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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

月読は常世の国の王となる④ かぐや姫と浦島太郎


そら 行く、月読壮士つくよみをとこ ゆふ さらず、目には見れども、寄るよしもなし

天空を駆ける月読命つくよみのみこと よ、夜空にも消えることなく姿は目に見えるというのに、近づく手立てはない。

(万葉集)

 結局、古事記や日本書紀に加えて風土記まで参照したのに、神話における月読命つくよみのみこと は何をした神なのか、よくわからない。重要な存在として明示されているのに、それをつかむことはできない。さすがは夜の世界の支配者といったところか、彼の事跡は闇の中である。古代メソポタミアでは破格の存在である月神も、はるか東方の日本列島では、あんまりな扱いである……と思われるかもしれないが、実は月神シンは人々の信仰と現世の王権の密な関係とは裏腹に、メソポタミア神話においても、ほとんど活躍が見られない。月とは沈黙を象徴するものなのかもしれない。

 ただし、神の本質は必ずしも神話での活躍にあるのではない。月神シンの祭祀は王権が司り、それが王朝の権威の象徴であった。これは紛れもない事実である。だからこそ、アッカド王朝における月神の地位は盤石なのだ。古事記や日本書紀においても神話の時代の後とされている人間の歴史の時代に、天照大御神あまてらすのおおみかみ の祭祀の描写は数多くあらわれる。これは月神シンと同様、日神天照大御神あまてらすのおおみかみ が王権の祭祀の中心にいたことを示すためだろう。神の実体は神話にばかりあるのではない。神にまつわる文化こそ、検討しなくてはならない。


 さて、日本文化において月の存在感がないかと言えば、これは否である。古事記や日本書紀から少し遅れて編纂された万葉集に掲載された月の歌は、なんと200首以上。その中には、今回の記事の冒頭に引用した歌のように、月のことを月読と呼ぶ歌もいくつか存在する。万葉集の歌における月読命つくよみのみこと は、若い美男の象徴として歌われることが多い。

 歌だけではない。日本では古来から月にまつわるおとぎ話も編んできた。その中でも代表的なものとえば有名なものといえば、やはり『竹取物語』である。これは日本に現存する最古の仮名物語とも言われている。

 その内容は概ね次の通りである。

 竹取物語のヒロインとなるかぐや姫は、竹の中から生まれる。それを見つけた讃岐造という竹取のおじいさんに拾われ、おばあさんとともに育てられると、麗しい美女に成長した。ゆえに縁談は絶えなかったが、かぐや姫はそれらをすべて断る。遂には時の天皇までもが求婚したが、それさえもかぐや姫は拒絶した。そんなかぐや姫は、月夜にひっそりと夜空を眺めて泣くことがあった。それを心配したおじいさんがかぐや姫に問いただすと、実はかぐや姫は月の世界の住人で、前世からの因縁で罰を受け、この地上に落とされたのだという。かぐや姫は、じきに月から迎えられ、そこに帰らねばならないのだと打ち明け、おじいさんやおばあさんと過ごした日々を想ってまた涙を流した。

 さて、ここでかぐや姫は、月の世界の住人の特徴について語っている。誰もが見目麗しい美男美女で、歳を取ることがないのだ、と。悩みも持たず、まさに俗世に穢れた地上世界とは隔絶した理想の世界の住人である。

 かぐや姫は、そのような美しい世界であってもおじいさんとの生活を惜しみ、帰りたくないと言う。竹取のおじいさんは、なんとしてでも月人にかぐや姫をわたしてなるものかと発奮し、天皇の軍隊を呼び寄せ、自らも武装し、月人の迎えを追い返してやろうと画策する。ところが、天空を駆ける牛車に乗った月人が現れると、天皇の軍勢も竹取の翁もあっけにとられて戦いにすらならなかった。矢を飛ばす者がいても、明後日の方向に飛んでしまう。

 ここで月人の王はおじいさんの名を呼びながら、その方をにらみつけ、このように言った。

「お前だよ、クソガキ(汝、幼き人)。ちょっとは善行があったということで、お前のためにと思い、少しの間(かた時)ということでかぐや姫を地上に降ろしてやったというのに、ずいぶんの時間とずいぶんの黄金をよこされたと、すっかり別人のようになってしまったな。」

 そこで竹取のおじいさんは、「かぐや姫を養ってからもう二十年が経ちます。それを『少し間(かた時)』などとおっしゃられては、もうわけがわかりません。」と言い、月人の言うかぐや姫とは別人だと主張した。

 その後、結局かぐや姫は月人に迎えられることになり、月の羽衣を着せられて帰ることになる。羽衣は人を悩みから解き放つ力があり、かぐや姫もこれを身にまとえば、すっかりおじいさんとおばあさんとの未練を断ち切ってしまうことになる。だから、かぐや姫は感傷を残しているうちにということで、羽衣を着る前に、おじいさんとおばあさんには一首の歌を贈り、天皇には不老不死の仙薬を贈った。こうして羽衣を着たかぐや姫は月に帰った。

 後日、おじいさんとおばあさんは心労に倒れ、かぐや姫の歌を聞いても心は癒されることなく病に伏した。天皇はかぐや姫のない現世に未練はないとして、不老不死の仙薬を富士山の火口に捨て去った。

 これが竹取物語のあらましである。

 さて、月読命つくよみのみこと について考察するからには、まずは月に注目してみよう。ここで月人の特徴として挙げられるのは、まず不老である。しかも不老不死の仙薬を有している。山背国風土記において月読命つくよみのみこと が山背国で寄りついたとする桂の木は、枝を切ってもすぐ生えることから、不老長寿の象徴とされる。わずかばかりであるが、ここに月読命つくよみのみこと の逸話との符合が発見できる。

 もうひとつは美男美女しかいないということである。これが万葉集における月読命つくよみのみこと が若い美男子の象徴として描かれることとの関連性を想起するのは、少し考えすぎだろうか。竹取物語に描かれる月人の姿には、月読命つくよみのみこと の影が感じられる。

 しかし、それよりも注目したい点は、月人の時間感覚が地上の人とは違うことである。月人の王が20年という歳月を「かた時」と呼んだことを、おじいさんは訝しがった。これが月人の不老という性質に由来しているのかはわからないが、おそらく月の世界とは、地上の人から見れば、茫漠な時間を有する世界、月の世界とは、永遠の世界なのかもしれない。時間という要素も、暦と時間を司る月神のイメージを喚起させる。


 さて、ここで「月の世界」から「月」という概念を敢えて引き離してみよう。数十年の歳月を「かた時」と呼ぶような永遠の世界。このような世界は他のおとぎ話にも登場しなかっただろうか。

 そう、浦島太郎である。それは古来から日本で語り継がれてきた物語。数十年をも「かた時」としてしまうような永遠の世界の物語。浦島太郎は海中深くの竜宮城に行き、そこで三百年の時を過ごしたことにも気づかなかったキャラクターだ。実は竹取物語以上に、この浦島太郎の物語こそが月読命つくよみのみこと の正体をつきとめるためのキーとなる。


 はるか海の中の竜宮城と、はるか天上の月。相反するようなふたつであるが、実は強いつながりが存在している。海には満潮と干潮がある。これは月の引力が引き起こす現象なのだ。月の軌道上で変化する地球との距離によって、潮の満ち引きは引き起こされる。古代の人が引力について知っていたかはともかく、月の動きと潮の満ち引きとに関係があることは、日本をはじめ海に囲まれた地域の人々は知っていた。月は海を支配する存在だとも考えうるわけである。

 ここで海の支配者ともされる素戔嗚命すさのをのみこと 月読命つくよみのみこと のエピソードが古事記と日本書紀とで入れ替わっていることについても思いを巡らせることができるが、それは後に触れよう。

 浦島太郎は、ただのおとぎ話ではない。歴史上の人物のモデルが存在している。その名を浦嶋子うらのしまこ といい、日本書紀や風土記、更には万葉集にも登場する。そして、浦島太郎の物語自体も、丹後国風土記に記された浦嶋子うらのしまこ の伝承をアレンジしたものである。

 丹後国風土記での浦嶋子うらのしまこ は海を渡って「とある国」に渡り、そこで浦島太郎と同様、その国の姫と結婚し、かた時の幸福な暮らしを営んでいたが、望郷の念に駆られて姫と別れて帰郷した。姫は、決して開けてはならないと言いつけて、浦嶋子うらのしまこ に玉匣を渡す。ところが、浦嶋子うらのしまこ の帰った故郷は、「とある国」に行く前とは様変わりし、知っている人は誰もいなくなっていた。村の人に話を聞くと、なんと三百年以上の時が経っていた……とまあ、話の筋は童話の浦島太郎と概ね同じである。

 ただし、浦嶋子うらのしまこ が三百年の月日を過ごした「とある国」とは、竜宮城とはされていない。『神仙の堺』『蓬山』等のいくつかの呼び名があるが、その中のひとつとして『常世』という呼び方が記されている。

 常世――つまり永遠の世界。

 月の世界も竜宮城も古事記や日本書紀には存在しないが、『常世』あるいは『常世の国』という名は他にも幾度となく登場する。古事記や日本書紀では、十一代垂仁天皇が家臣の田道間守たじまもりに、常世の国に渡って不老不死の効用があると噂される妙薬を取ってくるように命じたと記されている。また、日本書紀の記述では、浦嶋子うらのしまこが海を渡った先には、不老不死の仙人がいたと記されている。浦嶋子うらのしまこが渡った常世の国の様々な要素は、あまりに月の世界の特徴と似通いすぎている。こうして竹取物語の月の世界と浦島太郎の物語はひとつにつながる。


 そして、ここで遂に本シリーズの主人公月読命つくよみのみことの名が明確に登場する伝承につながってくる。古事記や日本書紀、風土記の神話には一切記されていないが、実は月読命つくよみのみこと浦嶋子うらのしまこには決定的な繋がりが存在する。浦嶋子うらのしまこの故郷にあり、彼を祭神として祀る兵庫県与謝郡の浦島神社うらしまじんじゃには、なんと浦嶋子うらのしまこ月読命つくよみのみことの子孫だという伝承が遺されているのだ。日本各地の神社には、このように古事記や日本書紀から漏れた伝承が数多く存在している。


 次回は浦嶋子について、もう少し掘り下げてみよう。

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