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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

三国志の濊伝を更新。
焚巣館 -三国志東夷伝 濊https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/chousenshi_chuugoku_shisho/sangokushitouiden/05wai.html 

 かつては朝鮮半島の全土に無数の虎が生息していた。これは近代に入ってからもそうで、大日本帝国の統治時代に虎狩りが流行したことで激減し、現在は公的に朝鮮国(北朝鮮)の一部にしか存在していないとされている。

韓国に虎はいるのか?
https://enjoy-korea.net/tiger/

 一応、20世紀後半にもわずかながら韓国での捕獲例が存在しているものの、これも21世紀に入ってからは鳴りを潜め、現在は足跡や動物の捕食跡等の目撃例のみとなっている。


 後漢書東夷伝にも記されていたが、濊の特徴として虎への信仰が挙げられる。朝鮮半島では朝鮮三国時代、高麗王朝時代、李氏朝鮮の時代、そして虎の生息が確認されなくなった現在に至るまで、いまだに虎への信仰が存在している。




 虎の信仰が他の部族に記されていないことから、やはりその淵源は濊に求めるべきであろう。

 三国遺事に記される太古の朝鮮における神話『檀君神話』にも、虎が登場する。その逸話は次のようなものである。天帝桓因の子である桓雄が訪れた洞窟の中で、虎と熊が人間になりたいと祈っていた。桓雄が二者の獣に対して、蓬とにんにくを食べて忌籠(いみごも)るよう告げると、熊だけが女となり、桓雄と結婚して檀君を生んだという。

 ちなみに、熊は高句麗と百済の地名や人名に登場する。高句麗始祖の朱蒙の養父である扶余王の名は金蛙(くま)であり、百済最後の首都も熊津(くまつ)である。また、高句麗の後裔となる高麗も高麗(こま)と読む。また、三国遺事には朱蒙を檀君の子とする異伝もある。

 こうした点を鑑みて想像力を逞しくしてみると、熊は貊系(高句麗、高麗、百済、扶余)の民族、虎は濊系の民族を象徴し、檀君神話における熊と虎のエピソードは、朝鮮半島でのヘゲモニー争いにおいて、前者が後者に優越したことを示す逸話のようにも思える。


 さて、濊は三国史記において、最初は新羅の特に感化された部族として登場し、あるいは高句麗に服属して使役される部族として登場する。このあたりは、ほとんど沃沮系の部族と変わりがない。

 で、相変わらず後半は靺鞨、沃沮と並んで高句麗に使役される立場としてしか登場しないのだけど、本文では高句麗に服属しつつも、中国と高句麗が争ったことで中国に服属先を変えたとの描写がある。

 正始六年、楽浪太守の劉茂と帯方太守の弓遵は領土の東の濊が高句麗に服属したことから、軍隊を興してこれを伐ち、不耐侯等は邑を挙げて降伏した。その八年、宮闕を詣でて朝貢し、詔みことのりをして改めて不耐濊王に拜した。住居は民間に雑じてあり、四季に合わせて郡を詣でて朝謁する。二郡に軍征や賦調があれば、供給役使する。その待遇は民のようである。
 この末尾に、濊が中国から「民」のように遇されたとの記述がある。これには本書東沃沮伝を想起せずにはおれまい。

 高句麗はそのまま中大人を置いて使者とし、相を使わせて主領させつつも、大加を使わせて統率し、その租税、貊布、魚、鹽、海の中の食べ物を徴収すると、千里の遠くからそれを担いで送致し、同時にその国の美女を送って婢妾とさせた。彼らの待遇は、奴僕のようであった。

 ここでは高句麗が沃沮を「奴婢」のように遇していたと記される。これは一体どういうことか。思うに、これは高句麗と中国の『徳』の差異を示すための描写ではないだろうか。また、本書挹婁伝にも以下のような記述がある。

 漢以来、夫餘に臣従していたが、夫餘から責(もと)められるその租賦は重く、黃初の中をもってこれに叛いた。夫餘は複数回これを伐ったが、その人数は少ないながらも、在所は山の険しい土地柄であるため、隣国の人はその弓矢を畏れ、ついに服従させることはできなかった。

 これは扶余が挹婁に重税を課したため、服属させきれなかったことを示している。これも中国の濊と比較させるための描写だと考えることができる。

 つまり、こういうことだ。高句麗や扶余は、当時中国に叛いて幾度となく攻撃をしかけていた。そして、周囲の部族を服属させ、朝貢品や租税を集め、あたかも中華王朝が周辺民族にするかのように宗主国としてふるまっていた。これは中国にとって面白くない。そこで三国志では、中国の優越性を示すために、沃沮と高句麗、扶余と挹婁、濊と中国の関係を以上のように描写したのだろう。

 高句麗は宗主国を気取りながらも周辺諸民族を奴婢のように扱う暴虐の国、扶余は周辺諸民族に重税をかけて反乱を起こされる苛烈な国、そして中国は周辺諸民族を一般の人民と同様に扱う君子の国であり、他の連中と違って天下の王たるにふさわしい王朝である……というのが三国志の主張ではないだろうか。





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