献身甘作蘇菲亜 身を献げて甘じて蘇菲亜と
愛国群推瑪麗儂 国を愛する
言念神州諸女傑
何時杯酒飲黄龍 何時しか杯酒、黄龍に飲まむ。
訳詩
身を献じてソフィア・ ペロフスカヤとなることにも甘んじようではないか。
国を愛する群衆はロラン夫人を推挙したではないか。
振り返って神州中国のあらゆる女傑たちのことを思い起こすがよい。
いつの日にか杯に注がれた酒を黄龍府で酌み交わそうぞ!
語釈
献身甘作……身を献じて○○になることにも甘んじる。甘んじるとは、通常は嫌なことを受け入れることを謂う。これは義天グループに先んじて日本に亡命した革命家の梁啓超が祖国を喪った際に詠った以下の詞を意識したものと思われる。
献身甘作万矢的 身を献げて甘じて
著述求為百世師
身を献じて一万の矢を浴びせられる的となることに甘んじよう。
著述が百世にわたって人々を指導する師となることを求めて。
梁啓超はあたかも孔子のように当世に罵られようとも百年千年の後に千年万年にわたって人々の師となる思想を構築しようと考えたわけである。
蘇菲亜……ソフィア・ ペロフスカヤのことだと喬志航氏は述べる。ロシア革命の鏑矢となった女性テロリスト。王朝打倒と農村共同体を中心とする社会主義革命を唱えた組織『人民の意志』によるアレクサンドル2世暗殺の首謀者。爆弾投擲による暗殺が皇帝アレクサンドル2世の暗殺を成功させた。しかし王朝はこれで瓦解することはなく、絞首刑により死亡。「身を献ずれば、ソフィア・ ペロフスカヤとなることにも"甘んじ"ようではないか!」とは、こうした自らが身を捨てて犠牲となることを述べたものであろう。
愛国群推瑪麗儂……瑪麗儂はジャンヌ=マリー・フィリポン=ロラン、所謂ロラン夫人のことだと喬志航氏は述べる。フランス革命におけるジロンド派の指導者。党派の実質的な指導者であったことから「ジロンド派の
神州……日本においても自国の美称として用いられるが、ここでは当然ながら中国の美称。神の国。
杯酒飲黄龍……北方騎馬民族の金王朝による侵攻を幾度となくはねのけた南宋の将軍である岳飛の言葉「直搗黄龍、與諸君痛飮耳(直ちに黄龍府を撃ち、諸君らと共に大いに酒を酌み交わしたいものだ!)」を意識したものであり、黄龍府とは宋王朝の旧領であり金王朝の本拠地。つまり女性の勝利獲得を誓った歌である。この表現には当時の中国近代革命において主流派を占めた反満民族運動(北方騎馬民族の征服王朝である清王朝を打倒しようとする漢民族ナショナリズム)の暗喩があると喬志航氏は指摘している。
ここでは、その故事に対する当時の革命家たちの共有していたであろうニュアンスを探る意味も含め、詩の作者に先んじて日本に渡り、中国に帰国して処刑された清末の漢民族ナショナリストにして女性革命家であった秋瑾による近代詩『秋風曲』の一部を以下に引用したい。
塞外秋高馬正肥
將軍怒索黄金甲
金甲披來戰胡狗
胡奴百萬囘頭走
將軍大笑呼漢兒
痛飮黄龍自由酒
国境の城塞の外は、まさに馬肥ゆる秋の盛り。将軍は急いで黄金の甲冑を捜す。
黄金の甲冑を身に着け到来して夷狄の狗と一戦すれば、百万の夷狄とて頭を回して逃げ走った。
将軍は大いに笑って漢民族の者どもを呼び、そして黄龍府において自由の酒を酌み交わした。
中国のアナキズムについては完全に無知なのだけど、昨晩すこし興味が湧いて検索した際に見つかった漢詩。日本に亡命した中国系アナキストグループの機関誌『天義報』の編集委員のひとり何殷震が、それ以前の中国在住時代に編集に携わっていた愛国革命新聞『警鐘日報』に掲載されたもの。当時はアナキストだったか不明で、内容も愛国主義的な側面が強く、タイトルには少し語弊があるかもしれない。
天義報の第一号は特に女性解放を強く主張しているが、それ以前の上記の詩の時点で、後の思想が既に形成されいたことがわかる。内容については以下の論文を参照。上の私の解説もほぼこれの引き写しである。ただし詩が梁啓超の引用であることや秋瑾の名は論文に登場しない。
異なる未来への想像 ―『天義』から見るアナキズムの平等と労働―
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/26885/files/ioc161004.pdf
軽い気持ちで訳したのだけど、語釈を見ての通り、まず梁啓超から始まりロシアのテロリスト、フランス革命の指導者、ここまではまだしも、孔子や詩経、更には岳飛にまで出典の解説が広くにわたり、最後には『天義報』の出版の同年に中国において処刑された女性革命家の秋瑾で締めることになった。私は作者の何殷震についてまったくの無知なのだけど、当然ながらなにも意図せずこれを書き始め、字を追うだけで自然とこのような構成となったわけである。
私自身はまったく才がなく何ら造作する能力がないのに、文明を仮借することで美しいものについて述べることはできる。これが中国四千年の歴史の厚みと重みである。なんていうか、人類文明の
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