史記 項羽本紀
鴻門之会
大ピンチ!
人物紹介
項羽……楚という国で代々将軍をしていた武人の出自。当時の王朝であった秦の崩壊に乗じて楚の復興を唱えて王族の子孫から王に立てたが、のちに彼を追放して自らが楚王を名乗り乱世で覇を唱える。若き群雄。
劉邦……もともと楚の沛という地方でゴロツキをしていたが不思議と人望があり、岡っ引きの大将みたいな役目についた。その後は秦に反旗を翻して項羽と共に楚の懐王に仕えるが……。
懐王……項羽に立てられた楚王。後に項羽に追放されて王位を奪われた。
樊噲……犬の屠殺業で生計を立てていた肉屋。劉邦の不良仲間で弟分。
張良……韓という国の貴族の出自であったが若き日に秦の統一によって祖国を失う。復讐のために秦の始皇帝を暗殺しようと企てたが失敗して逃亡。以後はやくざ者になり、さまざまな主君を転々とするが、劉邦と知り合ってからは彼を英傑と認めて忠誠を誓うようになる。
項荘……項羽の従弟であり忠実な臣下。
項伯……項羽の叔父であるが張良に恩があり劉邦に味方する。
范増……項羽に乞われて仕える老軍師。項羽から亜父(父親代わり)と呼ばれて尊ばれるが必ずしも反りはよくない。【現代語訳】
日の出とともに沛公(劉邦)は百騎あまりを従えて来た。項王(項羽)にお目通りしようと鴻門までたどり着くと、謝罪した。
「わたくしめは将軍(項羽)と力を合わせて秦を攻めました。将軍が河北で戦い、わたくしめは河南で戦い、このようにして自ら意図することなく先に関に入って秦を破ることになってしまい、将軍とまたしてもここでお目通りすることができたところなのです。今さっき、つまらぬ者からの言葉によって、将軍とわたくしめを仲たがいさせられようとしていましたが。」
項王はいう。
「ここで沛公の左司馬の曹無傷がそのように言ったのだ。そうでなければ、俺がなぜここに来ようか。」
項王はその日のうち、そのような事情から沛公を留めて一緒に飲むことにした。項王と項伯が東に向いて座り、亜父が南に向いて座った。亜父とは范増である。沛公は北に向いて座り、張良が西に向いて侍した。范増はしきりに項王へ目くばせし、腰に巻きつけて玉珪をかかげることで、そのようにサインを三度もおくったが、項王は黙ったまま応じなかった。范増が立ち上がって外に出、項荘を呼び出して言った。
「君王は残忍を嫌うお人柄だ。お前は中に入ってから前に出て、長寿の祈りを口にせよ。長寿の祈りを終えてから剣舞をしたいと提案し、これで沛公が座っているところを擊ち、やつを殺してやれ。さもなくば、お前の仲間はみながこれから捕虜にされてしまうぞ。」
項荘は入ってから長寿の祈りを口にした。長寿の祈りが終わってからいう。
「君王は沛公とお飲みであるが、軍中には楽しみとなるものがない。どうか剣舞をさせていただきたい。」
項王が「いいぞ」と言うと、項荘が剣を抜いて立ち上がり、舞い始めてみると、項伯も同じく剣を抜いて立ち上がり、舞い始め、常に身をもって沛公を翼のごとくかばった。項荘は撃つことができなかった。そこで張良は軍門までたどりついて樊噲と会った。樊噲はいう。
「今日のことはどうだ?」
張良はいう。
「大ピンチです。今さっき項荘が剣を抜いて舞い始めましたが、その意(こころ)は常に沛公にあります。」
樊噲はいう。
「そりゃ困った! 拙者も中に入るぞ。あいつと生死を共にするんだ。」
樊噲はすぐさま剣を腰に巻き、盾を手にして軍門に入ろうとしたが、戟を交差させた衛士が止め、内には入れようとしなかった。樊噲はその盾を構え、そして叩きつけると、衛士が地に倒れた。樊噲はこうして入ることになったのだ。カーテンを開いて西に向って立ち、目を釣りあげながら項王を視、頭髪は上を指していた。目じりはことごとくが裂けるかのようである。
項王は剣に手をかけながら膝を付けて言った。
「客人よ、なにをするつもりだ。」
張良はいう。
「沛公の参乗の樊噲という者です。」
項王はいう。
「ずいぶんと立派な士人ではないか。あいつに盃と酒をくれてやれ。」
こうして盃と酒をよこされると、樊噲は拝礼して謝罪し、立ち上がってそのままこれを飲み干した。
項王はいう。
「あいつに豚の肩肉をくれてやれ。」
こうして一頭分の豚の肩肉が与えられた。樊噲は自身の盾で地をおおい、豚の肩肉を上に置いて剣を抜くと、切り刻んでそれを食べた。
項王はいう。
「立派な士人よ、まだまだ飲むことはできるか?」
樊噲はいう。
「拙者は死んでも逃げるつもりはござらぬ。盃の酒なんぞ語るまでもない。さて、秦王は虎狼の心をもち、数えきれないほどの人を殺し、人への刑罰も執行しきれないのではないかと思われるほどのものだったから、天下の誰もがやつに叛いたのだ。懐王は諸将と"先に秦を破って咸陽に入った者がそこの王とする"と約束された。今回、沛公が先に秦を破って咸陽に入ってからというもの、一毛たりとも自分のものにしようと近づけることがなかった。宮室を封鎖して軍を霸の上に返したのは、大王の到来を待っていたからだ。つまり将を派遣して関を守らせたのは、他の盗賊の出入りや非常時に備えてのことである。労苦と共に斯様な高らかとした功績を立てたのに、まだ諸侯に封じられるとの恩賞も与えられていない。それどころか下らぬ噂を聞き入れ、功績のある者を誅殺しようとしている。これは亡国たる秦の続きでしかあるまい。失礼ながら大王の為を思えばこそ賛同はできませぬ。」
項王は同意しようとしたわけではないが、口を開いた。
「座れ。」
樊噲は張良の傍に座った。座ってからすぐに沛公はトイレに行く様子で立ち上がり、そこで樊噲を呼び出して外に出た。
【漢文】
甚急
沛公旦日從百餘騎來見項王、至鴻門、謝曰、臣與將軍戮力而攻秦、將軍戰河北、臣戰河南、然不自意能先入關破秦、得復見將軍於此。今者有小人之言、令將軍與臣有郤。項王曰、此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。項王即日因留沛公與飲。項王、項伯東嚮坐。亞父南嚮坐。亞父者、范增也。沛公北嚮坐、張良西向侍。范增數目項王、舉所佩玉珪以示之者三、項王默然不應。范增起、出召項莊、謂曰、君王為人不忍、若入前為壽、壽畢、請以劍舞、因擊沛公於坐、殺之。不者、若屬皆且為所虜。莊則入為壽、壽畢、曰、君王與沛公飲、軍中無以為樂、請以劍舞。項王曰、諾。項莊拔劍起舞、項伯亦拔劍起舞、常以身翼蔽沛公、莊不得擊。於是張良至軍門、見樊噲。樊噲曰、今日之事何如。良曰、甚急。今者項莊拔劍舞、其意常在沛公也。噲曰、此迫矣、臣請入、與之同命。噲即帶劍擁盾入軍門。交戟之衛士欲止不內、樊噲側其盾以撞、衛士仆地、噲遂入、披帷西向立、瞋目視項王、頭髪上指、目眥盡裂。項王按劍而跽曰、客何為者。張良曰、沛公之參乘樊噲者也。項王曰、壯士、賜之巵酒。則與斗巵酒。噲拜謝、起、立而飲之。項王曰、賜之彘肩。則與一生彘肩。樊噲覆其盾於地、加彘肩上、拔劍切而㗖之。項王曰、壯士、能復飲乎。樊噲曰、臣死且不避、巵酒安足辭。夫秦王有虎狼之心、殺人如不能舉、刑人如恐不勝、天下皆叛之。懷王與諸將約曰、先破秦入咸陽者王之。今沛公先破秦入咸陽、豪毛不敢有所近、封閉宮室、還軍霸上、以待大王來。故遣將守關者、備他盜出入與非常也。勞苦而功高如此、未有封侯之賞、而聽細說、欲誅有功之人。此亡秦之續耳、竊為大王不取也。項王未有以應、曰、坐。樊噲從良坐。坐須臾、沛公起如廁、因招樊噲出。
【書き下し文】
甚急
甚ダ急ナリ沛公は旦日(あけがた)、百餘(ももあまり)の騎(うまいくさ)を從へて來たり、項王に見えむとして鴻門に至る。謝りて曰く、臣(やつかれ)は將軍(いくさのきみ)と與に力を戮はせて秦を攻む。將軍(いくさかしら)は河北に戰ひ、臣(やつかれ)は河南に戰ひ、然らば自ら意(こころ)するにあらずして能く先に關に入りて秦を破り、復た將軍と此に於いて見えむを得。今者(いまごろ)に小人の言(ことば)有り、將軍(いくさがしら)と臣(やつかれ)を令(し)て郤(なかたがひ)を有らしめむとす、と。項王曰く、此れ沛公の左司馬の曹無傷、之れを言ふ。然らざれば、籍は何の以ちて此に至らむ、と。項王は即日(そのひ)に因りて沛公を留めて與に飲む。項王、項伯は東に嚮(む)きて坐る。亞父は南に嚮(む)きて坐る。亞父なる者、范增なり。沛公は北に嚮(む)きて坐り、張良は西に向きて侍る。范增は數(しばしば)項王を目にし、佩かるる所の玉珪を舉げ、以ちて之れを示す者(こと)三(みたび)、項王は默然(だまり)として應へず。范增は起き、出でて項莊を召し、謂ひて曰く、君王(きみ)の人と為(な)りや忍びず、若(なむぢ)よ、入りて前(すす)みて壽(ことぶき)を為せ。壽(ことぶき)の畢ゆれば、劍を以ちて舞はむことを請ひ、因りて沛公を坐に擊ち、之れを殺すべし。不者(しからずば)、若(なむぢ)の屬(ともがら)は皆が且(まさ)に虜(とら)はるる所と為らむ、と。莊は則ち入りて壽(ことぶき)を為し、壽(ことぶき)の畢はらば、曰く、君王(きみ)は沛公と與に飲むも、軍の中に以ちて樂と為ること無し。請ふ、劍を以ちて舞はむことを、と。項王曰く、諾(よし)、と。項莊は劍を拔きて起(た)ちて舞はば、項伯も亦た劍を拔きて起(た)ちて舞ひ、常に身を以ちて沛公を翼のごとく蔽(かく)し、莊は擊つを得ず。是に於いて張良は軍門に至りて樊噲と見ゆ。樊噲曰く、今日の事は何如(いか)に。良曰く、甚だ急(あやうき)なり。今者(いまごろ)項莊は劍を拔きて舞ひ、其の意(こころ)は常に沛公に在るなり。噲曰く、此れ迫(こま)れり。臣(やつかれ)は入りて之れと與に命を同じくせむことを請ふ。噲は即ち劍を帶びて盾を擁(も)ち、軍門に入る。交戟の衛士は止めて內(い)れざらむと欲(おも)はば、樊噲は其の盾を側(かま)へて以ちて撞(お)し、衛士は地に仆れ、噲は遂に入る。帷を披(ひら)きて西に向かひ立ち、目を瞋(いか)らせて項王を視、頭の髪は上に指(む)き、目眥(めじり)は盡く裂く。項王は劍を按(な)でて跽(ひざまづ)きて曰く、客よ、何の為す者ぞ、と。張良曰く、沛公の參乘の樊噲なる者なり、と。項王曰く、壯士(ますらを)よ、之れに巵酒を賜らむ、と。則ち斗巵の酒を與ふ。噲は拜みて謝り、起ち、立ちて之れを飲む。項王曰く、之れに彘の肩を賜らむ、と。則ち一生の彘の肩を與ふ。樊噲は其の盾を地に覆ひ、彘の肩を上に加へ、劍を拔きて切り、而りて之れを㗖(く)らふ。項王曰く、壯士(ますらを)よ、復た飲むに能へるか、と。樊噲曰く、臣(やつかれ)は死にても且に避(さ)けざらむとす。巵の酒、安ぞ辭(ことは)るに足らむ。夫れ秦王に虎狼の心有り、人を殺すこと舉ぐること能はざるが如し、人を刑(しをき)すること勝へざるを恐るるが如し、天下は皆が之れに叛く。懷王は諸將(もろもろのいくさかしら)と與に約(うけひ)して曰く、先に秦を破りて咸陽に入りし者、之に王(きみ)たり、と。今や沛公は先に秦を破りて咸陽に入り、豪毛(わづか)たりとも敢へて近づけらるる所有るにあらず、宮室(みや)を封閉(とざ)し、軍を霸の上に還し、以ちて大王(おほきみ)の來たるを待てり。故に將(いくさかしら)を遣はして關を守らしむ者(こと)、他の盜(あた)の出入りと常に非ざるに備ふればなり。勞苦(いたつ)きて功(いさを)は高きこと此の如くするも、未だ封侯の賞(たまもの)有らず、而りて細(つまらぬ)說(うはさ)を聽かば、功(いさを)を有つが人を誅(ころ)さむと欲せり、と。此れ亡き秦の續きなる耳(のみ)、竊かに大王の為にも取らざるなり、と。項王は未だ以ちて應ふること有らざるも、曰く、坐れ、と。樊噲は良に從ひて坐る。坐ること須臾(わづか)にして、沛公は起つこと廁するが如し、因りて樊噲を招きて出づ。
というわけで、史記項羽本紀の鴻門之会を訳してみた。このエピソードに登場する「豎子不足與謀(豎子、與ニ謀ルニ足ラズ)」という有名なフレーズに「クソガキには付き合っておれん」という訳が浮かんだことから遡及的に全文を訳してみたくなったからである。このフレーズが登場するのは次回。
史記なんて何度も訳されているし、特に鴻門之会は中学だか高校だかの教科書で頻出らしく、謎に翻訳がネット上にもゴロゴロ転がっていたので、あらためて私から単純な逐語訳することもないかということで、「甚急」を表題にある通り「大ピンチ」と訳していたりとか、そんな感じで気ままに訳している。
単純に訳していておもしろかった。史記が人気である所以がわかる。話が面白すぎるから事実なのかはむしろ怪しく感じてしまうが。
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