"礼記"カテゴリーの記事一覧
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≪原文≫
【第一章】
天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。
道也者、不可須臾離也、可離非道也。
是故君子戒慎乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。
莫見乎隱、莫顯乎微。
故君子慎其獨也。
喜怒哀樂之未發、謂之中。
發而皆中節、謂之和。
中也者、天下之大本也。
和也者、天下之達道也。
致中和、天地位焉、萬物育焉。
【第二章】
仲尼曰、君子中庸、小人反中庸。
君子之中庸也、君子而時中。
小人之中庸也、小人而無忌憚也。
【第三章】
子曰、中庸其至矣乎。民鮮能久矣。
【第四章】
子曰、道之不行也、我知之矣。
知者過之、愚者不及也。道之不明也、我知之矣。
賢者過之、不肖者不及也。人莫不飲食也、鮮能知味也。
【第五章】
子曰、道其不行矣夫。
【第六章】
子曰、舜其大知也與。
舜好問而好察邇言、隱惡而揚善、執其兩端、用其中於民、其斯以為舜乎。
【第七章】
子曰、人皆曰予知、驅而納諸罟擭陷阱之中、而莫之知辟也。
人皆曰予知、擇乎中庸、而不能期月守也。
【第八章】
子曰、回之為人也、擇乎中庸、得一善、則拳拳服膺而弗失之矣。
【第九章】
子曰、天下國家可均也、爵祿可辭也、白刃可蹈也、中庸不可能也。
【第十章】
子路問強。
子曰、南方之強與。北方之強與。抑而強與。
寬柔以教、不報無道、南方之強也、君子居之。
衽金革、死而不厭、北方之強也、而強者居之。
故君子和而不流、強哉矯。
中立而不倚、強哉矯。
國有道、不變塞焉、強哉矯。國無道、至死不變、強哉矯。
【第十一章】
子曰、素隱行怪、後世有述焉、吾弗為之矣。
君子遵道而行、半涂而廢、吾弗能已矣。
君子依乎中庸、遁世不見知而不悔、唯聖者能之。
≪書き下し文≫
【第一章】
天命之れを性と謂い、性に率うを之れ道と謂い、道を修むるを之れ教と謂う。
道は、須臾も離る可からざるなり、離る可きは道に非ざるなり。
是れ故に君子は其の睹ざる所より戒慎し、其の聞かざる所より恐懼す。
隱より見るもの莫く、微より顯なるものは莫し。
故に君子は其の獨を慎むなり。
喜怒哀樂の未だ發せざるは、之れを中と謂う。
發して皆節に中るは、之れを和と謂う。
中は、天下の大本なり。
和は、天下の達道なり。
中和に致り、天地位して、萬物育つ。
【第二章】
仲尼曰く、君子は中庸し、小人は中庸に反す、と。
君子の中庸なるや、君子而ち時中す。
小人の中庸なるや、小人而ち忌憚無きなり。
【第三章】
子曰く、中庸其れ至れるかな。民の能くする鮮きこと久し。
【第四章】
子曰く、道の行われざるや、我之れを知る。
知者の之れに過ぎ、愚者は及ばざるなり。
道の明らかならざるや、我之れを知る。
賢者の之れに過ぎ、不肖の者は及ばざるなり。
人飲食をせざること莫く、能く味を知ることは鮮きなり、と。
【第五章】
子曰く、道は其れ行われざるかな、と。
【第六章】
子曰く、舜は其れ大知なるかな。
舜は問うを好みて邇言の察するを好み、惡を隱して善を揚げ、其の兩端を執り、民に其の中を用い、其の斯れを以て舜と為す、と。
【第七章】
子曰く、人皆予知ると曰い、驅りて諸れ罟擭陷阱の中に納め、而りて之れを辟るを知るもの莫きなり。
人皆予知ると曰い、中庸より擇り、而りて期月守るに能わざるなり、と。
【第八章】
子曰く、回の為人や、中庸より擇び、一善を得、則ち拳拳服膺して之れを失わず。
【第九章】
子曰く、天下國家は均しくす可きなり、爵祿も辭する可きなり、白刃も蹈む可きなり、中庸は能くす可からざるなり。
【第十章】
子路強を問う。
子曰く、南方の強か。北方の強か。抑も而の強か。
寬柔を以て教え、無道に報いざるは、南方の強なり、君子之れに居す。
金革を衽とし、死するを厭わずは、北方の強なり、而の強者は之れに居す。
故に君子は和して流れず、強なるかな矯たり。
中立して倚らず、強なるかな矯たり。
國に道有らば、塞を變せず、強なるかな矯たり。
國に道無くば、死に至りて變らず、強なるかな矯たり。
【第十一章】
子曰く、隱を素として怪を行くは、後世に述有り、吾之れを為さず。
君子は道に遵いて行き、半涂にして廢し、吾能わざるのみ。
君子中庸より依り、遁世して知るを見ずして悔いず、唯だ聖者之れに能う。
大学に次いで中庸も書き下す。全33章なんで3回に分ける予定。ただ、これは次回やるかどうか不明。どちらかといえば、三国史記をやりたい。
今、ブログやってる暇も余裕もないから穴埋めです。今後どうなるかもわからん。別に毎日更新しようとしなければできるだろうけど。PR -
≪原文≫
【第九章】
所謂修身在正其心者、
身有所忿懥、則不得其正。
有所恐懼、則不得其正。
有所好樂、則不得其正。
有所憂患、則不得其正。
心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。
此謂修身在正其心。
【第十章】
所謂齊其家在修其身者、
人之其所親愛而辟焉、
之其所賤惡而辟焉、
之其所畏敬而辟焉、
之其所哀矜而辟焉、
之其所敖惰而辟焉。
故好而知其惡、惡而知其美者、天下鮮矣。
故諺有之曰、人莫知其子之惡、莫知其苗之碩。
此謂身不修不可以齊其家。
【第十一章】
所謂治國必先齊其家者、其家不可教而能教人者、無之。
故君子不出家而成教於國、孝者、所以事君也、弟者、所以事長也。慈者、所以使眾也。
康誥曰、如保赤子、心誠求之、雖不中不遠矣。未有學養子而後嫁者也。
一家仁、一國興仁。
一家讓、一國興讓。
一人貪戾、一國作亂。
其機如此。
此謂一言僨事、一人定國。
堯舜率天下以仁、而民從之。
桀紂率天下以暴、而民從之。
其所令反其所好、而民不從。
是故君子有諸己而後求諸人、無諸己而後非諸人。
所藏乎身不恕、而能喻諸人者、未之有也。
故治國在齊其家。
詩云、
桃之夭夭、其葉蓁蓁。
之子于歸、宜其家人。
宜其家人、而後可以教國人。
詩云、宜兄宜弟。
宜兄宜弟、而後可以教國人。
詩云、其儀不忒、正是四國。
其為父子兄弟足法、而後民法之也。
此謂治國在齊其家。
【第十二章】
所謂平天下在治其國者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍、是以君子有絜矩之道也。
所惡於上、毋以使下。
所惡於下、毋以事上。
所惡於前、毋以先後。
所惡於後、毋以從前。
所惡於右、毋以交於左。
所惡於左、毋以交於右。
此之謂絜矩之道。
詩云、樂只君子、民之父母。
民之所好好之、民之所惡惡之、此之謂民之父母。
詩云、
節彼南山、維石巖巖。
赫赫師尹、民具爾瞻。
有國者不可以不慎、辟則為天下戮矣。
【第十三章】
詩云、
殷之未喪師、克配上帝。
儀監于殷、峻命不易。
道得眾則得國、失眾則失國。
是故君子先慎乎德。
有德此有人、有人此有土、有土此有財、有財此有用。
德者本也、財者末也、外本內末、爭民施奪。
是故財聚則民散、財散則民聚。
是故言悖而出者、亦悖而入。
貨悖而入者、亦悖而出。
康誥曰、惟命不于常。
道善則得之、不善則失之矣。
楚書曰、楚國無以為寶、惟善以為寶。
舅犯曰、亡人無以為寶、仁親以為寶。
【第十四章】
秦誓曰、若有一个臣、斷斷兮無他技、其心休休焉、其如有容焉。
人之有技、若己有之、人之彥聖、其心好之、不啻若自其口出。
實能容之、以能保我子孫黎民、尚亦有利哉。
人之有技、媢嫉以惡之。
人之彥聖、而違之俾不通。
實不能容、以不能保我子孫黎民、亦曰殆哉。
唯仁人放流之、迸諸四夷、不與同中國、此謂唯仁人為能愛人、能惡人。
見賢而不能舉、舉而不能先、命也。
見不善而不能退、退而不能遠、過也。
好人之所惡、惡人之所好、是謂拂人之性、災必逮夫身。
是故君子有大道、必忠信以得之、驕泰以失之。
【第十五章】
生財有大道。
生之者眾、食之者寡、為之者疾、用之者舒、則財恒足矣。
仁者以財發身、不仁者以身發財。
未有上好仁而下不好義者也、未有好義其事不終者也、未有府庫財非其財者也。
【第十六章】
孟獻子曰、
畜馬乘、不察於雞豚。
伐冰之家、不畜牛羊。
百乘之家、不畜聚斂之臣。
與其有聚斂之臣、寧有盜臣。
此謂國不以利為利、以義為利也。
長國家而務財用者、必自小人矣。
彼為善之、小人之使為國家、災害并至。
雖有善者、亦無如之何矣。
此謂國不以利為利、以義為利也。
≪書き下し文≫
【第九章】
所謂身を修めるに其の心を正すこと在るとは、
身に忿懥する所有れば、則ち其の正を得ず。
恐懼する所有らば、則ち其の正を得ず。
好樂する所有らば、則ち其の正を得ず。
憂患する所有らば、則ち其の正を得ず。
心在らざれば、視ても見えず、聽いても聞けず、食べても其の味を知らず。
此れ身を修めるに其の心を正すこと在りを謂う。
【第十章】
所謂其の家を齊えるに其の身を修める在るとは、
人は其の親愛する所に之れを辟し、
其の賤惡する所に之れを辟し、
其の畏敬する所に之れを辟し、
其の哀矜する所に之れを辟し、
其の敖惰する所に之れを辟す。
故に好みて其の惡を知り、惡みて其の美を知る者、天下に鮮きかな。
故に諺に之れ有りて曰く、人其の子の惡を知ること莫く、其の苗の碩を知ること莫し。
此れを身修まらずして以て其の家を齊うる可からずと謂う。
【第十一章】
所謂國を治めるに必ず先ず其の家を齊うるとは、其の家を教える可からずして人に教うるに能う者、之れ無し。
故に君子は家を出でずして國を成教す。
孝者、以て君に事うる所なり。
弟者、以て長に事うる所なり。
慈者、以て眾を使う所なり。
康誥曰く、赤子を保つが如く、心の誠を之れに求むれば、中らずと雖も遠からず。未だ子を養うことを學ぶ有りて而る後に嫁ぐ者なきなり。
一家仁なれば、一國に仁興る。
一家讓なれば、一國に讓興る。
一人貪戾なれば、一國に亂作る。
其の機は此の如し。
此れを一言僨事、一人定國と謂う。
堯舜は仁を以て天下を率い、而して民は之れに從う。
桀紂は暴を以て天下を率い、而して民は之れに從う。
其の令する所其の好む所に反すれば、而るに民は從わず。
是れ故に君子は諸れを己に求め而る後に諸れを人に求め、諸れ己に無くして而る後に諸れ人に非ず。
身に藏る所恕ならず、而るに能諸れを人に喻すに能う者、未だ之れ有らざるなり。
故に國を治めるに其の家を齊える在り。
詩に云う、
桃の夭夭、其の葉蓁蓁。
之の子于き歸ぐ、其の家人を宜しからん。
其の家人に宜しくし、而る後に以て國人を教う可し。
詩に云う、兄に宜しく弟に宜しく。
兄に宜しくし弟に宜しくして、而る後に以て國人を教う可し。
詩に云う、其の儀忒さず、是れ四國を正す。
其れ父子兄弟足法を為し、而る後に民之れに法るなり。
此れを國を治めるに其の家を齊うる在りと謂う。
【第十二章】
所謂天下を平らげるに其の國を治める在りとは、上は老を老として民は孝を興し、上は長を長として民は弟を興し、上は孤を恤して民は倍さず、是れを以て君子に絜矩の道有るなり。
上に惡む所、毋以て下を使うこと毋れ。
下に惡む所、以て上に事うること毋れ。
前に惡む所、以て後を先んずること毋れ。
後に惡む所、以て前に從うこと毋れ。
右に惡む所、以て左に交じること毋れ。
左に惡む所、以て右に交じること毋れ。
此の之れを絜矩の道と謂う。
詩に云う、樂只の君子、民の父母なり。
民の好む所は之れを好み、民の惡む所は之れを惡み、此の之れを民の父母と謂う。
詩に云く、
節たる彼の南山、維れ石は巖巖たり。
赫赫たる師尹、民具に爾を瞻る。
國有る者は以て慎まざる可からず、辟すれば則ち天下に戮を為す。
【第十三章】
詩に云う、
殷は之れ未だ師を喪ず、克く上帝を配す。
儀しく殷を監みるべし、峻命易からず。
道眾を得れば則ち國を得、眾を失えば則ち國を失う。
是れ故に君子は先ず德を慎む。
德有るは此れ人有り、人有るは此れ土有り、土有るは此れ財有り、財有るは此れ用有り。
德は本なり、財は末なり、本を外にして末を內にすれば、民を爭わしめ奪を施す。
是れ故に財聚れば則ち民は散じ、財散ずれば則ち民は聚る。
是れ故に言悖りて出ずる者、亦た悖りて入る。
貨悖りて入る者、亦た悖りて出ず。
康誥曰く、惟の命常に于かず。
道善なれば則ち之れを得、不善なれば則ち之れを失う。
楚書に曰く、楚國を以て寶を為す無し、惟れ善を以て寶を為す。
舅犯曰く、亡人以て寶を為す無し、仁親を以て寶を為す。
【第十四章】
秦誓曰く、若し一个の臣有り、斷斷として他技無く、其の心は休休として、其れ如容有るが如し。
人の技有るは、己に之れ有るが若く、人の彥聖は、其の心之れを好み、啻其の口より出ずるが若くあらず。
實之れを容に能い、以て我が子孫黎民を保つに能い、尚亦た利有り。
人の技有るは、媢嫉して以て之れを惡む。
人の彥聖なる、而るに之れに違通じぜざら俾む。
實に容ること能わざれば、以て我が子孫黎民を保つに能わず、亦た曰に殆し。
唯だ仁人之れを放流し、諸に四夷を迸し、同じ中國に與さず、此れ唯だ仁人人を愛するに能うを為し、人を惡むに能うと謂う。
賢を見て舉ぐるに能わず、舉げて先んずるに能わずは、命なり。
不善を見て退くこと能わず、退きて遠ざくこと能わざるは、過なり。
人の之れを惡む所を好み、人の之れを惡む所を好むは、是れ拂人の性、必ずや夫の身に災い逮ぶと謂う。
是れ故に君子に大道有り、必ず忠信以て之れを得、驕泰を以て之れを失う。
【第十五章】
財を生むに大道有り。
之れを生む者は眾、之れを食む者は寡、之れを為す者は疾、之れを用うる者は舒、則ち財は恒に足る。
仁者財を以て身を發し、不仁者は身を以て材を發す。
未だ上の仁を好みて下の義を好まざるは有らざるなり、
未だ義を好みて其の事に終らざる者有らざるなり、
未だ府庫の財は其の財に非ざることなきなり。
【第十六章】
孟獻子曰く、
馬乘を畜うに、雞豚を察せず。
伐冰の家、牛羊を畜ず。
百乘の家、聚斂の臣を畜ず。
其れと與に聚斂の臣有り、寧ろ盜臣有り。
此れ國は利を為すに利を以てせず、義を以て利と為すと謂うなり。
國家を長じて務財用いるは、必ずや自小人矣。
彼は之れを善と為し、小人を使て之れを國家せしめば、災害并び至る。
善有ると雖も、亦た之れを如何とすること無し。
此れ國は利を為すに利を以てせず、義を以て利を為すと謂うなり。
格物致知だけ確認できたらそれでいいかと思っていたのだけど、ついでだと思って大学をすべて書き下したら思ったより長くなってしまった。
残りの九章から十六章を一気に掲載。孝経は2日で書き下したのだから、こちらに何日もかけてられん。突貫工事なので間違いとかも多いと思う。なんかあったらご指摘ください。
倭人検定問題になりますが、私がよく言う「うまくいくか悩むより、やりたいことなら早く始めた方がいいよ。先に親になってから子を産む人はいないんだから。」といった言い回しは、「如保赤子、心誠求之、雖不中不遠矣。未有學養子而後嫁者也。」が元ネタです。「中らずと雖も遠からず」の部分は「当たらずとも遠からず」の語源ですね。
倭人語録はちょっとした言葉にも元ネタがある。私には一切の独創性はなく、他人のパクり以外なにもしていない。ちなみに、この「私には一切の独創性はなく、パクり以外なにもしていない」というのも「述べて作らず」という孔子の言葉が元ネタである。
はっきり言って、この段は冗長だと思う。最初の記事にした部分の緻密かつ大胆な思想展開は見られない。また思想も堅苦しいものになっている。第三章では、「所謂其の意を誠にするは、自らを欺くこと毋きなり、惡臭を惡むが如く、好色を好むが如し」と人間の本性に基づいて自らの意に誠実を求めていたのに、第九章では「好樂する所有らば、則ち其の正を得ず。」とあり、禁欲的な修身訓となり果てているように思う。これは論語の知好楽とも違うのではないだろうか。
その後の「心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味」といった観念は、孔子が斉で韶を初めて聴いたとき、三日も肉の味がわからなかったという論語のエピソードや孝経における親を喪った際に肉の味がわからなくなるという服喪の精神から離れているように思われる。
もちろん、「まずは自らの意に誠であり、後にそれを律して心を正す」と言う風に捉えることは可能であるし、そのような考えには賛同できる面はある。しかし、それでも感情や熱中そのものを否定するような文言に、説明が粗雑というか、ブツ切り感があるというか、どうにも違和感が残る。
朱熹は第一章と第二章を孔子の言葉だとし、それ以外を曾参の弟子が解釈したものであると見ている。三綱領と八条目の完成度を見れば、その気持ちは非常によくわかる。
しかし、私としては、第一章から第四章までが、ひとつなぎの完成した文章であるように見える。
まず第一章で大学の三綱領を掲げ、これが本文の主題であることを示している。そして、第二章で挙げられる八条目は、あくまで三綱領のうちの「明明徳」の内容を具体化したものでしかなく、その中でも重点は「修身」に存在することが示されている。第三章で「誠意」の部分を「修身」と絡めて具体化したもので、ここで八条目の説明は既に終わっている。「修身」「斉家」「治国」「平天下」は個人が小さな共同体を、小さな共同体が大きな共同体を、大きな共同体が天下のすべてを構成していることを示しているだけで、込み入った説明は想定していないのではないか。第四章では「明明徳」「親民」「止於至善」の三綱領をすべてを登場させ、相互的な関係をこれまたすべて説明している。つまり、もうここで内容は尽きているのである。
第五章から第七章はそれぞれが第一章の三綱領と関連する他経典の抜き書きであり、第八章は第二章の最後と「知本」が重複している。おそらくは第五章から第八章は第一章から第二章の注釈だと思われる。
そして、第九章から第十二章は第三章と第四章を模倣して、誠意より先の五条目、則ち、正心、修身、斉家、治国、平天下を同様に説明して体系を構築しようとしたのではないかと思われる。つまり、ここには断絶がある。これらは八条目に対する一種の批評文として読めば面白いかもしれないが、本文として読むと上滑りした印象を受ける。
第十三章から第十六章は財貨と利をテーマとしている。経典で貨殖を論じるのは面白いところで、これは第三章の末尾を意識しているのだろうか。そうであるなら、これもまた、一章から四章の註釈の意図があるのかもしれない。いずれにせよ、このあたりの内容は冒頭から連想される解釈や批評が発展した内容としては興味深いが、まとまった文章だとは感じられない。
正直、大学の感想でここまで文献批判に踏み込む気はなかったので一旦区切る。 -
≪原文≫
【第四章】
詩云、
瞻彼淇澳、菉竹猗猗。
有斐君子,如切如磋、如琢如磨。
瑟兮僩兮、赫兮喧兮。
有斐君子、終不可諠兮。
如切如磋者、道學也。
如琢如磨者、自修也。
瑟兮僩兮者、恂慄也。
赫兮喧兮者、威儀也。
有斐君子、終不可諠兮者、道盛德至善、民之不能忘也。
詩云、於戲前王不忘。
君子賢其賢而親其親、小人樂其樂而利其利、此以沒世不忘也。
【第五章】
康誥曰、克明德。
太甲曰、顧諟天之明命。
帝典曰、克明峻德。
皆自明也。
【第六章】
湯之盤銘曰、茍日新、日日新、又日新。
康誥曰、作新民。
詩曰、周雖舊邦、其命惟新。
是故君子無所不用其極。
【第七章】
詩云、邦畿千里、惟民所止。
詩云、緡蠻黃鳥、止于丘隅。
子曰、於止、知其所止、可以人而不如鳥乎。
詩云、穆穆文王、於緝熙敬止。
為人君、止於仁。
為人臣、止於敬。
為人子、止於孝。
為人父、止於慈。
與國人交、止於信。
【第八章】
子曰、聽訟、吾猶人也、必也使無訟乎。
無情者不得盡其辭、大畏民志。此謂知本。
≪書き下し文≫
【第四章】
詩に云う。
彼の淇澳を瞻れば、菉竹は猗猗たり。
斐たる君子有り、切るが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し。
瑟たり僴たり、赫たり喧たり。
斐たる君子有り、終に諠る可からず。
切るが如く磋するが如しは、道學なり。
琢するが如く磨するが如しは、自修なり。
瑟たり僴たりは、恂慄なり。
赫たり喧たりは、威儀なり。
斐たる君子有り、終に諠る可からずは、道盛んにして德の善に至り、民の不能忘るるなり。
詩に云う、於戲前王忘れず。
君子は其の賢を賢として其の親と親しみ、小人は其の樂を樂しみて其の利を利とし、此れを以て世を沒して忘れざるなり。
【第五章】
康誥曰く、明德を克くす。
太甲曰く、諟の天の明命を顧る。
帝典に曰く、明を克くして德を峻にす。
皆自明なり。
【第六章】
湯の盤銘に曰く、茍に日に新たに、日に日に新たなり、又た日に新たなり。
康誥曰く、新民を作す。
詩に曰く、周は舊邦と雖も、其の命は惟れ新たなり。
是れ故に君子は其の極を用いざる所無し。
【第七章】
詩に云う、邦畿千里、惟れ民の止むる所なり。
詩に云う、緡蠻たる黃鳥、丘隅に止む。
子曰く、止に於けるや、其の止むる所を知る、人を以てして鳥に如かざる可けんや。
詩に云う、穆穆たる文王、於いて緝熙に敬止す。
人君を為すは、仁に止むる。
人臣を為すは、敬に止むる。
人の子を為すは、孝に止むる。
人の父を為すは、慈に止むる。
國を與して人交わるは、信に止むる。
【第八章】
子曰く、訟を聽くは、吾猶お人のごとくなり、必ずや訟を無からしめんか。
無情の者は盡く其の辭を得ず、民志を大畏せしむ。
此れ知本と謂う。
詩経や書経の引用がやたらと多い。というより、ほとんど引用の羅列である。
逆に言えば、第一章から第三章までは一度曾参の言を引用しただけで、他には引用がなかった。
これ、どう見ても第五章から第七章は、第一章「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。」の解釈である。
第五章は「明明德」の解釈のために書経と詩経から「明徳」の語義を類推できる個所を抽出しており、第六章は「親民」の語義を解釈するための抽出で、第七章は「止於至善」の語義を解釈するための抽出である。
実際、現行の四書のひとつ大学を編集した朱熹は、第一章の「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。」を孔子の言葉であると認定しており、ここで掲載した第四章から第八章すべての章句は後世の弟子による解釈であると解釈している。(ああ、ややこしい)
これら「明明德」「親民」「止於至善」を朱子学では大学三綱領と呼ぶ。大学三綱領→明明德、親民、止於至善
大学八条目→格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下
はい、暗記。
さて、ここで気になるのは、第六章である。
第一章は「親民」なのに、なぜか第六章の引用では「新」「新民」の語を抽出している。
朱熹はこれをもって、第一章の「親民」も本来は「新民」であったと解釈しているが、陽明学の祖である王守仁はやはり親民が正しいとしている。
ここに登場する「周雖舊邦、其命惟新。」は「維新」の語源である。殷周革命の際に歌われた詩で、「周は舊邦(旧邦)と雖(いえど)も、其の命は惟(こ)れ新たなり。」つまり「周は旧い国ではあるが、その天命は新たである」というもの。明治維新において、王政復古に用いられるスローガンとして最適と判断されたのだろう。よく知らないけど。
今ググったら、日本書紀で中大兄皇子が大化の改新の際、「天人合応し厥の政惟れ新たなり(天人合応厥政惟新)」と言ってたらしいので、それを意識してたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。よくわからない。
Twitterで言ったかは忘れたけど、「茍日新、日日新、又日新」はかつて自らの座右の銘にしてた言葉なので懐かしい気持ちになる。 -
原文はこちらから拝借。
中國哲學書電子化計劃 禮記:大學
https://ctext.org/liji/da-xue/zh≪原文≫
【第一章】
大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。
知止而后有定、定而后能靜、靜而后能安、安而后能慮、慮而后能得。
物有本末、事有終始、知所先後、則近道矣。
【第二章】
古之欲明明德於天下者、先治其國、欲治其國者、先齊其家、欲齊其家者、先修其身、欲修其身者、先正其心、欲正其心者、先誠其意、欲誠其意者、先致其知、致知在格物。
物格而後知至、知至而後意誠、意誠而後心正、心正而後身修、身修而後家齊、家齊而後國治、國治而後天下平。
自天子以至於庶人、壹是皆以修身為本。
其本亂而末治者否矣、其所厚者薄、而其所薄者厚、未之有也。
此謂知本、此謂知之至也。
【第三章】
所謂誠其意者、毋自欺也、如惡惡臭、如好好色、此之謂自謙、故君子必慎其獨也。
小人閑居為不善、無所不至、見君子而後厭然、掩其不善、而著其善。
人之視己、如見其肺肝然、則何益矣。
此謂誠於中、形於外、故君子必慎其獨也。
曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。
富潤屋、德潤身、心廣體胖、故君子必誠其意。
≪書き下し文≫
【第一章】
大學の道、明德を明らかにするに在り、民に親しむに在り、至善に止むるに在り。
止むるを知りて后に定まる有り、定りて后に靜なるに能い、靜なりて后に安んずるに能い、安んじて后に慮るに能い、慮りて后に得るに能う。
物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し。
【第二章】
古の天下に明德を明らかにするを欲する者は、先ず其の國を治め、其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を齊え、其の家を齊えんと欲する者は、先ず其の身を修め、其の身を治めんと欲する者、先ず其の心を正し、其の心を正さんと欲する者、先ず其の意を誠にし、其の意を誠にする者、先ず其の知に致り、知に致るに格物在り。
物格して後に知は至り、知至りて後に意は誠なり、意誠なりて後に心は正なり、心正なりて後に身は修まり、身は修まりて後に家は齊い、家齊いて後に國は治まり、國治まりて後に天下は平らぐ。
天子より以て庶人に至るまで、壹に是れ皆修身を以て本と為す。
其の本亂れて末治まる者は否ざるなり、其の厚き所の者は薄く、而して其の薄き所の者は厚く、未だ之れ有らざるなり。
此れを知本と謂い、此れを知の至と謂う。
【第三章】
所謂其の意を誠にするは、自らを欺くこと毋きなり、惡臭を惡むが如く、好色を好むが如し、此の之れを自謙と謂い、故に君子は必や其の獨を慎む。
小人は閑居して不善を為し、至らざる所無く、君子を見て而る後に厭然とし、其の不善を掩し、而して其の善を著す。
人の己を視るや、其の肺肝を見るが如く然り、則ち何ぞ益することあらん。
此れ中に於いて誠、外に於いて形と謂い、故に君子は必ずや其の獨を慎む。
曾子曰く、十目の視る所、十手の指す所、其れ嚴なるか。
富は屋を潤し、德は身を潤し、心は廣く體は胖く、故に君子は必ずや其の意を誠にす。
四書五経のうち、四書のひとつとして有名な大学。その原典は五経を構成する経典のひとつとして数えられる礼記の一篇『大学』である。
ひさびさに三国史記を翻訳しようと思ったのでウォーミングアップのつもりで仕事の合間で書き下してたんだけど、思ったより時間がかかった。このペースじゃダメだなあ……。大学篇全部くらいぱっぱと書き下せないと困る。昔は現場に行く車の中でちまちまクロスワードパズル感覚で書き下し文をスマホで打ってた。
私の漢文読解能力は非常に低いので、こんな基礎的な経典でも正しく訓読できてるかどうかは知らない。書き下した後で「で、何を言ってるんだ?」となる率高し。
四書として切り抜かれた大学と中庸は礼記から独立したものとして認識され、礼記の大学篇を礼記の一篇として読むことは実に稀である。一般に読まれている朱熹による四書の大学は、章句の順序を入れ替えたりしてて、原典を改変してるので、こちらと意味が変わってきている。
最近、格物致知だの中庸だのとエラソーにブログで書いてるから、一応元ネタを確認しておこうかなー、とも思ってて……。倭人ニキな五経と孟子、朱子、韓非子ちゃんと読めてるし性理学までは出来てたのは覚えてるからめっちゃ便利やねんあの人(個人的には)
— コカイン忍者 (@ymskes) 2017年8月12日
そうだっけ?
考えてみれば自ら大学を書き下したのは初めてのことだし、改めて文法を把握しながら読んでみると、なかなかこれは趣深い。
有名な大学八条目「格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下」は、原典では「古之欲明明德於天下者、先治其國、欲治其國者、先齊其家、欲齊其家者、先修其身、欲修其身者、先正其心、欲正其心者、先誠其意、欲誠其意者、先致其知、致知在格物」「物格而後知至、知至而後意誠、意誠而後心正、心正而後身修、身修而後家齊、家齊而後國治、國治而後天下平」と記されている。前者では「格物」「致其知」「誠其意」と「物」「知」「意」が目的語なっているが、後者では、「物格」「知至」「意誠」というように「物」「知」「意」が主語となっている。これは、後者がその発展の必然性を表現したものであると捉えることができるだろう。
それにしても、これは整然として順序立った、非常に論理的な文章である。
たとえば、第一章に「物有本末、事有終始」とあるように、物質と事柄には、根本と末節、始まりと終わりがあり、因果関係が事物を構築していると示している。それから「知所先後、則近道矣」と続き、「本末」「終始」と対応する「先後」を「知」ることで、「道」に近づくという。事物の存在はその因果関係にあるのだから、それゆえに因果を知ることで道に近づくことができる。
ここから所謂大学八条目に続くが、「天下者、先治其國、欲治其國者、先齊其家、欲齊其家者、先修其身、欲修其身者、先正其心、欲正其心者、先誠其意、欲誠其意者、先致其知、致知在格物」はそれぞれの節に「先治其國、欲治其國者」「先齊其家、欲齊其家者」と「先」の字が用いられており、これは「先後」と対応している。
そして、それを逆から論じた「物格而後知至、知至而後意誠、意誠而後心正、心正而後身修、身修而後家齊、家齊而後國治、國治而後天下平」にはそれぞれの節に「後」が用いられており、この八条目の先後は格物を最先とし、平天下を最後とすることが理解でき、また平天下に終わる道は格物に始まるということがわかる。これは全文を通じて非常に明快な論理で構築され、説明されたものであるとわかるだろう。
次に受けた印象としては、これが個人の存在が非常に際立った思想であるということである。
先ほどの大学八条目「格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下」は「修身」から「斉家」と続くように、家の前に身が存在し、それ以前に心があり、それ以前に意がある。つまり、これらは個人の外面と内面である。ゆえに、この大学八条目には集団より先に個人が存在していることになる。そして、「自天子以至於庶人、壹是皆以修身為本」とあるように、「修身」は天子から庶人つまり王から庶民まで上下身分一切関係なく天下万民あらゆる人の根本である、と述べられている。大学では、個人の存在が社会の前提として存在しており、社会より個人が先んじている。個人が家を形成し、家が国家を形成し、国家が天下を構成するという思想は、孟子にもみられるものである。本が個人、社会は末であると見ることができるだろう。
第二章はここまでで、最後に「此謂知本、此謂知之至也」とある通り、本末の本を知ることが「知」の「至」となる。この章の主題が「致知」であることがわかる。
第二章の致知に続いて、第三章では「慎其獨」を通じて、「誠意」について解説する。
もし自らの意志を誠実なものにするならば、決して自分を欺いてはならない。それは悪臭を厭うように、好色を好むように、自然とそのようにあるようでなくてはならない。これを自謙といい、だからこそ君子とはその「獨」を慎まなくてはならない(所謂誠其意者、毋自欺也、如惡惡臭、如好好色、此之謂自謙、故君子必慎其獨也)
ここから有名な「小人閑居為不善」につながる。ここでの「閑居」とはよく「ヒマ」の意味だとして一般に流布しているが、これは「人目のないところ」である。ゆえに、「小人閑居して不善を為す」とは「小人は暇だとろくなことをしない」ではなく「小人は人が見ていないところでろくでもないことをする」を意味し、後の「慎其獨也」「十目所視、十手所指、其嚴乎」などと対比すると見ることができる。
内臓を透かして見るように、人は外形的な行為から内在する意を読み取る。人に自らの意は隠し立てすることができない。論語にも「子曰く、其の以てする所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ痩さんや、人焉んぞ痩さんや」や「子曰く、二三子、我を以て隠せりと為すか。吾は爾に隠すこと無し。吾行うとして二三子と与にせざる者なし。是れ丘なり。」といった章句にこのような思想はみられる。
今回で私の一番好きなフレーズは「所謂誠其意者、毋自欺也、如惡惡臭、如好好色」の部分です。それと「致知在格物」が好き。
ただし、ここで肝心の「慎其獨」というのが実は私は未だによくわかってないので、このへんで感想、解釈は終わる。通説には抜け落ちたものを感じるし、かといって私自身の解釈にも確信が持てないところがある。書き下し文しか掲載しない予定だったのに、ついつい長くなってしまった。
私の漢文解釈なんて全部テキトーだから、科挙を受ける人は真に受けないように。