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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

ところで天皇ってどこ行ったの?
 コロナウイルスに関しては、もうとにかく検査抑制派、検査行くな派に腹立って仕方なくて、いろいろ書こうと思っても書けず、相当取り乱しながら二つ記事を書いて、読み直したら取り違えをされてもしかたないような個所もあったけど、訂正をする気も起こらず、あとは検査抑制派を批判している中にも、吉方べきとか木村幹みたいなウヨのようでウヨじゃないちょっとウヨな知韓派みたいなインテリ連中が「希望者全員検査しろなんて誰も言ってない!」とか、希望者全員検査派の存在を亡き者にしようとする連中がいてブチキレたり。韓国が検査拡大で大きな成果を上げたから極ウヨへの当てこすりで検査抑制批判をしていただけなんじゃね―の、って気がしてきた。しょせん、レイシストじゃないと言っても、お利口さんのインテリなど最後の最後ではあてにならん。そもそも、韓国では無症状の人が自費検査になるだけで、希望者は基本的に誰でも検査が受けられると聞いているけど。原発事故のときに見た「タダシイ反原発派」と同じだな、こいつらは。

 インフルエンザウイルスなんかでもそうだけど、日本でも平時から基本的に希望者は全員感染しているかどうか検査はできるんだよ。ただし、症状が出ていない場合は保険対象とならず自費での検査となる。で、平時のインフルエンザがこれなんだから、原則からみれば、この「希望者全員検査(ただし無症状なら自費)」は同様に感染症であるコロナでもベースになるはずで、治療法がない新型の病気が流行している緊急事態であれば、これより検査対象を拡大することはあっても、縮小することはない。少なくとも、原則論としては縮小すべきではないんだよ。はっきり言って、WHOの指示や賞賛される韓国の検査状況でさえも生ぬるいと批判される余地はいくらでもある。百歩譲って仮に検査の手が足りないから検査人数や症状の程度で制限をかけるとしたら、まず医療側から緊急事態であるとの声明を出してから請願するべきであって、医者側から検査を求める人民を小馬鹿にして、罵倒して、自粛をしろと強要し、リンチを煽動するなど、明らかな倒錯である。だってトリアージだろ、これ。

 それと誤診が必然的に起こることをもって「仮に国民全員検査をしても無意味」とか言ってる検査抑制派の医者が書いたらしい論説を読んだけど、仮定の話だったら陽性の人間を漏らさないように全国民に100回検査すりゃいいじゃねーか。仮定の話なら「そう」だろ?
 その上、そいつは「症状が重い人間だけを検査すれば検査精度は上がるから、重症の患者だけ検査したほうがいい。軽症は家で寝てろ」とか言ってたけど、それ聞いたとき、私は本当におそろしいと思ったよ。感染症の拡大を防ぐことが目的なんだから、より広範に陽性の人を見つけることができるなら、それだけで誤診があろうと効果があるに決まってる。検査の目的は検査の正解率を上げることじゃなく、感染症の拡大を防ぐことだ。お受験教育の弊害か? 不正解を出さないことに血道をあげて、現代文のセンター試験みたいに不正解の確率が高い選択肢を削る、みたいな無駄、どころか有害な作業をする、それが医者の仕事か? ふざけるな。
 正解率を上げたいなら、コロナウイルスに感染したと思わしき症状の重度患者にそれ以外のあらゆる病気を想定した治療を施して、その死体を検査すれば陽性率は100%近いんじゃないのか? 重度の患者を選別して検査をすれば精度が上がるなんて、そういう理屈だろ? メチャクチャじゃねーか。こんなもん、勉強なんぞ全然してなかったバカの私でもわかる。勉強するとバカよりバカになるんだな。

 とまあ、今回のコロナ騒動で10個くらい長文記事が書けるネタはあるものの(ここで触れた国民全員検査無意味派の批判と仮定問題希望者全員検査派の切り捨て問題で、5000字くらいの記事がふたつ書ける)、頭に血が上って書けなかったし、もうやや機を逸した感もあるので、これについてはちょっと置いておくとして。
 前は延々「検査抑制派は人殺し」とだけ何百回も書き殴った記事を一時的に上げてしまい、読者の方に怖いと驚かれたようなので削除しました。驚かれた人、ごめんなさい。



 で、今回の話題の発端は安倍の「うちで踊ろう」動画ですよ。安倍が国民に自宅で過ごすことを推奨するとの目的でつくられた動画なのだけど、これがひどい代物で、世間がコロナウイルスの恐怖とそれに伴う経済活動の停滞によって苦しみあえいでいる中で、安倍首相はこともあろうに、星野源の歌に合わせてソファで愛犬を撫で、優雅に紅茶だかコーヒーだかを飲みながらテレビを見てくつろいで過ごす映像を流すという、ちょっと正気とは思えない内容であり、確かにこれ自体もムカつくし、これについてのイラつきっぷりとか安倍のカスみたいな殺人政策について言及し始めると、それはそれで頭に血が上ってくるんだけど、あー、イライラしてきた。なんだこいつ、マジで。さすがにこれについては世間でも批判があり、日刊スポーツでは「ルイ16世か!?」と批判されたとの事ですけれども。ルイ16世の私生活については存じ上げませんが、おそらく明恵アントワネットとかけてるんでしょうね。

 で、今回の件について、私としては安倍がアレなのはそうだとして、でも、それを批判する動きに対しても、なんだかなー、と思ったわけですよ。だって、この「うちで踊ろう」みたいなことを長らく長らく、ずっとやってきた人が別にいるじゃないですか。誰って、天皇ですよ。
 ロイヤルファミリーとやらの「優雅な日常」を国民は微笑んで見なくてはならず、天皇が高いところから御言葉とやらを述べられたら、そのおこないに我々民衆はむせび泣かなくてはならない、と。おー、こわ。安倍の振る舞いは確かに洗練されてないけど、あくまで「未完成な天皇」でしかないんじゃないの。今回の安倍に違和感を持ったら、天皇にも違和感のレーダーを向けてほしいな、と私は思う。
 で、そこで気づいたんだけどさ。

 天皇ってどこ行ったの?

 いや、私はテレビをまったく見ないので、そういったメディアではどうなのか知らないけどさ、私の知る限り、コロナウイルス騒動で、本当に全然まったく天皇が話題になっていない。少なくとも、私は認知してない。せっかく令和に改元したのに、コロナ騒動で全然天皇について聞かない。この間で唯一、天皇というワードが話題になったのって、twitterで『おねロリキメセク天皇』とかいうしょーもないネタハン野郎に町山が反応したときだけじゃないの?
 ここんとこ話題になってるのってずっと、安倍、安倍、橋下、安倍、安倍、小池百合子、橋下、安倍、小池百合子、大村(愛知県知事)、小池百合子、小池百合子、小池百合子、橋下、安倍、安倍、橋下、安倍、橋下、橋下、安倍、飯泉(徳島県知事)、橋下、安倍、安倍、橋下、吉村(大阪府知事)、吉村、安倍、小池百合子、小池百合子、大村、湯崎(広島県知事)、橋下、小池百合子、安倍、みたいな。こんなテンポ。東京を含めた一地方の知事クラスは盛んに話題になるけど、天皇は一切話題にならない。なんなら本当に安倍が統一日本の象徴みたいな存在として扱われている。椅子に座って犬と戯れている安倍の映像、マジで安倍が従来日本における天皇の座に座った象徴的映像になってるんじゃないの? コロナウイルスで本当に天皇という存在が吹っ飛んでる。

 今回のコロナウイルスの騒動、東北大震災及び福島原発事故以来の大騒動として捉えられているので、共通点を見出す人も多いと思うし、私も検査抑制派の医者どもが原発安全派の科学者どもと被って見えるのだけど、震災のときは、天皇が結構目立っていたよね? 安倍政権になってからも一層震災関連で天皇は注目された。それから改憲の話も相まって、生前退位の発表から改元まで、ずっと天皇が政治の話題に出ずっぱりだった。この10年、天皇が徐々に存在感を増し、平成中期が嘘のように、日本は天皇という存在を皆が意識せざる得ない状況へと変貌した。
 しかし、今回のコロナウイルス騒動で、天皇の話題がパタリと止んだ。今はまーったく天皇が話題に出てこない。ネット上の書き込みでも、私が目にした限り、たまに上皇が高齢だから心配とかの言及が少し見られた程度。天皇が代替わりしてからこっち、オウム関係者処刑の件に至るまで、天皇が話題に出なかった時期などない。コロナウイルスと天皇が関係薄いとの声もありそうだが、じゃあオウムの処刑と天皇の関係なんて、是非はおいて内容は陰謀論やオカルトの類でしかないのに、どうしてあそこまで話題になったのか? そして、あいちトリエンナーレで天皇の『御威光』はいまだ顕在と示された。これまでずいぶんと天皇という存在が重要なものとして再確認されたのが最近10年間なのに、コロナウイルス騒動によって、一気に天皇という存在が消し飛んだ。
 この件、誰も指摘していないけど、私はすごく奇妙だと思う。平時に天皇を意識しなくなっていった平成中ごろの空気とはまったく違う。世界的かつ全国的な未曾有の危機に際して、日本で天皇が話題になっていない。反天皇制の私からすれば、天皇が力を失うこと自体は歓迎すべきことであるが、現状は非常に不可解な状況だと感じる。

 震災のときは、福島に原発事故が起こったことで、「維新側の地域には原発がない」などの謬説を流して薩長と会津の対立をやたらと煽る連中が現れたり、安倍が山口に選挙区を持つことからその対抗軸として会津の立場から天皇を讃えたりする連中も現れていたが、これが天皇に基づいて正当性を主張する幕末維新期だとすれば、地方の首長が台頭し、中央の政権(幕府)が失調をきたしつつあり、天皇の存在が希薄な現状は、さながら物語の中にある戦国時代のようである。
 私は震災以後、日本の分裂と地域ナショナリズムの台頭を感じたし、今回はそれどころの話ではない。その頃は地域ナショナリズムとして沖縄が大きな争点となり、ここでも天皇は問題となったが、それまで肥大化した天皇という存在が、コロナウイルスで忽然と姿を消したのだ。

 徳島県で、県外ナンバーの車にステッカーを貼り、県境を監視する動きが現れ、大いに話題になった。これもまた、国内の分断を象徴した事象である。コロナウイルス騒動では、「経営に苦しむ食堂で食べて応援!」だとか「がんばろうニッポン!」だとか、全然叫ばれていない。危機的状況の国家規模の団結、そういったナショナリズムすらなく、当初は日本社会の中国への排外主義的感情から国境封鎖などを求める声も大きかったが、その後は静かに地方と地方の分裂によるローカリズムの台頭が起こっている。感染症だから当たり前と言えば当たり前だけど、そもそも、皆が人と人との繋がりを忌避しはじめている。さらに言えば、休業補償等で話題になるのは、国家より階級である。都市と周辺部の関係、階級意識、これらが国家より重視されつつある。
 安倍の人気失調の隙に、小池百合子や橋下徹ら東西の都市を根城とする奸雄が台頭しつつある最中、今後ますます地域ナショナリズムが台頭して日本が分裂するか、あるいは日本が再統一に向けて動き始めるか、いずれにせよ、これまでとは天皇という存在も、在り方が変わると思われる。おそらく、前天皇であれば年齢から心配する声も大きくなったであろうが、そうならなかったのも天命であろう。コロナウイルス流行では、先代天皇が頻繁に行っていた「被災地巡幸」は困難かつ忌避される。

 ところで、本日は昭和の日らしい。へーって感じだネ。
 赤木智弘はじめ「コロナウイルスで金持ちが死のうと知ったことか」という論説もよく出てるけど、もしかしたら天皇に対しても「知ったことか」な人は潜在的に増えているのでは。もちろん、不安の最中で潜在的に天皇の『御言葉』などに期待する向きも強くなっていると思われるが、操縦をしくじればいずれの方にも感情の爆発が起こる可能性はある。
 今後、戦争への期待によりナショナリズムが高まる可能性もあるであろうが、この際にもどこまで天皇が意識されるか。ナショナリズムには必ずしも天皇は必要ない。むしろ、国民平等において、天皇は時に邪魔である。
 そして、コロナウイルス自粛が続く限り、天皇の存在が希薄になるのも必然である。現代の人々にとって、人を集めて行う天皇の祭事は、まさに不要不急の三密だからだ。
 コロナウイルスに対する天皇の動きは、天皇制の存亡に至るまで、大きく左右する要素になるのではないかなー、と思う。

 宗教儀礼で感染が拡大しているニュースがキリスト教やらイスラム教やらで続出しているけど、天皇も神道も宗教なんだよね。現状のおとなしくなった天皇の存在を見て、改めて再確認。
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コメント

1. 無題

ビルゲイツに叙勲するってニュースで久しぶりに聞きましたね。
しかし、叙勲も不要不急の三密、、、

2. 無題

 本当に天皇がビル・ゲイツ氏に叙勲してますね。なんだこりゃ。氏はコロナウイルスのワクチンをつくってるらしいですが、なんだかなあ……。

 災害に際して先代のよくやっていた被災地訪問などと違い、明確な被災地はなく、人と触れあうこともできませんので、今回のケースでは模倣ができないのだろうなー、と思いました。
 儀礼が失われた宗教は、こうも弱いのだと鑑みるに、各国の宗教家が神仏が我々を守るとして祭祀を続けた所以もわかります。

3. 新たな野望

また、ぼちぼち、ブログを始めようと思っています。

新しいことにむけて、いま、部屋の掃除をしています。

これは、考えがまとまった時に、新しいブログで、書こうと思っていることなのですが、
新しい時代がくるのなら、それにむけて前を向うと、、、

自粛や都市封鎖、ロックダウン、これが長引いた国や地域ほど、都市が衰退する。
東京の衰退と、天皇が忘れられていくのはセットであり、東京は江戸へ回帰していく。
うらをかえせば、東京の成立は近代天皇制とセットであり、近代天皇制は江戸の上にロンドンを作るための制度だった。
それが、崩れたら、近代より前にもどるのか、、
都知事は直接選挙で選ばれた将軍であり、県知事は直接選挙で選ばれた藩主みたいなものになるのかな。

同じことが、ほかの国でも起きているような気がします。とっとと収束させた韓国中国以外では、おそらく、選挙で選んでようがなんどろうが、大統領より市長や県知事のほうが、心理的に近くなる。

中世の城郭都市に近い感覚にもどるのかもしれない。

そもそも、都会とは、近代そのものであり、複雑な制度の結果生まれたもの。中央集権体制の中央である。中央に住む人間は地方民より権力に近い。それは前近代の都市とは全然違う物である。前近代の都市は庶民にとっては流れ着くところであり、カオスだった。そこに住むのは後ろめたいことであり、江戸っ子の無茶はそう言うところから生まれた、江戸っ子の気概はそこにしがみつくための心構えだった。
しかし、近代の都市は、そこに住むのは特権で、整備され、秩序がある。そこに住むのは素晴らしいこと、ということに変わった。
その、素晴らしい都市住民の為の文化が、文学であり、いまは漫画やゲーム、アニメ。

自粛しろ、というと怒る人が出てくるのは、都会に住むのが後ろめたくなるからではないか。レストラン、カフェ、カジノ、全部、都会人の特権ですから。その特権に預かれるのが都会人の美徳であり優位性だったのが、突然逆転した。今や、外食は悪ですから。
検査の拡充も同じことで、都会で蔓延しているのだから、都会モンはバイキンだ!って意味ですからね。ここでも、田舎の方が泥まみれで汚いとおもっていたのが、、、

都会が衰退することで、近代以降の文化も衰退する。近代以降の文化、メディアが、都市型ブルジョワのものでしかなかったことが、露呈していく。
編集の竹熊さんは、ワンピースが連載終了するとともに、漫画の時代が終わると言っていましたが、おそらくそれまで保たないと思います。

シャルリーエブドーの事件を、西洋対イスラムという軸でみるのは間違いで、あれこそ、都会対地方の戦いなのではないか。漫画つまり、風刺で笑えるというのは、都会ブルジョアの特権であり、その対象は田舎モノなんだろう。パリのアラブ人はイナカモノと同義であり、パリジャンにとって笑っていいものだった、その構造は暴力でも変えられないものだったのではないか。笑いは暴力であり、優位性の現れ。
アジア人も笑っていいものなので、コビット19と習近平を合体させたり、放射能防護服で聖火リレーの絵を描かれたり、そんなかんじで、風刺していいものになる。

ストーリー漫画でも同様で、アメコミのキャラクター達はニューヨークや、それに類する都会に住んでいるし、現代が舞台だと日本では何の説明もない時は大抵東京が舞台です。アニメやゲームもそう。


これから、アニメやゲーム、文学、文芸、スポーツ全部衰退していく。これらとは違う新しい文化が求められる。それがどういう形のものなのか、この乏しい頭で色々考えています。
しかし、それはおそらく、江戸の復権であり、西では上方の復権だろう。

これは、北京での知見ですが、北京は田舎の都会で、上海の方がよほど都会でした。すべてが、紫禁城が中心で、伝統的な街でした。

4. 無題

名無し会がユーチューブチャンネルを作って天皇の話をしていて、その辺りのセンスはさすがというか。

あと外山恒一と東浩紀がゲンロンカフェで対談するみたい。

5. Re: 新たな野望

>猫柳さん

 この記事で語らなかった部分や語れなかった部分、自分では気づかなかった点など、纏めていただいているように感じられまして、ありがたく思います。正直、これらを全部飲み込んで返答すると、記事4つ分くらいの長大な内容になってしまい、二の足を踏んで返信ができませんでした……。

 そういえば、アニメで言えば『君の名は。』が都市と地方を対比して描いていましたね。原発事故も、如実に地方と都市との差を表面化させた事象でした。


> さん

 外山さんと東さん……。なんだかなあ。正直、もはやそのふたり自体にイマイチ……。
 この記事を書いたのち、5月上旬までの天皇の動向を調べておりましたが、専門家会議を励ましたり、その副座長尾身氏から講義を受けたり、正直「それ地雷踏んでるんじゃないの?」感がすごくて。天皇は自分の判断で選択できる立場でないから責任はないとも言えますが、自分に裁量もなく責任を負えない役職を最高権威に抱くこと自体が問題。
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