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焚巣館 -論語注疏 学而第一 子曰道千乗之国章-
https://wjn782.garyoutensei.com//kanseki/rongochuso/01_gakuji/05senjounokuni.html本日の更新。ひさびさの論語注疏。前回の記事の通り、しばらくは集中してこの訳を更新する予定。ストックが結構あるし、論語は一度さっさと古典的な註を原文から通読したいというのがある。ホームページ的にも論語の注釈書がひとつしっかり存在すれば、おさまりがよくなる気がする。
前回の訳では×とか=とかの数式を使用していたけど、今回は用いなかった。ただ、これだと計算がわかりづらいので、のちのち図解付きの注記を追加しようかと思っている。
仕事が忙しいので本日はここまで。ここで引用されている司馬法の訳もやりたいんだけど、果たしていつになることやら。
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ここのところ一週間以上ずっと毎日ホームページを更新していたけど、今日はホームページの更新をお休み。長らく更新をサボっていたので一気に。
漢文の翻訳自体はずっと続けていて実はストックがメチャクチャあるんだけど、ホームページの更新は結構めんどいのでおざなりになっていた。あたらしいツールも導入したし、これからはストックをどんどん消化していきたい。
それと三国史記はガーッと全訳したけど、それ以降ブレブレ状態なので、論語注疏は定期的にしっかり訳を更新して完成させようと思う。とりあえず週に3回は論語注疏を更新するつもり。
あと中国のアナキズムに興味が湧いてから清末から民代の漢文に手を付け始めたのが、それなりの量になっているので、これもポンポン更新していく予定。あんまり早くから大口をたたくのも何なので、6月までは週5日は更新する予定。ストックはあるので更新作業が主だし、たぶん何とかなるだろう。
今日は仕事の関係者と一緒にスタジオをかりてとんでもなくひさびさにベースを弾いた。初心者みたいになってしまっていたけど楽しかったのでよし。
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焚巣館 -韓非子 外儲説右上 季孫相魯-
本日の更新。過去にnoteへ投稿していたものを少し修正して掲載。韓非子に載る孔子と子路のエピソード。このふたりはキャラが立っているので対話が生き生きとしており訳していても愉しい。事実かどうかは知らない。ちなみに孔子家語にも類似のエピソードが掲載されている。
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/shiryou/kanpishi_gaichosetu_ujou_kisonsouro.html孔子の亡命のきっかけについては、史記では豚肉がもらえなかったからということになっている。知らない人が見たら奇妙に思うかもしれないけど、これは孔子の主君の魯公が政治を蔑ろにして祭祀での決まり事となっている豚肉を配布を怠ったことをきっかけに国を出たという話で、要は公務(それも臣下に食べ物を配るような賑恤にかかる問題)を蔑ろにしたことに対する失望というわけである。他にも論語だと魯公が隣国のはニートラップによって女色にうつつぬかしはじめたから亡命したとか、いろんな説がある。
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焚巣館 -中華民国憲法-
本日の更新。中華民国憲法である。blueskyで投降したものを転載。
成立が1946年、公布が1947年とされているけど、起草は1936年とされる。だからというべきか、文体は中華人民共和国憲法と比べ、古い文語的表現……のはず。中国語はわかんないけど漢文として読むのは中華人民共和国憲法より遥かに容易い。
今回は総綱、つまり全体の根本的な理念、つまり憲法の精神を現わしているわけであるが、いやー、素晴らしい! 「民が所有し、民が統治し、民が享受する(民有民治民享)」がよい。民主国家の原則をとてもシンプルに表現している。とてもよい。
清の末期。西洋列強の衝撃を受けた清王朝は、否が応でも政治的な改革の必要に迫られることになった。その中で、康有為らを始めとする開明派の儒者は、中国の旧来の政体では中国を維持できないと考え、西洋の政治制度を積極的に取り入れるべしとの政治運動を推進した。これを変法運動という。その中のひとりに、梁啓超という儒者がいた。
梁啓超は当初、孟子の民本思想に基づいて民主制を説明していた。これは日本の中江兆民と軌を一にしている。孟子の思想を実践するためには、西洋の民主制を中国に取り入れる必要があるのだ、と。彼らの運動は遂に時の皇帝である光緒帝の協力を得るに至る。かくして立憲君主制に基づく民選議会の開催実現まであと一歩のところまで改革を進めることができたが、そこで西太后らのクーデターにより事態は一転、変法派の儒者たちは弾圧され、その中のひとり譚嗣同は処刑される。梁啓超はなんとか日本へ亡命する途を得た。
こうして日本に亡命した後、自らの学問を研鑽する中で梁啓超は、孟子には近代民主制における重大な視点が欠けていると考え始めた。それは人民の権利である。孟子は確かに人民に益する政治をすべきだと君主に説いてきたが、それは保民(人民の安全保障)や牧民(人民の養育)といった内容で会って人民の権利を論じたものではない。だから目的は違えど人民の主体性を侵犯する点では変わらないのだと梁啓超は考えるようになった。これは重大な指摘だ。明哲な梁啓超は、「儒教は"of the people by the people for the people"のうち、"of the people"と"for the people"は語れども、"by the people"を語らなかった点が欠点である」と述べている。
とはいえ、ここまでであれば、よくある儒教批判に過ぎない。しかしながら、一筋縄にはいかないのが梁啓超という人物、そこいらの西洋主義者が「孟子の保民思想は民の主体性を奪う」と、梁啓超と同じような主張をすれば、彼は猛然と反論を始める。「保民(人民の安全保障)を主張してはならないというのなら、虐民(人民への虐待)でも主張しろというのか? 孟子は説得の対象が君主だったから君主のすべきことを述べただけである。」と。更には自ら指摘した"儒教におけるby the peopleの欠如"についても、梁啓超自ら「それではギリシャの市民に限定された民主制がby the peopleといえるのか、欧州の議会政治・多数決政治や、近年のソビエトが真のby the peopleなのか。このようにby the peopleとは現在に至るまで実現を語ることは欧州諸国にもできていないのだ。実現できないことを軽々しく語らないのは、むしろ賢明である」と批判し、孟子の立場を擁護する。これもまた鋭い指摘である。奴隷制を前提とするギリシャの民主制が果たして民主制といえるか、代議制と多数決主義が真に民意を反映するのか、ソビエト連邦が真の民主性だなどと誰が言えようか。のちに梁啓超は第一次世界大戦後の欧州の荒廃を目の当たりにし、「欧州の代議制には弊害が存在し、これを孟子の民本思想が矯正できる」と主張し始め、議会政治の外における政治運動「全民政治」「国民運動」という非代議制の直接民主制の道を模索することになる。確かに孟子は「貴民軽君(人民を貴び、君主を軽む)」を主張し、人民への虐政を行なう為政者に対する革命を正当化する。孟子の民本思想は、単に民と隔絶した為政者のみを主体と見る思想だと捉えるのも無理があるのだ。梁啓超は思想の振れ幅の激しさが現在も批判されるが、これを私は思考の柔軟さと多面的な視点を有していたものだと好意的に評価したい。
さて、中華民国憲法に話を戻そう。好悪いずれに評するにせよ、梁啓超の弁に基づけば、伝統儒教とは、民を根本とする視点を有していながら、一方で民を国家の所有と統治の主体だと明確化はしなかったことになろう。だからこそ冒頭の「民が所有し、民が統治し、民が享受する(民有民治民享)」という言葉は意義深い。中国は前近代の伝統から歩を進めたわけである。実のところ、19世紀の西洋においても近代革命のほとんどは立憲君主制に基づくものか、あるいは植民地独立革命である。つまり民衆が自ら王を打倒するフランス革命式の市民革命を成し遂げた国家はほとんどない。中国は西洋のほとんどの国より早くに自らの手で王制を廃する革命を起こした国家なのである。国家の所有を民に帰する国家がどれほどあろうか? 孟子の革命論は民衆の主体性に国家を帰する論理に他ならないはずである。してみれば、もちろん憲法の条文は近代民主制の原則としての「民が所有し、民が統治し、民が享受する(民有民治民享)」を読むこともできるが、もう一方で三千年に及ぶ中国の民衆思想のひとつの結実として見ても、きわめて感慨深く思うのである。
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焚巣館 -国民革命歌-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/kokuminkakumeika/main.html本日の更新。過去に1番をTwitterで訳し、3番までblueskyで訳した。それを転載して手直ししたもの。中華民国の国歌『国民革命歌』の歌詞である。
ホームページにも掲載した音楽のYoutube動画をブログにも貼り付けておく。曲はフレール・ジャック。要は『グーチョキパーでなにつくろう』の歌である。Twitterで流れてきたものを軽いネタのつもりのノリで書き下したのが初めであり、ちょっとした小品である。
書き下し文はかなり変えている。以下は訓読みの変更一覧。
列:ならびたる→つらぬ
強:つよき→たけき
閥:いへ→うから
努力:つとめはげむ→つとむ
聯合:つらぬりあふ→すだく