"中国古典"カテゴリーの記事一覧
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焚巣館 -韓非子 外儲説右上 季孫相魯-
本日の更新。過去にnoteへ投稿していたものを少し修正して掲載。韓非子に載る孔子と子路のエピソード。このふたりはキャラが立っているので対話が生き生きとしており訳していても愉しい。事実かどうかは知らない。ちなみに孔子家語にも類似のエピソードが掲載されている。
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/shiryou/kanpishi_gaichosetu_ujou_kisonsouro.html孔子の亡命のきっかけについては、史記では豚肉がもらえなかったからということになっている。知らない人が見たら奇妙に思うかもしれないけど、これは孔子の主君の魯公が政治を蔑ろにして祭祀での決まり事となっている豚肉を配布を怠ったことをきっかけに国を出たという話で、要は公務(それも臣下に食べ物を配るような賑恤にかかる問題)を蔑ろにしたことに対する失望というわけである。他にも論語だと魯公が隣国のはニートラップによって女色にうつつぬかしはじめたから亡命したとか、いろんな説がある。
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焚巣館 -贈侯官林宗素女士-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/zoukoukanrinsousojoshi/main.html以前ブログに訳を掲載したものの転載。フェミニズム漢詩である。
この詩は林宗素という女性に贈られたもので、だから「侯官の林宗素女士に贈る(贈侯官林宗素女士)」と題されているわけである。で、林宗素は中華民国最初から共和党の党員として女性参政権を主張した人物だそうで、清朝期から既に上海の愛国女学校でフランス革命や帝政ロシアのニヒリズム運動について学んでいたらしい。さっき検索して得た知識なので自分でも何を言っているのかよくわからない。なんだ、愛国女学校って……。
で、検索したらこちらの論文が出てきた。
20世紀初頭の上海に設立された愛国女学校と務本女塾
序章では、先行研究の整理と本論文の課題が述べられている。まず著者は、中国における女子教育が「三従」 「四徳」 「三綱五常」といった儒教的な女性観に基づく伝統的な教育であったことを指摘し、次いでこの伝統的な女子教育観は、アヘン戦争以降に伝道のために入国したキリスト教の宣教師が設立した教会女学校によって徐々に変化させられ、 1898年5月に変法派の経元善によって上海に初めて近代的な女学校、 「中国女学堂」が設立されたことが述べられた。しかし、中国女学堂は変法運動の挫折によって2年も経たずに閉校を余儀なくされ、その意志を継承する形で1902年に愛国女学校と務本女塾が上海で創立された。こうした近代的な女子教育の展開に関する研究史を整理した上で、近代的な女子教育における民間の取り組みに関する研究が低調で不充分であること、また、女子教育の近代化における上海の先進性に鑑み、本論文では上海における民間の取り組み、特に愛国女学校と務本女塾を研究対象として設定することが述べられた。
つまり変法運動(清末に興った西洋の政治制度を積極的に取り入れようと目指した改革運動)の流れから生じたものらしい。で、
義和団事件後の拒俄運動・革命運動・愛国主義の高揚のなかで誕生した愛国女学校は、中国女学堂が目指した良妻賢母型の女性ではなく革命運動や女権運動に貢献できる女性の育成を目指し、特に察元培が経理・校長を務めた時期にその傾向が強かった。実際、愛国女学校で学んだ学生のなかから、 1911年の辛亥革命に参加した者も少なくなかった。
熱い。血沸き肉躍るというやつである。なるほど、だからこの漢詩は勇ましい雰囲気の詩なのだと納得するし、注に掲載した秋瑾の詩も勇ましい所以の一端がわかろうというもの。このあたりの知識は私にまったくないのだけど興味深いところである。
ところで務本女塾という塾名の務本は、論語の「君子務本(君子は根本を務める)」が由来だろう。これは論語だと孔子の弟子の有子が述べているが、前漢に著された説苑では孔子の言葉として引用されている。また、潜夫論の第二篇の名が務本第二となっており、明三代永楽帝が皇太子に渡した書の名が『務本之訓』である等、漢籍における頻出の表現である。
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焚巣館 -女子解放問題-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/joshikaihoumondai/main.html本日の更新。清代フェミニズム漢籍である。現在は序文に相当する部分のみ。これも以前にブログに訳を公開したものである。
これからしばらく過去に他のところに掲載した訳のホームページへの転載を続けることにする。
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焚巣館 -共産党宣言-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/kyousantou_sengen/main.html本日の更新。漢籍置場に共産党宣言のコーナーを設けて序文の訳を掲載した。過去にブログ上で訳していたものの転載である。ちなみにカテゴリは『近代革命』とした。近代中国の国歌等やフェミニズムに関する漢籍もこれから入れていく予定。
既に前回の記事で大略は述べたので、ここでは訳に関する諸々のお話。
まず気になったのが権利という語が権力と同義として用いられていること。ここはブログ旧版から訳を変更したところで、「昔歐洲之又權利者、欲施禁止之策、乃加入神聖同盟」を私は「昔て歐洲の權利を又ちたる者は、禁止の策を施さむと欲すれば、乃ち神聖なる同盟に加入(くは)はること」と書き下したわけだけれども、これどう見ても権利に該当する概念は権力だよなあ……ってことで、今回は「かつて欧州の権力を手にする者たちは、禁止の策を施そうとし、神聖なる同盟に加入した」と訳した。ちなみに幸徳秋水・堺利明版の共産党宣言の日本語訳では、「古いヨーロッパのあらゆる權力は、この怪物を退治するために、神聖同盟を結んでゐる」としている。ちなみに、こちらの方が古い訳で漢訳版はこれを参考にしていることから、先行する日本語訳版で権力とされていた部分を漢訳版で権利と訳し直したということになる。で、私はドイツ語は読めないので英語版の共産党宣言(The Communist Manifesto)から見てみると、「All the Powers of old Europe have entered into a holy alliance to exorcise this spectre(あらゆる古い欧州の権力者たちは、この悪霊を祓うために神聖なる同盟を結んだ。)」とある。英文では"Powers"、つまり今日流の訳では権力者たち……ということになろう。ストレートな語である。
で、本文には「共產主義者、致使歐州權利各階級、認為有勢力之一派」にも「權利(権利)」という語が登場する。私は「共産主義者は、欧州の權利者たる各階級に、勢力の一派として認めさせるまでに至っていること。」と書き下した。そして、ここも堺・幸徳版ではやはり「共産主義はあらゆるヨーロッパの權力者から、既に一個の勢力として認識されてゐること。」となっており「権利」の語が当てられている。やはり堺・幸徳は「権力」と訳している。
では、英語版はどうだろう。当該部は「Communism is already acknowledged by all European Powers to be itself a Power.(共産主義はもはやあらゆる"European Powers"からそれ自体が"a Power"と見なされている。)」となっている。……うん? これは少しひねりの利いた文章だ。()内の日本語訳は(Power)の概念にかかる部分を英語のままにしておいたが、ここでの"European Powers"は"欧州の権力者たち"とは少し違うように見える。そして、重複する形で「(a) Power」の語が用いられている。これはどういうことか。
漢訳版では「European Powers」を「歐州權利各階級」とし、日本語版では「あらゆるヨーロッパの權力者」としており、「a Power」を漢訳版では「勢力之一派」とし、日本語版では「勢力の一派」としているが、どうだろうか。原文……ではないが、これは英文版にあるニュアンスを十分に伝えていないと思われる。ここで示されているのは、共産主義者が"Power"として欧州の"Powers"と同列に並んだのだと示す文章であろう。
さて、今回のような「敢えての重訳」をする際に気しているのが、漢訳版ではどの程度、どのようにニュアンスを伝えているのか、逆にどの程度ニュアンスを伝えていないのか、こうした点を反映させることになる。英語版を確認しないとわからないようなニュアンスについては、漢訳版では伝えられていないのだから、訳にそのニュアンスを組み込んだりはしない。では、権利と権力という語の差異についてはどうか。本文の漢語をどの程度まで現代日本語の訳文に反映させるかに当たって、最初のブログ版は権利を権力と訳さないことを選択し、今回のホームページ版では訳すことを選択した。まあ、そういう諸々を訳す時に考えたり考えなかったりしているわけである。
他に訳していて気になった点としては、在野の政党の対義語が在朝の政党であることとか。現在だと野党と与党と呼ばれるわけだけど、これに従うと野党と朝党ということになる。朝党!
とまあ、漢語の書き下しや翻訳というのはたいへん面白いものなので、ぜひぜひみなさん挑戦してください。