み空 行く、月読壮士 、夕 さらず、目には見れども、寄るよしもなし天空を駆ける
月読命 よ、夜空にも消えることなく姿は目に見えるというのに、近づく手立てはない。(万葉集)
結局、古事記や日本書紀に加えて風土記まで参照したのに、神話における
ただし、神の本質は必ずしも神話での活躍にあるのではない。月神シンの祭祀は王権が司り、それが王朝の権威の象徴であった。これは紛れもない事実である。だからこそ、アッカド王朝における月神の地位は盤石なのだ。古事記や日本書紀においても神話の時代の後とされている人間の歴史の時代に、
さて、日本文化において月の存在感がないかと言えば、これは否である。古事記や日本書紀から少し遅れて編纂された万葉集に掲載された月の歌は、なんと200首以上。その中には、今回の記事の冒頭に引用した歌のように、月のことを月読と呼ぶ歌もいくつか存在する。万葉集の歌における
歌だけではない。日本では古来から月にまつわるおとぎ話も編んできた。その中でも代表的なものとえば有名なものといえば、やはり『竹取物語』である。これは日本に現存する最古の仮名物語とも言われている。
その内容は概ね次の通りである。
竹取物語のヒロインとなるかぐや姫は、竹の中から生まれる。それを見つけた讃岐造という竹取のおじいさんに拾われ、おばあさんとともに育てられると、麗しい美女に成長した。ゆえに縁談は絶えなかったが、かぐや姫はそれらをすべて断る。遂には時の天皇までもが求婚したが、それさえもかぐや姫は拒絶した。そんなかぐや姫は、月夜にひっそりと夜空を眺めて泣くことがあった。それを心配したおじいさんがかぐや姫に問いただすと、実はかぐや姫は月の世界の住人で、前世からの因縁で罰を受け、この地上に落とされたのだという。かぐや姫は、じきに月から迎えられ、そこに帰らねばならないのだと打ち明け、おじいさんやおばあさんと過ごした日々を想ってまた涙を流した。
さて、ここでかぐや姫は、月の世界の住人の特徴について語っている。誰もが見目麗しい美男美女で、歳を取ることがないのだ、と。悩みも持たず、まさに俗世に穢れた地上世界とは隔絶した理想の世界の住人である。
かぐや姫は、そのような美しい世界であってもおじいさんとの生活を惜しみ、帰りたくないと言う。竹取のおじいさんは、なんとしてでも月人にかぐや姫をわたしてなるものかと発奮し、天皇の軍隊を呼び寄せ、自らも武装し、月人の迎えを追い返してやろうと画策する。ところが、天空を駆ける牛車に乗った月人が現れると、天皇の軍勢も竹取の翁もあっけにとられて戦いにすらならなかった。矢を飛ばす者がいても、明後日の方向に飛んでしまう。
ここで月人の王はおじいさんの名を呼びながら、その方をにらみつけ、このように言った。
「お前だよ、クソガキ(汝、幼き人)。ちょっとは善行があったということで、お前のためにと思い、少しの間(かた時)ということでかぐや姫を地上に降ろしてやったというのに、ずいぶんの時間とずいぶんの黄金をよこされたと、すっかり別人のようになってしまったな。」
そこで竹取のおじいさんは、「かぐや姫を養ってからもう二十年が経ちます。それを『少し間(かた時)』などとおっしゃられては、もうわけがわかりません。」と言い、月人の言うかぐや姫とは別人だと主張した。
その後、結局かぐや姫は月人に迎えられることになり、月の羽衣を着せられて帰ることになる。羽衣は人を悩みから解き放つ力があり、かぐや姫もこれを身にまとえば、すっかりおじいさんとおばあさんとの未練を断ち切ってしまうことになる。だから、かぐや姫は感傷を残しているうちにということで、羽衣を着る前に、おじいさんとおばあさんには一首の歌を贈り、天皇には不老不死の仙薬を贈った。こうして羽衣を着たかぐや姫は月に帰った。
後日、おじいさんとおばあさんは心労に倒れ、かぐや姫の歌を聞いても心は癒されることなく病に伏した。天皇はかぐや姫のない現世に未練はないとして、不老不死の仙薬を富士山の火口に捨て去った。
これが竹取物語のあらましである。
さて、
もうひとつは美男美女しかいないということである。これが万葉集における
しかし、それよりも注目したい点は、月人の時間感覚が地上の人とは違うことである。月人の王が20年という歳月を「かた時」と呼んだことを、おじいさんは訝しがった。これが月人の不老という性質に由来しているのかはわからないが、おそらく月の世界とは、地上の人から見れば、茫漠な時間を有する世界、月の世界とは、永遠の世界なのかもしれない。時間という要素も、暦と時間を司る月神のイメージを喚起させる。
さて、ここで「月の世界」から「月」という概念を敢えて引き離してみよう。数十年の歳月を「かた時」と呼ぶような永遠の世界。このような世界は他のおとぎ話にも登場しなかっただろうか。
そう、浦島太郎である。それは古来から日本で語り継がれてきた物語。数十年をも「かた時」としてしまうような永遠の世界の物語。浦島太郎は海中深くの竜宮城に行き、そこで三百年の時を過ごしたことにも気づかなかったキャラクターだ。実は竹取物語以上に、この浦島太郎の物語こそが
はるか海の中の竜宮城と、はるか天上の月。相反するようなふたつであるが、実は強いつながりが存在している。海には満潮と干潮がある。これは月の引力が引き起こす現象なのだ。月の軌道上で変化する地球との距離によって、潮の満ち引きは引き起こされる。古代の人が引力について知っていたかはともかく、月の動きと潮の満ち引きとに関係があることは、日本をはじめ海に囲まれた地域の人々は知っていた。月は海を支配する存在だとも考えうるわけである。
ここで海の支配者ともされる
浦島太郎は、ただのおとぎ話ではない。歴史上の人物のモデルが存在している。その名を
丹後国風土記での
ただし、
常世――つまり永遠の世界。
月の世界も竜宮城も古事記や日本書紀には存在しないが、『常世』あるいは『常世の国』という名は他にも幾度となく登場する。古事記や日本書紀では、十一代垂仁天皇が家臣の
そして、ここで遂に本シリーズの主人公
次回は浦嶋子について、もう少し掘り下げてみよう。
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