忍者ブログ

塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

【論語私箋】普遍主義と差異主義の狭間で
子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也。

子曰く、夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かざるなり。


論語の章句には時に、両立しないまったく逆の解釈をされるものがある。
別ではなく、逆であり、それで両立しないような説を立てられては、我々素人としてはいかんともすることができない。
この章句も、最も権威ある註釈である古註と新註で、両立しない逆の解釈をしている。

古註では、たとえ蛮族に君主がいようと、君主がいない中華に敵わないと解釈する。
対する新註は、蛮族には君主がいるが、中華には君主がいないことを嘆いた言葉だと解釈している。

「夷狄之有君、不如諸夏之亡也」の訓読は、古註の解釈だと、「夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かざるなり」となり、新註は、「夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如くあらず」である。ここでは、「不如諸夏之亡也」の「不如」の意味がポイントとなる。これは「如かず」か「如くあらず」か。

素人なりに文献批判をしてみよう。
論語での不如の用例は他にもある。
例えば、「子曰、知之者、不如好是者。好之者、不如楽之者は、知好楽」として有名な言葉であるが、これは一般に、「知る者は好む者に及ばず、好む者は楽しむ者に及ばない」と解釈し、知<好<楽の序列を表現する。
古註はこの序列表現、more thanを意味するとして解釈したものである。
また、「子曰、吾嘗終日不食、 終夜不寝、以思無益、不如学也」は、「一般に日中飯も食わず、夜も寝ず、考えることがあったが利益がなかった。学ぶ方がいい」と解釈する。こちらも、考えてばかりいるより、学ぶ方がいい(学ぶに如かず)という序列表現だ。

これらふたつの章句を、新註のように逆に解釈したらどうか。
前者は、知>好>楽となる。無理に解釈すれば、楽しむことより、好むことの方が大事で、知ることが好むことより大事だというのは、他者との共有や享楽より個人の想いが重要で、個人の想いより、その中でも抽象的な知性が重要だ、と。
これはこれで、なにやら含蓄のあるようなないような、なんだか哲学的思弁のような気もしなくもないが、真面目に主張するとしても、なんらかのアンチテーゼであって、何かを逆転させたものとの印象が強いものとなるし、また、知を尊ぶといえども、それより仁を尊ぶ儒学には似つかわしくないように見える。
後者に至っては、日中は何も食べず、夜も寝ず、考え続けたことを「無益」と言ってる。
夷狄之有君、不如諸夏之亡也での新註の解釈に従って、こちらを解釈すれば、無益なものが学ぶことより優れていると解釈することになる。道家者流の無用の用のような逆接でもなければ、このような表現はするはずがない。
このように、「不如」は定型的な構文であり、語義がこれほど乱れる以上、新註の解釈は牽強付会と言わねばならないだろう。
やはり、子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也を素直に解釈すれば、中華は君主がいなくても、君主のいる周辺の蛮族どもより優れていると孔子は言っているのである。おのれ、中華思想め。

さて、近代、第二次世界大戦後においては、古註は自民族中心主義であるとして批判を受け、朱熹の新註、先ほど批判した解釈が尊ばれてきた。
植民地主義、帝国主義の反省を経た世界の国々は、新註のようにこの章句を解釈することで、孔子の思想が現代にも通じる思想であると、戦後の中国文学者たちは主張したのである。
なるほど、批判の内容も、それを受けて中国文学者が新註を尊んだことも、一次的には悪いとは思わない。
確かに、古註は自民族中心主義であり、古陋であると判断できる。対して、新註の解釈であれば、異民族の優れたるところを認める点が進歩的であるとも言えよう。それゆえに、新註を戦後の人々、特に帝国主義を批判する左派が尊んだのも理解できる。

しかし、そこで終わるのは、私には極めて表層的な判断、正誤の解答を求めるだけのお利口な判断に思える。
その"近代的"な価値観から見て孔子を弁護するなら、孔子はレヴィストロースもサイードも知らぬ古代人だから、多元文化主義を理解せず、オリエンタリズムに陥ってるのはしかたない、といったところになるだろうか。古典を読む上では、そういった擁護をすべき局面は、確かに存在する。
しかしながら、それを古代人の古代性、それを退行的としてのみ見ることは、結局、未開の地への偏見となんら変わりないことであると気付かなくてはならない。ある程度、偏見を持つこと自体は当然であったり、やむを得ないものであっても、それらがここで簡単に両立するのは理に合わぬ話である。
むしろ、その"近代的"価値観から着目すべきは、中華の君亡きが異民族の君あるより優れているという、この「君亡き」の部分ではないだろうか。
孔子より少し前の時代、周王朝には空位時代があり、その間は周公と召公が合議することで政治を取り決めてきた。
この時代を共和と謂う。republicの訳語、共和制の名はこれに由来している。
孔子の言わんとするところは、もちろん、自文化中心主義ではあるのだが、ここでの視点が、王より文化に焦点が当たっていることに着目せねばなるまい。
「君主がいないにも関わらず」というニュアンスがあることから、孔子が王制を廃した共和制を説いたとするのは違うだろう。
しかし、文化があれば君主がいなくとも、よりよき社会を保つことができると孔子は考えていたのは間違いない。
対する新註の解釈では、君主がいることが優れてることと完全にイコールで結ばれている。
見方を変えれば、王制をただ是認している新註の方が、よほど前近代的と言えるだろう。

また、孔子より少し後の時代の思想書、列子には、次のような話がある。
越之東有輒木之國、其長子生、則鮮而食之、謂之宜弟。
越の東、輒木之國では、長男が生まれると弟のためとして、新鮮なうちに食べるというのだ。
孔子の生きた時代の異民族とはそういうものである。
列子は儒家批判のために、こういった異民族の風俗を纏め、「此上以為政、下以為俗。而未足為異也」と結論付ける。
上に政策があれば、下に習俗あり。これは異なるとするに足りず、つまり、民衆の生活の容態は違ってても、それはそれで同じ人間の営みと感情がある。ゆえに、華夷秩序によって異民族の風習を蛮習と決めつける儒教は傲慢である、ということだろう。

さて、この人食いの風習をどう思うだろうか。
現在でも、例えば、アフリカの一部ではアルビノを食べる風習などが残っており、それについては様々な議論が為されている。
イスラムとフェミニズムの対立などもそうだろう。
普遍的人権の観点からすれば、人権の啓蒙は自然権である。
ゆえに、暴力を用いてでも、人権をそれらの国に強制することも正当化しうるであろう。
それは中華思想の名の元に儒教を押し付けるのと同様である。
孔子の思想と列子の思想の対立は、今も少しも変わらないまま、現代に横たわっている。

このように考えてみればわかるように、孔子の思想は、結局のところ近代の鏡でしかない。
孔子を自文化中心主義と根源的に批判するのであれば、列子が幼児食いを擁護したように、現在のアフリカでの陰核切除やアルビノを食べる風習を認める立場に立つしかない。
アルビノの子を食べることを擁護するか、それを蛮習として現地を爆撃してでも一掃するか。実際的には、折衷的な立場をとる者が多いだろう(私自身、そうである)。
しかし、それは孔子や孟子も同じである。孔子は異民族の地に足を踏み入れた際は、その地の礼を尋ねるべきだと言ってるし、孟子は戦争での他国への介入は内乱などへの対処における緊急避難であると規定し、その国を制圧した際も、祭事や文化の存廃どについては、現地住民に決定権があるとしている。
この論理はアメリカと中東の問題とまったくの相似形である。

この2500年で、人類は本質的にはまったく進歩していない。
孔子の言葉を安易に否定することで、容易に自らが自文化中心主義を脱し、孔子より優れている誇るのは、それこそ自文化中心主義的な傲慢であると考える次第である。
PR

コメント

コメントを書く