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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

列女伝孽嬖第七褎姒
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列女伝第七孽嬖末喜伝
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列女伝第七孽嬖妲己伝
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 夏王朝を崩壊させたとされる末喜、殷王朝を亡国に導いたとされる妲己に続き、今回は周王朝の権威を失墜させたとされる悪女褎姒の伝。彼女らの夫、夏桀王、殷紂王、周幽王はそれぞれ暗君の象徴とされるが、これまでのケースと違い、幽王の代に周は完全に滅亡したわけではない。しかし、幽王の代に周王朝の権威は失墜し、冊封されていた諸国はバラバラになり、争いを始めた。春秋時代の幕開けである。孔子が生まれたのは、この春秋時代であり、褎姒が生まれたのは孔子が生まれるおよそ300年前のことである。

≪漢文≫
 褎姒者、童妾之女。周幽王之后也。
 初、夏之衰也、褎人之神化為二龍。
 同於王庭而言曰、余、褒之二君也。
 夏后卜殺之與去、莫吉。
 卜請其漦藏之而吉、乃布幣焉。
 龍忽不見、而藏漦櫝中、乃置之郊、至周、莫之敢發也。
 及周厲王之末、發而觀之、漦流於庭、不可除也。
 王使婦人裸而譟之。
 化為玄蚖、入後宮、宮之童妾未毀而遭之、既笄而孕、當宣王之時產。
 無夫而乳、懼而棄之。
 先是有童謠曰、檿弧箕服、寔亡周國。
 宣王聞之。
 後有人夫妻賣览弧箕服之器者、王使執而戮之。
 夫妻夜逃、聞童妾遭棄而夜號、哀而取之、遂竄於褒。
 長而美好、褎人姁有獄、獻之以贖。
 幽王受而嬖之、遂釋褒姁。
 故號曰褎姒。

≪書き下し文≫
 褎姒は童妾の女、周幽王の后なり。
 初め、夏の衰えるや、褎人の神化して二龍と為る。
 王庭に同じくして言いて曰く、余、褒の二君なり。
 夏后之れを殺すことと去ることを卜い、吉なるもの莫し。
 卜は其の漦を請いて之れを藏り而して吉となり、乃ち布幣す。
 龍忽として見えず、而して漦を櫝中に藏り、乃ち之れを郊に置き、周に至り、之れを敢えて發するもの莫きなり。
 周厲王の末に及び、發して之れを觀、漦庭に流れ、除く可からざるなり。
 王婦人をして裸せしめ、而して之れを譟わがせしむ。
 化して玄蚖と為し、後宮に入り、宮の童妾未だ毀せずして之れに遭い、既笄して孕み、當に宣王の時に產む。
 夫無くして乳し、懼れて之れを棄つ。
 先ず是れ童謠有りて曰く、檿弧箕服、寔に周國を亡さん、と。
 宣王之れを聞く。
 後に人有り览弧箕服の器を賣る夫妻の者、王執をして之れを戮さしむる。
 夫妻夜逃し、童妾の遭棄して夜號するを聞き、哀れみて之れを取り、遂に褒に竄る。
 長じて美好、褎人姁獄に有り、之れを獻じて以て贖う。
 幽王受けて之れを嬖り、遂に褒姁を釋す。
 故に號じて曰く褎姒。

≪現代語訳≫
 褎姒は童妾の娘で、周幽王の后である。
 最初、夏王朝が衰退すると、褎人の神は二匹の龍に変化した。
 王の庭に現れた龍は口々に言った。「余は夏と同族であり、かつて褒国に冊封された二人の君主である」と。
 夏王朝ではこれらの龍を殺すか追い払うことについて卜を立てたが、吉とは出なかった。
 卜は龍の口から流れる"よだれ"を請い、それを保管すれば吉であると出たので、龍の下に布を敷き詰めてよだれを受け止めた。
 龍は忽然と姿を消したので、夏王朝の王侯たちは龍の涎を棺の中におさめ、すぐに都の外れに保管した。
 時は流れて周王朝の時代まで、これを敢えて開けようなどとする者はいなかった。
 しかし、周は厲王はその代の末期、ついに棺を開けてその中を見ると、龍の"よだれ"は庭に流れ出し、除くことができなくなった。
 王は婦女を裸にして、その周囲で騒がせた。
 すると、龍の"よだれ"は変化して玄色のトカゲとなり、後宮に入り込んだ。
 後宮の童妾は処女のままそれを受け入れ、笄(女性が十五歳の時に受ける通過儀礼)を受けた後に胎児を孕み、周宣王の代で子を産んだ。
 夫がいないままに乳を出し、恐懼に駆られた童妾はその子を棄ててしまった。

 この頃、流行した童謡には次のように歌われていた。
「檿弧と箕服(弓とえびら)は、周王朝を亡ぼすことになる」
 その歌は周宣王の耳にも入った。
 後に周宣王は暗殺者を召喚し、弓とえびらを売って生計を立てる夫婦を殺させようとした。
 その夫婦は夜逃げしたが、その道中で童妾に棄てられた孤児が夜泣きをする声を聞き、哀れんで拾うことにした。
 かくして、その夫婦と孤児はともに褒国へと亡命することになった。
 褒国で育った孤児は成長すると美人になったが、褎人の姁が周王朝に捕えられ、獄に繋がれると、その孤児を献上して免罪を請うた。
 幽王は献上された孤児を娶り、それと引き換えに褒姁を釈放した。
 かような次第で、その孤児は褎姒と號されたのである。



 私はこういった怪力乱神の登場する歴史以前の伝説が大好きなので、読んでてワクワクするんだけど、やけにグロテスクでエロティックなのがなんとも……。
 おそらく、この龍の"よだれ"というのは精液のメタファーだろう。既笄とは十五歳でかんざしのような髪飾りをつける儀式を終えた後の女性のことで、当時における成人の証である。
 この伝説がどういった歴史的事実を意味するのかは判然としない。母親が童女の頃のエピソードなど、これらの背景にいろいろと想像を巡らせることはできるが、蓋然性の高い仮説も立てるのは困難だと感じる。女の裸踊りは、なんらかの呪術だろうか。
 それはさておき、この伝説をそのまま読むと、褎姒は龍を父として、処女懐胎から生まれた孤児ということになる。まるで神話の神や物語の主人公のように思われるが、この伝は悪女の伝であるから、当然ながら褎姒も悪女として批難される。
 これまで褎姒の生涯は受難ばかりである。親に棄てられ、育ちの国は周に滅ぼされ、王に人質として妻にされてしまった。褎姒はいかなる悪女となるのだろうか。



≪漢文≫
 既生子伯服、幽王乃廢后申侯之女、而立褎姒為后、廢太子宜咎而立伯服為太子。
 幽王惑於褎姒、出入與之同乘、不卹國事、驅馳弋獵不時、以適褎姒之意。
 飲酒流湎、倡優在前、以夜續晝。
 褎姒不笑、幽王乃欲其笑、萬端、故不笑、幽王為烽燧大鼓、有寇至、則舉、諸侯悉至而無寇、褎姒乃大笑。
 幽王欲悅之、數為舉烽火、其後不信、諸侯不至。
 忠諫者誅、唯褒姒言是從。
 上下相諛、百姓乖離、申侯乃與繒西夷犬戎共攻幽王、幽王舉烽燧徵兵、莫至、遂殺幽王於驪山之下、虜褒姒、盡取周賂而去。

≪書き下し文≫
 既に子伯服を生ず。
 幽王乃ち后申侯の女を廢し、而して褎姒を立てて后と為し、太子宜咎を廢して伯服を立て太子と為す。
 幽王褎姒に惑し、出入りは之れと同乘し、國事に卹さず、弋獵に驅馳すること時にあらずして、以て褎姒の意に適さんとす。
 酒を飲み湎に流し、倡優前に在り、夜を以て晝に續く。
 褎姒笑わず、幽王乃ち其の笑を欲し、萬端、故に笑わず、幽王烽燧大鼓を為し、寇有るに至り、則ち舉げ、諸侯悉く至りて寇無し、褎姒乃ち大笑す。
 幽王之れ悅びて欲し、烽火舉ぐる數為し其の後は信じず、諸侯至らず。
 忠諫者は誅し、唯だ褒姒の言是れ從う。
 上下相諛い、百姓乖離し、申侯乃ち西夷犬戎と與繒して共に幽王を攻むるに、幽王烽燧を舉げて徴兵するも、至るもの莫く、遂に幽王を驪山の下にて殺し、褒姒を虜にし、盡く周賂を取りて去る。

≪現代語訳≫
 幽王と褎姒との間に伯服という子が産まれた。
 幽王は后であった申侯の娘を廃して、褎姒を后に立て、申侯の娘との間に産まれた宜咎を廢し、伯服を太子に擁立した。
 幽王は褎姒に惑溺し、城門に出入する際は馬車に同乗させ、国政を省みることなく、時節を鑑みることなく狩猟に出、褎姒をなんとかよろこばせようとした。
 酒を飲んではそれに溺れ、俳優を集めてはそれを並べて芸をさせ、昼も夜もなく褎姒と遊興に耽った。
 しかし、褎姒笑わなかった。幽王はなんとしてでも褎姒を笑わせようと、あらゆる手段を講じたが、それでも笑わなかった。
 そんな中、幽王は異民族の侵攻に備えて烽燧(狼煙)と大鼓を用意した。ある日、国境に侵略者が現れたとの情報を得て、幽王は烽燧を挙げて大鼓を打ち鳴らした。それに呼応した諸侯は悉く王の元に馳せ参じたが、異民族が侵攻することはなかった。
 あわてふためく諸侯を見た褎姒は、このとき初めて笑った。
 幽王はそれが嬉しくてたまらず、褎姒に笑ってほしくて烽火を何度も挙げ、何度も太鼓を打ち鳴らしたが、以後それらの警報を信じる人はなくなり、とうとう諸侯は誰も来なくなってしまった。
 幽王はそれを諌める者を誅殺し、ただ褒姒の望むがままにしようとした。
 上下は互いにへつらい、百姓は離反した。前后の外戚であった申侯は異民族の西夷や犬戎と同盟を結び、共謀して幽王を攻撃した。
 幽王は烽燧を挙げて徴兵したが、誰一人として助けに来る者はいなかった。
 かくして異民族たちは幽王を驪山の下で殺害し、褒姒を拐い、周王朝の財宝を悉く略奪して去っていった。


 
 幽王は紂王や桀王と同様、褎姒と共に贅沢の限りを尽くし、そのご機嫌を伺っているが、末喜や妲己との大きな違いは、褎姒がまったく贅沢など望んでおらず、それを楽しんでいないことであろう。
 褎姒は狼煙と太鼓にあわてふためく諸侯を見たときのみ笑った。これは王の作為でなく、偶発的な事象である。
 これまでの褎姒の受難、その波乱の生涯を見れば、霊王にまったく心を開くことができなかったのは当然のように思われるし、そもそも人など信用できなかったのではないだろうか。
 列女伝の記述だと「忠諫者は誅し、唯だ褒姒の言是れ從う。」の部分が唯一、褎姒が積極的に幽王に口を出して為した悪のように見えるが、これまでの彼女の態度を見るに、どうにも唐突の感が否めない。また、この記述は列女伝より前に編纂された褎姒に関する史料、国語や史記には一切見られないものである。恐らくは末喜や妲己の記述と平仄を合わせるために附託された部分であろう。
 親に不気味がられて棄てられ、養父母を得て他国に育つも、その故郷は祖国に攻め滅ぼされ、故郷の人には人質として差し出され、故郷を焼いた王の元に嫁がされた。その後、王のつまらない遊びに付き合わされ、ついに侵略者に誘拐されて姿を消した。褎姒の人生とはなんだったのか。その上にどうして悪女の汚名まで着せられねばならないのか。


≪漢文≫
 於是諸侯乃即申侯、而共立故太子宜咎、是為平王。
 自是之後、周與諸侯無異。
 詩曰、赫赫宗周、褎姒滅之、此之謂也。

 頌曰、褎神龍變、寔生褎姒、興配幽王、廢后太子、舉烽致兵、笑寇不至、申侯伐周、果滅其祀。

≪書き下し文≫
 是に於いて諸侯乃ち申侯に即し、而るに共に故太子宜咎を立て、是れを平王と為す。
 是の後より、周と諸侯異ること無し。
 詩に曰く、赫赫たる宗周、褎姒之れを滅す、此の謂なり。

 頌に曰く、褎神龍變し、寔に褎姒生じ、興りて幽王に配し、后太子を廢し、烽を舉げ兵を致し、笑いて寇至らず、申侯周を伐ち、果たして其の祀を滅す。

≪現代語訳≫
 こうして諸侯は申侯に味方し、共に廃太子であった宜咎を擁立し、周平王とした。
 これ以降、周の権威は失墜し、諸侯の国々と変わるところがなくなってしまった。
 詩に言われている、輝く太陽の如く盛んな宗主国の周を褎姒が滅ぼした、というのは、このことである。

 頌には次のように歌われている。褎の神が龍に変じ、そこに褎姒が生まれ、幽王と婚姻した。幽王は后太子を廃し、狼煙を挙げて兵を呼び出すも、それを笑って侵略者は現れなかった。申侯は周を討伐し、その祭祀は廃れた、と。


 このあたりの記述から察するに、幽王が暗君と評せられる所以は、寵愛した女のために長子や后の序列を無視し、諸侯のパワーバランスを顧みなかったことで外戚の不満を暴発させ、亡国を招いたことであり、そのために褎姒も批判されることになったのではないかと思われる。

 これまで孽嬖伝では、女でありながら政治に口を出したとして批難された末喜、女の美貌で王をたぶらかし贅と虐の限りを尽くしたとして筆誅を加えられた妲己を紹介したが、今回の褎姒のしたことといえば、ただ笑っただけである。
 末喜や妲己ら、これまで悪女の名を着せられた人々と比較しても、明らかに理不尽な理由で褎姒は悪女の名を着せられているではないか。彼女は自発的な行動は何もしていない。ただ笑っただけである。もちろん、「何もしなかったことが悪」でもないだろう。下手に幽王へ諫言でもすれば、「女の分際で政治に口を出した」とでも批難を浴びせられるかもしれない。
 これまでも女性差別は甚だしい内容であったが、悪女とされる所以は行為に対する責任であった。しかし、今回ばかりは好きな女を笑顔にするためなら真夜中に大砲をぶっ放してでも国中を慌てふかめしたいという幽王のサブカル糞野郎ぶりだけがどう考えても悪いのに、なぜ褎姒が周王朝を滅ぼした悪女ということになるのか。これは女の魅力を男と暴力と同質な強制力を持つものであると、少なくともそういった認識が存在することに思いが至れば理解できる。
 イスラーム世界におけるブルカやヒジャブは、「女が(望む望まないに関わらず)男を惹き付ける力がある」という認識から生じたものであるし、仏教において女人を穢れとして斥ける思想も、こうした認識に起因する。それは男の暴力性が女に恐怖を与えるのと同じである。
 バッハオーフェンが論じ、エンゲルスが支持したことで、マルクス主義の世界的な流行とともに歴史観として正当性を得た原始母権社会論には多くの批判もあるが、家父長制の確立以前は女性の地位が高かったとする説は未だ根強い支持がある。実際、世界史を見渡せば、旧くは女性の権力が決して低くなかった文明が、その進歩とともに家父長制に基づく普遍主義を確立させ、男権主義に収斂するケースは珍しくない。中華圏の歴史も、その一類型ではないかと考えられる。
 これまで、まず女性が男性のような態度や地位に上ることが悪とされ、次に女性が女性として行動することが悪とされ、ついに女性が女性であること自体が悪とされることになった。この裏にあるのは、男性理性への信奉であり、それを乱す女性という存在への嫌悪であるに違いない。

 男性が恐れる女性の魅力とは、言質や実質的な行為に依らず男性に忖度させ、責任の自らに及ばぬように行為主体を男性に委ねる、理性の外にある一種の魔術である。ということは、逆に「褎姒はなにもしていない」「褎姒には責任がない」という考え方こそ、男性原理に基づいた理性主義的な思考ではないか。少なくとも、そう考えることは可能である。
 主体的な理性に基づく行為を絶対視し、責任に由来して物事の是非を判断することこそが、女性を排斥することで構築された男性社会の原理であることは、これまでの三章で段階的に述べてきた。それに反する女性の性質が魔術である。
 紂王を誑かして贅の限りを尽くした妲己などもそうであるが、もしかしたら褎姒こそが強力な魔術師だったのではないか。ここで敢えて、褎姒の願望が幽王の行為に投影され、その後の動向はそれが世界に現出した結果であるとしてこの物語を解釈してみる。

 褎姒の生涯は理不尽な苦難の連続である。人ならぬものとの間に生まれ、赤子の頃に母親から捨てられた。育った故郷の君主を捕らえたのは夫の幽王であり、生活を奪われた褎姒が王を怨むのは道理である。同時に自らの安寧のため、褎姒を幽王に売り渡したのは故郷褎国の君主である。
 もはや褎姒は、世界のすべてに失望していたのではないか。人間世界において最も神聖な王の傍にいながら、むしろ王の傍にいるからこそ、この世界には希望も存在しない。そして、褎姒は世界の破壊を望んだ。自らが亡ぼうとも、世界のすべてを亡ぼそうとした。まさに桀王の暴政に苛まれる民衆の歌にある「あの燦然と輝く太陽はいつ亡びるのだ! 私もお前も、皆すべてが亡んでしまえばいい!(この日いつか喪びぬ。予と汝、皆亡びぬ。時日曷喪、予及汝皆亡)」という心境である。
 中華世界においては、人間の世界を統べるのが王である。ゆえに、その治外にある異民族は現世ならぬ人外魔境の住人であり、この論理に基づけば魔族である。中華世界の人々もまた、王を失えば人ならぬ魔族と化す。ゆえに褎姒は人間世界を混乱に陥れ、魔界から魔族を呼び出し、王を殺し、以後、秦の天下統一まで550年、中華世界に戦乱の災禍を齎した。たとえ自らが魔族の手によって魔界に連れ去られようとも。

 これは褎姒が主体的に遂行した行為ではない。すべては周囲の人々が勝手にしたことである。そのはずである。これは論理にしてみれば妄想であり、魔術の存在を認めないのであれば、この主体を褎姒として書くのはおかしい。しかし、これらの騒動は中心に褎姒が確実に存在しており、その動機もある。これだけは事実である。
 そして、褎姒を悪女とする「一笑傾国」という評価は、このような「妄想」に基づいた思考を根拠としなくては成立しない。この仮説を妄想であると断じることは、褎姒を悪女とする根拠を妄想であると断じることである。褎姒を悪女と評することこそが、褎姒に対する世界の仕打ちを認めることになる。

 このように考えてみれば、文明において男性中心主義が発展するに従い、却って男性が女性への不信と恐怖を一層強めていった所以が鮮明となる。男は女を抑えることで女への恐怖を強め、ますます女を抑えることになった。しかしながら、そのようにして抑え込み、棺に納められた呪いは、時を経て外に流れ出す。
 末喜より更に以前、夏王朝の中期に現れた龍が名乗ったのは「褒の二君」である。二君とは王と后の二者を併せた呼び名であり、古の時代、男女はともに君主として並び立っていた。

 褎姒を生み出した二龍とは、男女が位を同じくしていた時代、その忘れられた記憶ではなかっただろうか。
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