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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

映画『ジョーカー』感想
 この内容で私が「面白くもなかったし何も心に残らなかった」と評価することになるのは自分でも意外だったけど、この内容だからこそ「面白くもなかったし何も心に残らなかった」と評価することになったのだろうな、と思う。

 以上が感想の大枠。以下は読んでもそれより外に出たことは何も言わない。

 ここで描かれている内容って、言っちゃあなんだけど私が昔から主張していることなわけですよ。
 いきなり知ってる人向けの書きぶりになっちゃうけども。

 監督が主張しているというポリコレの抑圧性もそうだし、「金持ちを殺せ!」なんて私は東夷の倭人が始まった当初5年前からずっと言い続けていることなわけで、そんな主張のデモが起こり暴動に発展して街が荒廃するなんてのは、私からしたらまさに悲願なわけですよ。それを描いた映画なのだから、私がなんらかの強い感情を抱くのが自分でも当然だと思っていたのだけど、正直言って上滑りしているとしか感じなかった。

 映画の話に入る前に、この映画を取り巻く流れについて。監督がアンチポリコレな話をして、それにウヨが靡いて「金持ちリベラルはなにもわかってない!」「差別主義者こそ抑圧されている!」「いつかリベラルは復讐されるぞ!」とはしゃいでて、私は「勘弁してくれ……」としか思わなかった。で、現在アメリカで金持ちの襲撃を試みる暴動を見れば、金持ちを襲撃しながら国の文化財を破壊しているのはむしろ反差別極左で、ウヨは金持ちへの襲撃に対しては「暴力はよくない!」だの警察の暴力を無視していい子ちゃんぶって、銅像の破壊などには「ポリコレガー!」だのと喚くだけだったわけで。
 今からみると、現実と齟齬が起こりすぎである。アメリカで実際に起こっていることを見ていると、全然、反リベラルのウヨが金持ちに鉄槌を振り下ろすなんてことは起こっていないし、今まさに「金持ちを打倒しろ!」というデモや暴動が起こっているにもかかわらず、ジョーカーについて予言的作品だと持ち上げられる動きは皆無。金持ちや国の秩序にへーこらすることしかできないのがジョーカーでくだまいてるウヨ。「金持ちを襲撃するのは俺たち抑圧されたネトウヨだ!」みたいな自意識なんだろうか? 実際に暴動を起こしたのは、あの映画を持ち上げていた連中と真逆の存在だったわけで。


 私は既に前からこういうスタンスなので、予想通りでしかない。当然ながら、いつだってウヨよりサヨより私だけが正しい。っていうかね、「リベラルは基本的に勝ち組でネトウヨは基本的に負け犬」って認識は、ネトウヨとリベサヨの両方に都合がいいんだよ。ネトウヨは自分の差別をリベサヨの欺瞞に被せて正当化できて、リベサヨは選民思想に浸って人を見下せる。
 結局、アカデミー賞受賞なんてのも、そういうガス抜きに使えるからなんじゃないの? それこそ金持ちリベラルの象徴ハリウッドが大きなウェイトを占める賞で、本気でそれを殺しにかかる話なんてそこまで評価されるのかね? 都合のいい作品だっただけなんじゃないの。そもそも、アーサーは別にネトウヨじゃないし、殺されたエリート社員やらも別にリベサヨとは明示されていないのに、ファンもアンチも変な盛り上がり方して、監督も対立を煽ってたよなーって。全然ついていけない。

 かといって、言うまでもなく「白人のアーサーは恵れている!」みてーな教科書ポリコレしか振り回せないリベサヨに対しても嫌悪感は強いので、うっわー、どっちにも乗りたくねー、ってのは公開当時の感想を見ていてずっと思っていたんだけど、見た結果としてもやっぱり、どっちにも乗る気にならない。そもそも、対立者こそ共犯関係じゃん。くだらない。


 で、ここから映画の内容なんだけど……これもなあ。

 アーサーの演技は非常によくて、あの貧乏ゆすりの仕方とか、テレビ司会者に自分の鬱屈と怒りをぶちまけるシーンとか、共感も持ったんだけど、なんだろう、やっぱりどうしても同時に冷めた目で見てしまうというか、上滑りしているような……。たぶんね、アーサーのああいうところに共感する気持ちはわかる、はず、というか、私にもあるはずなんだけど、なんとなーく上っ面な感じがして、どうにもこうにも。ジョーカーが司会者を撃ち殺すときの流れとか、すごく陳腐なんだよ。そして、陳腐であることが生きているわけでもないと思う。「あー、言ってることわかるわー、その気持ちわかるわー、あ、撃った。撃ちたくもなるよねー、へー。あ、なんか画面が変でありきたりな演出で変わったぞ」って感じで流しちゃった。なんか演出が微妙すぎない? あのシーン。

 タクシードライバーに似ているという話を聞いていたけど、私は見ていてバッファロー66を真っ先に想起した。想起したっても、ここで比較はできない。なんつったって、バッファロー66を私が見てないからだ。その映画は感想とか評論とかで触れられることが多いので、内容の説明は何度か目にしている、というだけのことである。
 この映画を評価している人はそれらの作品を継承をしているから評価しているのかもしれない。しかしまあ、仮に継承していたとして、見てない私には関係ないし。知らねーよ、他の映画なんか……。私はこの映画を見ているのであって、他の映画を見ているのではない。

 ちょっとまた映画外の話になるけど、金もなければ頭がいいわけでもなく映画を見る習慣もない私からしたら、見てて内容を追うだけでも結構大変だったし、こういう映画を見させられても、「? ……なんかよくわからなかった」以上の感想なんて出てこないし、それこそ映画を浴びるように見ることができる大学生とかの「恵まれた環境」にいないとよくわからない映画なんじゃないの、とも思う。こんなのでアジテーションされるかよ。「わかるわー、これわかるわー。わからない奴は恵まれてるんだろうな」とかやった連中とかもうね。その排他性こそアーサーを追い詰めてたんと違うの?

 そんなわけで映画自体も面白いと感じなかった。本当に繰り返しになるけど、全体的な内容は自分向きのはずなのに、なーんかピンとこない。「精神障害を抱えながら貧困な中で既に若さを失いつつある壮年の男が、周囲に尊厳を奪われ続けたことに鬱屈した怨念を一気にぶちまけ、自分自身のために次々と殺人を犯したことが結果的に世間の鬱屈した人々の心を焚きつけ、金持ちをガンガン殺す暴動に発展する」って、概要だけ読んだら「自分のためにつくられた映画か!?」と思うくらいなんだけど、本当に面白いと感じなかった。もしかして私がうつ病か何かで感覚がなくなっているのだろうか? 精神科に行った方がいいのかな……。

 この映画を観たのだって、正直、「ほかの人の感想を見た印象を裏切り面白かった!」みたいな話をしたかったからなんだよ、本当に。面白いものを観たいと思ってないなら、苦手な映画なんて見ない。でも、これでは全然……。詳しい内容に突っ込んだ話とかはしないというより、できない。正直、退屈であんまり内容とか理解する気にならなかったから。あと、もう一度書くけど話が変に複雑すぎる。黒人シングルマザーとの妄想の下りとか、なによあれ。あそこで「話に聞くバッファロー66ってこんな感じの話なんだっけなー」と思ったけど、そこがメインテーマなら「知らねーよ」で終わりである。どこまでが妄想か、みたいな考察をしたいと思えない。めんどくささしか感じない。
 ホントさ、私はインテリの遊びになんてついていく気はないし、金持ちとインテリは皆殺しにしなくてはならんとしか思わない。この映画を「わからん」と言うことを嘲笑する行為って、まさにウヨ連中が叩いているインテリリベサヨの行為と同じだし、テレビ司会者に近い行為なんだけど、まあ自分が殺される側だっていう自覚ないんだろうなー、とか思ったりする。

 リベサヨ側が「ポリコレわかってる感」で評価しているのと同じように、ネトウヨが「サブカルわかってる感」や「世間や人間の真実わかってる感」で評価してる感じってのが、内容と評価を含めての感想。
 作品の歴史的な流れとしては、超お利口さんな出来の大人気超大作ハリウッド映画続編ポリコレ版が次々と発表されるも、そうした前提を知っている人々のフェティッシュを満足させなければ「勢いがない利口さんで退屈な映画」だとしか感じられる作品が発表される現状の裏面で、アメリカンニューシネマやらサブカル系の「わかってる感」映画作品の流れを継いだ作品においても、フェティッシュを満たせなければ「出来だけはいいけどお利口さんで退屈な映画」が出ただけなんじゃないの。なんか予定調和な感じ。
 たぶん、私がこれから初めてタクシードライバーやバッファロー66を観たら、面白いと感じる可能性は高いと思うのだけれども。昨今のハリウッド大作の続編映画がつまんなくても、その大本の作品を観れば面白く感じることが多いように。まあ、そんな感じ。ジョーカーの持ち上げられ方って、マッドマックス怒りのデスロードの持ち上げられ方と似たようなものだと思うよ。あれもイマイチだったけど、アカデミー賞で6部門受賞だったとか。

 ハリウッド超大作もカウンター作品も、両方がすごく矮小化していて、ジョーカーはその象徴的な作品なんじゃないかしら。これがアカデミー賞ってのも象徴的よね。まあ、先述した通り、あんまり私は映画見ていないんで、どこまでアメリカンニューシネマの文法やらを引き継いでいるのか、どこまで魂を引き継いでどこまで小手先なのかとか、判断できないのだけど。とはいえ、なーんか全体がイマイチ表層的に感じるんだよな。

 あとはつまらないって言う人の大半は前作ダークナイトと内容に齟齬があるということを理由としていて、内容は「こんなのはバットマンのジョーカーじゃない!」とか「知性がない精神障碍者なんかを悪役にしても評価できない!」とかなんとかかんとか。もちろん、私はダークナイトなんぞ知らんから共感できるはずもなく。後者に至ってはもう、ね。死ねばいいと思うよ。

 テストで点数付けるとしたら悪い映画じゃないのかもね、と思わなくもないけど、でもざっと見た感じ「バットマンという元ネタあり」で、更に「妄想と現実の混交で検証しないと全容がわからない」と「恵まれない環境で鬱屈した人物が怨念を晴らす社会的内容」という要素からして見てる側が複雑にしか観ることができなくて、それをちゃんと料理できているのか、正直言えば疑問。もしかしたら、出来のいい映画なのかもしれないけど、その検証に労力を割きたいと思わない。そもそも映画あんまり興味ないし。だから『評論』じゃなく『感想』ということで。

 精神障碍者をテーマにした映画だったら、イタリア映画の『人生ここにあり』が面白かった。あと、ポリコレじゃなくてマイノリティについて触れられた映画なら『パッチギ!』 とか見たらいいんじゃないの。あれ、ポリコレ話すると「朝鮮学校の生徒が乱暴だという偏見を植え付ける!」とか言われそうだよね。マイノリティに触れることについても、別にポリコレを守るのが絶対原則でもなんでもないとは私も思う。せいぜい扱うとしても無難なコード程度のものなのでは。
 そもそも、ジョーカーって言うほどアンチポリコレでもないし、単純に面白くないし……。なんであんなに流行ってんの? と思ってたけど、もう廃れたよね、正直。ただのヒット映画の地位に納まったというか。

 この映画がこのままの内容で現在のアメリカでの暴動を予見したものとして見ることもできたはずなのに、ネトウヨが反ポリコレと持ち上げ、リベサヨが主人公が白人男性による金持ちへのルサンチマンだとして貶めたことで、両者にとって反差別運動から反富裕層運動に流れた現在の暴動は都合の悪いものになってしまっているのではないか。少なくとも、そういった政治議論がされていた場では、今回の暴動に合わせてジョーカーを論じるような動きはない。


 それにしても、あらゆる角度のすべての感想の方に嫌悪感が強い映画だ。映画自体はただの微妙な映画なのに。たぶん、フツーに見てたら「主人公の言いたいことはわかるけど、なんか話が捻じれてるしズレも感じるし、映画としてはつまんなかったね」で終わりなんだけど。単純に「割とアーサーに共感しているのにつまらない」ってのが本当に珍しいんだろうね。共感しているかどうかで意見が完全に真っ二つだし。「アーサーに共感するからその人物が徐々に狂気に向かうのが怖い」とか言うけど、あの作品の殺人シーンとか全部「そりゃ殺すよね(笑)」で終わりでは。なんか別に狂っているように見えないんだよ、アーサー。だからとにかく退屈で。ライブを司会に笑われた話の件は、「じゃあなんでコメディアンになろうとしたの?」とは思ったけど。

 この映画のファンと私との一番の齟齬にようやく気付いたんだけど、ファンはアーサーを「不幸に陥っただけのやさしい人」と捉えているのだろうけど、私は「身空は不幸だけど、そもそも凡庸な小人物」と捉えていることにあるのかな、とも思った。悪人とは言わないし、アーサーの怒りは概ね正当だと思うのだけど、それはそれとして、虚栄心と自己愛が強い小人物でありながら、言葉や行動が陳腐で小心窮まる人物であるのも確かだろう。
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コメント

1. No title

>知性がない精神障碍者なんかを悪役にしても評価できない!

○井守が言っていましたね、そんなこと

2. Re: No title

まあ、まさにそいつのことなんですけどね。あいつ地獄に落ちますよ、ほんと。

3. 無題

革命の痛々しい側面ばかりが描かれていて、しいたげられた人々を救う表現ではないなと思った。革命ってもっと楽しいものだと思っていた。それも間違いなのかも知れないけれど。

4. Re: タイトルなし

 いやー、あれだって街をめちゃくちゃにして金持ちを殺せると思えばスカッとするし楽しいですよ、やっぱり。

 実際のところ、革命って組織だったものが主体となって起こすことが多いものなので、もうちょっと秩序だったお祭り的な要素も孕むこともありますし、行動は結構かっちりしてたり、何とも言えませんね。
 革命って結果であって、過程の行為はあまり同定しない言葉だと思います。

5. 無題

金持ちや国の秩序はへーこらされるから金持ちや国の秩序なのだ。

6. Re: タイトルなし

 へーこらするのは右翼か左翼かで言うなら右翼の方が契機は大きいし、金持ち打倒のためなら左翼の方が暴動を起こす契機が大きいのは当たり前。
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