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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

孟子は法治を否定していない
 中国思想において一般に流布される説として、「中国の政治思想は徳治(人治)と法治に弁別でき、儒家は徳治をよしとして法治を否定した。」というものがある。これ非常に怪しい。
 さて、儒家による法治否定の根拠として特によく引き合いに出されるもののひとつがこちらの孟子の章句である。

≪原文≫
 桃應問曰、舜爲天子、皋陶爲士、瞽瞍殺人。則如之何。孟子曰、執之而已矣。然則舜不禁與。曰、夫舜惡得而禁之、夫有所受之也。然則舜如之何。曰、舜視棄天下、猶棄敝蹝也。竊負而逃、遵海濱而處、終身訢然、樂而忘天下。

≪書き下し文≫
 桃應問いて曰く、舜を天子と爲し、皋陶を士と爲し、瞽瞍人を殺す。則ち之れは如何。孟子曰く、之れを執るのみ。然るに則ち舜は禁ぜざるか。曰く、夫れ舜は惡んぞ得てして之れを禁ぜん。夫れ之れを受くる所有るなり。然るに則ち舜は之れを如何。曰く、舜は天下の棄てるを視ること、猶お敝蹝を棄てるがごとし。竊かに負いて逃れ、海濱に遵いて處し、終身訢然とし、樂みて天下を忘る。

≪現代語訳≫
 桃應は孟子に質問した。
「古の聖王舜が天子の位に就き、伝説の司法官皋陶がその補佐官となったとします。そして舜の父親である瞽瞍が人を殺したとすれば、このようなときはどうなるのでしょうか。」
 孟子は答えた。
「刑罰を執行する。それだけだ。」
「ということは、舜は自らの父親への刑罰を止めないというのですか?」
「どうして舜が皋陶を止めることができるというのだ? 皋陶の法は先人から受け継がれてきたものであり、舜であろうとそれを私的に変えることはできない。」
「それなら、舜はそれをどうするのですか。」
「舜にとって天下を放棄することなど、やぶれた草履を棄てるのと同じようなものだ。舜はこっそりと瞽瞍を背負って亡命し、海辺に小さな家でも構えて、一生そこで楽しく暮らしながら天下のことなどさっぱり忘れてしまうだろう。」



 これをもって、儒家は法治を否定して親への孝を優先したと言われている。
 しかし、この孟子の論はどう見ても法治を否定していない。法律は司法官によって厳格に運用されなくてはならないと孟子は明言してる。
 ここで「舜は王として大権を振るい、父親の瞽瞍を無罪放免しなくてはならない。それが孝というものだ。」とでも言えば、それは法治の否定であろう。しかし、そんなことを孟子は一切主張せず、それどころか、王であろうと法律を変えることはできず、王の父親だろうと適用されなくてはならないと、非常に厳格な法治を敷くことを主張している。もちろん、舜は王座に座ったまま父親を庇っているわけでもなく、王位を棄てて逃亡犯に身をやつしている。これのどこが法治の否定なのか、私にはさっぱりわからない。

 それと私は孟子の意見に賛成しているわけでもないのだけど(別に反対もしていない)、これが面白い問答だと言うだけで、なぜか賛同者にされるのもよくわからない。公私の倫理と地位の関係ってめっちゃ面白いテーマじゃん。それと王と司法官で職分がしっかり別れてるのもポイント高い。

 朱熹の註では、「夫有所受之也」を皋陶の法は代々受け継がれてきたものだから王といえども私的に存廃を決定することはできないと解釈しており、現代語訳はこれに倣った。法源を考える上で慣習法と判例主義は重要な思想であり、特に近代英米法において重視される。
 これを読んで、エドワード・コーク(あるいはヘンリー・ブラクトン)の「国王といえども神と法の下にある」という有名な近代法の原則を思い出した人もいるだろう。法律はそれ自体では効力を発揮せず、その根拠を必要とする。ゆえに、王という個人の権威がそれを根拠づけると、その王によっていかようにも法律が操作することが可能になる。ゆえに、社会的原則として法律を運用するには、個人の権威のみに依らない社会性を有した根拠が必要となる。孟子の論によれば、それが古人から引き継いだ慣習と判例によるケーススタディということになるだろう。
 儒家が見ているのは、法律以前の根拠である。法と徳は必ずしも相反しない。法のうちに徳が宿るのだ。
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