夫無くして乳し、懼れて之れを棄つ。
先ず是れ童謠有りて曰く、檿弧箕服、寔に周國を亡さん、と。
宣王之れを聞く。
後に人有り览弧箕服の器を賣る夫妻の者、王執をして之れを戮さしむる。
夫妻夜逃し、童妾の遭棄して夜號するを聞き、哀れみて之れを取り、遂に褒に竄る。
長じて美好、褎人姁獄に有り、之れを獻じて以て贖う。
幽王受けて之れを嬖り、遂に褒姁を釋す。
故に號じて曰く褎姒。
≪現代語訳≫
褎姒は童妾の娘で、周幽王の后である。
最初、夏王朝が衰退すると、褎人の神は二匹の龍に変化した。
王の庭に現れた龍は口々に言った。「余は夏と同族であり、かつて褒国に冊封された二人の君主である」と。
夏王朝ではこれらの龍を殺すか追い払うことについて卜を立てたが、吉とは出なかった。
卜は龍の口から流れる"よだれ"を請い、それを保管すれば吉であると出たので、龍の下に布を敷き詰めてよだれを受け止めた。
龍は忽然と姿を消したので、夏王朝の王侯たちは龍の涎を棺の中におさめ、すぐに都の外れに保管した。
時は流れて周王朝の時代まで、これを敢えて開けようなどとする者はいなかった。
しかし、周は厲王はその代の末期、ついに棺を開けてその中を見ると、龍の"よだれ"は庭に流れ出し、除くことができなくなった。
王は婦女を裸にして、その周囲で騒がせた。
すると、龍の"よだれ"は変化して玄色のトカゲとなり、後宮に入り込んだ。
後宮の童妾は処女のままそれを受け入れ、笄(女性が十五歳の時に受ける通過儀礼)を受けた後に胎児を孕み、周宣王の代で子を産んだ。
夫がいないままに乳を出し、恐懼に駆られた童妾はその子を棄ててしまった。
この頃、流行した童謡には次のように歌われていた。
「檿弧と箕服(弓とえびら)は、周王朝を亡ぼすことになる」
その歌は周宣王の耳にも入った。
後に周宣王は暗殺者を召喚し、弓とえびらを売って生計を立てる夫婦を殺させようとした。
その夫婦は夜逃げしたが、その道中で童妾に棄てられた孤児が夜泣きをする声を聞き、哀れんで拾うことにした。
かくして、その夫婦と孤児はともに褒国へと亡命することになった。
褒国で育った孤児は成長すると美人になったが、褎人の姁が周王朝に捕えられ、獄に繋がれると、その孤児を献上して免罪を請うた。
幽王は献上された孤児を娶り、それと引き換えに褒姁を釈放した。
かような次第で、その孤児は褎姒と號されたのである。
私はこういった怪力乱神の登場する歴史以前の伝説が大好きなので、読んでてワクワクするんだけど、やけにグロテスクでエロティックなのがなんとも……。
おそらく、この龍の"よだれ"というのは精液のメタファーだろう。既笄とは十五歳でかんざしのような髪飾りをつける儀式を終えた後の女性のことで、当時における成人の証である。
この伝説がどういった歴史的事実を意味するのかは判然としない。母親が童女の頃のエピソードなど、これらの背景にいろいろと想像を巡らせることはできるが、蓋然性の高い仮説も立てるのは困難だと感じる。女の裸踊りは、なんらかの呪術だろうか。
それはさておき、この伝説をそのまま読むと、褎姒は龍を父として、処女懐胎から生まれた孤児ということになる。まるで神話の神や物語の主人公のように思われるが、この伝は悪女の伝であるから、当然ながら褎姒も悪女として批難される。
これまで褎姒の生涯は受難ばかりである。親に棄てられ、育ちの国は周に滅ぼされ、王に人質として妻にされてしまった。褎姒はいかなる悪女となるのだろうか。
≪漢文≫
既生子伯服、幽王乃廢后申侯之女、而立褎姒為后、廢太子宜咎而立伯服為太子。
幽王惑於褎姒、出入與之同乘、不卹國事、驅馳弋獵不時、以適褎姒之意。
飲酒流湎、倡優在前、以夜續晝。
褎姒不笑、幽王乃欲其笑、萬端、故不笑、幽王為烽燧大鼓、有寇至、則舉、諸侯悉至而無寇、褎姒乃大笑。
幽王欲悅之、數為舉烽火、其後不信、諸侯不至。
忠諫者誅、唯褒姒言是從。
上下相諛、百姓乖離、申侯乃與繒西夷犬戎共攻幽王、幽王舉烽燧徵兵、莫至、遂殺幽王於驪山之下、虜褒姒、盡取周賂而去。
≪書き下し文≫
既に子伯服を生ず。
幽王乃ち后申侯の女を廢し、而して褎姒を立てて后と為し、太子宜咎を廢して伯服を立て太子と為す。
幽王褎姒に惑し、出入りは之れと同乘し、國事に卹さず、弋獵に驅馳すること時にあらずして、以て褎姒の意に適さんとす。
酒を飲み湎に流し、倡優前に在り、夜を以て晝に續く。
褎姒笑わず、幽王乃ち其の笑を欲し、萬端、故に笑わず、幽王烽燧大鼓を為し、寇有るに至り、則ち舉げ、諸侯悉く至りて寇無し、褎姒乃ち大笑す。
幽王之れ悅びて欲し、烽火舉ぐる數為し其の後は信じず、諸侯至らず。
忠諫者は誅し、唯だ褒姒の言是れ從う。
上下相諛い、百姓乖離し、申侯乃ち西夷犬戎と與繒して共に幽王を攻むるに、幽王烽燧を舉げて徴兵するも、至るもの莫く、遂に幽王を驪山の下にて殺し、褒姒を虜にし、盡く周賂を取りて去る。
≪現代語訳≫
幽王と褎姒との間に伯服という子が産まれた。
幽王は后であった申侯の娘を廃して、褎姒を后に立て、申侯の娘との間に産まれた宜咎を廢し、伯服を太子に擁立した。
幽王は褎姒に惑溺し、城門に出入する際は馬車に同乗させ、国政を省みることなく、時節を鑑みることなく狩猟に出、褎姒をなんとかよろこばせようとした。
酒を飲んではそれに溺れ、俳優を集めてはそれを並べて芸をさせ、昼も夜もなく褎姒と遊興に耽った。
しかし、褎姒笑わなかった。幽王はなんとしてでも褎姒を笑わせようと、あらゆる手段を講じたが、それでも笑わなかった。
そんな中、幽王は異民族の侵攻に備えて烽燧(狼煙)と大鼓を用意した。ある日、国境に侵略者が現れたとの情報を得て、幽王は烽燧を挙げて大鼓を打ち鳴らした。それに呼応した諸侯は悉く王の元に馳せ参じたが、異民族が侵攻することはなかった。
あわてふためく諸侯を見た褎姒は、このとき初めて笑った。
幽王はそれが嬉しくてたまらず、褎姒に笑ってほしくて烽火を何度も挙げ、何度も太鼓を打ち鳴らしたが、以後それらの警報を信じる人はなくなり、とうとう諸侯は誰も来なくなってしまった。
幽王はそれを諌める者を誅殺し、ただ褒姒の望むがままにしようとした。
上下は互いにへつらい、百姓は離反した。前后の外戚であった申侯は異民族の西夷や犬戎と同盟を結び、共謀して幽王を攻撃した。
幽王は烽燧を挙げて徴兵したが、誰一人として助けに来る者はいなかった。
かくして異民族たちは幽王を驪山の下で殺害し、褒姒を拐い、周王朝の財宝を悉く略奪して去っていった。
幽王は紂王や桀王と同様、褎姒と共に贅沢の限りを尽くし、そのご機嫌を伺っているが、末喜や妲己との大きな違いは、褎姒がまったく贅沢など望んでおらず、それを楽しんでいないことであろう。
褎姒は狼煙と太鼓にあわてふためく諸侯を見たときのみ笑った。これは王の作為でなく、偶発的な事象である。
これまでの褎姒の受難、その波乱の生涯を見れば、霊王にまったく心を開くことができなかったのは当然のように思われるし、そもそも人など信用できなかったのではないだろうか。
列女伝の記述だと「忠諫者は誅し、唯だ褒姒の言是れ從う。」の部分が唯一、褎姒が積極的に幽王に口を出して為した悪のように見えるが、これまでの彼女の態度を見るに、どうにも唐突の感が否めない。また、この記述は列女伝より前に編纂された褎姒に関する史料、国語や史記には一切見られないものである。恐らくは末喜や妲己の記述と平仄を合わせるために附託された部分であろう。
親に不気味がられて棄てられ、養父母を得て他国に育つも、その故郷は祖国に攻め滅ぼされ、故郷の人には人質として差し出され、故郷を焼いた王の元に嫁がされた。その後、王のつまらない遊びに付き合わされ、ついに侵略者に誘拐されて姿を消した。褎姒の人生とはなんだったのか。その上にどうして悪女の汚名まで着せられねばならないのか。
≪漢文≫
於是諸侯乃即申侯、而共立故太子宜咎、是為平王。
自是之後、周與諸侯無異。
詩曰、赫赫宗周、褎姒滅之、此之謂也。
頌曰、褎神龍變、寔生褎姒、興配幽王、廢后太子、舉烽致兵、笑寇不至、申侯伐周、果滅其祀。
≪書き下し文≫
是に於いて諸侯乃ち申侯に即し、而るに共に故太子宜咎を立て、是れを平王と為す。
是の後より、周と諸侯異ること無し。
詩に曰く、赫赫たる宗周、褎姒之れを滅す、此の謂なり。
頌に曰く、褎神龍變し、寔に褎姒生じ、興りて幽王に配し、后太子を廢し、烽を舉げ兵を致し、笑いて寇至らず、申侯周を伐ち、果たして其の祀を滅す。
≪現代語訳≫
こうして諸侯は申侯に味方し、共に廃太子であった宜咎を擁立し、周平王とした。
これ以降、周の権威は失墜し、諸侯の国々と変わるところがなくなってしまった。
詩に言われている、輝く太陽の如く盛んな宗主国の周を褎姒が滅ぼした、というのは、このことである。
頌には次のように歌われている。褎の神が龍に変じ、そこに褎姒が生まれ、幽王と婚姻した。幽王は后太子を廃し、狼煙を挙げて兵を呼び出すも、それを笑って侵略者は現れなかった。申侯は周を討伐し、その祭祀は廃れた、と。
このあたりの記述から察するに、幽王が暗君と評せられる所以は、寵愛した女のために長子や后の序列を無視し、諸侯のパワーバランスを顧みなかったことで外戚の不満を暴発させ、亡国を招いたことであり、そのために褎姒も批判されることになったのではないかと思われる。
これまで孽嬖伝では、女でありながら政治に口を出したとして批難された末喜、女の美貌で王をたぶらかし贅と虐の限りを尽くしたとして筆誅を加えられた妲己を紹介したが、今回の褎姒のしたことといえば、ただ笑っただけである。
末喜や妲己ら、これまで悪女の名を着せられた人々と比較しても、明らかに理不尽な理由で褎姒は悪女の名を着せられているではないか。彼女は自発的な行動は何もしていない。ただ笑っただけである。もちろん、「何もしなかったことが悪」でもないだろう。下手に幽王へ諫言でもすれば、「女の分際で政治に口を出した」とでも批難を浴びせられるかもしれない。
これまでも女性差別は甚だしい内容であったが、悪女とされる所以は行為に対する責任であった。しかし、今回ばかりは好きな女を笑顔にするためなら真夜中に大砲をぶっ放してでも国中を慌てふかめしたいという幽王のサブカル糞野郎ぶりだけがどう考えても悪いのに、なぜ褎姒が周王朝を滅ぼした悪女ということになるのか。これは女の魅力を男と暴力と同質な強制力を持つものであると、少なくともそういった認識が存在することに思いが至れば理解できる。
イスラーム世界におけるブルカやヒジャブは、「女が(望む望まないに関わらず)男を惹き付ける力がある」という認識から生じたものであるし、仏教において女人を穢れとして斥ける思想も、こうした認識に起因する。それは男の暴力性が女に恐怖を与えるのと同じである。
バッハオーフェンが論じ、エンゲルスが支持したことで、マルクス主義の世界的な流行とともに歴史観として正当性を得た原始母権社会論には多くの批判もあるが、家父長制の確立以前は女性の地位が高かったとする説は未だ根強い支持がある。実際、世界史を見渡せば、旧くは女性の権力が決して低くなかった文明が、その進歩とともに家父長制に基づく普遍主義を確立させ、男権主義に収斂するケースは珍しくない。中華圏の歴史も、その一類型ではないかと考えられる。
これまで、まず女性が男性のような態度や地位に上ることが悪とされ、次に女性が女性として行動することが悪とされ、ついに女性が女性であること自体が悪とされることになった。この裏にあるのは、男性理性への信奉であり、それを乱す女性という存在への嫌悪であるに違いない。
男性が恐れる女性の魅力とは、言質や実質的な行為に依らず男性に忖度させ、責任の自らに及ばぬように行為主体を男性に委ねる、理性の外にある一種の魔術である。ということは、逆に「褎姒はなにもしていない」「褎姒には責任がない」という考え方こそ、男性原理に基づいた理性主義的な思考ではないか。少なくとも、そう考えることは可能である。
主体的な理性に基づく行為を絶対視し、責任に由来して物事の是非を判断することこそが、女性を排斥することで構築された男性社会の原理であることは、これまでの三章で段階的に述べてきた。それに反する女性の性質が魔術である。
紂王を誑かして贅の限りを尽くした妲己などもそうであるが、もしかしたら褎姒こそが強力な魔術師だったのではないか。ここで敢えて、褎姒の願望が幽王の行為に投影され、その後の動向はそれが世界に現出した結果であるとしてこの物語を解釈してみる。
褎姒の生涯は理不尽な苦難の連続である。人ならぬものとの間に生まれ、赤子の頃に母親から捨てられた。育った故郷の君主を捕らえたのは夫の幽王であり、生活を奪われた褎姒が王を怨むのは道理である。同時に自らの安寧のため、褎姒を幽王に売り渡したのは故郷褎国の君主である。
もはや褎姒は、世界のすべてに失望していたのではないか。人間世界において最も神聖な王の傍にいながら、むしろ王の傍にいるからこそ、この世界には希望も存在しない。そして、褎姒は世界の破壊を望んだ。自らが亡ぼうとも、世界のすべてを亡ぼそうとした。まさに桀王の暴政に苛まれる民衆の歌にある「あの燦然と輝く太陽はいつ亡びるのだ! 私もお前も、皆すべてが亡んでしまえばいい!(この日いつか喪びぬ。予と汝、皆亡びぬ。時日曷喪、予及汝皆亡)」という心境である。
中華世界においては、人間の世界を統べるのが王である。ゆえに、その治外にある異民族は現世ならぬ人外魔境の住人であり、この論理に基づけば魔族である。中華世界の人々もまた、王を失えば人ならぬ魔族と化す。ゆえに褎姒は人間世界を混乱に陥れ、魔界から魔族を呼び出し、王を殺し、以後、秦の天下統一まで550年、中華世界に戦乱の災禍を齎した。たとえ自らが魔族の手によって魔界に連れ去られようとも。
これは褎姒が主体的に遂行した行為ではない。すべては周囲の人々が勝手にしたことである。そのはずである。これは論理にしてみれば妄想であり、魔術の存在を認めないのであれば、この主体を褎姒として書くのはおかしい。しかし、これらの騒動は中心に褎姒が確実に存在しており、その動機もある。これだけは事実である。
そして、褎姒を悪女とする「一笑傾国」という評価は、このような「妄想」に基づいた思考を根拠としなくては成立しない。この仮説を妄想であると断じることは、褎姒を悪女とする根拠を妄想であると断じることである。褎姒を悪女と評することこそが、褎姒に対する世界の仕打ちを認めることになる。
このように考えてみれば、文明において男性中心主義が発展するに従い、却って男性が女性への不信と恐怖を一層強めていった所以が鮮明となる。男は女を抑えることで女への恐怖を強め、ますます女を抑えることになった。しかしながら、そのようにして抑え込み、棺に納められた呪いは、時を経て外に流れ出す。
末喜より更に以前、夏王朝の中期に現れた龍が名乗ったのは「褒の二君」である。二君とは王と后の二者を併せた呼び名であり、古の時代、男女はともに君主として並び立っていた。
褎姒を生み出した二龍とは、男女が位を同じくしていた時代、その忘れられた記憶ではなかっただろうか。PR -
前回:列女伝第七孽嬖末喜伝
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前回は夏王朝の末喜であったが、今回は殷王朝の妲己である。
妲己は末喜、褎姒ら他の「傾国の美女」と比べても特に有名で、悪女の象徴とされる人物であり、日本でも玉藻の前伝説など民話や伝説において、九尾の狐が化けたものとしてその名が登場する。≪原文≫
妲己者、殷紂之妃也。
嬖幸於紂。
紂材力過人、手格猛獸。
智足以距諫、辯足以飾非。
矜人臣以能、高天下以聲、以為人皆出己之下。
好酒淫樂、不離妲己、妲己之所譽貴之、妲己之所憎誅之。
作新淫之聲、北鄙之舞、靡靡之樂。
收珍物、積之於後宮。
諛臣群女咸獲所欲、積糟為邱。
流酒為池、懸肉為林、使人裸形相逐其閒、為長夜之飲、妲己好之。
≪書き下し文≫
妲己は殷紂の妃なり。
紂に嬖幸さる。
紂の材力は人に過ぎ、猛獸を手格す。
智は以て諫を距むに足り、辯は以て非を飾るに足る。
能を以て人臣に矜り、聲を以て天下に高くし、以為らく人皆己の下に出ずる。
酒を好み樂に淫り、妲己を離さず、妲己の之を譽する所を貴とし、妲己の憎む所之れを誅す。
新たに淫の聲、北鄙の舞、靡靡の樂を作す。
珍物を收め、後宮に之れを積む。
諛臣群女の欲する所を咸く獲、糟を積みては邱を為す。
酒を流して池と為し、肉を懸けては林と為し、人をして形を裸しめ其の閒を相逐わせしめ、長夜の飲を為し、妲己之れを好む。
≪現代語訳≫
妲己は殷の紂王に特別の寵愛を受けた妃である。
紂王は猛獣を素手で殺すほどの人並外れた剛力を持ち、その知能はあらゆる臣下の諫言をやり込めるほど高く、弁舌はあらゆる自らの非を粉飾できるほどに達者であった。
その知と力は天下に轟き、自らも能力をして臣下に傲然と当たり、その名声をして天下に驕った。
紂王は自分に及ぶ者など誰一人としていないと思い込んでいた。
酒を好み、音楽に耽溺し、妲己を自分の傍から話さなかった。
妲己が気に入った者を高位に取り立て、妲己が嫌った者は処刑した。
新たに淫らな歌、荒涼とした舞、退廃的な音楽を作り、珍物を収集しては、後宮にため込んだ。
臣下や宮女が欲しがった物はなんでも集め、そのがらくたを丘の如く積み上げた。
池の如く酒を流し、林の如く肉をかけ、宴席の参加者たちを裸にしてお互いを追いかけさせ、一晩中酒を飲み続けた。
これが妲己の好んだ酒宴である。
紂王は殷朝最後の王である。
ここで描写される紂王の能力を一言で表現するなら、過剰である。そして、ここに儒教の中庸の思想が表れている。
素手で猛獣を殺すような腕力は王に必要ない。そして、頭が回り過ぎる者は往々にして言い訳や反論が上手くなり、謙虚に自らの誤りを認められなくなる。王は人々との繋ぎ役であり、人に頼るのが仕事と言っていいが、過ぎたる能力は人の有り難みを忘れさせ、傲慢にさせる。
孔子の弟子においても、腕っぷしはあるが蛮勇を好む子路、知恵は回るが知に逸り過ぎる子貢のような弟子より、ともすれば愚とも評価されながらも、仁心を離さない顔回が一番弟子であった。また論語には「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という有名な語も登場し、四書五経のひとつ、中庸には「知者の之れに過ぎ、愚者は及ばざるなり。」という孔子の言葉も登場する。
それにしても、「智は以て諫を距むに足り、辯は以て非を飾るに足る。」という言葉は非常に巧みな表現であると思う。
これは半分自己分析であるが、理屈の上手い人は、概して自分への言い訳も上手いもので、ゆえに理屈を弄んで正しい認識を歪めてしまうことがしばしばある。紂王の特徴は諫言に対する態度として描かれているが、これは自分への言い訳でもそうではないだろうか。先ほど挙げた子貢もそういった傾向があったが、それを自ら戒めたがゆえに顔回、子路に次ぐ高弟となった。子貢と同じく弁舌と知に優れるも、それに恃むばかりで知を超えた徳を疎かにした宰我は悪弟の代表として歴史に名を残した。
力と知は、いずれも能でしかなく、徳ではない。徳が伴わなければ、知も力も害毒でしかなく、徳があれば知も力もなくとも尊い。それが儒の思想である。私は常々、力や知性は正義を保障しないし、人として一番大事なことは正義よりも思いやりの心だと言っているのは、こういったことである。
贅沢の描写については末喜と似ているが、こちらの方が具体的である。前回も書いたが、おそらくは妲己の贅沢の描写を引き写したのが末喜伝の描写ではないだろうか。ゆえに、こちらが本来であると思われる。
この章句に「酒を流して池と為し、肉を懸けては林と為す」とあるが、これが酒池肉林の語源である。それにしても、なんともスケールの大きい贅沢だろうか。これが妲己と紂王を貶めるための虚構であるとの説もあるが、ならばこのイマジネーションが素晴らしい。妲己伝は、このようなイメージを想起させる描写が多く、豊かな文章である。≪原文≫
百姓怨望、諸侯有畔者。
紂乃為炮烙之法、膏銅柱、加之炭、令有罪者行其上、輒墮炭中、妲己乃笑。
比干諫曰、不脩先王之典法、而用婦言、禍至無日。
紂怒、以為妖言。
妲己曰、吾聞聖人之心有七竅。
於是剖心而觀之。
囚箕子、微子去之。
≪書き下し文≫
百姓怨望し、諸侯畔する者有り、紂乃ち炮烙の法を為し、銅柱を膏て、之れに炭を加え、罪有る者をして其の上に行かせ、炭中に輒墮し、妲己乃ち笑う。
比干諫めて曰く、先王の典法を脩めず、而して婦言を用い、禍至るに日無し。
紂怒り、以て妖言を為す。
妲己曰く、吾聖人の心に七竅有りと聞く、と。
是に於いて心を剖きて之れを觀る。
箕子は囚われ、微子は之れを去る。
≪現代語訳≫
百姓は紂を怨み、諸侯に叛意を翻す者が現れ始めた。
すると紂王は『炮烙の法』を制定し、銅柱に油を塗り、下に炭を置き、それを火にかけた。
有罪とみなされた者は柱の上を歩かされ、渡り切れば免罪されたが、油に足を滑られせば炭の中に落ちて全身を焼きつくすことになる。
柱から堕ちて焼かれる者たちを見て、妲己は指をさして笑った。
紂王の叔父である比干は諫言した。
「古の先王に拠る典法を蔑ろにして、婦人の言葉に従っていては、いずれ国家に禍が訪れましょうぞ。」
紂王が怒り、妖言を吐くと、そこに妲己が歩み出た。
「私はこのように聞いております。"聖人の心臓には七つの穴が空いている"と。それを確かめてみましょう。」
そう言うと妲己は、比干の胸を切り裂き、心臓を抉り出してそれを眺めた。
同じく紂王の叔父である箕子は囚われ、兄の微子は国外に亡命した。
前章は紂王を中心とした暴政の描写であったが、ここでは妲己の残虐性に焦点を当てた描写がされる。
前半は有名な炮烙。全身が火だるまになり、やがて消し炭となる人間を指さして笑う美女というシチュエーション。
後半は有名な比干の諫言。男の胸を切り裂き、返り血を浴びる美女。自らの手を血に染めながら心臓を掴み取り、それを取り出す。鮮血の吹き出す心臓と血の伝う手。それを眺める美女。このイメージは、背徳的かつ官能的である。≪原文≫
武王遂受命、興師伐紂。
戰于牧野、紂師倒戈。
紂乃登廩臺、衣寶玉衣而自殺。
於是武王遂致天之罰、斬妲己頭、懸於小白旗、以為亡紂者是女也。
書曰、牝雞無晨。牝雞之晨、惟家之索。
詩云、君子信盜、亂是用暴、匪其止共、維王之邛。此之謂也。
≪書き下し文≫
武王遂に命を受け、師を興し紂を伐つ。
牧野に戰い、紂師は戈に倒れる。
紂乃ち廩臺に登り、寶玉衣を衣して自殺す。
是に於いて武王遂に天の罰を致し、妲己の頭を斬り、小白旗に懸ける。
以為らく紂を亡した者は是の女なり。
書に曰く、牝雞に晨無し。牝雞の晨なるは、惟れ家の索なり。
詩に云う、君子盜を信じ、亂は是れに用り暴なり、其れ共を止めるに匪ざるは、維れ王の邛なり。此れ之れを謂うなり。
≪現代語訳≫
武王はついに天命を受諾し、軍隊を率いて紂王の討伐に向かった。
牧野で戦い、紂王の兵たちは武王の軍の矛に倒れた。
紂王は妲己のために建てた監視塔廩臺に登り、宝玉の衣を纏い、炎の中に身を投げ自殺した。
かくして武王はついに天罰を執行し、妲己の頭を斬り、白旗に懸けた。
思うに、紂王をあのような亡国の君主にしたのは、この女である。
書経には次のように書かれている。
「牝雞は朝に鳴くことはない。もし牝雞が朝に鳴くとすれば、それは家の終わりである。」
詩経には次のような詩が掲載されている。
「君子が盗賊を信用すれば、乱政はますます暴虐を極め、家臣の諫言も聞かないとなれば、これは王の病理である。」
殷王朝の次の王朝、周王朝を開いた武王が紂王を倒すまで。戦闘描写は前回の末喜伝と構文がほぼ同じであり、訳していると天丼のような気分になる。(私はここを読むと毎回、漫☆画太郎の漫画で階段から転げ落ちた人がトラックに轢かれてバラバラになるシーンが思い浮かぶ)
前項での比干の諫言は女性差別的で受け入れがたいものがあったし、ここでも武王は紂王の暴虐の原因を妲己に押し付けており、末喜伝に続いて、いよいよ女性差別も極まった感がある。ここで引用される「牝雞に晨無し。牝雞の晨なるは、惟れ家の索なり」は、女性の発言権を奪うにあたり、古来から現代まで用いられ続けた言葉である。
この過程を考察するに、夏から殷、殷から周への王朝交代により、男性的社会が徐々に確立し、強化される過程なのではないかと推測する。
殷王朝は元来、太陽神を祭る農耕民の祭祀王であったが、甲骨文の記録によれば、徐々に生け贄の儀式が衰退しており、一説によれば、紂王は生け贄の儀式を禁止し、明確な法治を定めた王であったとも言われている。炮烙の法もその一種である、とも。
日本で言えば卑弥呼などを見ての通り、古の呪術社会では女性が王となることが珍しくない。呪術社会から理性主義的社会へと変化していった時代であったからこそ、このような女性を政治から排除する風潮が出来上がっていったのではないだろうか。
周王朝では遊牧民の頭領である戦士が王となった。そこでは祭祀国家の色彩は廃れ、更に周末期に孔子が大成した儒教は「怪力乱神を語らず」の男性的理性思想として完成し、1000年後の朱子学では更に理性主義的傾向が甚だしくなる。≪原文≫
頌曰、妲己配紂、惑亂是脩、紂既無道、又重相謬、指笑炮炙、諫士刳囚、遂敗牧野、反商為周。
≪書き下し文≫
頌に曰く、妲己紂を配し、惑亂して是れ脩め、紂は既に無道なるも、又た相謬ちを重ね、指して炮炙を笑い、諫士を刳囚し、遂に牧野に敗れ、商を反りて周を為す、と。
≪現代語訳≫
頌には次のように歌われている。
「妲己を目にした紂王は、冷静な判断を失い自らの妻とし、紂王はもともと無道の君主であったが、更に誤りを重ね、妲己は火に落ちて焼け死ぬ人を指さして笑い、それを諫れば胸を裂かれるか囚われの身となり、遂に紂王は牧野で敗れ、殷王朝は反乱に倒れ、周王朝の世となった。」
前回の末喜伝とよく似た頌。妲己と紂王の運命の出会いから最期までを描いている。酷い顛末であるが。
さて、この伝で妲己は徹底的に悪女として描かれている。「徹底的に悪として描かれている」のであれば、末喜も同様であるが、妲己は「徹底的に悪"女"」として描かれているのである。
末喜は「女性としての女性らしさを踏み外した」と評価されており、そのように描かれているが、妲己伝の描写は「女性が女性として為す悪」として描かれており、それが一貫している。この伝の教訓と意図するものは、「女は妲己のようであるな。男は妲己のような女を斥けよ」であろう。
しかし、思うにこれは男性が女性に陰に求めている性質ではないか? 無意識のうちに男は紂王のようになることを望んでいるのではないか。求めているからこそ、男は妲己に惹かれ、ゆえに妲己を斥けよと警告するのではないか。初めからこのような女に男が惹かれないなら、警告する必要などないはずである。
俗に恋愛を絶対化する文句として「世界のすべてを敵に回してでも、君を愛し続ける」といった言い回しが用いられることあるが、紂王はまさに世界のすべてを敵に回して女に尽くした。これは間違いなく、一途で純粋な恋愛であると言えよう。
紂王は有り余る才能すべてを一人の女に注ぎ、他のなにも顧みることはなく、すべてを失えば高台から炎の中に身を投げて自ら命を絶った。妲己は首を切られて旗の頭に掲げられた。類い稀なる知と力を有した祭祀王が塔から炎に身を投げる姿、血まみれの絶世の美女が首を斬られて旗に掲げられ晒し者にされる姿、そこにはサディズムとマゾヒズムの両面が含有された破滅の美がある。焼け焦げる人を指差して笑う姿や比干の心臓を抉り取る姿が表現するものは、ただ残虐と暴虐の記録のみではなく、女性のエロティシズムであろう。
妲己は悪女の代名詞であるとともに、美女の代名詞でもあり、背徳の感情とともに賞賛として用いられる。これは妲己と紂王の関係に、世の男が知らず知らずに惹かれるがゆえのことではないか。ここにあるのは、男が女に持つ恐怖と背徳の欲望だからである。
女性の象徴として執拗に紂王の悪事を妲己の責任に帰する本伝であるが、これは男性による女性恐怖の裏返しであろう。こうした悪女の描写は、男性がいかように女性を恐れているかを逆照射している。 -
列女伝は前漢の儒者劉向による著書で、女性について纏めた歴史書である。
当時、ほとんど全世界の主要な文明において、女性はそもそも人間として扱われなかった。その中で、女性が個人として歴史書に列伝を立てられたのは画期的なことである。
これ以後、後漢書をはじめとした中華王朝の正史では、列女伝の名で女性の列伝が立てられることになった。
キリスト教においては女性は人間ではなく胎内も土壌にすぎぬ存在であり、仏教においても女性はクソ袋であり女人に九つの悪法ありとして成仏できない畜生に等しく、アテナイにおいて女性は人語を話せる動物とされていた。いずれにおいても女性は人間以下の哀れな生き物であり、あるいは奴隷にしてでも救ってあげなくてはならない存在でしかなかったのである。対して、儒教においては父母は同時に子が尊敬すべき存在とされていた。
無論、古来の儒教が男尊女卑でなかったとまで言うつもりはない。しかし、「アジア的」「中国的」「儒教的」という語が女性差別の代名詞として用いられる現状は、甚だしき差別であることはいくら指摘してもし足りないほどである。古代中国において女性の地位は他文明に比べても、決して低いものではなかったことは強調せねばなるまい。
もちろん、「女は動物として人間たる男性に隷属することが悦びであり、女に人間としての地位を与えることは女性差別である。」とでも主張するのであれば、その限りではないが。
とはいえ、列女伝は女性を個人として称賛しているといっても、その内容は善き母や良き妻としての賞賛であり、所詮は性的役割分担の域を出ない婦徳の賞揚であるとも批判できる。それでも、この史書において女性が個人として扱われたことは事実である。いずれにせよ、それをいかに検討するかは後生たる我々に委ねられる。
さて、ここで私が列女伝の中から紹介するのは、歴代の悪女について集めた孽嬖伝である。
いや、なんでよりによって悪女だよって話なんだけど、私にはこの列伝に掲載された悪女たちこそが堪らなく魅力的に感じられるのである。
それに、先ほど「古代中国文明は他文明に比べて女性差別がひどかったわけではない」と擁護したが、それでも女性差別そのものは当然ながら存在していた。ゆえに、彼女らが悪女とされている理由も、その差別的視点に基づいた側面がある。
中華三代、夏殷周におけるそれぞれの王朝の暴君暗君として有名なのは桀王、紂王、幽王であろう。それらの君主には、それぞれ悪女とされる女性を妻としていた。この伝では、冒頭に3人の「傾国の美女」が列せられており、もちろん彼女らは悪人として糾弾される。
しかし、だからこそ彼女らの記述を分析することで、男性が社会を構築するにあたり、女性に対していかなる恐懼を持ったかを理解することができるかもしれない。私はそう考える。
孔子の言葉、温故知新とは、古いものを現在的な視点から観察することで、新たな知見を得ることをいう。古代における悪女らの記録から、新たなことを読み取ることが我々はできるはずである。
最初に紹介するのは、夏王朝の悪女末喜の伝である。≪原文≫
末喜者、夏桀之妃也。
美於色、薄於德、亂坥無道、女子行丈夫心、佩劍帶冠。
≪書き下し文≫
末喜は夏桀の妃なり。
色は美にして德は薄く、亂坥無道、女子の行に丈夫の心、劍を佩きて冠を帶びる。
≪現代語訳≫
末喜は夏王朝最後の王、帝桀の妃である。
容姿は美しかったが、人徳は薄く、その性格は節義も道理もなく、女性のように振舞いながらも心は丈夫のようで、貴族の男のように帯剣して冠を被っていた。
夏王朝とは、黄河の治水工事を成功させた大司工(建設大臣)禹が、その功績を認められて時の聖王舜に位を譲られて成立した王朝である。聖王舜は、先代の聖王堯に位を譲られたが、この二者は親子関係ではなく、舜と禹も親子関係ではない。儒者が聖なる時代として尊ぶ当時、王は血筋と関係なく有徳者に位を譲った。これを禅譲という。
禹が崩御した際、後継者に指名されていた大臣の益が王位を辞退し、禹の息子である啓に王位が譲られた。以後、王位は代々王の長男に譲られることになった。これを世襲という。
夏の時代は堯や舜の時代とは違い、人口は増大し、国土は拡大しており、社会は複雑化し、王朝内で勢力の形成と権力争いが行われていたと考えられる。
してみれば、世襲は政権が安定する利点があった。しかし、禅譲と違い有徳者が選ばれるわけではない以上、王権は不可避的に腐敗する。桀はその結果であると考えることができるだろう。
さて、ここに登場する末喜の特徴について。
末喜の特徴に「大夫心」とあり、更に「佩劍帶冠」とあったので、私は最初トランスジェンダーかと思ったのだけど、「女子行」は「女性の姿」ではなく「女性の行状」であろうから、やはり立ち振る舞い自体は女性であり、トランスジェンダーではないだろう。
原文には女性が帯刀していることに対して批難のニュアンスがあるので、おいおい劉向はなにもわかってねーな、刀もった女かっこいいじゃん、と思ったけど、冠をかぶっていたことと併せて、これがキーポイントである。「大夫の心」とはどういうことであろうか。≪原文≫
桀既棄禮義、淫於婦人。
求美女、積之於後宮。
收倡優侏儒狎徒能為奇偉戲者、聚之於旁。
造爛漫之樂、日夜與末喜及宮女飲酒、無有休時。
置末喜於膝上、聽用其言、昏亂失道、驕奢自恣。
為酒池可以運舟、一鼓而牛飲者三千人、昙其頭而飲之於酒池、醉而溺死者、末喜笑之、以為樂。
≪書き下し文≫
桀は既に禮義を棄て、婦人に淫す。
美女を求め、後宮に之れを積む。
倡優、侏儒、狎徒、奇偉を為すに能う戲者を收めて、旁に之れを聚める。
爛漫の樂を造り、日夜末喜及び宮女と與に酒を飲み、休む時有る無し。
末喜を膝上に置き、聽きて其の言を用い、昏亂して道を失い、自ら恣に驕奢す。
酒池を為しては以て運舟す可し、一鼓して牛飲する者三千人、其の頭を昙して酒池に之れを飲み、醉いて溺死する者、末喜は之れを笑い、以て樂と為す。
≪現代語訳≫
桀は既に礼と義、人の履むべき規律をまったく放棄し、女色に耽るばかりであった。
天下から美女をかき集め、後宮にそれを住まわせ、俳優やこびと、剣闘士などの珍奇な芸をする戯者たちを天下からかき集め、傍らに侍らせた。
また、爛漫の音楽を造り演奏させ、日夜末喜と宮女を侍らせながら酒を飲み、それが連日休みなく続いた。
そして、桀は末喜を膝の上に置き、その言葉通りに政治を行い、政治は乱れ道理は失われ、自らのほしいままに贅沢をした。
舟を浮かべられるような酒の池を造り、大酒飲み3000人を集め、太鼓を鳴らせばそれらが頭を沈めて酒の池を飲み干すようにさせた。
酔って溺死するものが現れると、末喜はそれを笑い、楽しみとした。
さて、ここで夏王桀と末喜の日常についての記述である。
桀は民衆を顧みず、日常は乱れ、贅沢三昧をして酒と女に耽り、末喜と享楽に溺れていたようである。
ただし、このあたりの記述にはやや疑問がある。というのも、少し先取りになるが、贅沢の内容が殷の悪女妲己の記事と酷似しているのである。
妲己伝では音楽に関して、「新たに淫の聲、北鄙の舞、靡靡の樂を作す。」と記述され、酒については「酒を流して池と為し、肉を懸けては林と為し、人をして形を裸しめ其の閒を相逐わせしめ、長夜の飲を為し、妲己之れを好む。」とあり、妲己の記事の方がより具体的であると思う。末喜の記事では音楽の具体的な内容はなく、妲己は酒池肉林であるのに対し、末喜は酒池のみである。
そして、史記には妲己の酒池肉林と淫聲、北鄙の舞、靡靡の樂の作成についての記事はあるが、末喜についてはない。想像するに、末喜のエピソードは妲己をもとにした後付けでないかと推測する。これは列女伝を訳しながら思ったことなんだけど、Wikipediaにも同じような見解が掲載されており、同意見の人もいるのだろう。専門的なことは知らないけど。
末喜に際立っているのは、桀の膝の上で王に政治について進言している点である。このエピソードは妲己にはない。
これを冒頭の末喜の特徴、大夫の心と帯剣帯冠を併せてみると、おそらくは末喜は男性の貴族と同様に政策について考え、それについて王に進言した人物ではないか。そして、それゆえに格好も男性の貴族と同様の姿をしていたのではないだろうか。
列女伝における末喜は、女性でありながら男性のように地位と名誉を求め、権力を握ろうとした女性だったのではないかと私は想像する。≪原文≫
龍逢進諫曰、君無道、必亡矣。
桀曰、日有亡乎。日亡而我亡。
不聽、以為妖言而殺之。
造瓊室瑤臺、以臨雲雨、殫財盡幣、意尚不饜。
召湯、囚之於夏臺、已而釋之、諸侯大叛。
於是湯受命而伐之、戰於鳴條、桀師不戰。
湯遂放桀、與末喜嬖妾同舟、流於海、死於南巢之山。
詩曰、懿厥哲婦、為梟為鴟。此之謂也
≪書き下し文≫
龍逢進み諫めて曰く、君の無道にして、必や亡びん。
桀曰く、日に亡びること有らんか。日亡びて我亡びん。
聽かず、以て妖言を為して之れを殺す。
瑤臺なる瓊室を造り、以て雲雨に臨み、財を殫して幣を盡し、意尚饜ず。
湯を召し、之れを夏臺に囚えて、已にして之れ釋ち、諸侯大叛す。
是に於いて湯は命を受けて之れを伐ち、鳴條に戦い、桀の師は戰わず。
湯は遂に桀を放ち、末喜嬖妾を與に同舟し、海に流し、南巢の山に死す。
詩に曰く、ああ厥の哲婦、梟となり鴟となる、と。此れ之れを謂うなり
≪現代語訳≫
夏王朝の龍使いを統括していた家臣、龍逢が桀を諫めようと進言した。
「君主が無道であれば、必ずや国家は亡びるでしょう。」
しかし、桀はそれに耳を傾けることなく、妖言を吐きながら誅殺した。
「天に燦然と輝く太陽に亡びの日が来るだろうか? あの太陽の喪失する日が来るならば、私に亡ぶ日も来よう。」
桀は華美な宮殿を建設し、暴風雨に見舞われ、国庫の財産は尽き、それでもなお贅沢をやめようとはしなかった。
諸侯の間で反乱の機運が高まり、それを恐れた桀は諸侯の筆頭であった商公の湯を虜囚としたが、しばらくして世間の反感に気づき釈放した。すると、諸侯は湯を頭領に戴いて結託し、すぐに大乱を起こした。
かくして湯は天命を受諾し、夏王朝の征伐に向かう。鳴條の戦いでは夏王朝の将軍たちは戦わずして降伏した。
遂に湯は桀を追放し、末喜を筆頭にその妾たちを同じ舟に載せ、海へ流した。末喜たちは南巢の山にて死んだという。
詩経に「ああ、その明哲なる婦人。梟となり鴟となる」と歌われているが、このことをいうのである。
桀の暴虐と滅亡。桀のセリフ、かっこよくね? なぜ桀が太陽の話をしているかといえば、夏王朝は太陽信仰の王朝であり、王は太陽神の化身だからである。
ここでは触れられていないが、書経の一篇である湯誓では、桀を討伐する前の湯の演説で、「時日曷喪、予及汝皆亡」という狂歌が民間で流行していたと述べられている。これは「あの燦然と輝く太陽はいつ亡びるのだ! 私もお前も、皆すべてが亡んでしまえばいい!」という内容である。おそらく桀のセリフはこれと関連するものであろう。私は書経のこの歌を初めて読んだとき、生命と恵みの根源である太陽を民衆が呪い、苦しみのあまり世界の滅亡と人類の絶滅を願う歌が紀元前2000年に存在していたことに衝撃を受けた。
夏と同様、殷も太陽信仰の王朝である。ゆえに、この革命は太陽の化身の交代劇である。
さて、主役の末喜であるが、ここでは目立ったことはしていない。しかし、最後に掲載された詩から、末喜がなぜ悪女とされているかが改めて理解できる。
これは詩経の引用であるが、該当部分の文節はこのようなものである。≪原文≫
哲夫成城、哲婦傾城。
懿厥哲婦、為梟為鴟。
婦有長舌、維厲之階。
亂匪降自天、生自婦人。
匪教匪誨、時維婦寺。
≪書き下し文≫
哲夫は城を成すも、哲婦は城を傾ける。
ああ厥の哲婦、梟と為り鴟と為る。
婦には長舌有り、維れ厲の階なり。
亂は天より降るに匪ず、婦人より生ず。
教うるに匪ず誨うるに匪ず、時に維れ婦と寺なり。
≪現代語訳≫
明哲なる夫は一国一城の主となれるが、明哲なる婦人は城を傾ける。
ああ、その明哲なる婦人、そいつは梟となり、鴟となるぞ。
婦人の舌が長いのは、それが災厄につづく"はしご"だからだ。
動乱は天から降ってくるのではない。婦人から生じるのだ。
教育しても無駄な奴。説教しても無駄な奴。それは婦人と宦官だ。
女性差別も甚だしい内容であると感じられることだろう。賢い男は国を築き城の主となり、賢い女は国を傾け城を傾ける。だから女性は政治から遠ざけよ。これが列女伝末喜の故事から導き出される教訓らしい。総論ではこれを中心に論じる。≪原文≫
頌曰、末喜配桀、維亂驕揚、桀既無道、又重其荒、姦軌是用、不恤法常、夏后之國、遂反為商。
≪書き下し文≫
頌に曰く、末喜桀を配し、維れ亂は驕揚し、桀既に無道にして、又た其の荒を重ね、姦軌是れ用い、不恤の法を常とし、夏后の國、遂に反りて商を為す。
≪現代語訳≫
頌に次のように歌われている。
末喜が帝桀と婚姻すると、その暴政はますます酷くなった。
桀はもともと無道の君主であったが、末喜によって更に甚だしくなり、悪党を登用し、民衆を顧みぬ悪法を敷き続け、ついに反乱が起こり夏は殷に天下を譲ることになった。
頌とは王朝の讃美歌である。本文の内容と一致しており、これが夏殷革命のサーガなのであろう。
さて、この列伝の主人公である末喜は、いかなる評価を与えられているか。
もちろん、王とともに過度の贅沢をし、国を傾けたことも批難されている。しかし、先述のように、これは妲己も同様であり、さらに言えば、末喜の悪行は妲己を下敷きにした創作ではないかと推測される。
してみれば、やはり末喜に際立った特徴は、女性でありながら政治に口を出していたことである。冒頭の「大夫心」や「佩劍帶冠」も、末喜が政治的野心を持ち、男性の格好をして政治に口を出していたことだとして、同一線上の行為であることが推測できる。
そして、最後に掲載された「明哲な女性は城を傾ける」という詩の内容からも、この列伝に貫かれたテーマが女性が政治に口を出すことを戒めることであると読み取れる。
さて、「哲夫成城、哲婦傾城」という詩の内容をそのまま末喜と重ねて受け取れば、末喜は明晰明哲な女性であったと考えられる。そして、「明哲な女性」こそが悪であると列伝では示されている。本文が特徴的なのは、「女は愚物だから政治に口を出すな」という単純な男性優越論ではないことで、これは明哲な女性"こそが"危ないという内容なのである。単純な女性蔑視というよりは、女性への恐怖が感じられるだろう。
古今東西における差別において、蔑視と恐怖が表裏として存在することは珍しくないが、ここまで恐怖が前面に押し出された上での無条件の否定はめずらしいのではないか。これは「男性と同じであってもダメだ」という内容である。
私は思う。古の帝王舜は農夫から身を起こし、秦の宰相百里渓は羊の皮5枚で買われた奴隷であった。ゆえに、いかに布衣の身であろうと、中華王朝では有徳であればだれでも天子となることができたし、有能であれば官僚となることもできた。この伝統は儒教により理論化され、隋唐の時代には科挙制度により世襲貴族は一掃され、易姓革命の論理から出自に関係なく天命を受諾した者が天子となれるとの体系が儒教として成立した。
しかし、それは男性に限定されたことである。末喜は女性であるという理由で、いかに明哲であろうと政治に口を出すこと自体が禍であると評価され、他の悪女と悪事を重ねられて批難された。
女が政治に携われない時代は長く、近代においても女性が参政権を得て、未だ100年しか経ていないし、それも一部の国家である。
末喜が政治を行おうとしたのは、自らの明哲をもって人民を済おうと試みたがゆえか、それとも自らの能力を政治の場で試したかったのか、あるいは野心的に権力欲にとりつかれたのか、それはわからない。
しかし、男は政治に向かう姿勢が人々の賛否を分かつが、当時の女は政治に向かうことそのものが否定された。ならば、女性の政治参加を肯定するならば、末喜は政治に向き合ったことそのもので、まず賞賛を受けねばならないのではないだろうか。