これとか、仮に、 #男だけの街 や、 #女だけの街 が本当に出来たなら、俺ならそこにミサイルブチ込むわ。
だって今までの人類の歴史や努力を、楽したいから、という理由で全否定しているようなものだもの。街そのものが侮辱行為の塊よ。
— 天狗の国からやってきたアゴニィ (@IfybcA) 2020年1月14日
これとか。https://t.co/Dky2e3ShWg それを何と言うか知ってるか♪「ホモソーシャル」って言うんだぜ(笑)そ、君達フェミが「根絶してやる絶対破壊してやる許されざる悪だ!」って言って来た奴。そしてそれを真に受けた戦後日本はホモソを解体しちゃって結果こういうオジサン達が孤立するようになった訳よ。
— MAXIMAM357@RIGHT OF MGTOW (@Maximam357A2) 2020年1月12日
先の人はこういう謝罪文を出したようだけど、ホモソーシャルとはなんぞ、という基本事項をちゃんとおさらいした方がよいのではないかと思う。二番目に挙げたアンチフェミのゴミみたいな言いがかりはひでーなーと思うけど、同時にホモソーシャルのなにが問題なのかについて、Twitterなんかでは順序だてて論じられているところを私は見たことがない。もしかしたらあったかもしれないが、小難しい専門用語が並んでたり、難解な言い回しで書かれてて、私には理解できなかったからスルーして記憶から消えてるような気がする。そんな状況だから、こういうアホらしい話が登場する側面はあるだろう。https://t.co/5Iv5h0IWBY pic.twitter.com/XmsvpT9bQN
— 天狗の国からやってきたアゴニィ (@IfybcA) 2020年1月15日
簡素なものでは、ホモソーシャルについては「男性同士の結びつき(同性同士の結びつき)」という説明しかされない。これでは、「男同士のコミュニティの何が悪いんだよ」という反応が出るのは当たり前である。そして、逆転させれば上のような「男だけのコミュニティはホモソーシャルなのでミサイルを撃ち込むべき」だの「男同士で支えあえと言うのはお前たちの批判したホモソーシャルだ」などという勘違いやくだらない煽りが生まれる。
というわけで、このへんをちょっと整理しておく。
言うまでもないと思うのだけど、ホモソーシャルの問題は基本的に同性間の友情や愛情そのものではない。同性間で友情や愛情があることのなにが悪いのか。なにも悪いことなどない。そんなことは当たり前の話だろう。
では、問題となるホモソーシャルとはなにか。ホモソーシャルの根本的な問題点は、「女性を道具として介在させる男性同士の関係」である。これは男だけを社会の構成員として人間扱いし、女を財産、道具として扱うことに他ならないからだ。これだけだとわかりづらいと思うので、説明を続ける。
これに関しては、はっきり言ってWikipediaの出来が良くない。もちろん、私は専門知識なんぞまったくないので、これを編集することもできないのだけど。
これ、読んで理解できる人いるの? 私くらいじゃないか、一切前提知識なしでこれを読んでホモソーシャルとはなにかを理解できる人。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
ホモソーシャル (英: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。友情や師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。対義語であるヘテロソーシャルは異性との同様な関係を指す。2人以上の人間が結ぶ関係は、ホモソーシャル(同性と)、ヘテロソーシャル(異性と)、バイソーシャル(両性と)のいずれかでありうる。
ホモソーシャルという言葉は、イヴ・セジウィックによる「男性のホモソーシャル(同性間の結びつき)への欲望」という議論によって普及した[1]。それよりも早い1976年に、ジーン・リップマン=ブルーメン(英語版)が性的な意味ではなく、社会的な意味での、同性の仲間への選好をホモソーシャリティ(homosociality)と定義している[2]。
男性間のホモソーシャルは体育会系などで顕著に見られる緊密な絆で、しばしばミソジニーあるいはホモフォビアが伴う。ホモソーシャルな関係によって、強制的に異性を愛すること、そして女性の家事労働に頼ることが前提として成り立っている家父長制が構成される。
ホモソーシャルの概念を提唱した、アメリカのジェンダー研究者のイヴ・セジウィックは、「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」ことを指摘した。
なお、研究者の中には、この概念を女性同士の関係にも適用し、「女性のホモソーシャル」を論じる者もいる。東園子は、やおい・ボーイズラブを好む女性オタク(いわゆる腐女子)や演者は女性だけで構成されている宝塚歌劇団のファンの女性の間でホモソーシャルな絆がみられると論じている[3][4]。
近年、ホモソーシャルは男性と男性の繋がりだと誤認されがちだが、女性と女性の繋がりもホモソーシャルとなる。さらに言えばホモという言葉も同性という意味である。
これだけでは、単純に「同性間の結びつき」としか読み取れないだろう。これだけ読んで、ホモソーシャルのなにが問題かわかる人がいるのだろうか。いたらすごいと思う。ホモソーシャル (英: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。友情や師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。対義語であるヘテロソーシャルは異性との同様な関係を指す。2人以上の人間が結ぶ関係は、ホモソーシャル(同性と)、ヘテロソーシャル(異性と)、バイソーシャル(両性と)のいずれかでありうる。
ここもそうだ。これだけ読んでピンとくる人がどれだけいるのか。ホモフォビアだとか、女性の家事労働に頼るとか、それが問題であることはわかっても、それと同性間の結びつきとの関係がイマイチわからない。男性間のホモソーシャルは体育会系などで顕著に見られる緊密な絆で、しばしばミソジニーあるいはホモフォビアが伴う。ホモソーシャルな関係によって、強制的に異性を愛すること、そして女性の家事労働に頼ることが前提として成り立っている家父長制が構成される。
これを読んだ段階で私はすぐにピンと来た。でも、たいていの人はピンとこないと思う。ホモソーシャルの概念を提唱した、アメリカのジェンダー研究者のイヴ・セジウィックは、「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」ことを指摘した。
「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」
これが一番顕著なのは処女厨の男である。処女厨が意識しているのは、言うまでもなく女性の身体的特徴としての(たとえば処女膜だとか)処女ではない。他の男の存在である。他の女に先を越されたことへの劣等感が処女厨の男を支配しており、あるいは先に処女を「いただいた」男が後の男に対して優越感を持つこと、そこにホモソーシャルにおける女性差別の問題がある。この恋愛関係はその実、男性は女性自身を見ておらず、その先にある男性を見ている。この関係は男同士の関係に女が道具として介在しているだけなのだ。ここでの女は人ではなくモノ、財産なのである。
財産がそうであるように、ホモソーシャルにおいては、女の奪い合いがあれば、女の分かち合いもある。
例えば戦国武将の政略結婚を思い浮かべればいい。貴族同士の男性社会において、和睦や同盟の証として娘を相手に差し出す。物語においても、ある男が自分の気に入った若い男に対して、自分の娘を差し出す類型は多い。エロ漫画などにおいても、強姦や輪姦を通じて、男同士が絆を深める描写はよく見られる。部族の長はハーレムの女を部下の男に貸したり与えたりすることで、御恩と奉公の関係を構築する。これらは女という道具、財産を共有することで男同士の関係を深めることに他ならない。
たとえば、軍隊などをホモソーシャルの例として挙げる人は多いが、単純に男だらけのコミュニティだからフェミニズムにおいて問題になるのではない。たとえば、映画『フルメタル・ジャケット』のハートマンや訓練生の間で問題とすべきホモソーシャリティが現れているのは、訓練生とハートマンとの師弟関係や訓練生同士の義兄弟的な関係そのものではなく、ハートマンの「気に入った、家に来て妹をファックしていいぞ」といったセリフに表れている。「認めた男との間で、その絆を確認するために身内の女性を差し出す」という行為、ここに女性蔑視が存在しているのだ。だからホモソーシャルはフェミニズムにおいて問題視される。
ホモソーシャルの問題点は「男性間の結びつきばかりで、女性が介在していないこと」ではない。「男性間の結びつきに女性を道具として介在させること」が問題なのである。
ホモソーシャルはフェミニストによる糾弾はやたら多いのに、なにが問題かはイマイチ不透明で、外から見るとよくわからない。私も理解するまでが結構大変だったし、私が大変に思うということは、ほとんどの人には非常に困難かつ、そういったことを考えたり調べたりする気力も起こらないものだと思う。一度理解してしまえば簡単なのに。
だから冒頭のような「男だけのコミュニティを嫌悪する男がフェミニズムを利用する」だとか、「男だけのコミュニティや男の友情をホモソーシャルだと糾弾するフェミがいるぞーと騒ぎ立てるアンチフェミが現れて、フェミニストに対してただの矛盾した我儘とのレッテルを貼る」だとか、そういったおかしな話をする連中が現れる。別にそいつらを説得すべきとかそんなことを言うつもりもないけど、それらの批判が的外れであることについては、対外的に説明できた方がいいような気がする。
コメント
1. 無題
アンチフェミは変わらない無いと思います。
彼等はフェミ叩きの為に集まって女を叩いて関係を深めあってますから。
ツイッターの中で既にホモソの恩恵に預かってます。
女を叩たける物扱いしてるから、女の反論も気にくわないんでしょう。
男の俺から見たらアンチフェミはそんな風に写ります。
2. Re: タイトルなし
と書いてある通り、アンチフェミの説得ではなく、外にいる人への説明のため。現状では争いを外から見ても「何が起こってるかよくわからないけど、フェミニストが男同士の関係を否定しながら男同士の関係を推奨してるの? 意味わかんない」となるので。
3. 無題
反フェミ以外の説明なら記事通りに説明した方がいいですね。
早とちりすいませんでした。
4. Re: タイトルなし
外の人に説明するのは大事ですからね。