【現代語訳】
時に世尊が七日を過ごした後、三昧(サマーディ)から立ち上がって、目支鄰陀(ムチャリンダ)の樹の下を離れ、羅闍耶他那(ラージャ・ヤタナ)の樹の場所へ赴いた。赴いてからは、羅闍耶他那(ラージャ・ヤタナ)の樹の下にて一度、跏趺を結んで坐することにした。坐して七日の解脱を楽しみを享受していた。その時、多富沙(トラプサ)と婆梨迦(バッリカ)という二人の商人が鬱迦羅(ウトカラ)の村から来て、この地の路上にたどり着いた。時に多富沙(トラプサ)と婆梨迦(バッリカ)の二人の商人は前世において備わった親族血縁のうち一人に鬼神がいて、多富沙(トラプサ)と婆梨迦(バッリカ)の二人の商人に告げた。
「諸兄よ、世尊はここで初めて現等覚を完成して羅闍耶他那(ラージャ・ヤタナ)の樹の下におる。お前たちはこれから麨子(クッキー)と蜜丸(キャンディ)を持っていき、かの世尊に供えるがよい。長夜においてその利益、安楽を得ることになろう。」
時に多富沙(トラプサ)と婆梨迦(バッリカ)の二人の商人はすぐさま麨子(クッキー)と蜜丸(キャンディ)を持ち、世尊の住処に到着した。到着すると、一面立によって世尊に敬礼した。一面立してから、多富沙(トラプサ)と婆梨迦(バッリカ)の二人の商人は世尊に告げて言った。
「願わくば世尊よ、我々の麨子(クッキー)と蜜丸(キャンディ)を受け取り、我々に長夜におけるその利益と安楽を得られるようになされんことを……!」
時に世尊の心は思念を生じた。
「如来たちは手を使わずに受け取るものであったな。余は何の器によって麨子(クッキー)と蜜丸(キャンディ)を受け取ればよいものか……。」
時に四大天王が現れ、世尊の思念のある処に以心知(テレパシー)をおこない、四方から分散して世尊に四つの石鉢を献上しに来て言った。
「世尊よ、この器で麨子(クッキー)と蜜丸(キャンディ)を受けて下され!」
世尊はこの新たな石鉢を受け取ると、麨子(クッキー)と蜜丸(キャンディ)を受けて食べた。
時に多富沙(トラプサ)と婆梨迦(バッリカ)の二人の商人は世尊の洗鉢と手を見てから、頭面で世尊の足に礼をして世尊に告げた。
「ここで我々は世尊と法(ダルマ)に帰依します。どうか世尊よ、我々を受け入れ、今日から始まり生命の終焉に至るまで優婆塞(ウパーサカ)にしていただきたい!」
彼らは世間において初めて二度にわたる帰依を唱え、優婆塞(ウパーサカ)となったのである。
【漢文】
時、世尊過七日後、從三昧起、離目支鄰陀樹下、往羅闍耶他那樹處。往已、于羅闍耶他那樹下、一度結跏趺坐、坐受七日解脫樂。爾時、多富沙與婆梨迦二商人從鬱迦羅村、來至此地路上。時、多富沙與婆梨迦二商人有于前生具親族血緣一鬼神、告多富沙、婆梨迦二商人曰、諸兄、世尊于此初成現等覺、在羅闍耶他那樹下。汝等應以麨子、蜜丸往供彼世尊。將于長夜得其利益、安樂。
時、多富沙、婆梨迦二商人即持麨子、蜜丸、詣世尊住處。詣已、敬禮世尊、于一面立。一面立已、多富沙、婆梨迦二商人白世尊言、願世尊受我等麨子及蜜丸、使我等于長夜得其利益、安樂。
時、世尊心生思念、諸如來不以手受、我當以何器受麨子、蜜丸耶。時、有四大天王、以心知世尊念處、分從四方來獻世尊四石鉢曰、世尊、請以此器受麨子、蜜丸。世尊受此新石鉢、受麨子、蜜丸而食。
時、多富沙、婆梨迦二商人見世尊洗鉢及手已、以頭面禮世尊足、白世尊曰、我等于此歸依世尊與法、願世尊容我等從今日起至命終止為優婆塞。彼等于世間、初唱二歸依為優婆塞。
【書き下し文】
時に世尊の七日を過ごす後、三昧從(よ)り起こり、目支鄰陀の樹の下を離れ、羅闍耶他那の樹の處に往けり。往きて已(のち)、羅闍耶他那の樹の下に于いて、一度(ひとたび)は跏趺を結びて坐(ま)し、坐(ま)して七日の解脫の樂しみを受く。爾る時、多富沙と婆梨迦の二(ふたり)の商人(あきうと)は鬱迦羅の村(むら)從(よ)り來たり、此の地の路の上に至れり。時に多富沙と婆梨迦の二(ふたり)の商人(あきうと)は前の生に于ける親族血緣の一(ひとつ)の鬼神(かみ)を具(そな)ふる有り、多富沙、婆梨迦の二(ふたり)の商人(あきうと)に告げて曰く、諸(もろもろ)の兄(このかみ)よ、世尊は此に于いて初めて現等覺を成し、羅闍耶他那の樹の下に在り。汝等は應(まさ)に麨子、蜜丸を以ちて往き、彼の世尊に供ふべし。將に長夜に于いて其の利益、安樂を得む。
時に多富沙、婆梨迦の二(ふたり)の商人(あきうと)は即ち麨子、蜜丸を持ち、世尊の住處(すみか)に詣(いた)れり。詣(いた)りて已(のち)、世尊を敬禮(ゐやま)ふこと、一面立に于いてす。一面立の已(のち)、多富沙、婆梨迦の二(ふたり)の商人(あきうと)は世尊に白(まを)して言(いは)く、願はくば世尊は我等の麨子及び蜜丸を受け、我等を使(し)て長夜に于いて其の利益、安樂を得させしめむことを、と。
時に世尊の心は思念(おもひ)を生ぜり。諸(もろもろ)の如來は手を以(もち)ゆことなく受く。我は當に何の器を以ちてか麨子、蜜丸を受けむか、と。時に四大天王有り、心を以ちて世尊の念(こころ)の處(ところ)に知らしむ。分かれて四方(よも)從(よ)り世尊に四つの石鉢を獻(たてまつ)らむと來たりて曰く、世尊よ、請ふ、此の器を以ちて麨子、蜜丸を受けむことを、と。世尊は此の新たな石鉢を受け、麨子、蜜丸を受けて食らへり。
時に多富沙と婆梨迦の二(ふたり)の商人(あきひと)は世尊の洗鉢及び手を見た已(のち)、頭面を以ちて世尊の足に禮(ゐや)まひ、世尊に白(まを)して曰く、我等は此に于いて世尊と法に歸依せり。願はくば世尊の我等を容(い)れて今日從(よ)り起こし、命の終はり止まるに至るまで優婆塞と為さむことを、と。彼等は世間に于いて、初めて二(ふたたび)の歸依を唱へて優婆塞と為らむ。
仏陀が悟りを開いたのちに初めて在家の信徒「優婆塞(ウパーサカ)」を獲得するお話。四方から四天王が総出で現れてお供え物のクッキーとキャンディを受け取るための石鉢を渡すさまが大袈裟で訳しながらめっちゃ笑ってしまった。
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