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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

月読は常世の国の王となる:幕間 浦島子全訳

 与謝郡の日置里。この里に筒川村がある。ここに住んでいた人夫こそ、日下部首等の先祖である。名は筒川島子という。その容姿はたいへん美しく、他にないほど風流であった。だから彼は水江浦島子と呼ばれるのだ。これはかつての宰であった伊預部馬養連の記録と相違がないので、あらましだけを述べることにしよう。

 長谷の朝倉宮にいらっしゃった天皇(雄略天皇)が統治されていた時代、島子は独り小船に乗って海の真ん中に漕ぎ出して釣りをしていた。三日三晩を経ても一匹の魚さえ釣れなかったのに、不意に五色の亀が釣れた。なんとも不思議なものが釣れたと思って船の上に置き、そのままさっさと寝てしまうと、いきなり亀が女性となった。その容貌は麗しく、他に比べることができないほどである。

 浦嶋子が「ここは人が住むところからはるか遠い海原だというのに、どこから人がいきなりやってきたというのか」と質問すると、その娘は微咲を浮かべて答えた。「風流な殿方様が、独りで蒼い海の真ん中にいるんですもの。お近づきになってお話ししたいと思って我慢できず、風と雲に乗って、ここまで来ちゃいました。」と言った。島子はまた質問した。「風と雲とは、どこから来たのだ。」と言うと、娘は「天の上のある仙人の住む場所です。どうか信じてください。お話しして仲よくなりましょう。」と答えた。そこで島子は、神女であることを理解し、畏敬の念を心に懐いたが、まだ疑う心も残っていた。ところが娘が「ふつつか者ではございますが、私の胸の内をお伝えします。天と地の終焉の時を迎え、太陽と月とが消滅するまで続く、永遠のご縁を結びたいのです。さあさあ、あなた様のお気持ちはいかが? 早く答えてください!」と語りかけてきたので、島子も「もはや言葉などいりません。私だって、あなたを愛する気持ちはずっと変わりませんよ。」と答えた。すると娘は言った。「ねえ、あなた。オールを漕いでちょうだい。蓬山に行きましょう。」島子は言葉通りに船を漕ごうとしたが、娘は島子を眠らせた。

 意識を失っている間に、いつの間にか海の中の大きな島にたどり着いていた。その地面はまるで宝玉が敷き詰められたように美しく、闕台は太陽の光を受け、楼堂は光り輝いていた。見たことも聞いたこともない場所である。二人は手を結んでゆっくりと歩きだし、大きな門を構えた家の前までたどり着いた。娘は「あなた、ちょっとここで待ってて。」と言って、門を開いて中に入っていった。すると七人の子供が来て、「この人が亀姫の夫かぁ。」と口々に言い合った。今度は八人の子供が来て、またもや「この人が亀姫の夫かぁ。」と口々に言い合った。その時はじめて、娘の名が『亀姫』だと知った。そこで娘が出で来ると、島子は先ほどの子供たちのことを告げた。娘は「その七人の子供は昴星(プレアデス星団)、その八人の子供は畢星(ヒアデス星団)。あなた、そんなの当たり前じゃないの。」と言って、そのまま島子より前を歩いて手を引っ張り、家の中に入った。

 娘の父母はともに大歓迎、拱手して丁寧にあいさつをした。そして人間界と仙界の違いを説明し、人と神とが偶然にも巡り合えた奇跡の喜びを熱く語った。そこで百品のおいしい料理を薦め、兄弟姉妹等が杯を挙げて酒を杯に注ぎ合い、隣の里の幼女たちも晴れ晴れとした顔で一緒に遊んだ。仙人の歌は声が透き通り、神の舞は妖艶で、その歓宴は、すべてが人間界の一万倍以上のものであった。そこで日が暮れたことにも気づかなかったが、夕暮れ時になると仙人たちは少しずつその場から退席し、ついに娘と島子だけがその場に残された。肩を並べ、袖を手に取り合い、夫婦の理を成した。こうして島子が故郷を離れて仙都で遊ぶこと、既に三歳が経った。

 そこで急に故郷を懐かしむ気持ちが沸き上がり、独り両親のことが恋しくなった。こうして悲しみが頻繁に心に立ち現れるようになり、日に日に悲しい気持ちは増していった。娘が「最近、あなたの顔を見ていると、いつもと何か違うみたい。ねえ、なにかしたいことがあるなら聞かせて。」と質問すると、島子は答えた。「孔子の言う「小人物は故郷を懐かしむ」とか、礼記にある「死にゆく狐は故郷の丘に首を向ける」とかいった言葉は、僕は嘘だと思っていた。だけど今はこれが本当なのだと思う。」娘が「故郷に帰りたいってこと?」と問うと、島子は「僕は親族や故郷を離れて、遠い神仙の世界に入った。恋焦がれる気持ちに堪えられない。だから軽々しくも自分の気持ちを口にしてしまった。どうかしばらくの間、故郷に帰って両親の顔を見させてほしい。」と言った。娘は涙をぬぐいながら嘆いた。「意志は鉄や石のように固く、一緒に永遠を共にしようと約束したのに、なぜ故郷に恋い焦がれて、永遠を一瞬のうちに捨てようと言うのですか!」その後、互いに手をつなぎながら、あたりを散歩し、一緒に話をしながら、声を上げて泣いた。ついに袂を別って岐路につくことになった。そこで娘の両親や親族も一緒に別れを惜しみながら送り出した。

 娘は玉匣を手に取って、島子に授けて言った。「あなた、最後までふつつか者の私を忘れないで。もし私のことが恋しくなったら、この匣を堅く握って。だけど、これを開かないでほしいの。」と言った。お互いに別れを告げて船に乗ったその時、娘は島子を眠らせた。

 意識を失っている間に島子は故郷の筒川村に着いた。ところが村を眺めてみても、人も物もまったく様変わりしており、何が何だかかわからない。そこで村人に「水の江の浦島子の家族は、今どこにいるのだろうか?」と質問した。村人は答えた。

「お前さんはどこの人かね。ずいぶんと遠い昔の人のことを聞かれるもんだ。俺も聞いたことがある。古老たちが代々口から口に伝えてきたお話だがね、『かつて水の江の浦島子という男がいて、独りで蒼い海の向こうに漕ぎ出したが、それから二度と帰って来なかった』……ってな。今から三百年以上も前のことだぞ。なぜ唐突にそんなことを聞くのかね。」

 こうして茫然自失としたまま虚ろな気持ちで村を回り歩いたが、一人の親族とも会うことはできないまま、十日が過ぎてしまった。そこで玉匣を撫で、神女のことを思いだして感傷に耽った。ところが島子は、かつての約束を忘れ、おもむろに玉匣を開いてしまうと、そのまま瞬く間に『芳蘭の体』は、風と雲とに乗って蒼天の彼方に飛び去った。

 そこで島子は、約束を破ったから、もう二度と神女の元に帰れないのだと理解し、首を落として立ちつくし、涙に咽びながら歩くことしかできなかった。しばらくして涙を拭い、歌った。

「永遠の世界(常世)の岸辺に向けて雲が流れる。水の江の浦島子の言葉を届けるために。」

 神女は、遥か遠くから美しい声を飛ばして歌った。

「小さな国(倭)に向けて風が吹き上げ、雲は二つに別れてしまった。あなたが去った後も、私は忘れない。」

 島子はまた恋焦がれる心に堪えず、歌った。

「あなたに恋い焦がれて夜を過ごし、朝日の光と共に戸を開けると、永遠の世界(常世)の浜の波の音が聞こえてくる。」


 浦嶋子の説話は、シリーズ『月読は常世の国の王となる』の重要な鍵となる説話なので、これから何度も引用することが予測されるため、先に全訳して独立した記事として掲載することにした。古文の翻訳は不慣れなので、漢文よりもさらに拙いと思うがご容赦を。それと意訳が多い。

 浦島太郎とは、奇妙な物語である。助けた亀に連れられて竜宮城に行き、美しいお姫様と結婚し、そこで楽しい宴が開かれ、浦島太郎はもてなされる……ここまでの話の構造は、「傘子地蔵」等に代表される報恩説話と呼ばれる類型に近い。よいことをすればよい報いがあるという、世界的によく見られる物語の様式であるが、日本の場合は特に仏教の因果応報の思想に基づいて説明される。

 ところが、なぜか最後に浦島太郎は帰る故郷を失い、老母とも会うことはできず、孤独に陥ってしまう。しかも、お姫様から「開いてはならぬ」と警告されつつ手渡された玉手箱を開いてしまうと、自らも若々しい身体を失って老化してしまう。善人の浦島太郎が、なぜこのようなひどい目に合わないといけないのか。まことに理不尽であるし、なんらかの教育的価値を有する寓話にも思えない。報恩説話の中には「鶴の恩返し」のように、何らかの存在を助けた善良な人が、恩返しに来たその存在との約束を破ってしまい、その悪因によって善因の報いを失ってしまうという話も存在し、浦島太郎が瑞々しい若い肉体を失ってしまった原因は、確かに姫との約束を破ってしまったことにある。しかし、故郷も老母も喪った浦島太郎の孤独は、どうしようもなく浦島太郎に降りかかった災厄である。

 その疑問は、原作となる浦島子の説話を確認すれば氷解する。浦島子はいじめられた亀を助けたのではない。釣りをしていると五色の奇妙な亀を釣り上げてしまい、それを船の上に置いていただけで、特に善行があったことが作中には記されていない。もともと浦島子の物語は報恩説話ではなく、異界の存在との邂逅を描いた悲劇の物語なのだ。話の類型としては、『竹取物語』に近い。

 奈良時代から平安時代頃にかけて記された浦島子の説話が報恩説話の形式に改変され、「浦島太郎」の物語となったわけである。現存する浦島太郎物語の初出は、鎌倉時代末期以降に編纂された御伽草子集に収録されたもので、風土記からは500年の隔たりがある。


 せっかくの幕間なので、ここで少し浦島子の説話についていくつかの補足を述べておこう。

 現代の絵本などの浦島太郎は、おおよそ亀と乙姫は別キャラクターであるが、浦島子の説話では姫は亀が変化した姿である。名前も亀姫である。これは鎌倉以降の古い御伽草子でも同様で、明治時代以降に明確な変化があったのを確認している。

 また、御伽草子の浦島太郎物語では、この結末は報恩説話としてはあんまりだと思われたからだろうか。玉手箱を開けた浦島太郎は、おじいさんになった後で鶴になって飛び立ち、はるか仙界の亀と結婚し、鶴は千年、亀は万年というわけで、末長く幸せに暮らしたという。ハッピーエンドといえばハッピーエンドだけど、やや強引というか、不条理な話ではある。(私はなぜか感動したんだけど。)

 ちなみに、一般に浦島太郎は釣りをして生計を立てていたとされるが、今回の丹後国風土記では明示されていない。しかし、三日三晩を船で過ごす遠洋漁業をしているあたり、こちらも内容が省かれているだけで、漁師だったと理解してよいはずである。

 ところで、浦島太郎物語では、玉手箱を開けた浦島太郎はおじいさんになってしまうが、文中では『芳蘭の体』が飛んだ、と原文の表現を『』内に残して訳した。この『芳蘭の体』という部分は、解釈が分かれる。芳蘭は芳しい香りの蘭の花であるので、直訳的なものだと「箱の中から芳しい香りが立ち上った」とも解釈され、あるいはこれは箱に宿る霊的な本質が失われたという表現だとか、かつての思い出が遠く離れてしまったことのメタファーだとか、さまざまに解釈されて謎の多い語だとして議論がある。浦島太郎物語で浦島太郎がおじいさんとなるのは、『芳蘭の体』を若い頃の麗しい身体として解釈してのことであろう。

 この説話は、異世界や神異との邂逅と別れを描き、しかも舞台が「えいえんのせかい」である等、あるいは情感や行間、雰囲気や理外の理に至るまでのさまざまな要素から、これを私は所謂『ゼロ年代エロゲ』と呼ばれる類型の祖先ともいうべきものだと感じているが、どうやら浦島子の説話は『リトルバスターズ!』のように全年齢版からエロゲ化された作品のようで、後の平安時代にアレンジされた『続浦島子伝』では、風土記版で仄めかされる程度の淡い描写であった浦島子と亀姫のセックスシーンに詳細な体位にまつわる描写がこれでもかと盛り込まれている。これは内容からして道教の陰陽思想に基づく表現ではあろうが、個人的には『kanon』のまこぴーのエロくらい情感を損なう存在だったので、最初にその部分を読んだ時は高速スキップした。

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