"放射能・コロナ"カテゴリーの記事一覧
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ところで天皇ってどこ行ったの?
http://wjn782.blog.fc2.com/blog-entry-643.htmlここんとこ話題になってるのってずっと、安倍、安倍、橋下、安倍、安倍、小池百合子、橋下、安倍、小池百合子、大村(愛知県知事)、小池百合子、小池百合子、小池百合子、橋下、安倍、安倍、橋下、安倍、橋下、橋下、安倍、飯泉(徳島県知事)、橋下、安倍、安倍、橋下、吉村(大阪府知事)、吉村、安倍、小池百合子、小池百合子、大村、湯崎(広島県知事)、橋下、小池百合子、安倍、みたいな。こんなテンポ。東京を含めた一地方の知事クラスは盛んに話題になるけど、天皇は一切話題にならない。
この当時はこのような調子であったが、現在話題になるペースは、小池百合子、小池百合子、吉村、吉村、大村、吉村、安倍、吉村、大村、吉村、小池百合子、安倍、小池百合子、吉村、小池百合子、吉村、安倍、小池百合子、安倍、吉村、大村、小池百合子、山本太郎、安倍、吉村、大村、小池百合子、安倍、安倍、宇都宮、山本太郎、小池百合子、吉村、安倍、仁坂(和歌山県知事)、吉村、小池百合子、安倍、小池百合子、吉村、小池百合子、吉村、安倍、小池百合子、安倍、吉村、大村、小池百合子、山本太郎、安倍、吉村、大村、桜井(都知事候補)、堀江(都知事候補)、立花孝志(都知事候補)、後藤輝樹(都知事候補)、小池百合子、安倍、堀江、安倍、桜井、宇都宮、山本太郎、吉村、大村、仁坂、宇都宮、山本太郎、小池百合子、宇都宮、山本太郎、安倍、吉村、小池百合子くらいである。
都知事選が近いということもあるが、吉村がここまで名を挙げ、さらにはコロナ以後めっきり影が薄くなった山本太郎が今になって話題になったきっかけも、都知事選に立候補したからであり、地方首長の存在感がますます増していることは明らかである。大阪府知事の吉村なんぞは、特に話題が過大となること甚だしい。
安倍への批判ムードが高まり、支持率が落ちているのも、国政そのものに対する興味の喪失、地方政治に対する関心の高まりが関係しているものだと考えられる。だからこそ、安倍は「なんとなく叩いていい存在」に転落し、逆に都道府県知事をヒーローに祭り上げられているのだろう。安倍のコロナ対応を擁護する気はまったくないし、いずれも酷いという前提で話をするけど、政治的な得失について本件で安倍が小池百合子や吉村よりも際立って失政が多いとも徳政を為さなかったとも思われない。にもかかわらず、かたやスターとして祭り上げられ、こなた支持率は低減、これは当人の資質より、時流と場の関係であろう。震災のときは、福島に原発事故が起こったことで、「維新側の地域には原発がない」などの謬説を流して薩長と会津の対立をやたらと煽る連中が現れたり、安倍が山口に選挙区を持つことからその対抗軸として会津の立場から天皇を讃えたりする連中も現れていたが、これが天皇に基づいて正当性を主張する幕末維新期だとすれば、地方の首長が台頭し、中央の政権(幕府)が失調をきたしつつあり、天皇の存在が希薄な現状は、さながら物語の中にある戦国時代のようである。
私は震災以後、日本の分裂と地域ナショナリズムの台頭を感じたし、今回はそれどころの話ではない。その頃は地域ナショナリズムとして沖縄が大きな争点となり、ここでも天皇は問題となったが、それまで肥大化した天皇という存在が、コロナウイルスで忽然と姿を消したのだ。
徳島県で、県外ナンバーの車にステッカーを貼り、県境を監視する動きが現れ、大いに話題になった。これもまた、国内の分断を象徴した事象である。コロナウイルス騒動では、「経営に苦しむ食堂で食べて応援!」だとか「がんばろうニッポン!」だとか、全然叫ばれていない。危機的状況の国家規模の団結、そういったナショナリズムすらなく、当初は日本社会の中国への排外主義的感情から国境封鎖などを求める声も大きかったが、その後は静かに地方と地方の分裂によるローカリズムの台頭が起こっている。感染症だから当たり前と言えば当たり前だけど、そもそも、皆が人と人との繋がりを忌避しはじめている。さらに言えば、休業補償等で話題になるのは、国家より階級である。都市と周辺部の関係、階級意識、これらが国家より重視されつつある。
安倍の人気失調の隙に、小池百合子や橋下徹ら東西の都市を根城とする奸雄が台頭しつつある最中、今後ますます地域ナショナリズムが台頭して日本が分裂するか、あるいは日本が再統一に向けて動き始めるか、いずれにせよ、これまでとは天皇という存在も、在り方が変わると思われる。おそらく、前天皇であれば年齢から心配する声も大きくなったであろうが、そうならなかったのも天命であろう。コロナウイルス流行では、先代天皇が頻繁に行っていた「被災地巡幸」は困難かつ忌避される。
我ながら鋭い分析であるが、アメリカで現在起こっている暴動も、同様の傾向があるのではないかと考えている。州兵や地方警察の動きにバラツキが出ているようだし、そこで大統領命令とも齟齬が出ている。コミューンの成立騒動などもそうした世相の表れだろう。コロナ騒動でクオモ知事など、州知事の名が日本にも聞こえるようになったことからすべては繋がっている。最近はドナルド・トランプもアンティファに対してワシントンを強調する。アメリカもまた、分かれて百余国を為すときが来たのかもしれない。
ところで、桜井誠が東京都知事候補としてナチュラルに名前が挙がっているあたりが本当に嫌だ。これから伸びるんだろうな……。PR -
コロナウイルスに関しては、もうとにかく検査抑制派、検査行くな派に腹立って仕方なくて、いろいろ書こうと思っても書けず、相当取り乱しながら二つ記事を書いて、読み直したら取り違えをされてもしかたないような個所もあったけど、訂正をする気も起こらず、あとは検査抑制派を批判している中にも、吉方べきとか木村幹みたいなウヨのようでウヨじゃないちょっとウヨな知韓派みたいなインテリ連中が「希望者全員検査しろなんて誰も言ってない!」とか、希望者全員検査派の存在を亡き者にしようとする連中がいてブチキレたり。韓国が検査拡大で大きな成果を上げたから極ウヨへの当てこすりで検査抑制批判をしていただけなんじゃね―の、って気がしてきた。しょせん、レイシストじゃないと言っても、お利口さんのインテリなど最後の最後ではあてにならん。そもそも、韓国では無症状の人が自費検査になるだけで、希望者は基本的に誰でも検査が受けられると聞いているけど。原発事故のときに見た「タダシイ反原発派」と同じだな、こいつらは。
インフルエンザウイルスなんかでもそうだけど、日本でも平時から基本的に希望者は全員感染しているかどうか検査はできるんだよ。ただし、症状が出ていない場合は保険対象とならず自費での検査となる。で、平時のインフルエンザがこれなんだから、原則からみれば、この「希望者全員検査(ただし無症状なら自費)」は同様に感染症であるコロナでもベースになるはずで、治療法がない新型の病気が流行している緊急事態であれば、これより検査対象を拡大することはあっても、縮小することはない。少なくとも、原則論としては縮小すべきではないんだよ。はっきり言って、WHOの指示や賞賛される韓国の検査状況でさえも生ぬるいと批判される余地はいくらでもある。百歩譲って仮に検査の手が足りないから検査人数や症状の程度で制限をかけるとしたら、まず医療側から緊急事態であるとの声明を出してから請願するべきであって、医者側から検査を求める人民を小馬鹿にして、罵倒して、自粛をしろと強要し、リンチを煽動するなど、明らかな倒錯である。だってトリアージだろ、これ。
それと誤診が必然的に起こることをもって「仮に国民全員検査をしても無意味」とか言ってる検査抑制派の医者が書いたらしい論説を読んだけど、仮定の話だったら陽性の人間を漏らさないように全国民に100回検査すりゃいいじゃねーか。仮定の話なら「そう」だろ?
その上、そいつは「症状が重い人間だけを検査すれば検査精度は上がるから、重症の患者だけ検査したほうがいい。軽症は家で寝てろ」とか言ってたけど、それ聞いたとき、私は本当におそろしいと思ったよ。感染症の拡大を防ぐことが目的なんだから、より広範に陽性の人を見つけることができるなら、それだけで誤診があろうと効果があるに決まってる。検査の目的は検査の正解率を上げることじゃなく、感染症の拡大を防ぐことだ。お受験教育の弊害か? 不正解を出さないことに血道をあげて、現代文のセンター試験みたいに不正解の確率が高い選択肢を削る、みたいな無駄、どころか有害な作業をする、それが医者の仕事か? ふざけるな。
正解率を上げたいなら、コロナウイルスに感染したと思わしき症状の重度患者にそれ以外のあらゆる病気を想定した治療を施して、その死体を検査すれば陽性率は100%近いんじゃないのか? 重度の患者を選別して検査をすれば精度が上がるなんて、そういう理屈だろ? メチャクチャじゃねーか。こんなもん、勉強なんぞ全然してなかったバカの私でもわかる。勉強するとバカよりバカになるんだな。
とまあ、今回のコロナ騒動で10個くらい長文記事が書けるネタはあるものの(ここで触れた国民全員検査無意味派の批判と仮定問題希望者全員検査派の切り捨て問題で、5000字くらいの記事がふたつ書ける)、頭に血が上って書けなかったし、もうやや機を逸した感もあるので、これについてはちょっと置いておくとして。
前は延々「検査抑制派は人殺し」とだけ何百回も書き殴った記事を一時的に上げてしまい、読者の方に怖いと驚かれたようなので削除しました。驚かれた人、ごめんなさい。
で、今回の話題の発端は安倍の「うちで踊ろう」動画ですよ。安倍が国民に自宅で過ごすことを推奨するとの目的でつくられた動画なのだけど、これがひどい代物で、世間がコロナウイルスの恐怖とそれに伴う経済活動の停滞によって苦しみあえいでいる中で、安倍首相はこともあろうに、星野源の歌に合わせてソファで愛犬を撫で、優雅に紅茶だかコーヒーだかを飲みながらテレビを見てくつろいで過ごす映像を流すという、ちょっと正気とは思えない内容であり、確かにこれ自体もムカつくし、これについてのイラつきっぷりとか安倍のカスみたいな殺人政策について言及し始めると、それはそれで頭に血が上ってくるんだけど、あー、イライラしてきた。なんだこいつ、マジで。さすがにこれについては世間でも批判があり、日刊スポーツでは「ルイ16世か!?」と批判されたとの事ですけれども。ルイ16世の私生活については存じ上げませんが、おそらく明恵アントワネットとかけてるんでしょうね。
で、今回の件について、私としては安倍がアレなのはそうだとして、でも、それを批判する動きに対しても、なんだかなー、と思ったわけですよ。だって、この「うちで踊ろう」みたいなことを長らく長らく、ずっとやってきた人が別にいるじゃないですか。誰って、天皇ですよ。
ロイヤルファミリーとやらの「優雅な日常」を国民は微笑んで見なくてはならず、天皇が高いところから御言葉とやらを述べられたら、そのおこないに我々民衆はむせび泣かなくてはならない、と。おー、こわ。安倍の振る舞いは確かに洗練されてないけど、あくまで「未完成な天皇」でしかないんじゃないの。今回の安倍に違和感を持ったら、天皇にも違和感のレーダーを向けてほしいな、と私は思う。
で、そこで気づいたんだけどさ。
天皇ってどこ行ったの?
いや、私はテレビをまったく見ないので、そういったメディアではどうなのか知らないけどさ、私の知る限り、コロナウイルス騒動で、本当に全然まったく天皇が話題になっていない。少なくとも、私は認知してない。せっかく令和に改元したのに、コロナ騒動で全然天皇について聞かない。この間で唯一、天皇というワードが話題になったのって、twitterで『おねロリキメセク天皇』とかいうしょーもないネタハン野郎に町山が反応したときだけじゃないの?
ここんとこ話題になってるのってずっと、安倍、安倍、橋下、安倍、安倍、小池百合子、橋下、安倍、小池百合子、大村(愛知県知事)、小池百合子、小池百合子、小池百合子、橋下、安倍、安倍、橋下、安倍、橋下、橋下、安倍、飯泉(徳島県知事)、橋下、安倍、安倍、橋下、吉村(大阪府知事)、吉村、安倍、小池百合子、小池百合子、大村、湯崎(広島県知事)、橋下、小池百合子、安倍、みたいな。こんなテンポ。東京を含めた一地方の知事クラスは盛んに話題になるけど、天皇は一切話題にならない。なんなら本当に安倍が統一日本の象徴みたいな存在として扱われている。椅子に座って犬と戯れている安倍の映像、マジで安倍が従来日本における天皇の座に座った象徴的映像になってるんじゃないの? コロナウイルスで本当に天皇という存在が吹っ飛んでる。
今回のコロナウイルスの騒動、東北大震災及び福島原発事故以来の大騒動として捉えられているので、共通点を見出す人も多いと思うし、私も検査抑制派の医者どもが原発安全派の科学者どもと被って見えるのだけど、震災のときは、天皇が結構目立っていたよね? 安倍政権になってからも一層震災関連で天皇は注目された。それから改憲の話も相まって、生前退位の発表から改元まで、ずっと天皇が政治の話題に出ずっぱりだった。この10年、天皇が徐々に存在感を増し、平成中期が嘘のように、日本は天皇という存在を皆が意識せざる得ない状況へと変貌した。
しかし、今回のコロナウイルス騒動で、天皇の話題がパタリと止んだ。今はまーったく天皇が話題に出てこない。ネット上の書き込みでも、私が目にした限り、たまに上皇が高齢だから心配とかの言及が少し見られた程度。天皇が代替わりしてからこっち、オウム関係者処刑の件に至るまで、天皇が話題に出なかった時期などない。コロナウイルスと天皇が関係薄いとの声もありそうだが、じゃあオウムの処刑と天皇の関係なんて、是非はおいて内容は陰謀論やオカルトの類でしかないのに、どうしてあそこまで話題になったのか? そして、あいちトリエンナーレで天皇の『御威光』はいまだ顕在と示された。これまでずいぶんと天皇という存在が重要なものとして再確認されたのが最近10年間なのに、コロナウイルス騒動によって、一気に天皇という存在が消し飛んだ。
この件、誰も指摘していないけど、私はすごく奇妙だと思う。平時に天皇を意識しなくなっていった平成中ごろの空気とはまったく違う。世界的かつ全国的な未曾有の危機に際して、日本で天皇が話題になっていない。反天皇制の私からすれば、天皇が力を失うこと自体は歓迎すべきことであるが、現状は非常に不可解な状況だと感じる。
震災のときは、福島に原発事故が起こったことで、「維新側の地域には原発がない」などの謬説を流して薩長と会津の対立をやたらと煽る連中が現れたり、安倍が山口に選挙区を持つことからその対抗軸として会津の立場から天皇を讃えたりする連中も現れていたが、これが天皇に基づいて正当性を主張する幕末維新期だとすれば、地方の首長が台頭し、中央の政権(幕府)が失調をきたしつつあり、天皇の存在が希薄な現状は、さながら物語の中にある戦国時代のようである。
私は震災以後、日本の分裂と地域ナショナリズムの台頭を感じたし、今回はそれどころの話ではない。その頃は地域ナショナリズムとして沖縄が大きな争点となり、ここでも天皇は問題となったが、それまで肥大化した天皇という存在が、コロナウイルスで忽然と姿を消したのだ。
徳島県で、県外ナンバーの車にステッカーを貼り、県境を監視する動きが現れ、大いに話題になった。これもまた、国内の分断を象徴した事象である。コロナウイルス騒動では、「経営に苦しむ食堂で食べて応援!」だとか「がんばろうニッポン!」だとか、全然叫ばれていない。危機的状況の国家規模の団結、そういったナショナリズムすらなく、当初は日本社会の中国への排外主義的感情から国境封鎖などを求める声も大きかったが、その後は静かに地方と地方の分裂によるローカリズムの台頭が起こっている。感染症だから当たり前と言えば当たり前だけど、そもそも、皆が人と人との繋がりを忌避しはじめている。さらに言えば、休業補償等で話題になるのは、国家より階級である。都市と周辺部の関係、階級意識、これらが国家より重視されつつある。
安倍の人気失調の隙に、小池百合子や橋下徹ら東西の都市を根城とする奸雄が台頭しつつある最中、今後ますます地域ナショナリズムが台頭して日本が分裂するか、あるいは日本が再統一に向けて動き始めるか、いずれにせよ、これまでとは天皇という存在も、在り方が変わると思われる。おそらく、前天皇であれば年齢から心配する声も大きくなったであろうが、そうならなかったのも天命であろう。コロナウイルス流行では、先代天皇が頻繁に行っていた「被災地巡幸」は困難かつ忌避される。
ところで、本日は昭和の日らしい。へーって感じだネ。
赤木智弘はじめ「コロナウイルスで金持ちが死のうと知ったことか」という論説もよく出てるけど、もしかしたら天皇に対しても「知ったことか」な人は潜在的に増えているのでは。もちろん、不安の最中で潜在的に天皇の『御言葉』などに期待する向きも強くなっていると思われるが、操縦をしくじればいずれの方にも感情の爆発が起こる可能性はある。
今後、戦争への期待によりナショナリズムが高まる可能性もあるであろうが、この際にもどこまで天皇が意識されるか。ナショナリズムには必ずしも天皇は必要ない。むしろ、国民平等において、天皇は時に邪魔である。
そして、コロナウイルス自粛が続く限り、天皇の存在が希薄になるのも必然である。現代の人々にとって、人を集めて行う天皇の祭事は、まさに不要不急の三密だからだ。
コロナウイルスに対する天皇の動きは、天皇制の存亡に至るまで、大きく左右する要素になるのではないかなー、と思う。
宗教儀礼で感染が拡大しているニュースがキリスト教やらイスラム教やらで続出しているけど、天皇も神道も宗教なんだよね。現状のおとなしくなった天皇の存在を見て、改めて再確認。 -
どうやらコロナウイルスでグローバリズムが終わるとか、そういう話が随分と多方面で出回っているらしい。曰く、「人の移動が忌避されるので、グローバリズムは終焉に向かう」とのこと。うーん、「コロナウイルスをきっかけとしてグローバリズムが終焉に向かう」という大枠の話であれば、その可能性がないとは思わないけど、その理路には賛同し難い。巷の話を聞いていると、どうにも楽観論が過ぎるんじゃなだろうか。
何の手立てもなく、ただ漫然とコロナウイルスに対して目の前の対策をしつつ、即物的な態度で状況に適応していけば、むしろグローバリズムは加速すると私は思う。コロナウイルスで「これでグローバリズムは終わりだ。わっほいわっほい」と浮かれている人たち、浮足立っていると思うよ。
これは今後の予想なんだけど……。
いやね、今回の件でよく「仕事をせずに引きこもっていられるのは金持ちだけだ。休業補償をしないと貧困者は死ぬ。外に出させたくないなら仕事が休めるように休業補償をしろ」という話がよく出ているし、それ自体は正しいのだけど、これって大企業と中小零細企業にもまったく同じように当てはまるわけで。
グローバルな巨大企業こそ、金はあるし、適当に下請け企業を切断してコストカットして、それでのうのうと生きていけるし、逆に中小零細企業こそコロナによる客の減少、下請け孫請けとしての仕事を切られ、経営が回らなくなり、更には突然緊急事態宣言だの、ロックダウンをするかもしれないだので休業まで求められ、そんな状況でどんどん倒産、事業閉鎖をしていくだろう。
外出が減り、経済が停滞し、買い控えが起こって吹き飛ぶのは、イオンやamazonではなく、商店街の魚屋や書店だろう。どう考えても真っ先に死ぬのは中小零細企業や昔ながらの商店であり、生き残るのは全国チェーンや多国籍企業だ。コロナウイルスが流行ってamazonやGoogleが潰れるか? むしろ利用者は増えるだろう。
ライブハウスなんかが潰れるかも、って話があるけど、あれこそグローバリズムと逆の存在たる地場産業であってね。地縁で普段回していたりする産業なので、それがyoutubeなどでのネット中継に変わるとかなんとか、そんな話があるけど、それって完全にグローバリズムに乗っかっているわけで。youtubeなんて世界企業でしょ……。全然ローカリズムじゃなくなっている。そもそも、映像だとライブの意味がほとんど失われるし、全然人気なくなるだろうな……。ベースなんて、あれは耳じゃなく肚で聴くものだよ。
こうした話は、「コロナによって加速したグローバリズムの波にのまれて、ローカリズムでしか存在できない事業が消え去った」と、このように纏めることしかできない。地方にある昔ながらの古書店とブックオフ、コロナウイルスによって不利になるのは、どちらだと思う? ブックオフとamazonどちらが不利だと思う?
これで本当にグローバリズムがコロナウイルスで止まるのだろうか。どう考えても、このままだとグローバリズムが加速する未来しか見えない。「Amazon Go」はなにが凄いのか…「詳しい人」の意外な答え @moneygendai
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59491 #マネー現代
スーパーやコンビニでも、こういう店舗が求められるような気もする。無人店舗。
こういう店舗を用意できるのはどういう企業か。当然ながらグローバルな巨大企業だよね。で、更には雇用も減る、と。かくして二極化はさらに進行する。そういえば、コロナに関する補償でベーシックインカムの話が出ているけど、これだって新自由主義的な政策だよね。「無能は生きていけるだけの金を渡しておくからそれで勝手に生きろ」という。私自身はコロナ対策としてのベーシックインカムというのはひとつの案としてアリだと思うけど、これが新自由主義を加速させる効果を持つことは問題として同時に存在する。
私は普段、大企業の役員、大企業の社員、中小零細企業の役員、中小零細企業の社員、自営業者などなど……あらゆる職種の人たちに会う機会が多いため、リモートワークができている企業、できていない企業、できている雇用形態、できていない雇用形態、これほど明暗が分かれているものもないと知っている。最先端技術をフルに設備として使用できる、そうした企業でも優遇されている存在、自宅でもできるデスクワーク中心、すなわち大企業の正社員、特に管理職はリモートワークを利用できているし、逆に設備がなかったり、設備の利用を後回しにされていたり、そもそもリモートワークできない現場作業を行う、中小零細企業の社員やパート、派遣社員などはリモートワークをできない、させてもらえない。
あったりまえの話だよなあ。どう考えても資本家有利、大企業有利だ。これを単純に金がないから設備が使えないという格差の問題として捉えるのもいいけど、もっと根が深い部分がある。これはつまり、「金持ちは外出、移動をしなくても金持ちのままで、エリートたちもそれを最小限に減らすことができるが、貧困者は仕事の性質からしてそれができない」ということでもある。金持ちは移動しなくても金持ちのまま、ということは、「コロナによって人の移動が忌避され、グローバリズムが終息する」という主張の論拠が根底から崩されることになる。大資本家の仕事は大半が移動しなくてもできる仕事なのだよ。よくある意見、「外出しなくて済むのは金持ちだけ。貧困者は働かないと生きていけない」というのはその通りなのだけど、これって「コロナウイルスによる移動の忌避は貧困者にとってこそ害である(貧困者は元の生活の方がマシ)」ということの証明だしね。
もしかしたら、コロナに騒動よってキャッシュレス、電子マネーが加速度的に使われるようになるかもしれない。これって金銭が電子システムを介さないと使えなくなるってことでしょ? 古い業界は飛ぶし、どんどん金がインターネットを介してグローバルなシステムに回収されていっているじゃん。
今後空家や空地は地方に増えるし、コロナウイルスによってそれを目指した人が地方に分散する機運が起こることが一切ないとまでは思っていないし、確かに私も「外国人実習生制度の穴埋めをするべく、これからは小作人が流行る!」と色々な場で言っているのだけど、それで産業構造が一気に「これからは自給自足の時代! 小さな共同体ですべてを生産消費!」とまで変化するかどうかというと……。革命でも起こして政府がそれを推進しない限り、そうはならないだろう。人民公社つくるとか?
そういったよほどの人為的な変革でもない限り、単純に漫然とコロナウイルスに対応している中で自然とグローバリズムがコロナウイルスによって抑制されることはないと思う。むしろグローバリズムも二極化も進むんじゃないかなあ……。コロナウイルスで地方の商店街とか書店とか消えるよ、ほんと。このままだと、ローカルなものが駆逐される。政府を機能停止にして革命を起こしたのち、巨大企業にしっかりとどめを刺すとか、それくらいしないとこの流れは加速するよ。
まず大前提を再確認したいのだけど、グローバリズムの問題点って「人が移動すること」よりも「人が移動できないこと」だよね。コロナによって人の移動が忌避されてグローバリズムが終焉すると主張する人たちは、現在が移民を奴隷扱いして国内に植民地をつくることがグローバリズムの問題となっているから、人の移動が制限されることでグローバリズムが終焉すると単純に思っているみたいだけど、そもそもその認識がおかしいんだよ。確かにコロナ騒動で外国人実習制度などは潰れたみたいだけど、グローバリズムはそれだけでは止まらない。
移民や外資系企業による新自由主義以前だって、かつては先進国が国外に工場をつくって現地人を使役する経済植民地化をしていたわけだし、更にその前は先進国が他国を占領する植民地帝国主義が繰り広げられ、そういう形で一種の「グローバリズム」は展開していた。これって現地人は国境を移動していないし、そもそもできないじゃん。それに、植民地を搾取をしていい暮らしをしていた宗主国の富裕層や大企業の役員たちだって、植民地の労働者より自由に国境を移動することはできるけど、かといってほとんどの人は国境を超えるなんて日常的なことではなかった。国境を越えて移動をしているのは資本だ。帝国主義や経済植民地の時代に「グローバリズム」を実現していたのは、資本の移動だよ。
これは今だってそうだ。富裕層は国から国に自由な移動ができるけど、貧困層は国から国に自由な移動ができない。そして、富裕層だって国から国に移動することなんてほとんどの人には日常的なことではなく、自宅のデスクに座ったままで仕事なんていくらでもできる。人の移動はグローバリズムの問題点の本質ではない。資本の移動こそがグローバリズムの本質だ。
資本こそが国境を容易く超える。だから資本は恐ろしい。それこそがマルクス以降の共産主義思想における世界同時革命の必要性だったんじゃないの? 資本主義において容易に国家を超えるのは人じゃなくて資本なの。だから問題なの。貧困層まで含めて人の移動が自由にできるだけの構造が存在すれば、グローバリズムはここまで問題とはなっていない。数年前にパナマ文書騒動があったけど、ああいったタックスヘイブンをなぜ世界中の金持ちが使えると思う? 金持ちがパナマに自由に引っ越せるからだろうか。違う。金は情報であり、移動が容易だからだ。金持ちは自分の国に住みながら、財産は海外に逃がしている。これこそがグローバリズムの、そして資本主義の脅威ではないか。
海外旅行ごときはグローバリズムの象徴でもなんでもない。コロナウイルスによっては、庶民がお金を貯めてエコノミークラスの旅客機でささやかな海外旅行を楽しむことと、個人用ジェット機で金持ちが旅行すること、どちらが真っ先に禁じられるであろうか。こうして考えれば、コロナウイルスで格差がなくなるとか、人の移動が忌避されてグローバリズムがとどめを刺されるなど、甚だ危うい意見である。コロナウイルスの流行で多少人の移動が忌避されたり制限されたところで、ますます貧困者は移動が困難になるばかりで、資本は国境を容易く超える。
肉体を持つ人は土地に縛り付けられながら、「金」という情報は身軽に世界を飛び交う。コロナウイルスとそれに伴った社会環境の変化により、世界的に人自身が移動を控え始め、情報ばかりが世界中を駆け回る情勢は、反グローバリズムでもなんでもなく、むしろグローバリズムの完成に向かっているだけではないか。そう思えてならない。 -
タイトルで伝えるべきことは伝えた。以下、本文はオマケ。
普段から「少しでも体調がおかしかったら早めに受診をしましょう」「病気は予防が大事です」「ちょっとした不調が大きな病気の兆候かもしれません」と予防医療や早期治療を推奨していたのは大多数の医者である。そして、この方策は正しい。ちょっとでも異常があれば、早めに医者にかかることが推奨されており、重篤化する前に早期治療を行い、職場や学校で定期検診を義務付けて病気を早期発見できるようにしている現在の社会、これは長年かけて築き上げてきた人類の叡智である。これによって多く人命は助かり、病気の後遺症に悩まさせられる人も減り、更には重篤化する前の早期治療は結果的に医療費や医者の手間も省ける。
しかし、そんな人類の発展させた文明を破壊しようとする者がいる。コロナ検査をするなと喚きたてた医者である。連中はなぜかコロナの検査を受けたいと望む人々を捕まえて、「症状がなかったり少しの不調でコロナの検査に行くな!」「院内感染が起こる確率の方が高いからコロナの検査に行くな!」「検査を希望する連中全員を検査したら医療崩壊が起る!」と検査を求める人々を愚民と罵り、嘲る。
これは明らかに理に合わぬことである。ちょっとした不調や、無症状でも感染したことを疑ってコロナウイルスの検査に向かう人は、明らかに「まともな人」であり、更に言えば、「医者を信頼している人」である。未曽有の流行り病の中で、普段医者が言っている通りに早期治療、予防のために病院に通おうとしているのだ。むしろ、医療の観点から言って、規範的な人民と言っていい。
そんな人たちにキチガイの医者どもがぶつけたのは、あらん限りの罵倒と嘲笑である。奴らは言う、「こいつらは無知な大衆だ!」「パニックでヒステリーを起こした大衆だ!」「専門家の指示に従え!」と。
私の目には、どう見ても検査ごときで「医療崩壊が起るぞおおおおおおおお!!!!!!!!!」と叫んでいる医者の方が明らかにヒステリーでパニックを起こしているように見える。コロナウイルスの検査を求めている人は、いつも通りに行動しているだけだ。普段と反対のことを言っているのは、コロナ検査に行くな行くなと大合唱をしている医者どもである。異常なのは、明らかにこいつらの方だ。
無症状の感染者が広める恐れがあるタイプの病気が今後広まれば、検査をしなければ(無症状の人に自覚をさせなければ)症状が出る感染者は更に増える。そして、取り返しのつかない状況になってからでは検査をしても間に合わなくなる。こんなことはまともに仕事をしたことがある人なら考えなくてもわかると思うが、そんな簡単なことさえわかっていない。事が大きくなってからでは、かえって仕事は増える。感染症は言うに及ばない。医療崩壊なるものを招く者がいるとすれば、それはコロナの検査をするなするなと叫んでいる医者であり、希望者の検査さえも受け入れられない状態であるなら、既に医療は完全に崩壊している。
そして、その人たちは専門家を信頼しているからこそ、病院で検査を受けようとしているのである。感染しているかわからなければ、他人に移してしまうかどうかわからない。無症状患者もいるかもしれない。それに対して自宅静養を要請することは、全人民に自宅静養を要請するのと同義であるが、それがわかっているのか? 家族が感染したらどうするんだ? 母子感染の危険は? お前らの世界には独身独居成人男性しかいないのか? お前たちは医者であって、社会のすべてを従わせる資格などない。分際を弁えろ。
何が医者だ。人殺し。それ以外の何者でもない。