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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

礼記大学篇第九章から第十六章

≪原文≫
 【第九章】
 所謂修身在正其心者、
 身有所忿懥、則不得其正。
 有所恐懼、則不得其正。
 有所好樂、則不得其正。
 有所憂患、則不得其正。
 心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。
 此謂修身在正其心。

 【第十章】
 所謂齊其家在修其身者、
 人之其所親愛而辟焉、
 之其所賤惡而辟焉、
 之其所畏敬而辟焉、
 之其所哀矜而辟焉、
 之其所敖惰而辟焉。
 故好而知其惡、惡而知其美者、天下鮮矣。
 故諺有之曰、人莫知其子之惡、莫知其苗之碩。
 此謂身不修不可以齊其家。

 【第十一章】
 所謂治國必先齊其家者、其家不可教而能教人者、無之。
 故君子不出家而成教於國、孝者、所以事君也、弟者、所以事長也。慈者、所以使眾也。
 康誥曰、如保赤子、心誠求之、雖不中不遠矣。未有學養子而後嫁者也。
 一家仁、一國興仁。
 一家讓、一國興讓。
 一人貪戾、一國作亂。
 其機如此。
 此謂一言僨事、一人定國。
 堯舜率天下以仁、而民從之。
 桀紂率天下以暴、而民從之。
 其所令反其所好、而民不從。
 是故君子有諸己而後求諸人、無諸己而後非諸人。
 所藏乎身不恕、而能喻諸人者、未之有也。
 故治國在齊其家。
 詩云、
 桃之夭夭、其葉蓁蓁。
 之子于歸、宜其家人。
 宜其家人、而後可以教國人。
 詩云、宜兄宜弟。
 宜兄宜弟、而後可以教國人。
 詩云、其儀不忒、正是四國。
 其為父子兄弟足法、而後民法之也。
 此謂治國在齊其家。

 【第十二章】
 所謂平天下在治其國者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍、是以君子有絜矩之道也。
 所惡於上、毋以使下。
 所惡於下、毋以事上。
 所惡於前、毋以先後。
 所惡於後、毋以從前。
 所惡於右、毋以交於左。
 所惡於左、毋以交於右。
 此之謂絜矩之道。
 詩云、樂只君子、民之父母。
 民之所好好之、民之所惡惡之、此之謂民之父母。
 詩云、
 節彼南山、維石巖巖。
 赫赫師尹、民具爾瞻。
 有國者不可以不慎、辟則為天下戮矣。

 【第十三章】
 詩云、
 殷之未喪師、克配上帝。
 儀監于殷、峻命不易。
 道得眾則得國、失眾則失國。
 是故君子先慎乎德。
 有德此有人、有人此有土、有土此有財、有財此有用。
 德者本也、財者末也、外本內末、爭民施奪。
 是故財聚則民散、財散則民聚。
 是故言悖而出者、亦悖而入。
 貨悖而入者、亦悖而出。
 康誥曰、惟命不于常。
 道善則得之、不善則失之矣。
 楚書曰、楚國無以為寶、惟善以為寶。
 舅犯曰、亡人無以為寶、仁親以為寶。

 【第十四章】
 秦誓曰、若有一个臣、斷斷兮無他技、其心休休焉、其如有容焉。
 人之有技、若己有之、人之彥聖、其心好之、不啻若自其口出。
 實能容之、以能保我子孫黎民、尚亦有利哉。
 人之有技、媢嫉以惡之。
 人之彥聖、而違之俾不通。
 實不能容、以不能保我子孫黎民、亦曰殆哉。
 唯仁人放流之、迸諸四夷、不與同中國、此謂唯仁人為能愛人、能惡人。
 見賢而不能舉、舉而不能先、命也。
 見不善而不能退、退而不能遠、過也。
 好人之所惡、惡人之所好、是謂拂人之性、災必逮夫身。
 是故君子有大道、必忠信以得之、驕泰以失之。

 【第十五章】
 生財有大道。
 生之者眾、食之者寡、為之者疾、用之者舒、則財恒足矣。
 仁者以財發身、不仁者以身發財。
 未有上好仁而下不好義者也、未有好義其事不終者也、未有府庫財非其財者也。 

 【第十六章】
 孟獻子曰、
 畜馬乘、不察於雞豚。
 伐冰之家、不畜牛羊。
 百乘之家、不畜聚斂之臣。
 與其有聚斂之臣、寧有盜臣。
 此謂國不以利為利、以義為利也。
 長國家而務財用者、必自小人矣。
 彼為善之、小人之使為國家、災害并至。
 雖有善者、亦無如之何矣。
 此謂國不以利為利、以義為利也。

≪書き下し文≫
 【第九章】
 所謂身を修めるに其の心を正すこと在るとは、
 身に忿懥する所有れば、則ち其の正を得ず。
 恐懼する所有らば、則ち其の正を得ず。
 好樂する所有らば、則ち其の正を得ず。
 憂患する所有らば、則ち其の正を得ず。
 心在らざれば、視ても見えず、聽いても聞けず、食べても其の味を知らず。
 此れ身を修めるに其の心を正すこと在りを謂う。

 【第十章】
 所謂其の家を齊えるに其の身を修める在るとは、
 人は其の親愛する所に之れを辟し、
 其の賤惡する所に之れを辟し、
 其の畏敬する所に之れを辟し、
 其の哀矜する所に之れを辟し、
 其の敖惰する所に之れを辟す。
 故に好みて其の惡を知り、惡みて其の美を知る者、天下に鮮きかな。
 故に諺に之れ有りて曰く、人其の子の惡を知ること莫く、其の苗の碩を知ること莫し。
 此れを身修まらずして以て其の家を齊うる可からずと謂う。

 【第十一章】
 所謂國を治めるに必ず先ず其の家を齊うるとは、其の家を教える可からずして人に教うるに能う者、之れ無し。
 故に君子は家を出でずして國を成教す。
 孝者、以て君に事うる所なり。
 弟者、以て長に事うる所なり。
 慈者、以て眾を使う所なり。
 康誥曰く、赤子を保つが如く、心の誠を之れに求むれば、中らずと雖も遠からず。未だ子を養うことを學ぶ有りて而る後に嫁ぐ者なきなり。
 一家仁なれば、一國に仁興る。
 一家讓なれば、一國に讓興る。
 一人貪戾なれば、一國に亂作る。
 其の機は此の如し。
 此れを一言僨事、一人定國と謂う。
 堯舜は仁を以て天下を率い、而して民は之れに從う。
 桀紂は暴を以て天下を率い、而して民は之れに從う。
 其の令する所其の好む所に反すれば、而るに民は從わず。
 是れ故に君子は諸れを己に求め而る後に諸れを人に求め、諸れ己に無くして而る後に諸れ人に非ず。
 身に藏る所恕ならず、而るに能諸れを人に喻すに能う者、未だ之れ有らざるなり。
 故に國を治めるに其の家を齊える在り。
 詩に云う、
 桃の夭夭、其の葉蓁蓁。
 之の子于き歸ぐ、其の家人を宜しからん。
 其の家人に宜しくし、而る後に以て國人を教う可し。
 詩に云う、兄に宜しく弟に宜しく。
 兄に宜しくし弟に宜しくして、而る後に以て國人を教う可し。
 詩に云う、其の儀忒さず、是れ四國を正す。
 其れ父子兄弟足法を為し、而る後に民之れに法るなり。
 此れを國を治めるに其の家を齊うる在りと謂う。

 【第十二章】
 所謂天下を平らげるに其の國を治める在りとは、上は老を老として民は孝を興し、上は長を長として民は弟を興し、上は孤を恤して民は倍さず、是れを以て君子に絜矩の道有るなり。
 上に惡む所、毋以て下を使うこと毋れ。
 下に惡む所、以て上に事うること毋れ。
 前に惡む所、以て後を先んずること毋れ。
 後に惡む所、以て前に從うこと毋れ。
 右に惡む所、以て左に交じること毋れ。
 左に惡む所、以て右に交じること毋れ。
 此の之れを絜矩の道と謂う。
 詩に云う、樂只の君子、民の父母なり。
 民の好む所は之れを好み、民の惡む所は之れを惡み、此の之れを民の父母と謂う。
 詩に云く、
 節たる彼の南山、維れ石は巖巖たり。
 赫赫たる師尹、民具に爾を瞻る。
 國有る者は以て慎まざる可からず、辟すれば則ち天下に戮を為す。

 【第十三章】
 詩に云う、
 殷は之れ未だ師を喪ず、克く上帝を配す。
 儀しく殷を監みるべし、峻命易からず。
 道眾を得れば則ち國を得、眾を失えば則ち國を失う。
 是れ故に君子は先ず德を慎む。
 德有るは此れ人有り、人有るは此れ土有り、土有るは此れ財有り、財有るは此れ用有り。
 德は本なり、財は末なり、本を外にして末を內にすれば、民を爭わしめ奪を施す。
 是れ故に財聚れば則ち民は散じ、財散ずれば則ち民は聚る。
 是れ故に言悖りて出ずる者、亦た悖りて入る。
 貨悖りて入る者、亦た悖りて出ず。
 康誥曰く、惟の命常に于かず。
 道善なれば則ち之れを得、不善なれば則ち之れを失う。
 楚書に曰く、楚國を以て寶を為す無し、惟れ善を以て寶を為す。
 舅犯曰く、亡人以て寶を為す無し、仁親を以て寶を為す。

 【第十四章】
 秦誓曰く、若し一个の臣有り、斷斷として他技無く、其の心は休休として、其れ如容有るが如し。
 人の技有るは、己に之れ有るが若く、人の彥聖は、其の心之れを好み、啻其の口より出ずるが若くあらず。
 實之れを容に能い、以て我が子孫黎民を保つに能い、尚亦た利有り。
 人の技有るは、媢嫉して以て之れを惡む。
 人の彥聖なる、而るに之れに違通じぜざら俾む。
 實に容ること能わざれば、以て我が子孫黎民を保つに能わず、亦た曰に殆し。
 唯だ仁人之れを放流し、諸に四夷を迸し、同じ中國に與さず、此れ唯だ仁人人を愛するに能うを為し、人を惡むに能うと謂う。
 賢を見て舉ぐるに能わず、舉げて先んずるに能わずは、命なり。
 不善を見て退くこと能わず、退きて遠ざくこと能わざるは、過なり。
 人の之れを惡む所を好み、人の之れを惡む所を好むは、是れ拂人の性、必ずや夫の身に災い逮ぶと謂う。
 是れ故に君子に大道有り、必ず忠信以て之れを得、驕泰を以て之れを失う。 

 【第十五章】
 財を生むに大道有り。
 之れを生む者は眾、之れを食む者は寡、之れを為す者は疾、之れを用うる者は舒、則ち財は恒に足る。
 仁者財を以て身を發し、不仁者は身を以て材を發す。
 未だ上の仁を好みて下の義を好まざるは有らざるなり、
 未だ義を好みて其の事に終らざる者有らざるなり、
 未だ府庫の財は其の財に非ざることなきなり。

 【第十六章】
 孟獻子曰く、
 馬乘を畜うに、雞豚を察せず。
 伐冰の家、牛羊を畜ず。
 百乘の家、聚斂の臣を畜ず。
 其れと與に聚斂の臣有り、寧ろ盜臣有り。
 此れ國は利を為すに利を以てせず、義を以て利と為すと謂うなり。
 國家を長じて務財用いるは、必ずや自小人矣。
 彼は之れを善と為し、小人を使て之れを國家せしめば、災害并び至る。
 善有ると雖も、亦た之れを如何とすること無し。
 此れ國は利を為すに利を以てせず、義を以て利を為すと謂うなり。



 格物致知だけ確認できたらそれでいいかと思っていたのだけど、ついでだと思って大学をすべて書き下したら思ったより長くなってしまった。
 残りの九章から十六章を一気に掲載。孝経は2日で書き下したのだから、こちらに何日もかけてられん。突貫工事なので間違いとかも多いと思う。なんかあったらご指摘ください。

 倭人検定問題になりますが、私がよく言う「うまくいくか悩むより、やりたいことなら早く始めた方がいいよ。先に親になってから子を産む人はいないんだから。」といった言い回しは、「如保赤子、心誠求之、雖不中不遠矣。未有學養子而後嫁者也。」が元ネタです。「中らずと雖も遠からず」の部分は「当たらずとも遠からず」の語源ですね。
 倭人語録はちょっとした言葉にも元ネタがある。私には一切の独創性はなく、他人のパクり以外なにもしていない。ちなみに、この「私には一切の独創性はなく、パクり以外なにもしていない」というのも「述べて作らず」という孔子の言葉が元ネタである。

 はっきり言って、この段は冗長だと思う。最初の記事にした部分の緻密かつ大胆な思想展開は見られない。また思想も堅苦しいものになっている。第三章では、「所謂其の意を誠にするは、自らを欺くこと毋きなり、惡臭を惡むが如く、好色を好むが如し」と人間の本性に基づいて自らの意に誠実を求めていたのに、第九章では「好樂する所有らば、則ち其の正を得ず。」とあり、禁欲的な修身訓となり果てているように思う。これは論語の知好楽とも違うのではないだろうか。
 その後の「心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味」といった観念は、孔子が斉で韶を初めて聴いたとき、三日も肉の味がわからなかったという論語のエピソードや孝経における親を喪った際に肉の味がわからなくなるという服喪の精神から離れているように思われる。
 もちろん、「まずは自らの意に誠であり、後にそれを律して心を正す」と言う風に捉えることは可能であるし、そのような考えには賛同できる面はある。しかし、それでも感情や熱中そのものを否定するような文言に、説明が粗雑というか、ブツ切り感があるというか、どうにも違和感が残る。

 朱熹は第一章と第二章を孔子の言葉だとし、それ以外を曾参の弟子が解釈したものであると見ている。三綱領と八条目の完成度を見れば、その気持ちは非常によくわかる。
 しかし、私としては、第一章から第四章までが、ひとつなぎの完成した文章であるように見える。
 まず第一章で大学の三綱領を掲げ、これが本文の主題であることを示している。そして、第二章で挙げられる八条目は、あくまで三綱領のうちの「明明徳」の内容を具体化したものでしかなく、その中でも重点は「修身」に存在することが示されている。第三章で「誠意」の部分を「修身」と絡めて具体化したもので、ここで八条目の説明は既に終わっている。「修身」「斉家」「治国」「平天下」は個人が小さな共同体を、小さな共同体が大きな共同体を、大きな共同体が天下のすべてを構成していることを示しているだけで、込み入った説明は想定していないのではないか。第四章では「明明徳」「親民」「止於至善」の三綱領をすべてを登場させ、相互的な関係をこれまたすべて説明している。つまり、もうここで内容は尽きているのである。
 第五章から第七章はそれぞれが第一章の三綱領と関連する他経典の抜き書きであり、第八章は第二章の最後と「知本」が重複している。おそらくは第五章から第八章は第一章から第二章の注釈だと思われる。

 そして、第九章から第十二章は第三章と第四章を模倣して、誠意より先の五条目、則ち、正心、修身、斉家、治国、平天下を同様に説明して体系を構築しようとしたのではないかと思われる。つまり、ここには断絶がある。これらは八条目に対する一種の批評文として読めば面白いかもしれないが、本文として読むと上滑りした印象を受ける。
 第十三章から第十六章は財貨と利をテーマとしている。経典で貨殖を論じるのは面白いところで、これは第三章の末尾を意識しているのだろうか。そうであるなら、これもまた、一章から四章の註釈の意図があるのかもしれない。いずれにせよ、このあたりの内容は冒頭から連想される解釈や批評が発展した内容としては興味深いが、まとまった文章だとは感じられない。

 正直、大学の感想でここまで文献批判に踏み込む気はなかったので一旦区切る。
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