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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

国譲りがお家騒動だったという話/現代の神話創造

 私が「ふどきさんの古代日本史考」のファンであり、大きな影響を受けていることは常々言っているけれども、その中でも特に面白いもののひとつがこちら。古事記や日本書紀に記される『国譲り』をお家騒動だったと捉える話。出雲陣営の神々と高天原陣営の神々の系図を確認し、複数の系図を有する神や同一神と疑われる神を習合していくと、それが親子神の天之冬衣神と大汝命の争いだった可能性が見えてきた……というのが動画の論旨である。

 さて、日本神話における国譲りとは何か。そのあらましを説明しよう。出雲の支配者にして素戔嗚尊の息子(あるいは子孫)である大国主命は遂に葦原中国(地上の日本)を統治するに至った。しかし、天上の高天原に住まう天照大御神が日本の統治権を主張し、自身の息子への譲渡を大国主命に要求した。長い争いの末に最後は天照大御神の息子のさらに息子、すなわち天照大御神の孫である天孫に大国主命から日本が譲られるというお話。これが神代紀の中心と言ってもいい国譲りのあらましである。

 巷ではこれを天皇以前に日本を支配していた民族「出雲族」から新興民族である「天孫族」が権力を奪い取った話だと解釈し、更には近現代の考古学的な知見に基づいて土着の縄文人と海の向こうから渡ってきた弥生人の民族対立と融和の過程だとか、果てには上記をミックスし、縄文人たる出雲族から弥生人である天孫族が権力を奪い取った話だとか、そんな大規模な民族対立としての解釈をよく見るけれども、そうではなく古事記や日本書紀の神々の名前や血縁関係に着目して考察し、まさかのお家騒動説を唱えるもの。

 よくよく考えてみれば、高天原側のトップである天照大御神は、出雲側のトップの大国主の父親(あるいは祖先)である素戔嗚尊の姉だと古事記にも日本書紀にも明記されている。天照大御神と素戔嗚尊の姉弟のそれぞれの息子の対立であるから、そもそも古事記と日本書紀の記述からして最初からお家騒動なのである。実は全然「まさかの」ではなく、単に文献の記述をそのまま読み取った順当な考察であり、その点については、むしろ民族間の対立だとか、果ては縄文人と弥生人の対立だとか、そんな風に解釈するほうが「まさかの」ヒネクレた解釈である。出雲族だの天孫族だの、そんな謎の民族のことなんて古事記や日本書紀には記されていない。

 ちなみにかつての私もそういう民族対立という解釈をしていた一人である。小学生の頃からそう考えていた。しかし、こうした解釈は戦後における非常に一般的なものであった。手塚治虫『火の鳥』も国譲りによる天孫降臨が、騎馬民族『天孫族』 によるヤマタイ国征服の物語と解釈され、そのように描かれている。 

 ネットをざっと見ても、こうした見方を信じている人は多い。しかも、こうした考え方は極めて科学的な分析であって戦前の皇国史観や前近代の人々の非科学的な迷信をすべて塗り替え、そこから解放された現代人の到達した極めて合理的な真理として受容されている。なぜか。我々が現代的な教育を受けているからである。鎌倉時代や江戸時代の人は縄文人や弥生人を知らないし、かつては民族という概念も極めて希薄であった。神々を民族の象徴として分析する行為こそ極めて近代的かつ合理的な分析である。

 なんとなーく縄文人と弥生人の対立を思い浮かべたりとか、出雲族だの天孫族だのという民族対立の構図がなんとなーく思い浮かぶのは、むしろ近現代の教育を受けているからだ。だから神話に記されている血縁関係も「近代合理主義的な考え方」に読み替えられる。その結果、生じたのが縄文人と弥生人の対立を国譲りに引き写すことだったのだ。

 しかしながら、こうした「合理的な解釈」は新たな神話の創造でしかない。実際のところ、古事記や日本書紀において歴史的な記述が始まる崇神紀は、崇神天皇の大叔母である倭迹迹日百襲姫命が活躍するものの既に老齢であり、彼女が埋葬されたとされる箸墓古墳は最古の古墳のひとつともいわれるもので、つまり古墳時代初頭から歴史記述が始まっているのだから、古事記や日本書紀には、断片的にでさえ弥生時代後期のことしか記されてはいないだろう。神々や信仰、儀礼のあり方等について縄文時代の残滓は存在するかもしれないが、文字のない時代のこと、そのままの物語が時系列等も正確なままに完全な形で残っているはずがないのである。

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