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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

列女伝孽嬖第七末喜
 列女伝は前漢の儒者劉向による著書で、女性について纏めた歴史書である。
 当時、ほとんど全世界の主要な文明において、女性はそもそも人間として扱われなかった。その中で、女性が個人として歴史書に列伝を立てられたのは画期的なことである。
 これ以後、後漢書をはじめとした中華王朝の正史では、列女伝の名で女性の列伝が立てられることになった。

 キリスト教においては女性は人間ではなく胎内も土壌にすぎぬ存在であり、仏教においても女性はクソ袋であり女人に九つの悪法ありとして成仏できない畜生に等しく、アテナイにおいて女性は人語を話せる動物とされていた。いずれにおいても女性は人間以下の哀れな生き物であり、あるいは奴隷にしてでも救ってあげなくてはならない存在でしかなかったのである。対して、儒教においては父母は同時に子が尊敬すべき存在とされていた。
 無論、古来の儒教が男尊女卑でなかったとまで言うつもりはない。しかし、「アジア的」「中国的」「儒教的」という語が女性差別の代名詞として用いられる現状は、甚だしき差別であることはいくら指摘してもし足りないほどである。古代中国において女性の地位は他文明に比べても、決して低いものではなかったことは強調せねばなるまい。
 もちろん、「女は動物として人間たる男性に隷属することが悦びであり、女に人間としての地位を与えることは女性差別である。」とでも主張するのであれば、その限りではないが。


 とはいえ、列女伝は女性を個人として称賛しているといっても、その内容は善き母や良き妻としての賞賛であり、所詮は性的役割分担の域を出ない婦徳の賞揚であるとも批判できる。それでも、この史書において女性が個人として扱われたことは事実である。いずれにせよ、それをいかに検討するかは後生たる我々に委ねられる。

 さて、ここで私が列女伝の中から紹介するのは、歴代の悪女について集めた孽嬖伝である。
 いや、なんでよりによって悪女だよって話なんだけど、私にはこの列伝に掲載された悪女たちこそが堪らなく魅力的に感じられるのである。
 それに、先ほど「古代中国文明は他文明に比べて女性差別がひどかったわけではない」と擁護したが、それでも女性差別そのものは当然ながら存在していた。ゆえに、彼女らが悪女とされている理由も、その差別的視点に基づいた側面がある。

 中華三代、夏殷周におけるそれぞれの王朝の暴君暗君として有名なのは桀王、紂王、幽王であろう。それらの君主には、それぞれ悪女とされる女性を妻としていた。この伝では、冒頭に3人の「傾国の美女」が列せられており、もちろん彼女らは悪人として糾弾される。
 しかし、だからこそ彼女らの記述を分析することで、男性が社会を構築するにあたり、女性に対していかなる恐懼を持ったかを理解することができるかもしれない。私はそう考える。

 孔子の言葉、温故知新とは、古いものを現在的な視点から観察することで、新たな知見を得ることをいう。古代における悪女らの記録から、新たなことを読み取ることが我々はできるはずである。

 最初に紹介するのは、夏王朝の悪女末喜の伝である。

≪原文≫
 末喜者、夏桀之妃也。
 美於色、薄於德、亂坥無道、女子行丈夫心、佩劍帶冠。

≪書き下し文≫
 末喜は夏桀の妃なり。
 色は美にして德は薄く、亂坥無道、女子の行に丈夫の心、劍を佩きて冠を帶びる。

≪現代語訳≫
 末喜は夏王朝最後の王、帝桀の妃である。
 容姿は美しかったが、人徳は薄く、その性格は節義も道理もなく、女性のように振舞いながらも心は丈夫のようで、貴族の男のように帯剣して冠を被っていた。


 夏王朝とは、黄河の治水工事を成功させた大司工(建設大臣)禹が、その功績を認められて時の聖王舜に位を譲られて成立した王朝である。聖王舜は、先代の聖王堯に位を譲られたが、この二者は親子関係ではなく、舜と禹も親子関係ではない。儒者が聖なる時代として尊ぶ当時、王は血筋と関係なく有徳者に位を譲った。これを禅譲という。

 禹が崩御した際、後継者に指名されていた大臣の益が王位を辞退し、禹の息子である啓に王位が譲られた。以後、王位は代々王の長男に譲られることになった。これを世襲という。
 夏の時代は堯や舜の時代とは違い、人口は増大し、国土は拡大しており、社会は複雑化し、王朝内で勢力の形成と権力争いが行われていたと考えられる。
 してみれば、世襲は政権が安定する利点があった。しかし、禅譲と違い有徳者が選ばれるわけではない以上、王権は不可避的に腐敗する。桀はその結果であると考えることができるだろう。

 さて、ここに登場する末喜の特徴について。
 末喜の特徴に「大夫心」とあり、更に「佩劍帶冠」とあったので、私は最初トランスジェンダーかと思ったのだけど、「女子行」は「女性の姿」ではなく「女性の行状」であろうから、やはり立ち振る舞い自体は女性であり、トランスジェンダーではないだろう。
 原文には女性が帯刀していることに対して批難のニュアンスがあるので、おいおい劉向はなにもわかってねーな、刀もった女かっこいいじゃん、と思ったけど、冠をかぶっていたことと併せて、これがキーポイントである。「大夫の心」とはどういうことであろうか。

≪原文≫
 桀既棄禮義、淫於婦人。
 求美女、積之於後宮。
 收倡優侏儒狎徒能為奇偉戲者、聚之於旁。
 造爛漫之樂、日夜與末喜及宮女飲酒、無有休時。
 置末喜於膝上、聽用其言、昏亂失道、驕奢自恣。
 為酒池可以運舟、一鼓而牛飲者三千人、昙其頭而飲之於酒池、醉而溺死者、末喜笑之、以為樂。

≪書き下し文≫
 桀は既に禮義を棄て、婦人に淫す。
 美女を求め、後宮に之れを積む。
 倡優、侏儒、狎徒、奇偉を為すに能う戲者を收めて、旁に之れを聚める。
 爛漫の樂を造り、日夜末喜及び宮女と與に酒を飲み、休む時有る無し。
 末喜を膝上に置き、聽きて其の言を用い、昏亂して道を失い、自ら恣に驕奢す。
 酒池を為しては以て運舟す可し、一鼓して牛飲する者三千人、其の頭を昙して酒池に之れを飲み、醉いて溺死する者、末喜は之れを笑い、以て樂と為す。

≪現代語訳≫
 桀は既に礼と義、人の履むべき規律をまったく放棄し、女色に耽るばかりであった。
 天下から美女をかき集め、後宮にそれを住まわせ、俳優やこびと、剣闘士などの珍奇な芸をする戯者たちを天下からかき集め、傍らに侍らせた。
 また、爛漫の音楽を造り演奏させ、日夜末喜と宮女を侍らせながら酒を飲み、それが連日休みなく続いた。
 そして、桀は末喜を膝の上に置き、その言葉通りに政治を行い、政治は乱れ道理は失われ、自らのほしいままに贅沢をした。
 舟を浮かべられるような酒の池を造り、大酒飲み3000人を集め、太鼓を鳴らせばそれらが頭を沈めて酒の池を飲み干すようにさせた。
 酔って溺死するものが現れると、末喜はそれを笑い、楽しみとした。


 さて、ここで夏王桀と末喜の日常についての記述である。
 桀は民衆を顧みず、日常は乱れ、贅沢三昧をして酒と女に耽り、末喜と享楽に溺れていたようである。
 ただし、このあたりの記述にはやや疑問がある。というのも、少し先取りになるが、贅沢の内容が殷の悪女妲己の記事と酷似しているのである。
 妲己伝では音楽に関して、「新たに淫の聲、北鄙の舞、靡靡の樂を作す。」と記述され、酒については「酒を流して池と為し、肉を懸けては林と為し、人をして形を裸しめ其の閒を相逐わせしめ、長夜の飲を為し、妲己之れを好む。」とあり、妲己の記事の方がより具体的であると思う。末喜の記事では音楽の具体的な内容はなく、妲己は酒池肉林であるのに対し、末喜は酒池のみである。
 そして、史記には妲己の酒池肉林と淫聲、北鄙の舞、靡靡の樂の作成についての記事はあるが、末喜についてはない。想像するに、末喜のエピソードは妲己をもとにした後付けでないかと推測する。これは列女伝を訳しながら思ったことなんだけど、Wikipediaにも同じような見解が掲載されており、同意見の人もいるのだろう。専門的なことは知らないけど。

 末喜に際立っているのは、桀の膝の上で王に政治について進言している点である。このエピソードは妲己にはない。
 これを冒頭の末喜の特徴、大夫の心と帯剣帯冠を併せてみると、おそらくは末喜は男性の貴族と同様に政策について考え、それについて王に進言した人物ではないか。そして、それゆえに格好も男性の貴族と同様の姿をしていたのではないだろうか。
 列女伝における末喜は、女性でありながら男性のように地位と名誉を求め、権力を握ろうとした女性だったのではないかと私は想像する。

≪原文≫
 龍逢進諫曰、君無道、必亡矣。
 桀曰、日有亡乎。日亡而我亡。
 不聽、以為妖言而殺之。
 造瓊室瑤臺、以臨雲雨、殫財盡幣、意尚不饜。
 召湯、囚之於夏臺、已而釋之、諸侯大叛。
 於是湯受命而伐之、戰於鳴條、桀師不戰。
 湯遂放桀、與末喜嬖妾同舟、流於海、死於南巢之山。
 詩曰、懿厥哲婦、為梟為鴟。此之謂也

≪書き下し文≫
 龍逢進み諫めて曰く、君の無道にして、必や亡びん。
 桀曰く、日に亡びること有らんか。日亡びて我亡びん。
 聽かず、以て妖言を為して之れを殺す。
 瑤臺なる瓊室を造り、以て雲雨に臨み、財を殫して幣を盡し、意尚饜ず。
 湯を召し、之れを夏臺に囚えて、已にして之れ釋ち、諸侯大叛す。
 是に於いて湯は命を受けて之れを伐ち、鳴條に戦い、桀の師は戰わず。
 湯は遂に桀を放ち、末喜嬖妾を與に同舟し、海に流し、南巢の山に死す。
 詩に曰く、ああ厥の哲婦、梟となり鴟となる、と。此れ之れを謂うなり

≪現代語訳≫
 夏王朝の龍使いを統括していた家臣、龍逢が桀を諫めようと進言した。
「君主が無道であれば、必ずや国家は亡びるでしょう。」
 しかし、桀はそれに耳を傾けることなく、妖言を吐きながら誅殺した。
「天に燦然と輝く太陽に亡びの日が来るだろうか? あの太陽の喪失する日が来るならば、私に亡ぶ日も来よう。」
 桀は華美な宮殿を建設し、暴風雨に見舞われ、国庫の財産は尽き、それでもなお贅沢をやめようとはしなかった。

 諸侯の間で反乱の機運が高まり、それを恐れた桀は諸侯の筆頭であった商公の湯を虜囚としたが、しばらくして世間の反感に気づき釈放した。すると、諸侯は湯を頭領に戴いて結託し、すぐに大乱を起こした。
 かくして湯は天命を受諾し、夏王朝の征伐に向かう。鳴條の戦いでは夏王朝の将軍たちは戦わずして降伏した。
 遂に湯は桀を追放し、末喜を筆頭にその妾たちを同じ舟に載せ、海へ流した。末喜たちは南巢の山にて死んだという。
 詩経に「ああ、その明哲なる婦人。梟となり鴟となる」と歌われているが、このことをいうのである。



 桀の暴虐と滅亡。桀のセリフ、かっこよくね? なぜ桀が太陽の話をしているかといえば、夏王朝は太陽信仰の王朝であり、王は太陽神の化身だからである。
 ここでは触れられていないが、書経の一篇である湯誓では、桀を討伐する前の湯の演説で、「時日曷喪、予及汝皆亡」という狂歌が民間で流行していたと述べられている。これは「あの燦然と輝く太陽はいつ亡びるのだ! 私もお前も、皆すべてが亡んでしまえばいい!」という内容である。おそらく桀のセリフはこれと関連するものであろう。私は書経のこの歌を初めて読んだとき、生命と恵みの根源である太陽を民衆が呪い、苦しみのあまり世界の滅亡と人類の絶滅を願う歌が紀元前2000年に存在していたことに衝撃を受けた。
 夏と同様、殷も太陽信仰の王朝である。ゆえに、この革命は太陽の化身の交代劇である。

 さて、主役の末喜であるが、ここでは目立ったことはしていない。しかし、最後に掲載された詩から、末喜がなぜ悪女とされているかが改めて理解できる。
  これは詩経の引用であるが、該当部分の文節はこのようなものである。

≪原文≫
 哲夫成城、哲婦傾城。
 懿厥哲婦、為梟為鴟。
 婦有長舌、維厲之階。
 亂匪降自天、生自婦人。
 匪教匪誨、時維婦寺。
≪書き下し文≫
 哲夫は城を成すも、哲婦は城を傾ける。
 ああ厥の哲婦、梟と為り鴟と為る。
 婦には長舌有り、維れ厲の階なり。
 亂は天より降るに匪ず、婦人より生ず。
 教うるに匪ず誨うるに匪ず、時に維れ婦と寺なり。
≪現代語訳≫
 明哲なる夫は一国一城の主となれるが、明哲なる婦人は城を傾ける。
 ああ、その明哲なる婦人、そいつは梟となり、鴟となるぞ。
 婦人の舌が長いのは、それが災厄につづく"はしご"だからだ。
 動乱は天から降ってくるのではない。婦人から生じるのだ。
 教育しても無駄な奴。説教しても無駄な奴。それは婦人と宦官だ。


 女性差別も甚だしい内容であると感じられることだろう。賢い男は国を築き城の主となり、賢い女は国を傾け城を傾ける。だから女性は政治から遠ざけよ。これが列女伝末喜の故事から導き出される教訓らしい。総論ではこれを中心に論じる。

≪原文≫
 頌曰、末喜配桀、維亂驕揚、桀既無道、又重其荒、姦軌是用、不恤法常、夏后之國、遂反為商。

≪書き下し文≫
 頌に曰く、末喜桀を配し、維れ亂は驕揚し、桀既に無道にして、又た其の荒を重ね、姦軌是れ用い、不恤の法を常とし、夏后の國、遂に反りて商を為す。

≪現代語訳≫
 頌に次のように歌われている。
 末喜が帝桀と婚姻すると、その暴政はますます酷くなった。
 桀はもともと無道の君主であったが、末喜によって更に甚だしくなり、悪党を登用し、民衆を顧みぬ悪法を敷き続け、ついに反乱が起こり夏は殷に天下を譲ることになった。


 頌とは王朝の讃美歌である。本文の内容と一致しており、これが夏殷革命のサーガなのであろう。


 さて、この列伝の主人公である末喜は、いかなる評価を与えられているか。
 もちろん、王とともに過度の贅沢をし、国を傾けたことも批難されている。しかし、先述のように、これは妲己も同様であり、さらに言えば、末喜の悪行は妲己を下敷きにした創作ではないかと推測される。
 してみれば、やはり末喜に際立った特徴は、女性でありながら政治に口を出していたことである。冒頭の「大夫心」や「佩劍帶冠」も、末喜が政治的野心を持ち、男性の格好をして政治に口を出していたことだとして、同一線上の行為であることが推測できる。
 そして、最後に掲載された「明哲な女性は城を傾ける」という詩の内容からも、この列伝に貫かれたテーマが女性が政治に口を出すことを戒めることであると読み取れる。

 さて、「哲夫成城、哲婦傾城」という詩の内容をそのまま末喜と重ねて受け取れば、末喜は明晰明哲な女性であったと考えられる。そして、「明哲な女性」こそが悪であると列伝では示されている。本文が特徴的なのは、「女は愚物だから政治に口を出すな」という単純な男性優越論ではないことで、これは明哲な女性"こそが"危ないという内容なのである。単純な女性蔑視というよりは、女性への恐怖が感じられるだろう。
 古今東西における差別において、蔑視と恐怖が表裏として存在することは珍しくないが、ここまで恐怖が前面に押し出された上での無条件の否定はめずらしいのではないか。これは「男性と同じであってもダメだ」という内容である。

 私は思う。古の帝王舜は農夫から身を起こし、秦の宰相百里渓は羊の皮5枚で買われた奴隷であった。ゆえに、いかに布衣の身であろうと、中華王朝では有徳であればだれでも天子となることができたし、有能であれば官僚となることもできた。この伝統は儒教により理論化され、隋唐の時代には科挙制度により世襲貴族は一掃され、易姓革命の論理から出自に関係なく天命を受諾した者が天子となれるとの体系が儒教として成立した。
 しかし、それは男性に限定されたことである。末喜は女性であるという理由で、いかに明哲であろうと政治に口を出すこと自体が禍であると評価され、他の悪女と悪事を重ねられて批難された。
 女が政治に携われない時代は長く、近代においても女性が参政権を得て、未だ100年しか経ていないし、それも一部の国家である。

 末喜が政治を行おうとしたのは、自らの明哲をもって人民を済おうと試みたがゆえか、それとも自らの能力を政治の場で試したかったのか、あるいは野心的に権力欲にとりつかれたのか、それはわからない。
 しかし、男は政治に向かう姿勢が人々の賛否を分かつが、当時の女は政治に向かうことそのものが否定された。ならば、女性の政治参加を肯定するならば、末喜は政治に向き合ったことそのもので、まず賞賛を受けねばならないのではないだろうか。
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コメント

1. 無題

拍手しかできん内容やった

2. Re: タイトルなし

 漢籍記事の拍手数は少ないので嬉しいです。拍手数はあんまり気にしてないつもりですが、それでもやっぱり反応があると嬉しい。

3. 無題

最高っす!2度読みました!いい!いいっす!
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