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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

日本霊異記
 小学館の完訳日本の古典という全集を買いました。将門記が欲しかったんだけど、入ってなかった。ちゃんと確認して買えよ……。古事記は一応子供の頃に児童版を読んだことがあるし、万葉集全六巻はさすがに骨が折れるため、今、日本霊異記の現代語訳から読んでます。私は日本の古典はどうにも知る気にさえならず、長らく遠ざけていたため、まったく知らない。児童向けの図書と学校の教科書以外で、唯一読んだといえそうな源氏物語は、中公クラシックスから出版されたアーサーウェーレ英訳の再翻訳版である。日本のものをそのまま読む気にならなくて……アーサーウェーレは論語の翻訳で知った。それくらい日本の古典を遠ざけていた。ちなみにお恥ずかしながら、私は日本霊異記なるものを今回まで知らんかった。マジで東方シリーズ第一作目のタイトルでしか知らん。

日本霊異記(にほんりょういき)とは - コトバンク
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 日本霊異記の用語解説 - 平安時代前期の仏教説話集。


これは日本最古の仏教説話集らしいです。仏教説話とは、仏教のありがたい教訓が庶民でも学べる物語のこと。愉しみ。前書きで著者の景戒は次のように述べる。

 善悪の報いは、影が形について離れないようなものである。苦労や快楽が人々の行いに応じて的確に現れることは、それぞれの声が谷のこだまとなっててきめんに返ってくるようなものである。これらの因果の報いを見たり聞いたりする者は、たちまち心が痛み、なんとかそこから逃れ去ろうととまどう。だから、善い種をまけば善い結果を得、悪い種をまけば悪い結果が現れる実例を示さなければ、悪心を改め、仏道へ導くことができようか。
 昔、中国では、唐の時代に『冥報記』や『般若験記』が作られ、仏教の因果応報の教えが日本にも伝えられた。だが、どうして他国の伝えばかりを恐れつつしんで、身近な自国の不思議な出来事を信じ恐ろしがらないということでよかろうか。そこで、このことを思うのあまり、世間を見渡してみるに、このまま放置してはおけない。坐して思いをめぐらすにつけても、沈黙しているわけにもいかない。そういうわけで、少しばかり耳にしたことを書きつけ、「日本国現善悪霊異記」と名づけた。これを上中下の三巻にわけ、後世に伝えることにした。しかしながら、筆者であるわたし景戒は、生まれつき賢明な天分を持っているわけでもないし、濁っている心を澄ますこともできない。知識は井の中の蛙のように狭いし、長い間人としてのあるべき道に迷っている。このようなわたしの著書であるから、たとえてみれば名工の刻んだ彫刻に、さらに下手な細工人が手を加えるようなものである。

(中略)

 後の世の識者たちよ、どうかあざけり笑わないでいただきたい。お願いしたいことは、この珍しい話を読む人は、まちがった行いをしないで、善行を践み行ってくれることである。どうかどんな小さな悪でも一切の悪を行うことをせずに、もろもろの善をおこなうようにしてほしいものである。


日本書紀成立から100年後のものなので、ちょうど日本が「日本」という意識を持った頃であろう、この前文にもナショナリズムの風があり、気にするほどのものではないとわかってても、なんとなく引っかかってしまう。私がこうなった原因はネトウヨだし、あいつらほんと死なないかな。日本霊異記の正式名称は「日本国現善悪霊異記」だそうで、題名からも善因善果、因果応報の仏説を説くことが本書の試みであることが読み取れる。私は日本霊異記というタイトルから妖怪話を期待してた。

 で、一番最初の説話は、「雷をつかまえた話(原題:電を捉えし縁)」というものなんだけど、読み始めてみると、いきなり雄略天皇のセックスシーンから始まる。読者の興味を引く算段だろうか。エロでつかみはオッケー、みたいな。これ、ヤングマガジンじゃなくて、仏教説話集だよね? 因果応報の話をこれからちゃんと説くんだよね? 不安になってくる。これが日本初の仏教説話か。
 現代語訳には「后と一緒に寝ていた」としか書かれていなかったので、もしかしてセックスではないのかな、と思って原文を確認したら、もっとはっきりとした明確な表現で雄略天皇がセックスしてたとの旨が書かれていた。「婚合=くながひ=セックス」ね。ちぃ、覚えた。史記に「野合」の語が見られ、正式な結婚ではないとの説から、青姦説まで、諸説幅広く(?)あるのだけど、結婚してからのセックスである婚合と野合とが対義語になるのだろうか。とりあえず、この話を読み進めよう。

要約:
雄略天皇の家臣に栖軽という者がいた。天皇が宮殿の寝室で妃とセックスをしていると、それに気づかず栖軽が入室してしまい、天皇は恥ずかしくなって、それをやめてしまった。空に雷が鳴っていたので、天皇は照れ隠しと仕返しの気持ちで、栖軽に雷をつかまえてくるように命令する。栖軽は鎧兜を着け馬を駆りながら、「雷よ、天皇がお呼びだ!」と山々を越えて叫び散らす。すると、岡に雷が落ちているのを発見する。栖軽は神官を呼び、雷を馬車に乗せて宮殿へと帰って、天皇に雷を見せた。その瞬間、雷は光輝き、天皇はこれを恐れて、たくさんのお供え物を捧げ、元の場所に返すよう命令した。
数年後、栖軽が亡くなったため、天皇は雷の落ちていたところに墓を建て、その名誉を讃えて「雷をつかまえた男」と碑文に刻んだ。すると、碑文を見ていた雷が怒り狂い、天から落ちてきて碑を蹴り飛ばした。しかし、雷は碑に挟まって抜けられなくなり、あえなくつかまってしまう。天皇は雷をゆるし、碑を再度建てさせた。そして、「生きてる間だけでなく、死してなお雷をつかまえた男」と碑文を書いた。この地が雷の岡と名付けられたのは、このような次第である。


 なんの教訓にもなりゃしないし、仏教説話なのかさえ謎である。私はこういう昔話は好きだから、面白いことは面白いんだけど、教訓はない。これもしかして、仏教説話集ではなく、地名の由来などをまとめた説話集なのだろうか。因果応報の話は?
 岡に落ちて拾われたり、墓を蹴ったりする雷が、どんな形態なのかが気になる。

 次は狐を妻にして子を産ませた話(原題:狐を妻として子を生ましめし縁)。子供を捨てたりする話じゃなければいいけど、と不安になりながら読む。

要約:
欽明天皇の時代、美濃の国の男が妻となる女を探しに出かけると、美しい女を見つけたので、なにをしてるのか尋ねると、お婿さんを探してるとのこと。男がプロポーズをすると女は承知し、結婚して子を産んだ。しかし、男の飼い犬はその女を見ると、いつも吠えて襲いかかるので、女は犬を殺すように男に頼んだが、どうしても男は犬を殺せなかった。ある日、女が米つき部屋に入ると、ふいに犬が飛び掛かってきた。驚いた女は狐の姿を現して逃げ出した。それを見た男は、「お前を忘れないぞ。毎晩私に会いに来てくれ。そして、一緒に寝よう」と声をかけた。そういう次第で、狐は女に化けては男の元に泊まりに来るようになり、狐は「来つ寝」と名付けられた。そして、男は二人の間にできた子に「狐の直」という姓をつけた。美濃の国の狐の直という姓は、こうしてできたのである。ある日、狐女が男の家を訪れたとき、袖を桃色に染めた裳を着ておしとやかな様子で現われた。そして、そのまま裾をなびかせながら姿を消し、二度と男の前に現れなかった。男は妻を思い出しながら、次のように歌った。恋は皆 我が上に落ちぬ たまかぎる 遥かに見えて 去にし子ゆえに。



 種族を越えた恋のお話で一安心。いい話だ。この話には、道徳的な教訓などない。道徳的教訓などないが、それが恋愛というものではないか。道徳を云々するばかりが物語ではないだろう。人の情動を喚起するのが文学の力ではないか。それは必ずしも、道徳的である必要などない。まして、恋愛というものが、いつも道徳的教訓に乗せられるものであろうか……と言いたいところである。これが仏教説話集という体裁でなければ。これのどこが仏教説話なのか、よくわからない。いい加減にしてほしい。
 それと、「会いに来てほしい」だけじゃなく、「一緒に寝よう」というのが、恋愛情緒をダイレクトにセックスに接続してて、すごく邪魔な感じするというか、やっぱり頭に浮かんじゃうのが、お前、ヤるための通い妻が欲しかっただけなんじゃないか、みたいな気持ちで……。このくだり、必要か? とも思うんだけど、「キツネは来つ寝」って由来のための説話だから、セックス要素が話のコアなところに食い込んでるため、その部分は話の趣旨からして除けない気もする。冒頭から二連続でセックス話の仏教説話集ってどうなんだ。
 と思ったんだけど、よくよく考えてみれば、毎晩来て一緒に寝よう~しばらく狐が通い妻をしてた~キツネの名前の由来、までの流れ、ない方が物語としてスッキリするんじゃないだろうか。 「お前を忘れないぞ。いつでも来い」とだけ男が呼びかける→それをおぼえてたのか、一度だけ狐娘は男の前に姿を現し、そのまま何も言わずに姿を消す→男は狐娘を思い出しながら歌を詠む、の流れの方が自然じゃん。やっぱり中盤のセックス云々いらねえ……。もしかしたら、来つ寝のくだりは後付けなんじゃないだろうか。正直、あまりにも不自然。人気取りのためにむりやりエロ要素入れてない……? 美しい着物を着て現れた狐娘がすぐに姿を消し、それに対して歌を詠む男の様が、どうやっても通い妻のエロ部分と接合することができない。
 Kannonのまこぴーシナリオ(幼いころ助けたキツネが少女に化けて会いに来る話)も、えーかげんセックスが邪魔な要素だったけど、キツネが女に化けて男と恋仲になる話に邪魔なセックス要素が入るのは平安時代以来の日本の伝統なのか。なぜこんなエロゲみたいな話が仏教説話集に入っているのか。むしろ、エロゲが仏教説話の後裔なのか。Kanonも仏教説話集なのか。Kanonは観音なのか。まこぴーのシナリオの正式なタイトルは、稚児の助けし狐の長じて乙女子に化けて見ゆ縁なのか。実際、Kanonのまこぴーシナリオは、横生衆生への遍く慈悲を説いてるのだから、この話より仏教説話に相応しいのではないか。調べたら、鶴の恩返しや笠地蔵などは報恩説話という仏教説話の類型らしい。へー。
 ところで、狐が人の女に化けて人の男と結婚する話は、古来から中国によく見える話なので、景戒が日本独自の説話を集めようとしたはいいけど、これも中国の影響がありそう。
 いろいろゆーてますが、狐娘は好きだし、そうでなくともこの話のなかに見える空気感、えも言えぬ情緒みたいなのが好きです。「来つ寝」の通い妻のくだりがなければ、本当に美しい話になると思います。エロだからダメなんじゃなく、不自然だからダメなんだよ、あそこ。ただ、今回も地方の珍しい姓の起源や動物の名前の由来についての話だったので、もう仏教のありがたい教えを聞くのはあきらめた。仏教の説話を世に知らしめたいという著者による前文は、私が魔境に陥って見た幻かなにかだったのだろう。

 最後、雷の好意を得て授けてもらった子供が強力であった話(原題:雷の憙を得て生ま令めし子の強き力在る縁)。雷がやけによく出てくるなあ。

要約:
敏達天皇の時代、尾張の国の愛知に農夫がいた。ある日、雨宿りのために木の下で鉄の杖をついて立っていた。すると雷が鳴ったので、農夫が思わず杖を振り上げると、目の前に雷が落ち、それが小さな子供になった。子供は「殺さないで。恩返しをしますから」というので、「なにを報いるのだ?」と聞くと、「子供を授けます」と言い、農夫に子供を授けた。
その子供が10歳余りになると、朝廷にいるという力の強い男と力比べをしたくて御所の近くに引っ越した。その頃、力の強い王が御所の東北に住んでおり、それが巨大な石を投げていたのを見て、子供は怪力の男がその王だと気づく。そして、同じ石を王より遠くに投げるのを見せつけた。
その後、子供は元興寺の童子となった。寺では鐘つき堂で毎晩人が死ぬという事件が起こっており、童子はその解決をすると申し出て、夜中に出る鬼を退治した。鬼の頭髪は今でも元興寺に収められている。そのまま童子は成人して優婆塞(成人した信者)になっても寺に住み続けた。寺の田植えの手伝いをしていると、以前の怪力の王が田に水が引けないようにせき止めた。優婆塞は100人でやっと持ち上げられるような石で水門を塞ぎ、田に水が流れるようにした。王は、それをおそれて二度と優婆塞に近づかなかった。優婆塞は僧となり、道場法師と名付けられた。
道場法師が怪力なのは、前世で善行を積んだからであり、そのことを理解せよ。これは日本に伝わる不思議な話である。


 あきらめたところに仏教説話が入ってきた。とはいえ、唐突に「前世の善行のおかげ」と言われても困る。どんな善行なのかさっぱりわからないので、いまいち教訓にならない。民間にあった仏教と全然関係ない説話を無理やり仏教にくっつけたようにしか見えないんだけど……。
 最初の農夫に対して、雷が「殺さないでください」とか言ってるけど、農夫に雷を殺す理由がないと思う。でも、農夫も命乞いに対して平然と「なにを報いるのだ?」ときいてるあたり、命乞いしなかったら殺す気だったっぽいし、この世界が殺伐としすぎてて怖い。奈良時代怖い。
 とはいえ、これは一応仏教説話の体裁を取っているから、雄略天皇のセックスの話より、こちらを最初に持ってきた方がいいのではないか、と思った。「これ日本国の奇しきことなり」と最後にわざわざ書いてあるあたり、著者もそういう意識だったような気もする。
 ちょっと仮説を立ててみる。日本に仏教が伝来したのは欽明天皇の時代だったとされており、雄略天皇は欽明天皇以前の人物である。もしかしたら、仏教伝来以前からのそれらしい説話を集めることで、日本にそういったものが古来から存在すると示すとともに、仏教の宇宙論が万世不易の常道であることを示したかったが、やはり仏教伝来以前の日本にはそれらしい説話が残っておらず、こういう形になってしまったのではないだろうか。
 狐の説話は欽明天皇の時代、道場法師の説話の敏達天皇は欽明天皇の次の天皇である。このように、説話は時系列順に並んでおり、欽明天皇の時代は、まだ仏教が伝来して間もないから、日本に仏教らしい説話はなく、敏達天皇の時代にようやく日本に一応の仏教説話とすることができそうな話が登場したとすれば、私の仮説の当否はさて置くとしても、この書は案外、それぞれの説話の発生時期について正確な記述がおこなわれているのかもしれない。3話しか読んでない上での想像ですが。
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