"未選択"カテゴリーの記事一覧
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When I was young
昨日、友人と少し話題になったのを思い出してカーペンターズの"Yesterday Once More"の歌詞を眺めていた。その話の時に私はこの曲について、英文も音もすんごいシンプルだと評していて、それはそうなんだけど、ざっと見てみると最後のところ……"It's yesterday once more"ってなに? そういや"It's yesterday once more"だったなー、となんだか引っかかってしまった。つまり「それこそが昨日の再来だ!(ババーン!)」みたいな。もちろん、こんなしっとりとした曲にそんな訳はおかしいのだけど、じゃあニュアンスをつかんだ日本語訳として何が適切なのかを考え込んでしまった。結構これ難しいなって。
私の若かりし日のこと、I'd listen to the radio
ラジオを聴こうとして、Waitin' for my favorite songs
お気に入りの歌を待ちつづけていたものだった。
When they played I'd sing along
演奏が始まれば合わせて歌う。It made me smile
笑顔を浮かべながら。
Those were such happy times
あまりにしあわせな時間だった。And not so long ago
そんなに時は過ぎていないのに、How I wondered where they'd gone
どこへいってしまったのかとても不思議。
But they're back again
でもそれが帰ってきた。Just like a long lost friend
ちょうど長らく会っていなかった友達のような、All the songs I loved so well
私があまりに愛したあらゆる歌が!
Every sha-la-la-la
あらゆる流れるような歌声が、Every wo-wo-wo
あらゆる歌の高揚が、Still shines
まだ輝いている。
Every shing-a-ling-a-ling
あらゆるはずむような歌声が、That they're starting to sing's
それらの歌の始まりが、So fine
すんなりと心に入ってくる。
When they get to the part
それらが佳境に入る時、Where he's breakin' her heart
彼が彼女の心を傷つけるところ、It can really make me cry
それがひどく私に涙させる。Just like before
あの頃と何も変わらない。
It's yesterday once more
去りし日がまたここに。
Lookin' back on how it was
その頃がどうだったのか振り返ってみると、In years gone by
何年も昔のことだった。
And the good times that I had
私の過ごした善き日々が、Makes today seem rather sad
今日を哀しいものにしてしまう。So much has changed
いろんなことがあまりに変わってしまった。
It was songs of love that
愛の歌をI would sing to them
彼らに向けて歌おうとして、And I'd memorize each word
歌詞を一言ずつ覚えたこともあった。
Those old melodies
そんな古い旋律が、Still sound so good to me
今の私にもまだ美しく響く。As they melt the years away
過ぎ去った年月を融かしていくように。
Every sha-la-la-la
どんな流れるような歌声もEvery wo-wo-wo
どんな高揚もStill shines
いつまでも輝いている。
Every shing-a-ling-a-ling
あらゆるはずむような歌声が、That they're starting to sing's
それらの歌の始まりが、So fine
すんなりと心に入ってくる。
All my best memories
すべてが私の最高の思い出。Come back clearly to me
はっきりと思い出せる。Some can even make me cry
中には泣きたくなるようなものもあるけど、Just like before
あの頃と何も変わらない。
It's yesterday once more
去りし日がまたここに。ってなわけで、うーーん、と少し頭をひねって思いついたのが表題。これでいいかな、と思ったので思い切って全文を訳してみた。百千と聴いたはずの曲で、当然ながら訳詞も読んだはずなのだけど自分で訳してみると「あー、こういうことを謡っている歌詞だったのかー」と思うなど。
最初は論語にある「逝く者はかくのごときか、昼夜を舎かず」よろしく、「二度と戻らない」という含意の「逝」の字を用い、「逝きし日がまたここに」にして「二度と帰らないはずの日が帰ってきた!」みたいにしようとしていたんだけど、今どき「逝」なんて「逝去」や「急逝」なんていう死をあらわすドキツイ語としてしか用いられていないのでギョッとするかなー、と思い「去りし日」に改めた。全文を読むと歌詞は「古い友人に再開した」みたいな表現なんだから死と再生なんて重すぎる! 改めてよかった。
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毎日ブログを更新するとうそぶきながら、結局2日1回更新ペースになってきている。で、それも怪しくなりそうなので手抜き更新で心理的なペースを戻す。忙しいといえば忙しいんだけど、それが更新できなかった主な要因でないことはわかっている。では何が要因か。手抜き更新をしなくなったことだ。
というのも、ブログを書くネタはいくつかあるし、実は途中まで書いてなげている下書き記事がふたつある。これらは結構テーマがしっかりした記事で、それゆえにしっかりまとめようという意識が強くなりすぎてまったく完成せずに投げてしまったわけである。つまり書く暇がないのではなく、単に入れ込み過ぎだ。これはよくない。ブログの更新を持続するにはしょーもない記事でも継続して書くべきだ。なのでこの記事を書いているのだ。しょーもない記事を。中身のない、何の意味もない、何の価値もない。しょーもない記事をここに今まさに書いているわけだ。
そういえばこれまで「入れ込み過ぎ」という表現を私は何度もネット上で当たり前に使ってきた。これ、よくよく考えたら競馬用語だし、何の注釈もなく用いるべき言葉じゃない気がする。本来の意味はJRA競馬用語辞典によれば、「競走馬がレース前に興奮しすぎて成果が出せないこと」となっている。これを私は「肩に力が入りすぎ」とかと同様に、やるぞという気持ちが変に先走ってうまく始めることができなかったりとか、完成させることのできない状態の表現として用いてきた。……って、よくよく考えてみると競馬用語の援用としても意味がビミョーに変容している気がしてきた。つまり誰もわからない、私が勝手に使っているだけの言葉だ。なんでこれまでこんな言葉を平然と使っていたのだろう、私は。
競馬趣味のない私がなぜこんな表現を用いるようになったのか。記憶を遡ってみよう。確か子供の頃に読んだ競馬漫画『蒼き神話マルス』にこの表現が登場し、そこで覚えてそのまま今でも使っている……という経緯だったはずだ。で、子供って今より言葉の意味とか結構曖昧なまま使ってしまうことが多いから、自分の中で変容した意味を含めて定着したような気がする。いや、漫画内で「レースに勝とうという気持ちが強すぎて興奮しすぎてしまっている」みたいな感じのニュアンスを込めて「入れ込み過ぎ」という言葉が用いられていたから、そういう認識のままそういう言葉を使っていたような気もしてきた。イマイチ思い出せない。
そもそも『蒼き神話マルス』がどんな漫画だったのか、どうやってもまったく思い出せない。なので当該のシーンの流れもまったく思い出せない。検証するのも面倒くさい。これまでなんとなく通じちゃうか、もしくは無視しても話が通じちゃうからか、このようにしてそのままずーっとこの言葉の問題が自分の中で放置されてきたようである。うーん。まあいいや、今後とも使っちゃおう。いいや、別に。
ところで、過去に私は『宇宙兄弟』と『度胸星』を同じ時期に読んでいたために、宇宙飛行士の試験の展開について自分の中でかなり記憶が大きく混同されてしまっていたことがある。で、『蒼き神話マルス』の記憶についても、なんとなくどこかで『みどりのマキバオー』や『じゃじゃ馬グルーミン★UP』といった競馬漫画の記憶に混入されてそうな気がしている。もしかしたら『蒼き神話マルス』から流入される形で、それら二作の存在しない展開が私の記憶の中に存在しているかも……と少し気になった。
手抜き記事なので特にオチもなくおしまい。
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とあるきっかけがあって、不義理をしていた人たちに電話等であいさつをしてきた。過去に一緒にいろいろと活動などをしてきた人たちだ。胸のつかえが取れたようでスッキリした。いや、不義理をしておいてあいさつ回りをしただけでスッキリするのもどうかと自分で思うのだけど、とりあえず一歩が踏み出せた、ということで。また会ってくれるとか、今後の話をまたしてくれるとか、そんな返事ばかりでうれしかった。これから詫び行脚だー!!!!
詫びた先のみなさんは本当にやさしかった。まあ、呆れられているだけだろう、とは思うけど。それでも。もう本当に申し訳ないとしか言いようのないことではあるけど、恩がありながら仇で返し、何もしていない。それにしても電話口で「活躍は聞いていますよ」と言われたんだけど、どんな風に噂が立っているのやら……。仕事の関係みたいだけど。うひー、仕事も力不足で何もできずみんなに助けられてばかりだよー!!
これに限らず、ここのところ本当に私は諸々のことで人に恵まれすぎていると思う。いろんな方に恩がありすぎる。そして、それをまったく返せていない。しかし恩を負債だと考えてしまうと逆に何もできなくなるし、義務感と無力感に押しつぶされそうになる。恩は返せないもの。そう思った方がよい。人への感謝をもって何か返せる機会が得られれば、そこにまた感謝する。そのようにして生きるしかないのだろう。今後は恩は返せずとも不義理はすまいと思う。
不義理は負債であっても恩は負債にしてはならない。自分のような小人物でも感謝されることがある。仕事の関係では特に増えてきた。しかし、そこに何かの恩返しを求めているかといえばそんなわけはない。仕事に至っては、そうであってはならないものだ。むしろ相手が何かの世話などに申し訳ない等と考えているようであれば、「仕事だ」「勝手にやっていることだ」と言う。年下なら「私は先輩に恩を受けてきたから年下のあなたに返した。あなたが恩を返したいと思うなら後輩に対してしてほしい」と言う。実際にそう思っているし、相手がそんな風だとこっちだってやりづらい。なんなら自分の主体性を否定されているようで時に不快ですらある。こうやって考えてみると、あらゆる恩を返さなければならないという義務感に囚われるのは、与える側に回ろうとする傲慢さではないか。かつての自分は間違いなくそうだったと思う。つらつらと思うに、そのような感じ。
彼らと話しながら、自分の過去の未熟さが今ならわかる。本当に未熟だった。彼らに連絡を取った理由のもうひとつは新たなことを始めたい、過去のリスタートをしたいからだ。詫びた相手の一人は「ちょうどリスタートの機会だと自分で思っていた」と話してくれた。まあ、これも天命なのかもしれない。恩が返せるかもしれないし返せないかもしれない。先のことはわからない。
まとまりのない話ではあったが、恩とか仇とかはひとまず置いて、自分の一緒に何かをしたい、そう思えるような人間でありたいなー、と思っている。
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一週間前から喫煙を再開している。近いうちにやめるつもりではあるけど、いつになるかはわからない。理由は仕事のストレスである。仕事がクソクソクソクソ超超超超いそがしくてつい吸ってしまったらもう虜。バカスカと毎日吸って初日から今日まで一日一箱以上はコンスタントに吸うようになってしまった。そういうこともあって運動と瞑想ができていないので、その場しのぎの代替行為といった感じ……。しかしタバコを吸うとジョギングが苦しくなって再開が難しくなるのですぐやめねばならぬ。
……という風に書きだしていると、じゃあすぐにやめればいいじゃん、という結論に達した。よって今からやめることにする。一人で文章に向き合うというのはよいもので、SNSやTwitter等のソーシャルメディアではこうはならない。みなさんブログはオススメですよ、というお話でした。
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昨晩はTruthSocialで知り合った青年から漢文を読みたいとの申し出があったので、少しだけ教えていた。しょっぱなから「文法を覚えることから始めるのですか?」といった質問があったので面食らってしまう。世間一般ではそういうところから始めるのかもしれないけど、私自身は高校時代の漢文のテストは0点、20歳を超えてから漢籍を読み始め、本格的に原文から漢文を読み始めたのはこの5年、6年程度、その読み方が「中学レベルの知識だけで原文からいきなり読みまくる」だったので、「文法から学ぶ」ということをしていなかった。まず読む。辞書を引く。読めないところをネットで検索する。こうした過程で初めて文法を身に着けていた。なので、その手の「講義」みたいなのが難しい。ただ、彼は読みたい文章(仏典)があったので、それをまず読む形で進めることにした。まあ、そんな感じ。以前から私の漢文に関するツイートやブログの漢文記事はあからさまに反応が薄い。なので漢文に興味を持ってくれる人がいるとうれしい! それにしてもみなさん低俗なネットバトルや政治に関する記事の方がお好きなようで、はーあ、よくわからんですね、世の中というものは。なにがいいんですか、あんなもの。くだらない争いや近視的な時勢のことばかりにかまけていないで、まずは万古不易の常道たる聖賢の教えをひたむきに学ぶことなどみなさんなさった方がよろしい。
ネット以外で知り合った友人とも漢籍に興味を示す人が増え、最近知り合った友人などは、なにやら方々で私の宣伝をしてくれているらしい。出版の紹介とかまで振ってくれるんだけど、うーーーーーーーーーーーーん、出版となると注釈とかちゃんとつけないとダメなので私みたいに読む人間ではなあ……。漢文に読み慣れてくると出版された漢籍の訳書は注釈が本体。その前にもネット上の友達に漢文を教えることになって、その時も私はもちろんうれしくなっちゃって張り切ってレジュメなんぞを切ってしまったわけだから向こうはヒいてしまったかもしれぬ。
まあ漢文とか興味あったら一言言ってもらえればうれしいです。私は褒められて伸びるかはわかりませんが褒められると喜びます。読みたいけど読めない漢文などあればお気軽に。めったにないシチュエーションだろうけど。