忍者ブログ

塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

仏教のことはよく知らないけど、カジュアルに流行している葬式仏教バッシングがどうにも解せない。
 言うまでもなく仏教は邪教だし、私はよく「仏教 邪教」でネット検索をかけているのだけど、たいてい「葬式仏教は邪教だ」といった発言ばかりがヒットする。曰く、「ブッダは葬儀を否定した」だの「日本仏教は歪められた邪教」だの……仏教なんて歪もうが歪むまいが邪教である。曲がろうがひねろうが、とぐろを巻こうがクソはクソだろう。
 もちろん、私は邪教など知ったこっちゃないので、仏教には詳しくない。ゆえに、その「正しい仏教」なるものが本当に正しいかどうかなど、それ自体は判断しかねる。「葬式仏教」と呼ばれている宗派の側からも、仏教が葬式を挙げることの正当性を仏典などを用いて主張していたりする。私にはなにも判断できない。

 しかし、それらを傍観していて思う。どうしてそんなに皆さん仏教原理主義者になりたがるのだろうね、ホント。「本来の仏教」「真の仏教」なんて、よほど信心深くないと気にならないものだと思うのだけど。君たち、そんなに信心深いの? なんでそんなに葬式を否定して『真の仏教』なるものを志すのか。本気で志しているのか。

 葬式のない仏教というものを想像してみよう。勝手にハゲども集まって、断食をしたり、坐禅を組んだりしているだけなのに、なぜか偉そうにふんぞり返り、挙句の果てに、食肉業者を指してはケガレだ、ケガレだと差別し、女性を指してはケガレだ、ケガレだ、と蔑視する。おおよそ、想像する限り最悪の存在でしかない。断食だの坐禅だの、そんなの他人からしたらただの趣味だろ……。勝手にやってろ。それと差別やめろ。
 葬式仏教は葬式をするだけ、まだちゃんと仕事をしている。葬儀は社会的に重大な儀礼である。それをしなくなったら、仏教などただの断食クソ差別ハゲの集まりじゃないか。どうしてあの差別主義者の断食クソハゲどもが、葬式をしなくなったらまともな存在として受け入れられるのか。むしろ、今どき葬式やっている宗派の方が差別しなくなってきている、少なくとも、その宗派に所属する坊主が差別発言をしたら問題になる程度にはなっているだろ? まだマシじゃん。
 そういうところの坊主は、酒を飲んでる人も逆に多いし、それが仏教に反しているというバッシングも葬式仏教バッシングとセットで出てくるけど、そんなもん勝手に飲ませてろ。葬式ハゲが酒飲んでいようと飲んでいまいと、お前に何の関係があるんだ。お前らはいつから仏教原理主義者になったの? 世界のすべての人々に対して、仏教の原理主義化を推し進めるとか、そういう教義がお前の仏教にあるの? ああいうバッシングをしている連中に、どこまで宗教的信念があるのか。

 その宗教を本気で信じていないなら、ハゲが何やっていようとどうでもいいはずである。断食も坐禅も飲酒も、何でも好きにすればいい。お前はマニ教の司祭がきゅうり食べているかどうかをいちいち気にするか? ヒンドゥー教の司祭が牛をバクバク食べていても、「そんなことしていいの!?」とは思うけど、そこまでだろ。

 葬式仏教批判がカジュアルに流行した理由はわかるんだよ。そりゃ寺の僧侶に対しては「坊主丸儲け」ってイメージがあるし、実際葬儀代は高い。坊主なんてそんな立派な人ばかりでないのはわかりきっているし、オマケに今どき輪廻転生だのといった宗教を本気で信じる気にならないという気持ちもわかる。
 しかし、それなら「葬儀でそんな金をとるな!」「葬儀代が高すぎる!」とだけ言っていればいいと思うし、仏教が信じられないなら「宗教を押し付けるな!」とか言ってればいいだろう。なんでそこで、「真の仏教とはッ」「原始仏典にはこのように書かれておるッ」とか、原理主義者にいきなり転じるのか。結局、自分の感情や要求をそのまま表に出して闘うほどの知恵も勇気もないから、原始仏教の権威の笠を着て、あたかも自分にこそ正統性があるかのように粉飾するんだろうね。本当に小市民根性としか言いようがない。プチブルどもが。昨日まで「宗教なんてインチキ」と言っていた連中が、葬式仏教バッシングとなれば突然宗教原理主義になるんだから、めちゃくちゃである。やはり階級の存在を隠蔽する仏教は邪教である。

 「葬式仏教、是か非か!」と仏教の教義から検討する言説はよく見るけど、どっちかっていうと、「葬式仏教批判がなぜ流行しているのか」と「葬式仏教批判をすることで、その延長線上に何があるか」という話を大事にしたいと思う。だって、お前ら仏教とかどうでもいいと思っているだろ、正直……。いつの間にか、そういう連中が「我こそは真の仏教!」みたいな連中に踊らされて、よくわからん宗派を持ち上げるようになってたりするし、「仏教は科学です!」とか宣伝している連中にはコロッといってるじゃん。仏教が科学なら、科学だけでいいだろ。「仏教の瞑想に医学的な効果があると科学的に証明された」と「仏教は科学」はまったく違うし、「仏教は科学」なんて仏教は科学に敗北したと宣言するに等しい。アホなの?
 こういう視点の分析は、難しい専門知識がなくても世間を知っていればできることなのに、なんでみんな玄人もどきになろうとするのかね?
PR

コメント

1. 無題

>昨日まで「宗教なんてインチキ」と言っていた連中が、葬式仏教バッシングとなれば突然宗教原理主義になるんだから、めちゃくちゃである。

これ新宗教批判にもあって、昨日まで「宗教なんてインチキ」と言っていた連中が、新宗教バッシングとなれば突然、伝統宗教原理主義(というより伝統宗教に大して関心もないのにそういう時だけ棍棒として用いる)になるのはよく見るんですよね。機会主義的だなあと思います

2. Re: タイトルなし

 まあ、私も機会主義者だと言われてしゃーない人間なので、それは置くとして。明日には「仏教のありがたい教えが衆生を救済する」とか言ってるかもしれませんし。

 この件に関して、岸本さんのおっしゃることにはもとより否定することはないのですが、それについては思うところがありまして。
 その伝統宗教と新興宗教の差異ですが、世間と一種の共犯関係になっている側面があるようにも感じられて、なかなか難しいなあと思います。というのも、ISISのテロ事件でイスラム教当事者が「あれはイスラム教ではない」と批判していたのなんて、外部からは判断できませんし、ISISと一緒にされてはたまったものではない、という感情を持つのは当然でしょう。しかし、どこかこういった声に感応して、イスラモフォビアを批判する人のよって立つところって、こうした「伝統主義」なんじゃないかなー、と思ったりもします。
 こういった問題について、呉智英氏がオウムについて語った際のことを思い出したり。

 あれ? おかしいな……「あー、確かにそういうのもありますね」といった返信をする予定だったのに、なんか反論みたいになってしまいましたが、別に否定意見でも何でもないです。
コメントを書く