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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

ヤングジャンプの青年向けラブコメ


 唐突にポロっと終わったな……。紫の上はどうなったんだろうとか、朝日とも何にもなしかとか、まあ、いろいろと思うところはあるのだけど、ぶっちゃけエロしか求められてなかったんすかね。それ以外の要素があったかというと、なんとなく隙間に入れようとしたのはわかるけど、生きてなかったのも確かで。


 昔ヤングジャンプで連載してたエロコメといえば、仙道ますみの「あい。」を思い出します。これも女性作家の作品ですね。
 この漫画は写真家を目指すひょろっとした猿顔の大学生が様々な女性と恋愛関係及び性的な関係を持つことによって繰り広げられる青年向けラブコメディ。
 当初は大学で同期の彼女、姉の同僚のOLおねえさん、共通の写真趣味を持つボーイッシュな年下の女子高生など、定番の属性を持つヒロインが次々と登場する王道ラブコメを展開していたのですが……。
 物語が進むにつれて、段々と登場するヒロインの属性が若い男を欲する爛れたスナックのママさんなどのニッチな属性のキャラクターへと移ってゆき、終盤になると、これまでのヒロインを全部なぎ倒して主人公と付き合い始めたのがぽっと出キャラのぽっちゃりとデブで分けるならデブ寄りのデブ女だったり、そのデブ女と別れて最後に関係を持つのが大学職員の生まれた頃から脇毛を伸ばし続ける女という前代未聞すぎて誰もついていけない属性のヒロインで、そのまま主人公と添い遂げることもなく、物語全体にオチがつくこともなく、唐突に連載が終わってしまいました。

 ……フォローしておきますが、これって女性視点で意味のある作品だと思うんですよ。
 たとえば最初のヒロインである大学の彼女と主人公が別れる際のエピソード。
 きっかけは彼女が女友達の間で主人公のことを悪く言ってたのを本人に聞かれてしまったからなのですが、主人公が彼女に別れを切り出した際、ヒロインは「女同士で話してるときはああ言わないと嫌味になるから」といった内容の弁解をするんですよね。主人公とはそのまま気まずくなって別れてしまんですが、これって女性に対する幻想を壊すというか、その聖性を剥ぎ取る意味合いのある描写だなー、と思います。「女の子は天使じゃない」的な。
 この漫画は作者が女性ということもあり、こういった女性作家ゆえの視点による描写にあふれた漫画です。

 姉の同僚のおねえさんは風俗で働いており、それゆえに自身の肉体と精神の在り方の剥離に悩んでいたり、ボーイッシュな女子高生と別れるきっかけも、他の写真趣味つながりの男友達に(無自覚のうちに)性的な興味を強く持ってしまっている彼女の表情に気づいて嫌悪感を持ったから、というものだったり。こういった一種の生々しさって、男性の描く漫画ではほとんど見られない。キャラクターの年齢なんかも含めて、今思うとリアリティのある描写だな、と思います。
 ですので、「若い男を欲する爛れたスナックのママさん」というのも口元に皺が描かれており、歳を重ねる自分の体を若い男性相手に試そうとしているキャラクターとして描かれていますし、太った女というのもそういう流れです。漫画としては一貫して通底するテーマとして、女性と男性との性的な齟齬女性自身の精神と肉体との葛藤が存在しており、その延長線上にあるのが脇毛を剃らない女なのでしょう。
 脇毛の剃毛というのは「女性になるための」営為なわけで、それが社会的要請であるがゆえに身だしなみに必要な時間は男性の比ではない。そこで当然生まれる疑問が「じゃあ女性になる前の自分は?」「女性ってなに?」という点で、「生まれた時から脇毛を伸ばし続けてる」というのはそういう表象なわけですよね。あのヒロインの存在は、こういった男性から客体化された女性の実存にかかわる部分について描かれたものだと思います。

 で、やりたいことはわかるし、女性作家ならではの視点でジェンダー的な意味でも興味深い内容なのだけど、脇毛の伸びた女なんて青年誌のメイン読者であるマスカキ猿どもの需要には一切応えていないので、尻切れトンボで終わった理由も、終盤で打ち切られたのか、青年誌として落としどころが見つからなかったからなのか……。とにもかくにも前衛的過ぎたがゆえに唐突な終了を迎えてしまったのだと考えます。ポルノでフェミニズム文学やっちゃった感じ。


 最近で女性作家の描いたエロコメといえば、ヤングマガジンで連載されていた咲香里の「ハチイチ」も尻切れトンボで終わりました。あれもエロコメと女性作家の葛藤みたいなのを感じて、読んでてひやひやしました。主人公がほんと魅力ねーんだもん。それに惚れる女性を10人も同時に描くとか無茶じゃん、みたいな。それを作家もわかってて描いてたっぽいんだよな……。


 基本こういう青年誌でやってるエロコメはグダグダになってよくわからないまま終わってしまうというのが定番なので、源君物語についても、あまり気にし過ぎても仕方ないのかもしれません。世の中そんなもんだ、と。源君物語に関しては、単純なエロを超えた要素を作品に入れたかったのは隙間隙間にすごく感じるのですが、結局のところエロしか見られてないし、それ以外を見せられるようにもなってない……という微妙な空気がずっとありましたし。
 男性青年向け漫画雑誌と女性作家によるエロコメというのは、そういった葛藤の上に成立する微妙なものになりがちなのかな、という気がします。

 稲葉みのり先生の次回作に期待します。
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コメント

1. 無題

倭人さんの竹熊健太郎論みたいなのが読みたいです。竹熊さん最近めっきり影が薄くなっているもので…

2. No title

 うーん、竹熊さんって敢えて論じる必要がある人なのかな……。評論家を評論するというのもなかなか。それと、漫画作品を一作品読んで論じるのはいいんですが、人物、まして諸々の雑誌などに原稿が拡散してるライターの批評というのは、私には難しい気がします。

 「漫画読み」という単語、懐かしいです。なんだか使われなくなったような気もします。

3. 無題

お返事ありがとうございます。確かに竹熊さんはあまり論じるところのない方かもしれませんね…(笑)
竹熊さんの著作は「私のハルマゲドン」が好きです。オウム信者とオタクの共通点を自身のおたく体験を通じて挙げていらっしゃる所が好きです。
去年、麻原たちが処刑されたときにあまりにも「私のハルマゲドン」について言及されている方が少なくて、もう竹熊さんは過去の人なんだな…と悲しくなりました。

4. No title

 あのとき、Twitterでコメントしましたが、オタクとオウムを結びつけて論じてたのが竹熊さんなんですよね。エヴァンゲリオンで特にリアクションが大きかった古参漫画批評家も竹熊さんだったように思います。
 私の竹熊さんへの感覚は流浪の漫画好きさんとは少し違い、むしろ氏と同時期かそれと前後する時期に並んでいた面々、夏目房之助、呉智英などに比べて、まだまだ当人自身に存在感があるのではないかと感じています。
 さるマン2.0の失敗で初代さるマンのような奇跡、神通力は竹熊さんから失われた気はしますね……。

 ところで、オウム処刑の当時、ツイオタは「オウムとオタクは関係ない!」と叫ぶばかりでしたが、かつて「自分は一歩間違えばサリン事件を起こしていたかも」と感じて一冊の本を書き上げた竹熊さんとの違いはなにか。抑圧への抵抗としてのテロリズムへの見方がオウム事件で決定的に変わった、その過渡期に竹熊さんの「私のハルマゲドン」があったではないか。そんなことを考えています。(あ、もしかしたら「私のハルマゲドン」なら書評できるかも)

5. 無題

お返事ありがとうございます。倭人さんの「私のハルマゲドン」論、ぜひお読みしたいです。

6. 無題

 入手して読み次第書きます。よろしくお願いします。
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