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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

即物的な性衝動(リビドー)に対するアンチテーゼとしての概念「萌え」
 今朝、自転車で信号を待っていると、後ろから制服を着た女子高生が走ってきて落ち着かない様子で立ち止まった。そして、左右を見て自動車が来ないことを確認すると、周囲の人の様子を後ろめたさを帯びたような目で伺い、そのまま信号無視をして横断歩道を渡ってしまった。こんなに申し訳なさそうに走る人を私は初めて見たよ。たぶん、遅刻しそうだったんだろうね。なんかフフってなった。

 私の中で「萌え」と言って真っ先に思い浮かぶのが「ドジっ子萌え」で、次が「メガネっ子萌え」なんだけど、これって性欲に直結したものだろうか。ちょっとそうは思えない。(注1)
 私の場合、この次の第三の萌えとして「貧乳萌え」が思い浮かぶので、これに関しては性的と言えばそうなんだけど、「巨乳萌え」とはほとんど言わない。これは古語の名残である。我々は自らが意識的に用いていると思い込んでいる言葉の中にも、先人の意(こころ)を無意識に内面化しているのである。
 そして、この「貧乳萌えはあっても巨乳萌えはない」とテーゼが、萌えを解き明かす鍵であり、萌えの特徴であり、萌えの限界である。

 萌えオタどもに想像してほしいんだけど、ヤンキーの同級生に「こういうのが萌えなんだろw」とか言われながらおっぱいぼいんぼいんのねーちゃんの水着写真を見せつけられても「殺す」以外の感想が思い浮かぶだろうか。実際、「巨乳萌え」で検索しても、モロなエロ動画ばかりが出てくる。やつらはなにもわかっていない。
 腐女子の皆さま方がドS男萌えなんて言っても、首締めて性行為に及んでる男より、たとえば「相手が好きなのに攻めることでしか関係を持つことができない心理」なんかにこそ、強く「萌え」るんじゃないの。知らんけど。
 騎乗位で汁ぶち撒きながらベロチューしてる状態を「萌え」なんて言わない。そういう様が「萌え」であるなら、そういう形でもっと使われてるはず。

 ここからわかることは、「萌えは性衝動(リビドー)ではない」ということである。むしろ、「巨乳萌え」がなく「貧乳萌え」があることから、リビドーのアンチテーゼとして存在しているのではないかとも思われる。もちろん、リビドーではないにせよ性的なものとまったく無縁であるかと言えばそうとは言えない。「萌え」は例外的な状況を除き、性的な感覚に根差したものとして扱われる。また「ドジっ子萌え」に象徴されるように、「萌え」は欠損と親和性が高く、そのあたりは「かわいい」とよく似ている。先程挙げたドS男子も葛藤や心理的欠損によるものだろう。

 さて、このように即物的な性欲とは違っており、その上で性的なもの、一番近いのは恋愛感情であろう。また、先に挙げたように「かわいい」とも近似するものだと見ることができる。しかし、「萌え」は恋愛感情と重なることもあるが、同一ではないし、「かわいい」には近いが、少なくともそれより限定的である。それについては置いておこう。

 「萌え」という語の定義は非常に難しい。その単語の定義を一度に完全に成し遂げようとは私も思っていない。今回は、外堀を埋めながら、衝動的であからさまな性欲リビドーとの違いについて論じた。ここで「貧乳萌えはあるが、巨乳萌えはない」が鍵となることを提示しておく。

 萌えはリビドーではなく、むしろアンチリビドーである。しかしながら、それゆえに限界もあるのだけど、それについては次回に譲る。とりあえず私が言えるのは、私は貧乳好きだけど、貧乳萌えかと言われると違うんだよ……。ボーイッシュな女性やスレンダーなおねーさんがかなり直接的に性欲に結び付いて好きなだけなので、これはリビドー的な感情だろう。
 それと、おそらくは「巨乳萌え」が成立するとしたら、「巨乳であることにコンプレックスを持ってる女性」「巨乳に無自覚な天然」などにしか当てはまらないこと。このあたりが手がかり。リビドーって癌細胞みたいにどこにでもくっついて育つしねー。そのへんが現状の混乱ともつながってる。
 私自身、昔は明白な「萌えアンチ」だったし、今でも「ウェルカム萌えっ!」というわけではない。萌えと結び付きやすい欠損への庇護心が、すごく家父長的だと感じられるからである。しかし、恋愛でも性欲でもない性的な感覚というのは、少し掘り下げてよい分野だと思う。



 私が最初に見た「萌え」の用法は「さくらたん萌え~」だったし、カードキャプターさくらって女児向けアニメじゃん。(女性作家で女児向けといえども)あの絵から男性的なリビドーを読み取ること自体は可能だとして、それを主体として描かれてる絵とするのは無理がある。90年代後半から00年代初頭、「萌え」という言葉が一般化し始める第一歩で、もっとも萌えの象徴となったカードキャプターさくらが萌えと無縁とするのは、無理があるを通り越して、どうかしている。萌え=性欲だの、萌え=エロというのは、ましてや萌え=エロイラストというのは間違いもいいとこ。
 実際、当時から今までカードキャプターさくらに対して、私は「萌え」ていたとしても、別に恋愛感情もなければ性欲の対象としても見てない。それでも、異性として、女性のキャラクターとしては見ていたのも間違いない。
 あー、書いてて恥ずかしい恥ずかしい。冒頭の遅刻女子高生の話もそうなんだけど、こういう話、なんか恥ずかしい。恋愛の話もエロ話も恥ずかしくないけど、こういう話は恥ずかしい。自分の羞恥ポイントが自分でよくわかった。言いたくもないんだけど、冒頭の女子高生に対しても、性的な欲求や恋愛感情はない。たぶん、妹や娘に対しても、同じような感情を抱いたと思う。「さくらタソとセックスしたいか」と言われると、むしろ「勘弁してくれ……」である。
 こうなってくると、昔はなんか嘘臭いと思ってた「性欲も恋愛感情もなく、芸術的観点も薄いアイドルファンな人」の感覚もわかる。流行した際の萌えという語彙は、アイドルと女児アニメが中心にあった気がするし。女児向け漫画やアニメをみるに、やっぱりアイドルって少女の憧れの存在なんだよねー。
 
 

 ただ、なんというかね、やっぱり「萌え」は時にリビドーに発展しかねないし、性的な概念であることを以上、むしろ絡まりやすいくらいだから、確かにビミョーな話ではあると思ってて、ロリコンとか、そういう「萌えがリビドーに変換された人」がそれなりにいると思う。
 カードキャプターさくらも、萌えオタはすぐに萌えをリビドーに変換して、「さくらたんの経血をご飯にかけて食べたい」などのネタにしてましたけどね。書いてて吐き気がしてきた……。まあ、そのリビドーこそが「萌え」となると、やっぱり違うよねえ。むしろ外れてると思う。

 一応ゆーとくけど、私は萌えをリビドーと切り離すことで神聖視や清浄視する気はないです。むしろ、神聖視や清浄視に結び付きやすいからこそ危ういなーとも思ってる。



(注1)「メガネっ子萌え~」と叫んでるオタクはメガネをつけた女に顔射したいと思ってるし、「ドジっ子萌え~」とか言ってる脂っこいオタクはドジっ子が滑って転んで階段から落ちた拍子に、下で階段を昇ってたオタクを巻き込んで転げ落ち、勢い余って豚チンポとドジマンコが地面でドッキングするとか、そこまで想像してるのだろうか、という一文を反語として入れようと思ったんだけど、最近のオタクの暴虐を見るに、それくらいは想像してるかもしれんから削除した。
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