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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

月読は常世の国の王となる③ 影の薄い月読命


 古事記の神話には、月読命つくよみのみこと の事跡がほぼ記されていない。つまり、日本神話における最も正統な神話のひとつにおいて、ほぼ完全に無視された存在だということになる。

 では、もう一方の日本書紀の神代紀ではどうか。こちらには、僅かながらも月読命つくよみのみこと の行いが記されている。ところが、その内容は古事記における須佐之男命すさのをのみこと のエピソードとほとんど同じものなのである。

 古事記では、天界を追放されて地上の新羅の国に落された須佐之男命すさのをのみこと は空腹に耐えかね、現地の大気都比売神おおげつひめのかみ という穀物神に食べ物をねだる。そこで大気都比売神おおげつひめのかみ は自らの尻などから穀物を排出して須佐之男命すさのをのみこと にごちそうをふるまおうとした。これを侮辱だと感じた須佐之男命すさのをのみこと は怒り狂い、その場で大気都比売神おおげつひめのかみ を斬り殺してしまう。

 これは農作の肥料に糞尿を用いる慣習を持つ民族と持たないそれとの文化的な衝突の戯画化したものだという説や、あるいは農耕の実態を知らなかった追放貴族と農民との間において起こった事件を描いたものだとする説がある。とはいえ、これが何を表現したものかの考察は置いておこう。

 古事記では、その後に須佐之男命すさのをのみこと は日本列島に渡って出雲の王となったわけであるが、このエピソードは日本書紀では端折られ、天界を追されて放からすぐに出雲に向かっている。そして、なぜか月読命つくよみのみこと のエピソードとして似た話が挿入されているのだ。

 日本書紀では、このように記される。神話の時代、天照大御神あまてらすのおおみかみ から命じられて地上にいる保食神うけもちのかみ を訪問する月読命つくよみのみこと であったが、そこで保食神うけもちのかみ は口や尻などから食べ物を出して月読命つくよみのみこと をもてなそうとした。そこで先の須佐之男命すさのをのみこと と同様に月読命つくよみのみこと は怒り狂って、保食神うけもちのかみ を斬り殺した。こうして月読命つくよみのみこと 天照大御神あまてらすのおおみかみ の怒りを買い、二度と会いたくないと絶縁を宣言されたことから、昼と夜とが分かれたという神話である。

 なぜ須佐之男命すさのをのみこと のエピソードが月読命つくよみのみこと のものになっているのか。その検討は後にするとして、ここで言えることはひとつ、月読命つくよみのみこと のオリジナルのエピソードは、古事記と日本書紀の神話に、ほぼ存在しないということだ。

 ところで、古事記と日本書紀は、時にプロパガンダの書と評価される。ヤマト朝廷が自らの権威を正当化するために歴史を造作した書である、と。これはある程度その通りであろう。とはいえ、他に体系的な書物がこれ以前に現存していないのだ。当時の史料であるというだけで、大きな価値がある。

 ただし、古事記と日本書紀に非常に近い時期に編纂された書物が他にも存在する。それが『風土記』である。こちらは王朝の勅命によって各地の伝承を集めたものであり、日本における各国の名を冠する書籍が別々に刊行されている。王朝の目を免れたとは言えないが、それでも古事記や日本書紀には記載されていないエピソードや、中にはまったく矛盾する内容も含まれており、非常に重要な史料である。

 たとえば、天日槍あめのひぼこ という神は、古事記や日本書紀では新羅の王子として登場するが、一般人に無実の罪をかけて宝玉を恐喝し、その宝玉から生まれた女神と結婚するものの、その女神にドメスティックバイオレンスを行なって日本列島まで逃げられ、それを追いかけて日本列島に渡り、結局その女神を引き戻すことができずに日本に留まったというナサケナイ小悪党のように描かれる。ところが播磨国の伝承を記した播磨国風土記では、一万人近い軍勢を率いて朝鮮半島から渡来し、大国主おおくにぬし を圧倒して領土を割譲させる強大な神として描かれている。しかも、渡来した当初に大国主おおくにぬし から海上での待機を命じられた際は、自らの剣で海をかき混ぜ、そこを島にして滞留したという。その場所は、伊邪那岐尊いざなぎのみこと が最初に日本を創造した淡路島に程近い。このようなエピソードは古事記や日本書紀にはまったく描かれていない。

 このエピソードからは、天日槍あめのひぼこ は実は朝鮮から軍勢を率いて渡来し、当時の日本では珍しかった鉄の剣や槍で武装した侵略者だったのではないか? もしや伊邪那岐尊いざなぎのみこと の正体は天日槍あめのひぼこ だったのではないか? といった想像を掻き立てられる。古事記や日本書紀にない神々の姿が、そこには描かれているのだ。


 このように重大な手がかりとなりうる『風土記』のうち、なんと『出雲国風土記』と『山背国風土記』のふたつには、月読命つくよみのみこと が登場するのだ。早速そちらを確認してみよう。

 まず出雲国風土記では、都久豆美命つくつみのみこと という名で月読命つくよみのみこと が登場する。

 ところが、ここでも「都久豆美命つくつみのみこと は、伊差奈枳命いざなぎのみこと の子であり、千酌ちくみ (島根県の千酌浦)で生まれ、かつてはその地が都久豆美つくつみ と呼ばれていた」という地名の由来の記録のみで、何をしたかはまったく描かれていない。伊差奈枳命いざなぎのみこと とは、古事記や日本書紀に記される伊邪那岐命いざなぎのみこと のことだと思われるので、これも新たな情報というわけではない。出身地が記されていることはひとつの貴重な情報ではあるが、そもそも自身の行動がわからない月読命つくよみのみこと の出身地だけがわかっても、それだけではどのような神であるかを探ることはできない。ちなみに、古事記と日本書紀の月読命つくよみのみこと は、淡路島か九州で生れている。

 もうひとつ『山背国風土記』にも月読命つくよみのみこと は登場する。天照大御神の命を受けた月読命つくよみのみこと が、地上に降りて保食神うけもちのかみ を訪れた。その途中、この地に湯津桂の樹が生えていたので、それを自らの形代として寄り付くことにした。こうして、その地の名は桂の里となったのだという。前半部の経緯は、ほぼ日本書紀と同じであるが、後半にオリジナルのエピソードが存在する。これまでと比較すれば、月読命つくよみのみこと の明確な行動の記録ではあるものの、これだけ読んで何かわかるような逸話ではない。

 このように、風土記を参照しても、古事記や日本書紀の記述にちょっとばかりの色をつける程度のものであり、やはり月読命つくよみのみこと の人物像はわからず、かえって影の薄さが示されるばかりの、なんとも寂しい結果である。

 一応、保食神うけもちのかみ との関係は、必ずしも古事記の須佐之男命すさのをのみこと のエピソードから日本書紀にコピーしただけの内容ではないと推測できることや、出身地の記録などは、考察する上で材料になるかもしれない。断片的な寂しい情報でしかないわけだけれども……このように、古事記以外の当時の文献の中にも、月読命つくよみのみことの記録は、あまりに少ないのだ。

 なぜ、ここまで月読命つくよみのみこと の影は薄いのか。月神は日神と対を為す存在のはずである。それなのに、神話の二大主人公が日神の天照大御神あまてらすのおおみかみ と地上あるいは海の神とされる須佐之男命すさのをのみこと だけが対を為す存在として描かれている。こうなってくると、かえって不思議なのは、この両者と肩を並べる月読命つくよみのみこと は、何もしていないのに確かに存在はしていることだ。

 存在する。それも巨大な存在として。それならば、何の痕跡も残っていないことがあるだろうか。確かに古事記や日本書紀、風土記といったヤマト王朝欽定の史書にはほとんど記録がないかもしれない。しかし、世界は広い。小さな王朝に整えられた史料だけが材料ではないはずである。もっと視野を大きくして、各地の神社などの古伝、発掘された遺跡や物品などの史料、古くから存在するおとぎ話、更には海外の史書。こうしたものからヒントを得ることはできるのではないか。

 もちろん、神社などの古伝は、古事記や日本書紀ほど体系的ではないし、遺跡や物品は言うに及ばず、おとぎ話に至っては最初からフィクションである。海外の史書は日本の神のこと記すことが目的で編纂されたものではない。しかしながら、それらの断片を継ぎ合わせ、重ね合わせれば、月読命つくよみのみこと の姿を描き出すことができるかもしれない。

 そして何より重要なのは、妄想である。

 たとえば、月読命つくよみのみこと という名だけをじっと見つめていても、妄想は浮かび上がってくる。「月を読む」つまり、月から読み取るということだ。何を? 暦を、である。暦とは何か。時間である。古代メソポタミア文明の人々も、古代シュメル人が月を読むことによって暦を定め、だからこそ月神ナンナやシンは、時をつかさどる神であった。ということは、月読命つくよみのみこと の正体は月神シン――なーんてことをいきなり言いだすつもりはない。しかし、古代都市ウルで灌漑を用いた農耕を始めたのは、紀元前2000年より前のことである。人類最古の文明ともいわれるウルの農耕や暦の技術が、信仰とともに徐々に東に進み、形を変えつつ日本に行きついた……なーんてこともあるかもしれない。

 これから長らくかけて私が描こうとするのは、様々な資料から断片的な情報をかき集め、あたかも天上の星々から星座を描き出すように妄想によってつなぎ合わせ、埋め合わせ、その末に現れた常世の国の王としての月読命つくよみのみことである。もちろん、私とてできるだけ資料等に基づいて行間を埋めていくつもりである。とはいえ、ここは学術研究の発表の場でもなんでもない。ここには何ら私の妄想を縛るものはないのだ。珍説、奇説、ご容赦を。

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