私は間違っていた。「ナンパは死刑」は撤回。むしろナンパを忌避するのはレイシストであり、ナンパを断ったら死刑とするべき - kinokocake’s diary
http://kinokocake.hatenablog.com/entry/2020/01/08/212812
やはり反ナンパ主義は強者の論理であり選民思想だった - kinokocake’s diary
http://kinokocake.hatenablog.com/entry/2020/01/08/213510
ほんとこれ。ナンパ害悪論者はレイシスト - kinokocake’s diary
http://kinokocake.hatenablog.com/entry/2020/01/09/231606
ようやく気付いたか。本来的には、この世にナンパでない出会いなど存在せず、あるいはナンパなど存在しないという事実に。
有史以来の社会が男性社会、猿山ホモソーシャルであるなら、猿山でない社会などこの世にない。ゆえに、「自然な恋愛」なるものは猿山のセックスに過ぎないのである。「自然な出会い」で思い浮かぶもの、一番に挙げられるのは学校での出会いであるが、これは言うまでもなくスクールカーストに縛られた社会であり、スクールカーストと恋愛が密接な関係にあるのは言うまでもない。最大の猿山が最も自然な恋愛で貴ばれる。これがすべてだ。これが自然な恋愛の正体だ。勝っても負けても、女をトロフィーにした猿山のオス同士の抗争でしかない。それはあまりにむなしい。
フェミサーもフェミ男が入り込めば、そこはホモソ山に変わる。古代ギリシャのミダス王が触れるものをすべて黄金に変えたように、男は触れる女社会をすべてホモソに変える。男が入った社会など、結局はホモソである。
お前が自然な恋愛なるものを信奉し、処女厨なのも、ホモソに埋没していたからだ。処女厨とは、ホモソ山の女獲得競争の一等賞とトロフィーワイフの独占の顕在であり、ホモソ山に埋没した男女の自然な反応である。自然な恋愛とは、弱肉強食の猿山での恋愛のことである。
もちろん、ナンパとて所詮は男と女の関係、その関係性からは逃れられない。しかし、フラットな形で男女で一対一の関係を築くことはできる。少なくとも、これが現代社会の最大公約数なのだ。社会からの離脱。これしかない。ここには、モテ、非モテといった価値観もない。
畢竟、一般に言われる「ナンパ」とは「ホモソーシャルの外での出会い」である。ゆえに男性原理たる「硬派」の対義語「軟派」なのである。
今より早い日は人生に訪れない。目覚めよ。人間には意志がある。意志の力で自然に抗ったのが人間である。信じよ。ナンパこそが猿山から逃れ、人間として恋愛をする方法なのだ。
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コメント
1. 無題
2. Re: タイトルなし
それはそれで筋が通ってますし、基本的な認識は否定してませんよ。しかし、ナンパをしないと皆が猿山の餌食になるのもまた事実。この世はままならぬものです。
3. 無題
とはいえ、恋愛以外での社会活動では結局ホモソから逃れられないのか、という絶望もあるが…
4. Re: タイトルなし
望む望まざるに関わらず、女の集団に男が入りこんでしまうと、そこがホモソーシャルになってしまうのは如何ともしがたく……。
仕事なんかはフリーランスとか、そういう形式ですかね。新自由主義的でなんだかなあ、と思ってしまいますが。恋愛工学の著者カズ藤澤も新自由主義者ですし、ナンパもなかなか新自由主義であるのはネックです。ナンパは「おなごのようにチャラチャラした」という侮辱を受けた文化だからこその「軟派」なので、やはり男性原理から解放されるためのヒントもあるかと思います。