≪原文≫
【第四章】
詩云、
瞻彼淇澳、菉竹猗猗。
有斐君子,如切如磋、如琢如磨。
瑟兮僩兮、赫兮喧兮。
有斐君子、終不可諠兮。
如切如磋者、道學也。
如琢如磨者、自修也。
瑟兮僩兮者、恂慄也。
赫兮喧兮者、威儀也。
有斐君子、終不可諠兮者、道盛德至善、民之不能忘也。
詩云、於戲前王不忘。
君子賢其賢而親其親、小人樂其樂而利其利、此以沒世不忘也。
【第五章】
康誥曰、克明德。
太甲曰、顧諟天之明命。
帝典曰、克明峻德。
皆自明也。
【第六章】
湯之盤銘曰、茍日新、日日新、又日新。
康誥曰、作新民。
詩曰、周雖舊邦、其命惟新。
是故君子無所不用其極。
【第七章】
詩云、邦畿千里、惟民所止。
詩云、緡蠻黃鳥、止于丘隅。
子曰、於止、知其所止、可以人而不如鳥乎。
詩云、穆穆文王、於緝熙敬止。
為人君、止於仁。
為人臣、止於敬。
為人子、止於孝。
為人父、止於慈。
與國人交、止於信。
【第八章】
子曰、聽訟、吾猶人也、必也使無訟乎。
無情者不得盡其辭、大畏民志。此謂知本。
≪書き下し文≫
【第四章】
詩に云う。
彼の淇澳を瞻れば、菉竹は猗猗たり。
斐たる君子有り、切るが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し。
瑟たり僴たり、赫たり喧たり。
斐たる君子有り、終に諠る可からず。
切るが如く磋するが如しは、道學なり。
琢するが如く磨するが如しは、自修なり。
瑟たり僴たりは、恂慄なり。
赫たり喧たりは、威儀なり。
斐たる君子有り、終に諠る可からずは、道盛んにして德の善に至り、民の不能忘るるなり。
詩に云う、於戲前王忘れず。
君子は其の賢を賢として其の親と親しみ、小人は其の樂を樂しみて其の利を利とし、此れを以て世を沒して忘れざるなり。
【第五章】
康誥曰く、明德を克くす。
太甲曰く、諟の天の明命を顧る。
帝典に曰く、明を克くして德を峻にす。
皆自明なり。
【第六章】
湯の盤銘に曰く、茍に日に新たに、日に日に新たなり、又た日に新たなり。
康誥曰く、新民を作す。
詩に曰く、周は舊邦と雖も、其の命は惟れ新たなり。
是れ故に君子は其の極を用いざる所無し。
【第七章】
詩に云う、邦畿千里、惟れ民の止むる所なり。
詩に云う、緡蠻たる黃鳥、丘隅に止む。
子曰く、止に於けるや、其の止むる所を知る、人を以てして鳥に如かざる可けんや。
詩に云う、穆穆たる文王、於いて緝熙に敬止す。
人君を為すは、仁に止むる。
人臣を為すは、敬に止むる。
人の子を為すは、孝に止むる。
人の父を為すは、慈に止むる。
國を與して人交わるは、信に止むる。
【第八章】
子曰く、訟を聽くは、吾猶お人のごとくなり、必ずや訟を無からしめんか。
無情の者は盡く其の辭を得ず、民志を大畏せしむ。
此れ知本と謂う。
詩経や書経の引用がやたらと多い。というより、ほとんど引用の羅列である。
逆に言えば、第一章から第三章までは一度曾参の言を引用しただけで、他には引用がなかった。
これ、どう見ても第五章から第七章は、第一章「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。」の解釈である。
第五章は「明明德」の解釈のために書経と詩経から「明徳」の語義を類推できる個所を抽出しており、第六章は「親民」の語義を解釈するための抽出で、第七章は「止於至善」の語義を解釈するための抽出である。
実際、現行の四書のひとつ大学を編集した朱熹は、第一章の「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。」を孔子の言葉であると認定しており、ここで掲載した第四章から第八章すべての章句は後世の弟子による解釈であると解釈している。(ああ、ややこしい)
これら「明明德」「親民」「止於至善」を朱子学では大学三綱領と呼ぶ。
大学三綱領→明明德、親民、止於至善
大学八条目→格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下
はい、暗記。
さて、ここで気になるのは、第六章である。
第一章は「親民」なのに、なぜか第六章の引用では「新」「新民」の語を抽出している。
朱熹はこれをもって、第一章の「親民」も本来は「新民」であったと解釈しているが、陽明学の祖である王守仁はやはり親民が正しいとしている。
ここに登場する「周雖舊邦、其命惟新。」は「維新」の語源である。殷周革命の際に歌われた詩で、「周は舊邦(旧邦)と雖(いえど)も、其の命は惟(こ)れ新たなり。」つまり「周は旧い国ではあるが、その天命は新たである」というもの。明治維新において、王政復古に用いられるスローガンとして最適と判断されたのだろう。よく知らないけど。
今ググったら、日本書紀で中大兄皇子が大化の改新の際、「天人合応し厥の政惟れ新たなり(天人合応厥政惟新)」と言ってたらしいので、それを意識してたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。よくわからない。
Twitterで言ったかは忘れたけど、「茍日新、日日新、又日新」はかつて自らの座右の銘にしてた言葉なので懐かしい気持ちになる。
コメント
1. 無題
2. Re: タイトルなし
私が古代中国に興味を持ったきっかけとして古代日本史に通じるから、というのがある程度あります。私の古代日本史観はかなりオカルティックですが……。
日本の様々なものに色彩を感じられるようになることも漢籍に親しむよろこびです。ここでも、「維新」以外には「明徳」などの語源が見られます。