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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

史記孔子世家を読む①

 史記の孔子世家を読みたくなったので、読んでみようと思う。これはかなり前、10年くらい前に全文を現代日本語訳で目を通していたが、原文や書き下し文はつまみ読みしかしておらず、漢文にある程度慣れた現在であれば原文で全体を通して読むことも少しはできるかもしれないと思い、ここで改めて読むことにする。


 史記の孔子世家は、孔子の一生を追う伝記として最もポピュラーな古典である。孔子の一生を描いた古典絵物語である聖蹟図なども、概ねこれに準じて描かれている。

 史記は司馬談・司馬遷父子の著した史書で、これは本紀、表、書、世家、列伝の5つの項目に分けて記される。史記における孔子の記録についての特異性を述べるため、まずはこれら項目について、それぞれ簡単に説明する。

 本紀とは何か。これは天下の主となった帝王たちの歴史である。中国の王朝は一般的に、唐→虞→夏→殷→周→(春秋戦国)→秦→(楚漢戦争)→漢……と変遷したとされているが、史記の本紀では、これらの王朝を支配する帝王の歴史を記録している。本紀は帝王という人物の歴史であると同時に王朝の歴史でもある。(前出の王朝以外に、史記では唐より前の伝説の帝王のことが本紀として記録されているのと、秦本紀と漢本紀の間に楚本紀が挿入されており、大楚覇王項羽も帝王としている。)

 表は年表や帝王の家系図等の記録、書は礼制や天文などの記録であるが、今回の本題からは少し外れたものなので略す。

 世家は本紀とは違い、天下の主となった帝王に及ばない一地方を治める諸国家の主の歴史である。史記では特に天下の主を喪失して戦乱の世に至った春秋戦国時代のそれぞれの国の支配者の記録が目立ち、吳、齊、魯、燕、管、蔡、陳、杞、衛、宋、晉、楚、越といった一地方を治める国家の王公が順に名を連ねる。これも本紀と同様、王公という個人の歴史であると同時に、一国家の歴史を記録したものであると言えよう。

 最後に列伝であるが、これは著名な個人の歴史である。清廉の士として名高い伯夷、叔齊から始まり、管仲、晏嬰といった斉国の名宰相、老子韓非子といった思想家、司馬穰苴、孫子、吳起といった兵法家、伍子胥という名将、孔子の弟子たち……と続いてゆく。


 今回読む孔子世家は孔子の一生を殊に記録した伝記である。孔子というのは特に説明はいらないと思うけど、中国で一番有名な人物のひとりで、後の中華王朝の支配的なイデオロギーであった儒家思想の開祖ともいわれる人物である。

 さて、ここでピンと来た人もいると思うけど、史記において孔子の伝記は「孔子列伝」ではなく「孔子世家」である。確かに孔子は魯で司法大臣や宰相の代行も務めた政治家であるとともに弟子の育成に尽力した教育者であり、後世に名を知られる思想家であるから、史記において個人史が独立で記録されるのは道理である。しかし、それは当たり前に考えれば、列伝に伝記を記される管仲・晏嬰のような政治家や老子・韓非子のような思想家と同じ土俵の人物である。それなのに、孔子は呉、魯、斉といった地方国家を開いた呉太伯、周公旦、太公望といった人物と同じ土俵にあげられているのである。これはいったいどういうことだろうか。


 史記で「本紀」は天下を治める帝王、「世家」では一地方を治める王公が記録されていることは既に述べたが、ここにもいくつかの例外が存在している。

 たとえば、本紀には「呂后本紀」が存在する。呂后とは漢王朝を開いた劉邦の妻で、夫の死後に幼い皇帝を立てながら政治を壟断したといわれている。史記の著者は、これを実質的な帝王と見なし、記述もそれに基づいている。

 世家にも、「外戚世家」や「陳丞相世家」といったものがあり、前者は政権において有力となった帝王の夫人とその親族、後者は漢王朝の皇帝に仕えた陳平という有力な宰相に関する伝記である。いずれも帝王の政権において有力な存在であったからこそ、一地方の王公と並ぶ存在であるとして、列伝ではなく世家によって述べられたのであろう。こういったトリッキーな記述のしかたも史記の魅力であり、孔子が世家で記録されていることもまた、こうした例外のひとつということになろう。

 しかし、それにしても孔子が世家というのは、一般的な印象からすれば特異である。孔子が政界において活躍した時期は限られている。しかも孔子は当時、魯という一地方を治める国家の宰相の代行であるから、上記の陳平や外戚のような帝王のひとつ下で活躍した人物とも言い難い。やはり本来であれば、斉の宰相として政治を一手に引き受けた管仲・晏嬰と同じく列伝の序せられるのが相当のはずである。なぜこのようになったのか。この奇妙な事象については、様々な説が立てられている。


 史記における世家は以下の通り。孔子の前後までを掲載する。


1.吳太伯世家(呉の建国者からその子孫と呉の歴史)
2.齊太公世家(斉の建国者、太公望からその子孫と斉の歴史)
3.魯周公世家第三(魯の建国者、周公旦からその子孫と魯の歴史)
4.燕召公世家第四(燕の建国者からその子孫と燕の歴史)
5.管蔡世家第五(管と蔡の歴史)
6.陳杞世家第六(陳と紀の歴史)
7.衛康叔世家第七(衛の建国者からその子孫と衛の歴史)
8.宋微子世家第八(宋の建国者からその子孫と宋の歴史)
9.晉世家第九(晋の歴史)
10.楚世家第十(楚の歴史)
11.越王勾踐世家第十一(越の建国者勾踐から越の歴史)
12.鄭世家第十二(鄭の歴史)
13.趙世家第十三(趙の歴史)
14.魏世家第十四(魏の歴史)
15.韓世家第十五(韓の歴史)
16.田敬仲完世家第十六(太公望の家系から斉を奪った田氏とそれ以後の斉と子孫の歴史)
17.孔子世家第十七(孔子の伝記)
18.陳涉世家第十八(大秦帝国で反乱を起こして独自の国家を築き上げた陳勝の伝記)
19.外戚世家第十九(漢王朝で権力を有した皇帝夫人とその一族について)
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 このように、孔子の世家は独立国家を形成した斉田氏と陳勝の間に置かれている。これだけを見れば、史記においては孔子は一国家を形成した存在と同等として扱われていることになる。


 長くなってしまったので、史記孔子世家は次回から読むことにする。
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