"ジェンダー論"カテゴリーの記事一覧
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そーらフェミポイント大量放出中でござい
— ただいきたいひと (@tadaikitaihito) March 21, 2020
それが何なのかは東夷の倭人ニキに聞いてくれ
全ての黒幕だ
なんだ? フェミポイントって……。なんのことかと思ったら、ただ生きたい人が反差別団体のりこえねっとで仁藤夢乃が始めた「キモいおじさん」というセクハラ批判番組のタイトルを叩いたら、それをフェミニストに批判されたということらしい。それでただ生きたい人から「フェミポイント」なるポイントが放出された、と。
私は全然この件に関係ないと思うのだけど、なんで勝手に私の名前を呼んで巻き込んでいるのだろう……こわ……。
で、なにがあったのか詳しく見てみると、え、これはアカンやろなのだ
— フェミイさん (@araifeminist) March 19, 2020
もしこれが「セクハラおじさん」とかならセーフだけどキモいだけなのは属性なのだ https://t.co/d2Kje9QHj5
このような批判をフェミイさんなるフェミニストが行い、もう、いかにも時代がかったド左翼という感じの、もう相手をどこまでも糾弾してやろうという感じのドギツイ言葉の方が、相手に些かの憐憫も感じさせる隙も無い分、よっぽどすっきりするかも分からない。
— ただいきたいひと (@tadaikitaihito) March 20, 2020
なぜかそれに便乗したただ生きたい人がフェミニストに対して嫌味を言い、似たような事は、仁藤さんの企画事態は本当によくやってくれたと思うような人の中にも、いると思うよ。
— ただいきたいひと (@tadaikitaihito) March 20, 2020
こちらが明らかに正しく、向こうが明らかに間違っている時でも、超えるべきではない一線はあるんじゃないかな、もす兄貴。すまんけど、気に入らない存在をキモいキモいと安全圏から楽しげに罵倒する連中を青春時代に過ごして来たもんで、無条件に吐き気がするんだわ。支配階級の強い男共ならもっと辛辣にボロカスに言えばいいのに「キモいおじさん」で済ますなんて、まあ何とお優しい事か。 https://t.co/hpRkvuINId
— ただいきたいひと (@tadaikitaihito) March 20, 2020
そのまま便乗したただ生きたい人がフェミニストに嫌味を重ねながら、「キモい禁止令」を発布したらしい。なんだこいつ……。ブログを再開しようと思うので、ちょっとウォーミングアップのためにただ生きたい人を処刑してみる。
ただ生きたい人がキモいという言葉にトラウマを持っているのはしかたないし、その苦痛を訴えるのは自由であるが、なぜそのためにフェミニストが「キモい」という言葉を禁じられなくてはならないのだろうか。「〇〇人はキモい」といえば、それは差別になるであろうが、それは「〇〇人はアホ」でも「〇〇人死ね」でも同じであろう。差別に於いて問題になるのは、「〇〇人」の部分である。「アホ」も「死ね」も「キモい」も、概ね単純な汚言であるが、これらで禁止の是非について境界線はどこに置くのだろうか。青春時代にアホで傷ついた人も死ねで傷ついた人もいるのだから、汚言の是非は時と場合によるとしか言いようがない。キモいが存在否定なら、死ねはもっと存在否定である。
後段もメチャクチャである。たとえば、女性声優のツイートに対して性的な嫌がらせになるリプライを集団で送るオタクに対しては、真っ先に女性から「キモい」という感想が出てくるのは当然であろう。なぜそれを禁止されねばならないのか。それ、明らかに女性への抑圧じゃん。
そういえば、前にとある職場で女性労働者に対して休日に自宅を何度も訪問するというストーカー紛いのことをしたという会社役員に対して、その告発が行われた際にそれを聞いた女性労働者たちは皆が「キモっ……」という声を上げていたが、ただ生きたい人はその場に居合わせたら、ストーカー紛いの行為に苦しんだ女性やそれに共感する女性労働者に「越えちゃいけない一線だアアアアアアアアアアァァァァァアアアアアアアアア!!!!!!!!!」だの「何とお優しい事か!!!!!!!!!!!」とか言い出すのか? というか、「なんとおやさしいことか(甘すぎ)」と「越えちゃいけない一線だ(やりすぎ)」が同時に出てくるのは、なーんかおかしい。オッサンのしたことがキモいからキモいと言っているだけなのに、ただ生きたい人みたいなクソオスに文句をつける筋合いなんかあるわけねーだろ。おっさんどものしたことはキモいんだよ。女性から言葉を奪うなよ。
それにこういったときに「キモい」という言葉は、下手な罵倒よりもよっぽど男に"効く"。実際、先の会社役員は非常にうろたえていた。いくら男性に罵倒されてもうろたえなかったコワモテの会社役員も、さすがに女性職員にキモいと言われ、拒絶されたときには表情に出して堪えたのだろう。それに対して、畳みかけるように「オッサンキモいんだよ!!」と叫ぶ女性職員などは、非常に頼もしい存在に映った。
女は概して男より声量が小さく、声が高いがゆえに、「ドスを効かせる」のが困難である。だからこそ、こういった男に拒絶の意思を見せたり、女同士で団結するための「キモい」という言葉は強い武器となるのだ。しかし、それを無理やり男のフィールドに上げようとしているのがただ生きたい人である。
そりゃ自分に効く言葉は禁止したくなるだろう。「キモい」が「お優しい」なら、なぜそんな言葉がただ生きたい人には効くんだ? なぜ「お優しい」言葉が「一線を越えている」んだ? 無自覚の中に自分が権力者から引きずり降ろされるのを恐れてるんじゃねーの、もしかして。それで女性から武器を奪おうとしているんじゃないの? だーから「なんとおやさしいことか(甘すぎ)」と「越えちゃいけない一線だ(やりすぎ)」が両立するんだよ。なんの権利があって女から言葉を奪っているんだ。
で、案の定フェミニストから批判される。ただ生きさんの言いたいこともよく分からない
— 普洱茶EX (@Puer_Ex) March 20, 2020もちろんね、女が散々こういったことに盾にされてきた事実はあると思う
— 普洱茶EX (@Puer_Ex) March 20, 2020
けど、女からキモいものをキモいという、拒否の姿勢を示す、当然の権利を奪うのはおかしいでしょ
言っている内容自体はその通りだと思うけど、ただ生きたい人の言うところの「なんとお優しいことか」という言葉は、この人に対してこそ相応しい。こうした程度の反応は、ただ生きたい人にとっては「この程度なら軽く苦言を呈するだけでお目こぼしをしてもらえる」というサインを送られているのも同然であり、かえって今後もこういった暴論を嬉々としてフェミニストに対しておこなうようになるであろう。この反応はただ生きたい人にとっては完全なちんぽよしよしであり、むしろご褒美である。ただ生きたい人の主張ってトーンポリシングだよね、明らかに。我流ぱみゅぱみゅだけでなく、ついに女性にまで牙を剥いたか。だから私は警告をしていたのである。
もちろん、どのような反応をするかは当事者の皆様方の勝手ではあるが、このままでは、ただ生きたい人はさらに増長してフェミニストに指導を加えるようになるであろう。チンスプレイニングである。ネットのフェミニストってみんな、なんだかんだで男に甘いよな。大事なのは、世間的に「キモい」は容姿を包括した言葉として使われており、いきなり「思想の事であり、容姿の事ではない」と了解出来ない人は、男女関わらず少ないという事は無い、という事ですね。 https://t.co/aVsG2wqch4
— ただいきたいひと (@tadaikitaihito) March 20, 2020「わしらは人民大衆と遊離しがちな存在だ。だからこそ、その人々と積極的に話し、声を聞こう」ぐらいでいいと思います。 https://t.co/22VxsWYisy
— ただいきたいひと (@tadaikitaihito) March 20, 2020今はあまり使われない言葉で「前衛」がありますけど、自らを前衛党と認じていた人達は、「我々は本隊ではない、本隊は人民大衆だ」と思っていたのでは無いでしょうか。 https://t.co/zJ0kqMWjp9
— ただいきたいひと (@tadaikitaihito) March 20, 2020
で、結局、ただ生きたい人はもす! というインターネットマスカキマン同志と一緒に、チンコとチンコを絡め合い「ともだちんこ」を突然始めたわけであるが、フェミニストを巻き込んでいながら勝手に男同士で結論を出して終えるの、残念ながらこれはキモいわ。女性声優に性的ないやがらせリプライを送る行為をキモいと言うのは、左翼の方言でもなんでもないし、世間一般からして当たり前のことである。【のりこえねっと TV】
— のりこえねっと (@norikoenet) March 18, 2020
3月18日20時〜 配信
「シリーズ キモいおじさん第1回」
学校、職場、街中など、あらゆる場面で出会う「キモいおじさん」とは?
日常の中で10代女性が出会った「セクハラおじさん」の問題を言葉にし、分析していきます。
出演者 仁藤夢乃& girlshttps://t.co/oB6zFLPump pic.twitter.com/wDYHms26W6
で、仁藤夢乃の番組「キモいおじさん」というタイトルであるが、これは確かにフェミイさんの言う通り、「セクハラおじさん」あたりに差し替えた方がいいと思う。
このタイトルに違和感を覚えるのは当然なんだよ。なぜか。「キモいおじさん」では、かつて首都大学東京で学生が企画した「ドブスを守る会」のように、容姿の悪い中年男性を集めて嘲る番組だと勘違いさせてしまい、趣旨とまったく違った内容を想起させてしまうことになるし、焦点がぼやけるからマズいのだ。この番組は総合的な反差別団体「のりこえねっと」でのセクシャルハラスメント啓発番組の一角である。然らば、「キモいおじさん」というタイトルを安易につけるべきではないと思われる。
確かに、セクシャルハラスメントと呼ばれるものにはキモいものも含まれているし、キモいことが問題なこともある。しかし、キモいこと自体がいかなる時も責められるべきことではない。ストーカー紛いのことをする会社役員の男や女性声優に性的な嫌がらせをするようなリプライを送るオタクに「キモい」と感じてそれを口にすることや、それらに対してキモいと罵倒すること自体は認められても、単純に容姿にすぐれない男性をつかまえてキモいと言うことは道義に反するし、それはセクシャルハラスメントとは関係ない。
まして、のりこえねっとは「フェミニズム団体」ではなく「反差別団体」である。そして、タイトルというのは「それだけで判断される性質のもの」である。だからこそ、「ドブスを守る会」的な番組内容であると勘違いさせるようなタイトルをつけるべきではないだろう。
注意してほしいのは、番組中で仁藤がセクハラ事例を紹介しながら「こういうおじさん、キモいですよねー」だとか「こういうキモいおじさん、この世からいなくなったらいいのに」といった発言をすることに関しては問題であると主張するつもりはない。ここでしているのは、「包括的な反差別団体のタイトルに持ってくるのが些か問題があると考えらえる」という話である。それだけで差別とは言わないけれども、反差別団体の番組タイトルとしては正直相応しくない。
更に言えば、たとえば、これがフェミニズム団体単体がつくったチャンネルであれば、私もタイトルを変えた方がいいとは言わなかったであろう。フェミニズムはあくまで女性運動、女性思想なのだから、男を攻撃するのは当然である。
また私は上述の理由で、キモいおじさんという文言が差別だとも言うつもりはない。メディアが包括的な反差別団体のりこえねっとであり、そのタイトルとして用いられるのであれば、もう少し配慮を重ねる必要がある、という話である。職場などでのセクシャルハラスメント問題は女性差別問題であり、反差別団体の番組におけるひとつのテーマであるからこそ、問題が発生するのである。構成要因は複合的で、公共性にはグラデーションが存在するのだ。白一色か黒一色かじゃねーんだよ。
じゃあ、結局ただ生きたい人と同じで「キモいおじさん」はダメってことじゃん、と思うかもしれないけど、そうじゃねーんだよ。そもそも、本件は仁藤夢乃がのりこえねっとで「キモいおじさん」という文言をタイトルに用いたことをフェミニストが内部批判した、というのが先にあったことであり、そこに図々しくもただ生きたい人が乗り込んできて、「俺はキモいと言われていじめられたんだからフェミはキモいという言葉を使うの禁止、禁止、禁止だああああああああああアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」と騒いで「キモい」という言葉を一元化して禁止して、女性、フェミニストから言葉を奪おうとしたのである。これはマスカキズムによるフェミニズム運動の簒奪以外の何物でもない。
もし、仮にただ生きたい人の話を真に受けたフェミが現れ、「キモいという言葉はダメなんだああああああああ!!!!!!!!!」というフェミニストが生まれたらどうなるか。人に言われることで価値観を強く内面化する人や場面というのは確実に存在する。そうなれば、キモいという言葉を使うフェミニストに対してその人は嫌悪感を持ち始め、孤立してただ生きたい人の周囲に回収されてしまうのである。かくして、ただ生きたい人の軽率な行為によって、フェミニスト間で無用な分断が生まれるのであった。あーあ、すべてただ生きたい人のせいである。
そもそも、私が言っているのは「この場でのタイトルにはちょっとふさわしくない」であり、ただ生きたい人の「キモいおじさんという言葉は一律禁止」なる正気とは思えない主張とは全然違う。こういうのは過程と内実が大事であり、表面だけを見てはならない。ただ生きたい人がしているのは、女をすべてにおいて無理やり男の土俵に上げる行為である。
結局のところ、ただ生きたい人は傲慢である。こう言うとただ生きたい人は、いつも「自分はクズだと自覚して言っているんでちゅー。よしりんのゴーマンかましてよかですかなんでちゅー」とガキみたいなことを言って開き直り、卑屈な態度で自己防衛をする。卑屈さっていうのは傲慢の表れなんだよ。私は卑屈な奴で傲慢じゃない奴を見たことがない。自分はクズだと開き直る奴は、たいてい「自分はクズだ。そして人間は平等にクズだ。」というところに逃げる。結局言ってることは「男は全員裸の女を見たら襲う(だからミニスカは痴漢されてもしかたない)」系のアンチフェミロジックと同じ。他人に自分の泥を塗りつけて逃げるな。
小林よしのりが「ゴーマンかましてよかですか」を繰り返した末路はネトウヨ化であり、南京大虐殺や従軍慰安婦問題の否定なんだけど、そういった事態には頬かむりするんだろうな。開き直りは他人に甘える行為なんだよ。
長々といろいろ書いたけど、こんなもんを理解するのに難しい理論なんか必要ない。常識があれば誰でもわかる。
ああいう総合的な反差別団体の番組で表題に「キモいおじさん」という言葉が単体でタイトルに使われたら、理論化できなくてもなんとなく違和感を覚えるのは常識があれば当たり前である。しかし、逆に女性声優に性的な嫌がらせをするリプライを見たり、女性従業員にストーカー紛いの行為をする会社役員の男性を見たら、女性が口々に「キモい」と反応するのは当然の話であり、それを禁じることに対して違和感を持つのも常識があれば当然だろう。
結局、世間ズレしたサヨク男二人がいくら「我々は大衆から剥離しやすいので気を付けないと行けません」などと言いながら「ともだちんこ」しても、二人とも世間ズレした非常識な存在だから、正中線となる常識がないため、どこまでも非常識な答えしか導き出せない。二人の出した「キモいという言葉を禁止する」という結論が世間ズレもはなはだしい珍妙なものであることは明らかである。私のような一般大衆に属する常識人から見れば、ますます世間ズレした結論を出すサヨク男たちのホモソーシャルに対して怪訝な顔をするしかない。そもそも、なんでフェミニズム運動を罵倒しながら男二人で勝手な結論を出しているのか。こうなるか
— ただいきたいひと (@tadaikitaihito) March 21, 2020
こうなるか
こう〜なるか〜 pic.twitter.com/0UhDgbU4BG
同類なんだから当然だろ。ただ生きたい人はもはやアンチフェミ最前線である。そういえば、廃駅も「セクハラはキモいんじゃなく悪いんだから、キモいという言葉を使うな!!」とか言っていたな……。「男性支配に対してキモいと返すな!」って、前にただ生きたい人が叩いていた「差別のミルフィーユ」論ってやつ?
ただ生きたい人は日本共産党らしいが、そういえば前も女性議員がフェミニズムっぽい主張をしたら突然、日本共産党の公式見解を述べるbotみたいなセルフリプライをする事件があったし、結局、あの政党はマッチョイズム政党だからネトウヨくさいんだろうな。早く日本共産党内部の女性たちは、日本共産党(左派)みたいに日本共産党(フェミ)を分離させた方がいいと思うよ。ネトウヨ、ファシスト、日本共産党とはよく言ったものである。(言い始めたのは私だけど)PR -
私が言いたいのはこういうこと。というか、前から言ってることだ。まあ、いい。
本題に入る前に、まずは男性諸君らに「一番早く簡単にモテる方法」を伝授しよう。どんな男でもできるとまではいわないけど、比較的容易な方法である。私はモテなど興味がないので宝の持ち腐れであるし、こんなのは大した話でもないので、ここで公開しても問題あるまい。
まず、何でもいいから適当なSNSに参加する。
そこで趣味などの話をいろんな人として、日記などに趣味のことを書き綴り、人の日記にコメントを入れるなどして仲良くなり、人を集めて女性を含めたコミュニティをつくる。たとえば、趣味はアニメなんかでもいいんじゃないかな。
そして、とにかくその場で自分が主宰として話を振り、集団オフ会などを企画し、それで人を集めて自宅でアニメの上映会などのイベントを開くようにする。
これはやってみれば三ヵ月もかからないだろう。こういう小さくても集団の中で一番目立って指揮を執る人になれば、簡単にモテる。うまくいけば、自分から恋愛関係をアプローチせずとも、女性の方からアプローチされるようになる。これが比較的簡単にモテる方法だ。
これは俗に猿山理論と呼ばれるもので、効果は覿面である。ナンパと違って警戒なども全然されないので、コミュニティでの恋愛は非常にラク。マジでモテる。どんな男でも、概ね誰でもこの状況になればモテる。モテようとしなくてもモテる。モテたくなくてもモテる。恋愛と関係なくつくった趣味のサークルでも、この立場に立ってしまったら必然的にモテる。実際、私でもモテたし、モテたくなくてもモテてしまったし、友人と思ってた異性との関係がぶっ壊れたりした。コミュニティの人とヘタに性的な関係になったら、関係がおかしくなったり、そこに争いが生まれたり、破壊されるに決まっている。これは実際に性行為に至るかは問題ではない。私のケースでも、セックスはしていない。私は当時青かったのでわからなかったけど、しないことが失礼になる状況などいくらでもあるし、それをうまく捌かなければ時に大惨事になる。
これは近親相姦と同じだ。家族に対して性的なことを意識して、その欲望に基づいて動いたら、実際にセックスをしようとすまいと関係の在り方が変化するし、破壊されるし、いさかいが生じるに決まっている。だからコミュニティ内での恋愛はすべて近親相姦なので禁止しろ。以上。
……実際には、コミュニティ内での恋愛を禁止したって、そんなもん人の気持ちなんてそうそう止められるもんじゃないから、ある程度オープンにして容認した方がおかしなことにならないと思いますよ。禁酒法が逆効果だったのと同じ。あるいは、最近カナダで大麻が蔓延しすぎて合法化したりとか、そういうの。
しかしながら、昔の私は本気でタイトルのように考えていた。旧い考えだけあって、論理としては粗雑であると我ながら感じられるが、いずれにせよコミュニティ内の恋愛が近親相姦に通じるものがあるのは間違いないと思う。単純に性的なことで集団内でドロドロするのが嫌なだけな気もするけど。
実際の近親相姦も、まあ、私自身は推奨はしないけど、究極的にはいいか悪いかなんて何とも言えない。基本的にはダメだと思うけど、究極的には「恋をしてしまったんなら仕方ないよね……。恋は甘い犯罪であり、すべて過ちだよ」としか言いようがない気はせんでもない。これについては保留。
よくあるQ&A
Q:近親相姦は血のつながりがあるからダメなだけなのでは?
A:血のつながってない育ての親だったら子に手を出していいのか? 少なくとも近親相姦が禁忌であれば、そこに血のつながらない親子でも倫理的葛藤があるはずだろう。これはあくまで個人の感覚だけど、私は一度もあったことのない生き別れの実の姉弟が偶然出会っての恋愛と血は繋がらないが赤子の頃からの親子の恋愛のいずれが問題だと感じるかといえば後者である。
Q:近親相姦はDNA異常を引き起こすことが問題なのでは?
A:じゃあ一卵性の双子を介した従姉弟の結婚は、なぜ一般の姉弟と同様に規制されていないのか。兄弟でのセックスはよいのか、親子でも避妊をしていればよいのか。伝統的価値観の背景に科学的バックボーンがあることは、それのみが根拠であることの証明にはならない。風水と気象学的に相関があると判明しても、それは必ずしも風水の意味を同定するのが科学的根拠ということにはならない。たとえば、近親相姦の禁止は力関係の問題もある。ハラスメントや児童保護などの文脈では、そちらの意味合いが大きい。っていうか、遺伝云々の理由はなんか差別臭がムカつく。
Q:その理屈だと夫婦間でのセックスも近親相姦になるのでは?
A:なるに決まってるだろ。恋人の延長である新婚ならともかく、子供ができたらさすがに家族だろう。よく家族に手を出せるよな、みんな……。 -
「暴力的な男はモテる」「弱者男性も強者男性になり、女性を支配したがっている」というそれぞれの誤解がどうして生まれるのか、一つの教室風景から見てとれる。どっちも集団からの疎外におびえ、強者にへつらってるだけなんだよね。 https://t.co/gffSVArfin
— zaedno⚡ (@zaedno) 2019年8月19日
少なくとも、私についてはこのような見立ては完全に的はずれである。これこそ、論敵を矮小化する心理の現れではないか? これらは誤解ではなく真実である。
なぜこのように真実を誤解と見なすような連中が現れるのか。端的に言ってしまえば、これを意思の問題だと思っているからである。「男は女を暴力で屈従させようとしている」「女は男を暴力で選択しようとしている」と考えるからおかしくなる。特に今どき、そんなことを考えている男女は少ない。これは理性や意思の問題ではない。「強者になった弱者男性が女を支配しようと行動する」のは、別にやりたいとか意思が介在しているわけではなく、自然とそうなってしまうだけだ。男はそこに存在するだけで暴力。そして人は暴力に惹かれ、特に男女間の場合は概してそこに性的な関係を伴う。これには自覚がない。ゆえにDVしてる男も「愛してるから」と言うし、されてる女も「本当は優しいんです」と言うんだよ。
これは繰り返し言ってることだけど、私は「暴力男は女にモテる」という事実について、それ自体を一次的に嫌だと思ったことはない。問題は二次的なもので、たとえばDV依存などの被害。逆に言えば、そういった被害が起こらない限り、暴力男が女にモテようがモテまいが、なんでそんなに神経質なのか理解に苦しむ。「顔がいい方がモテる」「女は若い方がモテる」「おっぱいがでかい女はモテる」「身長が高い男はモテる」なんて話はいくらでも転がっているだろう。
それと、「優しい男こそがモテてほしい」なんてのは二重にくだらないと思っていて、そもそもモテている状態が暴力性を帯びていることを無視していること。次に、暴力的でない男にモテを押し付けることの暴力性に無自覚なこと。完全にモテない状態はつらいかもしれないけど、モテる状態というのも来る相手を捌く必要があるし、複数の女性と性的な関係を持ち続けるなんて四六時中やることではないので、メリットは小さく、コストがかかる状態だ。ましてや、「優しい人」なら、その人が来る女を拒絶することの精神的負荷を考えたことがあるか? 逆に拒絶できなかったらどうなるか考えたことはあるか? 優しい人にモテを押し付けんなよ。「モテ」という状態に暴力が適してるから暴力男が女にモテるんだっつーの。 -
私をモノ化するな。|ピッピちゃん #note
https://note.com/mypippichan/n/n4c5c3786b268
うん、まあ、ねえ? そりゃそうでしょ、くらいの感想しかない。
全体的には大したことは書いてない。ただ、すごく読みやすい。
でもまあ、たぶん「この程度のこと」こそが支持を得るだろうなあ、と思われる。幅広く支持者をかっさらうんじゃないかな、たぶん。
私は別にピッピちゃんを支持しているわけではないのだけど、この文章自体が属人的な支持不支持への批判なので、私が支持するかしないかなんてのも関係ない話なわけで。実際、Twitterでフェミとアンチフェミはいずれもカルト化した部族社会であり、特にフェミニズム側は属人的な判断ばかりが重視されるようになっているし、極端な思想や奇説ばかりが横行して合意点を一切模索せずに派閥争いをしている現状には違和感を持つ人は多いに違いない。そんな状態のSNS社会だからこそ、このnoteは多数の人々から幅広い支持を集めると思う。
もはやTwitterなんてやめるべきものでしかないので、ピッピちゃんがTwitterやめたのもよかったんと違う? この文章は象徴的と言うべきか。正直、この人自身についてはほとんど興味がないんだけど。
ところで、このnoteに登場する「親フェミ」ってニャンもるのことだとだと思うけど、アレってコモノフェミ男軍団の中でも特にめっちゃコモノでショボい奴で、だからこそそこが逆に興味深い。男が混入したフェミサーでは概ね男が変にリーダーシップ取ってたり目立つことが多いので、「男がオプションであり超ショボいコモノ」というのは、逆に言えば女性中心であるとも言える。すぐフェミサーは男が台頭して猿山になるからねえ……。個人的にそこが気になるポイントかな。
とにもかくにも、このnoteは支持を得るだろうね。Twitterフェミとアンチフェミの両方がカルトなんだから、違和感を持ってる人は増えてるよ、そりゃ。ここでしゅうきまでもが見事に乗っかってるあたりが、なんともかんとも。逆に言えば、間口が広いともいえる。「フェミニストでなければセクシスト」なんて雑な二項対立、「フェミニズム」の歴史を少しでも知っていたら出てくるわけがないんですよね。フェミニズムの歴史こそ、「女性」とは一元化出来ず時に対立するものだという、当たり前のことを証明してきたのだから。 https://t.co/S9DbgZkKYD
— 柴田英里 (@erishibata) 2020年1月6日
こういうのを見てると、ここには柴田英里あたりも合流する可能性があるね。
ちなみに、こちらの記事はフェミニストとしゅうきの一致点を指摘したものであり、ピッピちゃんの指摘を先取りしたものであると言えよう。世界は私の後追いである。というか、「相反するはずの思想の持ち主に一致点が存在する」という指摘は私が散々してきたことで、Twitterでは私と極一部の人しかそれを省みなかったわけで、これはTwitterの連中がおかしいだけ。いずれにせよ、Twitterの部族社会化が下らないのは間違いないし、それをピッピちゃんは全体主義と表現しているのである。フェミ界隈が男性2人の派閥になるなんて茶番、絶対あってはならない。フェミニズムは女性のものなのに、そんな馬鹿でアホでマヌケなことがあってたまるか。そこまでフェミニズムを男性に開け渡せるかよ。Twitterにいるフェミニストの女たちはそこまで馬鹿じゃねーよ。
— 🍤どすこい☆エロエロ星人 (@dosukoi_kuso) 2020年1月10日
で、その記事を書いたときにざっとTwitterを読んで一番気になったのが実はこのツイートで、これだけ読むと勇ましくていいことを言ってるように見えるけど、「フェミニズムを男性に開け渡せるかよ」という部分、これこそが実は「男性ベースのフェミニズム内での派閥抗争」を生み出すんだよね。「○○はフェミから外れた男だ」→「××は〇〇と仲がいい」→「××は男を使ってフェミニズムをつぶそうとしている」→「××は名誉男性だ」という流れ、実は男性を中心に意識した争いになるので、「男性を中心とした女性による派閥抗争」になるわけ。男性を中心にしたフェミニズムの抗争って、別に男性が主体的に乗っ取るから起こるというわけじゃない。
で、もっと言うと、その事態は男性に責任がある状態なわけで、責任の所在というのは、そこを中心に置くことなので……。そして、責任の明確化とは「責める場所を明確に定めること」なので、女性は相手にウイークポイントをつくって自分たちにはつくらず、うまく攻め手としてその状況をつくりながら闘っているとも言える。逆に自陣の男が勝手に台頭したら、その男がやられてもそれはその男の責任であって女には責任が及ばないわけだし。つまり、「フェミニストの女たちはそこまで馬鹿じゃねーよ」と言ってるけど、逆に賢いから男性が中心に置かれる状況を自らつくることになるんだよ。
ピッピちゃんはそのへんの隙間を縫って頭角を現したと言えるだろう。
関係ないけど、今回の件見て思ったのは、やっぱり女性が危機に陥ったときに男性に助けを求めるとしたら、フェミ男よりもしゅうきに助けを求めた方がいい。それくらいフェミ男はゴミ。maggy騒動でそれはわかっただろう。フェミニストが家事も育児もメイドにやらせるサウジアラビア社会を絶賛して日本叩き。(メイドの女性の人権は無視)
— 風清しゅうき 性・恋愛・結婚 考察 (@syuki_eb) 2020年1月11日
女性の権利向上をアピールしながら内心では低賃金でこき使える女奴隷を欲しがっている事がよく分かります。
※なおサウジアラビアではメイド(主に貧困層の外国人女性)の地位が非常に低い pic.twitter.com/BKbv4cGRDw
これは上級国民フェミニズムより遥かに筋が通ってますわ。私がTwitterのフェミニズムを叩き潰したのはこのへんが理由だし。もちろんしゅうきもウヨだけど、所詮Twitterのフェミもウヨなんだからどうしようもない。
もはや、しゅうきがマシな存在になりつつあるのがTwitterである。それくらいTwitterは終わっている。
で、個人的に一番ピッピちゃんに対して不信感があるのは背後関係。予定調和的に『業界』で持ち上げられてる感がプンプンするんだよなあ……。Twitterは自分のフィールドに人を導入するための狩場。Twitterのフェミもアンチフェミもカルト部族なんだけど、じゃあピッピちゃんが胡散臭くないかというと……ね。なんかnote自体が『商品』っぽいんだよ。既製品的というか。
関連記事:「田舎は陰湿なんだアアアアアアアアアアアアアァァァァァアアアアア!!!!!!!」とプロパガンダを繰り返すネオリベの描く田舎のいじめの内容が完全にTwitter
http://wjn782.blog.fc2.com/blog-entry-425.html「女をあてがう」の定義とは「あなたと相性がいいのはこんな女性です! アプローチをかけてみては?」レベルの話だったらしい。
http://wjn782.blog.fc2.com/blog-entry-452.htmlTwitterの上級国民フェミどもは自らの優位と善性を示したいがために劣位に置かれた女性を差別して踏みにじり、マイノリティ民族の女性を蔑視してイケニエに捧げるネトウヨ以下の最低最悪のレイシスト。というか、ネトウヨの正体はフェミ。
http://wjn782.blog.fc2.com/blog-entry-430.htmlTwitterアカウント凍結
http://wjn782.blog.fc2.com/blog-entry-34.html -
こんな彼氏は嫌ランキング
— 錆兎 (@sabito_kimet) January 6, 2020
1位 暴力男
2位 ヤリチン
3位 ニート、ギャンブル大好き
4位 童貞
5位 卍系(誰の女に絡んでんねん系)
6位 服が壊滅的にダサい
7位 酒癖悪い (酔うと急にオラオラ)
8位 ゲームで彼女放置
勘違いされがちですが、これは「こういう男と付き合いたくないランキング」ではなく、概ね「過去にこんな男と付き合って困ったランキング」ですので、ここに含まれるものはモテ要素である可能性が結構高いです。「童貞」「服が壊滅的にダサい」当たり違うかもしれませんが、他はこういう男に限って……ねえ?
なので、このランキングに入ってるものは大半がモテ要素。少なくとも、これを見て「ほら、暴力男はモテない!」とか言っても無駄です。暴力男は女にモテます。もちろん、「モテるからといって、女を殴ってはいけません」としか言いようがないですが。「服装が致命的にダサい」なんてのも、「スーツだとかっこいいのに、付き合ってみると私服が……」なんてのはあるあるなんじゃないでしょうか。知らんけど。童貞の何が困るのかは不明。不満があったら「童貞だからだ」と決めつけられてるんじゃないかと考えると酷いな、と思う。
ところで、最後の「8位 ゲームで彼女放置」はファミコンソング『恋のディグダグ』にもその模様が歌われております。恋のディグダグ
1.
乗り換えをまちがえて 1時間おくれたの
待ち合わせのゲームセンター
あわてて あなた さがす
ゴメンね 肩をたたいても
あなたはゲームとおしゃべり
こんどは私 待たされるのね ゲームが終わるまで
私のこころ なぜかふくらむ 恋のポンプで
2.
夕暮れの帰り道 不意に手をつなぎながら
ぼくんちへおいでと
あなたの視線 わたし ドキドキ
初めてみる あなたの部屋
ベッドのパジャマがはずかしい
だけど おはなし ゲームばかりね
ちょっぴり退屈よ
おなかいっぱい 食べてください 恋のお野菜
きづいてほしい 小さな覚悟
無邪気なおバカさん
パンクするほど DIGDUGしてね モリでつついて
あなたきらいよ やさしすぎるわ
恋のゲームプレイヤー
燃え上がるほど DIGDUGしてね 恋の炎で
今見ると、ほんとヒデー歌詞だな……。ファミコンソングだぞ。私は1番しか歌えないんだけど、2番はもう歌えなくていいや。
こういう要素が恋の炎を燃やすこともあるということで。やさしすぎはダメなんだってさ。
じつはランキングをダシにしてディグダグの話をしたかったんだけど、なんかどうでもよくなってきた。こういうの、ジェンダー論のカテゴリに入れるのもどうなのかよくわからなくて、だんだん世にあるジェンダー論って心理学が心理テストとなり、恋占いになったのと同じようになっていってると思う。