古代メソポタミアにおける月の崇拝は、むしろ先進性の証であった。最古の人類文明を構築したと讃えられるシュメル人の打ち建てた都市国家群の中でも、最も栄えたウルにおいて信仰されていた神は、月の神ナンナなのである。
やがてメソポタミア文明にも統一帝国アッカド王朝が現れ、ウルのシュメル人たちもその支配下に置かれて民族的ヘゲモニーはアッカド人に奪われることになった。ところが月神のナンナはシンと名を変え、アッカド人たちにも信仰され続けたのである。これは民族を同化させるための習合でもあろうが、月神信仰の先進性によるものでもあったのだろう。アッカド王朝の最盛期を築いた大王に至っては、自らナラム・シンと名乗り、月神シンの化身であると主張した。
なぜ彼らは月を信仰したのか。その所以は暦にあった。ウルのシュメル人は、人類史上初めて灌漑を行い、本格的な農耕を始めた民族とされている。そして、こうした農耕に必要なのは、季節の移り変わりを見定めることである。彼らは月の満ち欠けによって暦を読んだ。ゆえに彼らにとって月は運命と時を司る存在だったわけである。そして暦によって農時を定めていたことから、大地と豊穣の神としても月の神は敬われた。
目の前の食料に手を付けず、植物を生み育てる農耕とは、動物的な反射からの脱却である。月への信仰は、動物的な反射を文明が乗り越えた証であった。目前の物質への信仰を超え、抽象的な時という存在を仮託した天体への信仰を獲得したから、シュメル人は最古の人類文明を築いたと讃えられるのである。だからこそ、アッカド人は月神の信仰を継承したのであろう。
では、日本の月神はどうであったか。次回は、それを見ることにしよう。