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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

北守がパクツイをしているが本質がまったく切り捨てられており、まさに『仏作って魂入れず』である。


 パクツイは別に構わない。私はパクリしかしてないし、私も北守のパクリもしている。真理はそこにあるものなのだから、それを異なる口から述べたとしても、そんなものはパクリもクソもない。しかし、この北守のツイートは私かShin hori("多様性はその結果として生じる"言い回しからして、おそらくはShin horiの方)の言っていることのガワだけパクったものであり、本質がまったく捨象されているから問題なのである。『仏作って魂入れず』とはこのことだ。私もShin horiも多様性を必ずしも正しいものとも美しいものとも思っていない。

 北守のツイートは前半のネトウヨへの嫌味と後半の人権多様性うんぬんの話が消化不良を起こしてる。なぜここで、「さぞ多様性が不快なんだろうなあ」という嫌味が出てくるのか。こんな嫌味は私やShin horiは言わない。私もShin horiも、論旨は「多様性を目的とすることなかれ」である。日本にいる朝鮮人や中国人、インド人などは多様性のために日本で生活しているわけではない。それらの人が差別を受けてはならないのは、平等に反するからだ。これは人権の問題である。

 学校で服装の自由を主張するのは「自由」のためであれば、学校で服装を制定するべきだと主張するのは「平等」のためである。何れも人権を重視するがゆえに主張をしており、人権同士が矛盾した際は権利の衝突をいかに調整するか、このように、あらかじめ衝突を織り込んでいることこそが人権の肝要である。そして、服装の自由が担保された「結果」として「多様性が生じる(かもしれない)」のであって、そんなものは目的にしていないし、結果として登場することが必ずしも麗しきことでもない。
 制服の制定と服装の自由、何れが正しいかは置くとして、『多様性』などと言うくだらない話なんか、ここでは誰もしていない。ここでの主題はあくまで各々が自らの権利を主張し、人権の上で衝突をしているだけだから「多様性」なるもので社会を美しく彩ろうなどという他人を操作する気色悪い考えは誰もしていない。結局、ネトウヨもリベサヨも対立しているようで反人権主義、全体主義という一点で完全に軌を一にしてる。
 そうやって考えて見たら、ぐおの言っていることも一理あるとしか言いようがない。様々な信仰を持った人々が近所に引っ越してきて全員が勧誘活動を自分に対して行った場合、その人が精神的につらい思いをするのは確かだろう? だから排除していい、という話ではなく、その場合、たとえば宗教の勧誘に関して方法や程度に制限を設けるべきか、それは信仰の自由の侵害にならないか、解決に法律によるかそれ以外の方法を試みるか、そもそも社会におけるマジョリティな宗教が生み出す抑圧の存在などなど、ここは議論のスタートラインになりえる。オタクの絵に関しても同様のことが言えるだろう。




 その通り。Shin horiのツイートはまったく筋が通っている。ネオナチが障害者やホームレス、重病患者や同性愛者、ロマ、ユダヤ人の皆殺しを教義としたナチス教を開いたらリベサヨは信教の自由だとして教義の遂行まで擁護するんだろうな。ヒットラーをノーベル平和賞候補にノミネートしたのはリベサヨ。
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コメント

1. 無題

全然関係ないんですが、借金の玉氏が、rei氏のツイートがパクツイだ、そんな奴の本をだすのかと騒いでおりました。全然関係ないんでアレですが。

2. Re: タイトルなし

 借金玉さんの予想以上に予想通りの反応で、確認する気も起きない……。いつまでやってるんだか。

 reiさんの本の表紙を見る限り、「二匹目のどじょう」を狙おうとしているという出版社側の魂胆は丸見えだと感じられますが、同じ角川からそれが出ていることに、あからさまなものを感じて、なんだかなあ感はあります。でもまあ、当人の身から出た錆のような。
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