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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

嫌儲を介して広まる『刺客列傳-外傳-山上徹也傳』を書き下した後に現代日本語訳

【岸田悲報】中国人、山上伝説を格調高い漢文に書き下し、故事成語になる [315952236]
https://itest.5ch.net/greta/test/read.cgi/poverty/1704530220

 嫌儲のこちらのスレで紹介された『刺客列傳-外傳-山上徹也傳』と題された擬古文を翻訳する。前回と同じく中国のネット上の書き込みが元ネタらしい。嫌儲を介して日本でも広まっており、はてな匿名ダイヤリー聖帝語録@WIKI等にも投稿されている。

 しかし、ここに付されている日本語訳はすべて同じもので、他のバージョンはどれだけ検索しても見当たらない。そして読んでもらえればわかるけど、これはヒジョーに機械翻訳くさい。機械翻訳がただちに悪いというわけでもないけど、おそらく使用したのが現代中国語用のもので、原文が割としっかりとした擬古文になっているため、イマドキの高性能な機械翻訳にしてはなんだか文章がおかしい。

 思うに、原文を「格調高い」などと評して皆が絶賛しながらそれを決して出来のよくない機械翻訳でもって紹介することは礼を失してはいないか。特に日本では書き下し文という手段によって漢文をそのまま日本語として読むことができる。なぜこれを用いないのか。原文がそれなりの広がりを見せているにも関わらず、機械翻訳以外の訳文はなく、況んや書き下しを試みたものはひとつもない。日本の伝統の廃るることの甚だしきはこの如くあるか。我が古巣たる嫌儲の低迷はこの如きか。嘆くばかりである。

 よって、以下に書き下しをおこない、次いで現代日本語訳を付した。愉しんでいただければ幸いである。

【漢文】

 山上徹也、東瀛奈良縣人、外祖從商、父隨之、少時得富貴。五歲、父亡、隨母居奈良。母為淫祀惑、錢糧地契皆捐、家徒四壁、無資以學、兄疾亦無以治。徹也從行伍、以乞活。既卸甲、兄不堪病擾、自縊而盡。徹也泣曰、兄自去、弟當何如。

 安倍晉三者、四度拜相、貴胄之後、然其縱淫祀行攬金之實、惑信眾得連任之資、徹也惡之、書友人曰、吾當誅此賊。遂購火藥、鐵管、鐵砂、制得雷與銃、又恐傷及無辜、捨雷而取銃。

 時晉三巡於奈良、宣淫祀惑人之詞、聽著甚眾。徹也隨其後、衛士數十無一疑之。待得良機、銃出而發、不中。眾人皆惑、晉三亦顧之。煙未盡、又發一銃、霎時、聲出如雷、煙現如龍、晉三即伏。眾侍驚覺、圍而擒之、徹也面不改色、釋銃就執。後晉三送醫、不治。

 時人曰、山上徹也、勇不及聶政、智不如專諸、所出不為國仇、但為家恨、惟其為民除害、替天行道者、義也。

【書き下し文】

 山上徹也(やまがみてつや)、東瀛(やまと)の奈良(なら)の縣(あがた)の人、外祖は商(あきなひ)に從(たづさ)はり、父は之れに隨ひ、少(わか)き時は富も貴(たふとき)も得たるも、五歲(いつつ)にして父は亡くなり、母に隨ひて奈良に居(すま)へり。母は淫祀に惑はされ、錢糧地契の皆(いづ)れも捐(す)て、家徒四壁(まづしき)にして以ちて學(まなびや)に資(そな)ふる無く、兄の疾(やまひ)も亦た以ちて治る無し。徹也は行伍(いくさ)に從ひ、以ちて活(くらし)を乞へり。既に甲(よろひ)を卸(ぬ)ぎ、兄は病の擾(みだれ)に堪へず、自ら縊(くび)して盡(つ)く。徹也は泣きて曰く、兄は自ら去れり。弟は當に何如(いか)にせむ、と。

 安倍晉三(あべしんざう)なる者、四度(よたび)相(おほまへつきみ)を拜(さづか)り、貴胄(やむごとなき)の後(すゑ)、然れども其れ淫祀を縱(ほしひまま)にし、金の實(まこと)を攬(つか)み行(と)り、信眾を惑はして任(つとめ)を連ぬるが資(たす)けを得むとす。徹也(てつや)は之れを惡(にく)み、友人(とも)に書(ふみ)して曰く、吾は當に此の賊(あた)を誅(う)たむ、と。遂に火藥(ひぐすり)、鐵管(かなづつ)、鐵砂(かなすな)を購(か)ひ、制(をさ)めて雷(はじきだま)と銃(つつ)を得るも、又た傷の無辜(つみなき)に及ぶを恐れ、雷(はじきだま)を捨て銃(つつ)を取らむ。

 時に晉三は奈良に巡り、淫祀の人を惑はせしむるが詞(ことば)を宣ぶ。聽著(きくもの)は甚(い)と眾(おほ)し。徹也は其の後(しりへ)に隨ひ、衛士(まもり)は數十(いくとたり)なるも一(ひとり)とて之れを疑ふ無し。待ちて良き機(とき)を得、銃(つつ)は出でて發(はな)たれり。中(あた)らず。眾人(もろひと)の皆が惑ひ、晉三も亦た之れを顧る。煙は未だ盡きず、又た一(ひとたび)銃(つつ)を發(う)たば、霎時(たちまち)にして聲(こへ)の出づること雷(いかづち)の如し、煙の現るること龍の如し、晉三は即ち伏す。眾侍(さぶらふもの)は驚き覺め、圍(かこ)みて之れを擒(とら)ふも、徹也の面(かほ)は色を改むるにあらじ、銃を釋(す)て執(ものとり)に就けり。後に晉三は醫(くすし)に送らるるも治らざりき。

 時の人曰く、山上徹也(やまがみてつや)の勇(いさましき)は聶政に及ばず、智(さかしき)は專諸に如かず、國の仇の為にせず、但だ家の恨みの為とするのみに出づる所なるも、惟だ其れ民の為の害(わざはひ)を除き、天に替はりて道を行ふ者(こと)は義(よろしき)なり、と。

【現代語訳】

 山上徹也(やまがみてつや)は東瀛の奈良県の人である。外祖父は商業にたずさわり、父はそれに随っていたことから、少年期には富と地位を得ていたが、五歲にして父が亡くなると、母に隨って奈良に住むようになった。母は淫祀邪教に関わって惑溺し、金銭も食も土地の権利書もすべて捨て去ってしまい、自宅は四方の壁だけになるほど困窮し、学ぶための資金もなくなってしまい、兄の疾病も治ることがなかった。徹也は一兵卒として従軍することでなんとか生活を乞うた。甲冑を脱ぎ去った(=退役してから)後のこと、兄は病気の苦しみに耐えきれず、自ら首を吊って力尽きた。徹也は泣きながら言った。

「兄が自ら去ってしまった。弟はこれからどうすればいいのか。」

 安倍晋三は、四度にわたって宰相を拝し、高貴な血筋の後裔であった。それなのに彼は淫祀邪教をほしいままに操る資金の実権を握りしめており、信徒を惑わせて再任の援助を得ようとしていた。徹也はそのことを憎んで友人に手紙を送って言った。

「これから私はあの賊を誅する。」

 こうして火薬、鉄管、砂鉄を購入し、作り変えて爆弾と銃を手に入れたが、そこで傷害が無辜の人々に及ぶことを心配し、爆弾を捨てて銃を取ることにした。

 この時、晋三は奈良を巡り、淫祀邪教による人を惑わせるための詞(ことば)を街宣していた。聴衆は非常に多く、徹也はその後ろに随伴していたが、護衛の数十人のうち一人たりとも疑う者はいなかった。待ち構えて好機を得たところで、銃が飛び出して放たれたが、――当たらない。衆人の皆が困惑し、晋三もそちらを振り返った。煙がまだ尽きないうちに、もう一度銃を放つと、たちまち雷鳴のごとき音が鳴り響き、龍のごとき煙が現れ、にわかに晋三は倒れた。近侍の者たちは驚き、気の付いたところで取り囲んで彼を捕えようとしたが、徹也は顔色を変えることなく、銃を手放して縄についた。その後、晋三は医者に送られたが治らなかった。

 当時の人は言った。

「山上徹也(やまがみてつや)の勇猛さは聶政に及ばず、知性は専諸ほどすぐれたものではない。国家の仇を目的とせず、単に家の恨みを目的として出現しただけの者である。それでも彼が民の為に害悪を除き、天に代わって道をおこなったことは義であった。」

 さて、過去に存在していた山上伝を改めて付す。

刺客列伝山上徹也篇を翻訳|塗説録
https://wjn782.cooklog.net/Entry/930/

 現代中国語の癖が大きな前回と比較すれば今回の方が漢文として整った文章であったので書き下しも前よりなめらかなものに仕上がった。また、最後の山上への評についても、よいところを突いていると思う。中古の刺客との比較はさておき、山上の件の遂行は鮮やかではあったものの、多くの面で彼の物事の認識はそのへんのネトウヨであり、必ずしも個人として大物や洗練された人物ではない。しかし行為が及ぼした影響はそれと別に量るべきである。この点、私は本文の著者の意見に一定の賛意を奉ぐところである。山上が爆弾ではなく銃を用いた理由に触れられているのもよい。前回は個人的にラストでネトゲの話が出たのは興ざめだったので、今回は結部が時人を通じての史評となっており、そこも雰囲気が出ている。

 ただし、いくつか前回と比べても事実関係との間で記述に錯誤があることは指摘しておきたい。前回のものは安倍の聴衆が少ないと述べ、今回のものは聴衆が多いと伝える。これは前回のものの方が実態と合致している。当時の奈良での安倍の演説において警備も聴衆も疎らであったことが山上の成功につながっていた。また、当時の安倍は既に総理大臣を自ら退任しており、連任(再任)を求めていたわけでもないし、選挙での再選に窮していたわけでもない。奈良の街宣で統一協会の教理や洗脳をおこなった事実はないし、そもそも安倍がおこなっていたのは当地の自民党議員候補者佐藤氏の応援演説である。

 それと、彼の評についても注意せねばならない点がある。この評では彼を私的な復讐者としているが、彼は信徒の統一協会からの解放を目指していたので、明らかに復讐のみが目的ではない。その上でもやはりこの史評を評価したいのは、やはり彼があたかも民衆解放等を目的としたかのような革命家だとか、そういったおかしな神格化、特にその人格への過大評価等が私が気になっているからで、そこに留保を置いた本評を私は非常によいと思っている。前回のものでは山上の事件後すぐに日本において皆から「民族の英雄」とされたと述べられているとか、安倍を殺したことが即座に圧政からの解放として民衆が快哉を叫んだとか、そういった記述などはさすがに誇張とさえ呼べるものではなく、実際の事実関係、というよりは、あまりに空気感との乖離があるように思われる。その一方で、やはり日本最長記録の政権を主宰して高支持率を維持したまま退陣した元総理大臣を暗殺したにもかかわらず、山上が世間から破格の同情を得たのも間違いないことで、殺人などの重犯罪者への厳罰を望む世論を喚起しやすい日本において、減刑嘆願の署名数が厳刑嘆願のそれを遥かに上回ったことは驚嘆に値する。このあたりの機微は記述として繊細さを必要とする分であり、私としては山上事件の重要な点なので、これはまた別稿を設けて論じよう。そして事実として統一協会による被害や安倍および自民党と教団の関係にもメスが入ったことは疑いなく、ここにある山上への世間の反応は、近年になく、しかし近古には確実にあったもので、その独特の空気感への近似性は今回のものの記述の方が(事実の正確さというよりも)その分に適っていると感じている。

 ……とまあ、なんだかこうやってみると、期せずして漢文史料の成立にかかる比較批判っぽい思索ができたりとか、史評への考察や批評ができたりして、こういうことをウダウダ考えるのは史に触れる面白さある。



訂正(2024年9月3日)
 書き下し文の「母は淫祀の為にして惑ひ」を「母は淫祀に惑はされ」に訂正。原文は「母為淫祀惑」であり、ここでの「為」は「為(ため)」ではなく、「見」「被」と同様の受身だと解するのが正しい。Twitter上にて書き下し文のみ読んだ武田崇元氏が違和感を指摘されたことにより気づく。感謝。

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