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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

山口の天孫降臨、大内氏の系譜
 アッシリア砂漠の遊牧民にとって、天体の中心に鎮座する不動の北極星は方位を測る旅の頼りであり、ゆえに信仰の対象であった。北上して中国に到達した遊牧民は周王朝を築き、北極星信仰は北辰信仰と呼ばれて重んじられ、後に儒教と道教に多大な影響を与えた。
 アッシリアで用いられた天文学は古代シュメール人の研究によるものであると言われている。ゆえに、シュメール人が基礎を築き上げた星座の体系に存在する北斗七星も、儒教及び道教では、北極星の侍従を司る星として、これも厚く信仰された。

前回:山口県は都市である
http://wjn782.blog.fc2.com/blog-entry-292.html



 さて、前回の予告通り、山口を山口として成立させた偉大なる守護大名、大内氏の話をしよう。山口などという日本の中でも辺鄙な田舎の領主について論じるために、私がアッシリア砂漠の遊牧民の信仰から話しを始めて、古代シュメール人の天文学まで遡った理由もここで明らかになる。

 戦国大名と言えば、ほとんどは源氏か平氏を名乗り、ごく僅かに藤原氏や橘氏を名乗るものがいる、つまりほとんどが天皇の子孫を自称している。
 そんな中で大内氏が名乗ったのは、百済聖王の第三子、琳聖太子の子孫である。誰? って感じだけど、聖王は朝鮮半島がかつて高句麗、新羅、百済の三国に別れていた時代、百済の26代王であり、琳聖太子は聖王の三男、ということになっている。つまり、山口県を山口県たらしめた守護大名の大内氏はもともと朝鮮からの渡来人である。

 では、この琳聖太子とはどのような人物であろうか。
 前回、土地を東京に売り渡して財を成し、徳山市を主体とする周南大合併を裏切った売県奴であり帝国主義の先鞭、山口県で唯一人口増を達成した経済特区下松(くだまつ)市の話をしたが、この名前の由来となったのが降松(くだまつ)神社である。降松が簡略化され、下松という市名になった。
 この降松神社こそが、琳聖太子が朝鮮から日本に渡ってきた最初の地なのである。降松神社の伝説とは、次のようなものである。


 推古天皇の時代、まだ降松が降松という名でなかった頃、その地に立った一本の松に流星が落ちてきた。松は燃え上がったが、その炎はまったく止む気配がない。
 人々はこれを奇怪に思い、地元の巫女を呼んだ。巫女が松の前に出でると突然喋りだした。
「私は北極星から遣わされた精霊である。この地に3年後、百済から王子が来訪する。私はその守護霊としてここに降り立ったのだ」
 それを聞いた村の人々はこの地に神社を建て、松に降った星を祭り降松神社と名付けた。
 果たして三年後、百済王の第三子、琳聖太子は降松に来訪した。琳聖太子は聖徳太子と謁見し、多々良という姓を賜って周防国の大内県を領土として与えられた。これが大内氏のはじまりであり、のちの現在の山口県東南部、周防を統治した在庁官人(大和朝廷の家臣である地方官僚)である。多々良は大内氏の本姓である。



 いかがだろうか。なかなか面白い話だと思う。これは山口県における天孫降臨の伝説と言っても差し支えなかろう。
 しかしながら、この伝説には非常に怪しい部分がある。流星が落ちて神が現れたこと? いやいや、おかしいのはそんなところではない。この琳聖太子なる人物の存在である。
 というのも、この人物の記録は、大内氏による山口県内での記録以外には一切残っていない。大和朝廷にも朝鮮にも、そんな人物の記録は一切まったく全然残っていない。この人物の初出は室町時代に編纂された「大内多々良氏譜牒」なる大内氏家伝の記録である。大内氏の自称以前には、琳聖太子なる人物の記録は存在していない。
 戦国大名の自称する先祖というものは皆インチキ臭いものばかりであるが、特に大内氏の名乗った琳聖太子は、そもそも実在しない可能性が高く、インチキ臭さの度が越えている。相手が日本から離れた国の家系の話だからって雑過ぎだろ、こいつ。

 しかし、まるっきり嘘かと言えば、そうとは言えない。大内氏が琳聖太子なる謎の人物の子孫を名乗ったのは室町時代以降であるが、それ以前から百済の末裔であることは自称していた。そして、嵯峨天皇の編纂した「新撰姓氏録」には多々良氏について、日本に帰化した任那の王族であると記録されており、「乗院寺社雑事記」には大内氏について、日本人ではなく高麗人であると書かれている。

 また、この降松(くだまつ)の地名の由来は、おそらく百済津(くだらつ)である。百済の津(船着き場)だから百済津であり、これがなまって下松となったのではないだろうか。
 これはなにも根拠のない妄想ではない。大阪府交野市にある小松神社には流星伝説が存在しており、隕石のクレーターに建てられたとも言われ、映画「君の名は。」のモデルのひとつであるとも噂されるが、この小松神社の名前の由来は「高麗津(こまつ)」であり、高麗との交易に用いられた船着き場(津)である。大阪には「高麗」と書いて「こま」と読む地名が多い。小松神社と降松神社、これが高麗津と百済津であれば朝鮮に由来する名前である点がまったく同じであり、流星伝説が存在する点も完全に一致する。更には、小松神社と降松神社の祭神は、いずれも天之御中主神(アメノミナカノヌシノカミ)であり、これも一致する。

 さて、ここでようやく冒頭のアッシリア砂漠の遊牧民や古代シュメール人の話と繋がる。
 降松神社と小松神社で祭られる天之御中主神(アメノミナカノヌシノカミ)は日本書紀の冒頭で登場する天地開闢の神であり、宇宙の創造主であり、世界そのものを司る最高存在である。日本神話を知らない人からしたら、天皇の祖先とされる太陽神、天照大御神(アマテラスノオオミカミ)より偉そうな、セム一神教におけるYHVHのごとき唯一神のような、多神教に似つかわしくないこの神について不思議に思うかもしれないが、これは冒頭で説明したようにアッシリアから北方の遊牧民を経由して中国に伝わった北辰信仰に由来すると推測できる。アッシリア人はセム語族であり、イエス・キリストが話したと言われるアラム語はアッシリアの外交語である。天之御中主神(アメノミナカノヌシノカミ)はその名の通り、天の中心、則ち北極星を宿星とする。太陽は流動的な存在であるが、北極星は不動の絶対的な存在で、ゆえに絶対的な唯一神と相性がよい。

 祭神が北極星を司る天之御中主神(アメノミナカノヌシノカミ)であるのは、中国から伝来した朝鮮での信仰に基づいていると考えられる。流星伝説も、朝鮮最古の歴史書三国史記の新羅本紀にも新羅王が流星を落とした描写があることから、これもやはり朝鮮の信仰に基づいたものであると考えられる。

 このような傍証から考えるに、琳聖太子の実在は極めて怪しいとしても、その降臨の地である降松が朝鮮とゆかりがある多民族居住地域で、大内氏の出自が朝鮮であることは確かなように思われる。降松神社は日本で最初に節分祭を祝ったとして有名であるが、節分祭は星祭と呼ばれ、これは北辰信仰の祭である。現代日本では星祭も伝統行事のように思われるが、当時はクリスマスのようなハイカラな祭だったのではないかと思う。当時後進地域であった日本にあって、中国や朝鮮のような先進地域から、このような祭を真っ先に輸入するあたりも、江戸東京と山口西京が近似する点であると私は考えている。山口は大陸文化や半島文化の入り口である。


 ここまでの話を纏めてみよう。大内氏は朝鮮からの移民の子孫であり、家系としては天皇の子孫ではない。大和朝廷の臣下であるが、祭神は中国朝鮮に由来し、日本書紀において天照大御神(アマテラスノオオミカミ)より高位の天之御中主神(アメノミナカノヌシノカミ)である。これは近代日本的な民族主義からすれば、変則的な存在であろう。

 大内氏に限らず、山口県は朝鮮半島と関係が深い。今後触れることになると思うが、大内氏以前の下松近隣に存在した、大和朝廷から独立を守った古代超大国熊毛王国も朝鮮式の建築が用いられていた。
 山口県は朝鮮半島に近い。直線距離では、山口市から釜山は名古屋より近い。ソウルは東京より近く、平壌は東京と同程度の距離である。ゆえに大内氏のみならず、朝鮮からの移民は古今多数である。大内氏の重臣陶氏も朝鮮からの渡来人であり、山口県の秦氏は新羅からの移民であるといわれる。

 山口県は朝鮮半島と近いがゆえに、韓国とも関係が深い。韓流ブームより先に、山口県では地元映画「チルソクの夏」をつくったし、給食ではナムルやチヂミが出る。夕方のローカル番組では、お料理コーナーで郷土料理として在日韓国人発祥のもつ焼き、とんちゃん焼きが紹介される。韓国と九州の植民地下関の商店では一部で韓国の通貨ウォンが使えるし、釜山へはフェリーで1万円以下である。
 地元政治のニュースになると安倍昭恵がコリアタウンでキムチづくりを実習したというニュースが流れるし、4年前の慰安婦補償に関する日韓合意の際には、民団の長老たちによる今後の日韓友好に関しての未来展望についての特別番組が放送された。その前番組として、サイコロクイズが人気のローカル番組「熱血テレビ」では、女性と戦争と題される5分程度の特集が組まれ、ナチスドイツやアメリカに至るまで、いかに人種差別の煽動に女性の性が利用されたかが論じられていた。(正直、夕方のローカル番組のレベルをあまりに逸脱してて、誰に見せるための番組かさっぱりわからなかった)。

 こういった土地柄は民族マイノリティの認識にも影響がある。私は山口県出身なので、民族マイノリティと言えば在日朝鮮人だったし、学校の授業でもマイノリティの代表として挙げられてたのは朝鮮人および韓国人だった。次に被差別部落があり、逆にアイヌなどについてはよく知らない。琉球人については、マイノリティという認識がなかった。逆に、北海道出身者の話を聞くと、アイヌの話はよく知っているようだけど、在日朝鮮人についてはネットで存在を知ったと言っていたので驚いた。
 山口県に韓国人や朝鮮人への差別があるかといえば、間違いなくある。しかし、それは山口県がウヨだの安倍だのというような簡単な話ではない。在日朝鮮人との交流は盛んだし、それを地域で推奨しているため、むしろ差別に否定的な人や個人レベルで国境を越えて韓国人との国際交流を持つ人も非常に多い地域でもある(他県に行ったとき、あまりに無責任に在日朝鮮人への偏見をたれ流す人に驚いた)。しかし、同時に山口県には他民族雑居地域ゆえのむずかしさがある。たとえば、メキシコとの国境線にあるアメリカの街でのメキシコ人とアメリカ人の関係を考えてみればよい。これは少し調べればわかることなのではっきり言ってしまうが、コリアンマフィアなどが下関などから侵入することは珍しくないし、それによって起こる事件もある。近いがゆえの生々しい関係がそこにはあるが、この現在の山口と半島との関係のあり方は、「日本」と「朝鮮」の存在と切り離せない。

 蒙昧な左派は安倍を支持するネトウヨを見て短絡的に山口に対して朝鮮を蔑視して排斥する土地柄であると決めつけて差別し、あるいは安倍をはじめ山口の政治家が韓国と関係が深いと聞きかじった短絡的な左派はネトウヨを朝鮮人だと認定して倒錯したレイシズムに陥る。しかし、朝鮮に関する山口県の二重性を理解しなければ山口県を理解することはできないし、日韓(日朝)関係もまったく理解できないだろう。大内氏が琳聖太子を名乗ったのは、日本と朝鮮の関係における二重性のはざまに位置する山口を根城としたが故のものである。

 山口の基礎を築いた大内氏は朝鮮からの移民である。江戸時代に山口長州を統治した毛利氏は山口植民地時代の広島西部、安芸出身である。近年話題の総理大臣安倍晋三もまた、東北俘囚の安倍氏である。俘囚は東北で長らく大和朝廷に帰属せず、弾圧された異民族であり、山口への移民である。安倍晋三の父、安倍晋太郎は「私は朝鮮人だ」と名乗ったらしいが、これは山口県でないと出ない言葉である。
 大内氏は移民であるがゆえに日本最大の都市西京を築き上げ、西国一の帝国に広げることができた。ゆえに貨殖と文化を重んじ、経済と理念を重視した。それはアメリカや東京と同じである。あるいは、砂漠を出た遊牧民の絶対存在への信仰が、世界宗教に転じて地上を席巻したのと同様である。ユダヤ人が財貨と一神教を重んじたのは、長らく故郷を失っていたからである。
 山口県民は討論が好きというステレオタイプがあるが、多民族の混交した国際都市であり帝国、文化の入り混じる地域では、フラットな言語コミュニケーションが重要になる。俗に言われる「山口弁は標準語に近い」が事実なのか、夜郎自大な山口県民の妄想かはわからないが、なぜそのように言われるのかと言えば、山口と東京がともに都市だからである。


 大内氏の話が長くなったので二回に分けます。ただし、次回は山口以前の山口、大和朝廷から独立していた失われた古代超大国熊毛王国の話から。大内氏をやるかは不明。
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コメント

1. No title

ちょうど、易と北斗信仰の話をもうそろそろしようかと思っていたところです。

近代日本的な民族主義>
妙見信仰(平将門)、天皇大帝からとった国号(天帝 北辰の神格化高宗の諡でもある)、伊勢の私幣禁断、北辰一刀流と、本来なら、北斗信仰が根強かったはずなんですけどね……。天之御中主神もまた然り(スピってる人でも知らない人が多そう)。

あと、日本書紀は平安初期の写本が最古に対し、古事記は南北朝時代と新しい。この辺りから、古事記は多くの江戸の学者から「?」をつけられている。(書道史をやっていても、不思議な箇所がある)辿れる 本の系統も日本書紀の方が詳細だったりと、不思議が多い。

では、お体にお気をつけて。

2. Re: No title

 ここに登場する山口県の郷土映画「チルソクの夏」は、下関の女子高生と釜山の男子高校生のラブストーリーなのですが、チルソクとは韓国語で七夕のことで、日本と朝鮮を隔てる海を天の川に見立てたお話です。これも北辰信仰ですね。日本の七夕の発祥は小松神社のようです。
 それと小松神社は弘法大師と北斗七星の伝説もあります。小松神社には星田妙見宮、下松神社は妙見宮鷲巣寺があり、北辰信仰は妙見信仰として真言宗とも関係が深い。北辰信仰は様々な形で日本に現存します。
 日本の近代民族主義だと天皇を拉致ったり、天皇の文書を偽造しようとしたりしてた北一輝が北辰を意識してましたけど、それは天皇以上の存在として。


 この山口県トークの論調は全面的にオカルト歴史式なんですが、そっち関連では実際のところどう扱われてるんでしょうか。オカルト式記述って、仮説に仮説をガンガン積み重ねて様々な分野の話を適当に組み合わせて好きに書けるからたのしいのですが、私は別にオカルトに詳しいわけではなく。

 易と北斗七星のはなし、楽しみにしています。中国における星辰信仰の北辰信仰と太陽信仰が入り雑じる関係が私の心を掴んでやまない。
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