忍者ブログ

塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

自然と文化の多元性と同一性

列子湯問編・上政下俗
https://wjn782.x.fc2.com/kanseki/shiryou/resshi_toumon.html


 南国の人は散切り頭で裸、北国の人は毛皮の頭巾とコートを着ている。中国の人はえぼしと着物を着ている。
 どこの国の人々も、それぞれ農業や商業、狩りや漁を生業とし、冬には毛皮を用い、夏には葛を用い、水上では舟を使い、陸では車を使う。
 これは誰が言うこともなくそうなっており、その性がそうさせているのだ。

 越の東に輒沐という國があり、そこでは長男が生まれると、それが生まれたてのうちに食べてしまい、それを弟のためだという。
 祖父が死ねば、祖母を背負って捨てに行く風習もあり、彼らは「幽霊の妻とは同居できない」と言う。
 楚の南にある炎人の國では、その親族が死ぬと、その遺体を朽ちさせてから棄て、その後で骨を埋め、孝子と呼ばれるようになる。
 秦の西にある儀渠の國の人々は、その親族が死ぬと、柴を積み上げて遺体を焚き上げ、燻って煙を上げ、魂を遠い天に昇らせるための儀式だと言い、それを成し遂げると孝子と呼ばれる。

 このように、上には政治があれば、下には習俗がある。これらは異なるものだとするに足るものではないのだ。


 東夷の倭人さんが一番好きな中国古典は?
 そう、列子ですね。

 というわけで、このブログでも何度も引用している列子湯問篇の上政下俗を、改めて全文翻訳してホームページにUPしたので、こちらにも掲載する。

 ここで論じられているのは、儒家の普遍主義に対する批判であろう。
 儒家は一元的に同じ服装、同じ礼式、同じ倫理観、同じ産業構造を推し進める、少なくともそういった側面が古い儒教に存在していたのは間違いない。それに対して、あらゆる国に様々な服装、様々な産業、それら多元的な習俗の存在を提出することで、儒家思想に対する批判を食らわせようと試みたものだと考えられる。

 しかし、これは一般に考えられる近現代的な多元文化主義と相違する点がある。
 一般に多元的文化主義は、その文化を属人的なものとして捉える傾向がある。ゆえに、たとえば先進国への移民の宗教的儀礼や民族的服装の自由などは、こうした多元文化主義のコンテキストから主張される。そこに自然は介在せず、むしろ自然環境と文化は対立する概念として捉えられる。
 対して、ここで列子は人間の文化的営為も自然の一部と考えている。人間たちが営む文化について、列子は「これは誰が言うこともなくそうなっており、その性がそうさせているのだ。(默而得之、性而成之)」と論じる。
 最初に例示されているのは、南方の薄着、中央の礼服、北方の厚着である。こういった文化は、南方の温暖湿潤な気候や北方の寒冷気候、中央の乾燥した気候などに応じて、人の営為も自然とそう規定されているものである。ここで語られる文化は自然に応じた存在なのだ。

 後半の親族との関係や遺骸の扱い方などについては、特に自然と関係させて論じているわけではないが、習俗を属人的なものとして個々人のアイデンティティと文化的多元性を擁護すべしと明示的に論じているわけでもない。

 表題にもなっている最後の「上には政治があれば、下には習俗がある。(上以為政、下以為俗)」の部分は、「政」が人為性を包含し、「俗」が自然を包含しているとも捉えられる。本文を読む限り、少なくとも列子は文化を自然と対立する存在としては見ていない。列子はより広い視野で事物を捉えている。

 更に、列子はこれについて、「これらは異なるものだとするに足るものではないのだ。」と述べる。これらの習俗を、列子は異なる存在だと認めていない。人食いの風習も、姥捨ても、遺骸を放置することも、焼くことも、すべて夏に薄着をして冬に厚着をするのと同様に、人間がその地に適合した姿でしかないとして、それらはすべて同一の人間の本性に基づいた行為として同様の存在であると述べているのである。
PR

コメント

1. 無題

「文化」は学者の戯言。

2. Re: タイトルなし

 そう。
コメントを書く