"アニメ"カテゴリーの記事一覧
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ブログで書きたいことはたくさんあるんだけど、全然かけない状態です。仕事忙しい……。でも、以前もっと忙しかった時には毎日更新していたしなあ。どうやっていたんだろう。
ブログやっていない間は逆襲のシャアを観たりしていました。最初に観たのは17歳のころで、それ以来観ていなかったのですが、今観ると感想が……特に変化はないな。アムロは相変わらずうぜーし、シャアは痛々しいほど幼稚だし。
ところで、シャアはやけに幼稚だけど、クェスは別に幼稚じゃないよね、これ。シャアと比較して「子供にしては幼稚じゃない」とか「子供だから幼稚じゃなく見える」じゃなくて、クェスは「子供だからシャアに依存した立場をとらざる得なかった」なので。シャアにも心酔したりしてないじゃん、クェス。シャアに単純に誑かされていたわけじゃなくて、最初からクェスはめちゃくちゃ主体的にアムロを裏切ってシャアに寝返っている。利用関係なのは結構お互い様。あの作品で一番主体的なの、実はクェスなのでは。メンヘラだの幼稚だの、とんでもない。
逆シャアはアムロとシャアの戦いよりも、そこに存在する少年少女、クェスとハサウェイを通じて物語を観るといいんじゃないかなー、と思う。主要人物全員と関わっているのって、クェスだけなんだし。ガンダムオタクではない私には、正直シャアとアムロの因縁といわれても、なんともピンとこない。アムロとシャアがどちらも子供を抑圧する側に立っているのが鍵。
これは私の持論として、初代機動戦士ガンダムはあくまで子供向けアニメの文法でつくられているという前提で観るべきだというのがある。逆襲のシャアにも少年少女の視点が存在しているので、その視点が大事なのではないかと思う。
あー、なんとなく逆シャアに感じていたモヤモヤがようやく言語化できた。ハサウェイは自由にしようとしたら大人に邪魔され続けるし、クェスは自由になるには大人に依存するしかないし、それで殺されるんだから残酷な話だよ、ホント。シャアは当然アレ(っていうか最悪)だけど、アムロとチェーンのクェスへの冷淡さと、ハサウェイに対するパターナリズムも相当キツい。相手の気持ちを考えろよ、ニュータイプだろ、お前。
それとゼータガンダムを観ているんだけど、どっちかっていうとゼータガンダムのカミーユが結構かわいいなーと感じるようになりました。こちらは18歳のころに観たときはヒステリックでうっとーしー変な奴としか思わなかったけど、今はこんな部下がいるクワトロが羨ましい。まだ17話までしか観ていないから言えそうな感想だけどね。たぶん、今後こんなこと言っていられないようなアレになる予感は既にある。このあたりって、ベルトーチカが男を試したりしながらミライと対比されたり、クワトロが「父親代わりもいい経験」と言ったり、逆シャアとシンクロする内容だなあ。
作品自体は全体的に陰鬱でジメジメして粘着質だから好きじゃないんだよね、ゼータガンダム。18歳当時の私は15話で脱落した。ベルトーチカのおっぱいは印象に残っている。PR -
目立つところに置かれていたと思ったら、再度アニメ化するらしい。去年の暁のヨナの時もそうだったな……。無意識なところで広告に踊らされているなあ……。
面白いことは面白かったのだけど、力八割な感じの漫画で、すごくマンネリで、そこが妙におかしくて、更に面白く感じた。それはそれでどうなんだろう……まあ、いい。さすがに一気に読んでいると飽きが来る内容ではある。アニメは観ていなかったのだけど、邪神ちゃんとゆりねが両方影武者を用意する回の不条理ギャグっぽさとか、アニメでやるとめっちゃ寒くなりそうな気がするんだけど、どんな感じなんだろう。
クラーケンに食べられそうな邪神ちゃんがメデューサを差し出そうとしたときのセリフのクズっぷりがマジでツボにはまりました。素でヒいたし、ヤバかった。笑えるというよりは、笑うしかないと感じた。生々しいよ……。
邪神ちゃんが最低のDVヒモ野郎なのはそうなのだけど、メデューサちゃんも自分の責任で悪を背負ってまでは邪神ちゃんを助けたりしないあたり、善良な小心者っぷりがだんだん気になってくるし、本当にお似合いカップルだと思う。
DV男から離れられない女って、いわゆる真面目系クズなんですよね。逆に真面目系クズ男は悪女に騙される、というより、どっちも騙されてない。どちらも望んで悪党の傍にいる。善良な小心者は悪人の傍にしか自分の居場所を見出せない。結局どっちもどっちだし、末永く不幸な関係を続けてほしい。
しまった、邪神ちゃんドロップキックの話から離れてきた。まじめにこの漫画を評価すると、メデューサは根本的には邪神ちゃんと腐れ縁なだけで、最初はそういう雰囲気しかなかったし、途中からギャグとしてヒモ属性が付加がなされただけで、変に理性的な取り扱いだから「邪神ちゃんマジでヒモwwwwww」とか笑っているうちはいいけど、あんまり深く考察するようなものでもないなーって思う。表層的にネタにしているだけで、そんな深い漫画ではない。
ゆりねみたいなのは「中二病」というより「邪気眼」なので、そのへんはちゃんと区別してほしい……といいたいところなんだけど、よくよく思い出してみたらガイドライン板時代から、中二病と邪気眼はずっと混同されてきたし、私がここまでこの両者の弁別にこだわるのも、当時から弁別派としていきり立っていたからだし……。すっかり忘れていたけど。
youtubeで第一話の前半が無料公開されていたので観たのだけど、すき焼きの話から始まってて、ちょっと思ったのだけど、漫画を先に読んでいたから私は何とも思わなかったけど、アニメから見た人はぺこらの「魔女のサバトに参加してしまい……」というセリフをそのまま受け取ってしまい、ゆりねが本当に魔女だと思い込んでしまうのでは、と思った。だからなんだ、といえば、だからなんだ、という話なんだけど。ぺこらせっかくかわいいのに、なんで女なんだろうな。 -
東夷さんのけもフレに対する解釈は考えすぎのような気もするけど、のけものがのけものでいられることが大事という点に関しては同意する。
— hts (@ninomai2) September 4, 2018
もちろん、私のけもフレナチス論は考えすぎではない。これは考えるほどのことではなく直感的にわかることだし、もしこれが考えすぎなら皆が考えなさすぎなのである。
しかし、この人は私の論の正当性を認めるだけまともである。ほとんどの連中は私のけもフレナチス論を鼻で笑い、挙句の果てになぜかこの件で私はTwitterアカウントまで凍結された。正しいことを言ったにもかかわらず弾圧されたガリレオ・ガリレイの気持ちがよくわかる。
そういえば、昔組んでたバンドのギターと一緒にアニメ『あの花』を見ていたとき、彼が「ガリレオガリレイって変わったバンド名だよね。なんでこんな名前にしたんだろう」と言っていたから、私が「正しいことを言いながら誰にも理解されない人ってことなんじゃないの。そういう孤独感を表現した名前とか」と答えたら、「それは考えすぎ」と笑われた。全然あり得るだろ、これ。私はおかしくなんかない。おかしいのはお前らだ。
まあ、いい。けものフレンズの話だ。
けものフレンズはナチスである、と私は看破した。主題歌の歌詞が完全にナチスの思想を体現している。
しかしながら、ウヨオタはおろかリベサヨにも「けものはいてものけものはいない→世界平和!」「姿かたちも十人十色だから惹かれ合うの→多様性! 寛容!」などという腑抜けた解釈しかしないマヌケが多く、非常に嘆かわしい。所詮、リベサヨはリベサヨか。
もちろん、そんな解釈は間違っている。というより、やたらと反差別を論じる根拠に多様性を持ち出すのはナチスの考え方である。ナチスの幹部たちは多様性に満ちていた。ヒットラー、ゲッペルス、ヒムラー、ヘス、ゲーリング、多様な人材である。しかし、だからなんだというのだ? 多様性のために障害者やホームレス、同性愛者、ロマ、ユダヤ人の人権が保障されているわけではない。人権は社会全体のために存在しているのではなく、人間ひとりひとりにはじめから自然と備わったものだ。
けものフレンズの主題歌『ようこそジャパリパークへ』を次のように正しく読解すれば、これがたちどころにナチスの思想であることが判明する。
高らかに笑い笑えばフレンズ♪ → ユダヤ人をみんなで一緒に嘲笑しろ! 一緒に笑い合えない奴はフレンズではない! セルリアンだ!
けものはいてものけものはいない♪ → 労働に従事できない社会ののけものはガス室に入れろ! アルコール中毒患者や障害者は存在してはならない! 動物を保護するための法律を定めるが、ユダヤ人は豚以下だから皆殺しにしろ!
姿かたちも十人十色だから惹かれ合うの♪ → 女は産む機械であり、その機能を果たすために存在している! すべての女に優生学的に選ばれた男をあてがい、強制的に妊娠出産させろ! 同性愛者やトランスジェンダーは自らの姿かたちを生かしていない存在だから強制治療だ!
これこそが、けものフレンズの思想である。
けものフレンズの歌詞にある「けものはいてものけものはいない」とは、のけものでいる権利を剥奪することに他ならない。その人の尊厳をいくら蹂躙しようとも、「我々」に組み込まなくてはならず、そうでないならその人の存在を抹消する。それがけものフレンズの考え方である。
人権においては、のけものがのけもののままでいられる権利こそが重要であり、迎合しない者を存在しないものとして透明化することこそがナチスの考え方である。アウシュビッツとは何か。都合の悪い存在を見えなくするための施設である。そこに収容されたのは、みな「健全な社会」の「のけもの」たちである。
ドイツの敗戦後、アウシュビッツから解放された囚人たちを見た多くのドイツ国民はこういった。
「こんなことが起こってるなんて知らなかったんだ!」
それを聞いた囚人たちは叫んだ。
「いいや、あなたたちは知っていた!」
アウシュビッツの恐ろしさは、ただ虐殺の恐ろしさではない。存在するものを存在しないものとすることの恐ろしさなのだ。「目を逸らす」という極めて日常的な人間の行為を巨大な建築物として顕在させたのがアウシュビッツである。
ゆえに、「けものはいてものけものはいない」という思想を行使すれば、最終的にホームレスや障害者、同性愛者、ロマ、ユダヤ人を全員ガス室にぶち込むことになる。これがのけもの問題の最終的解決であり、ホロコーストの思想的根拠である。
フレンズじゃなくても万民に保障されているのが人権だ。なぜこんな当たり前のことをわざわざ言わなくてはならない?えっ!?この人ってようこそジャパリパークへ作詞作曲、SSSS.GRIDMANOPテーマ、ウルトラマンルーブ主題歌などを歌っている今をときめくトップアーティストオーイシマサヨシさんと共に幕張メッセで5000人を前にライブをした加藤純一ですか!?こんな酷いことを言ってたなんて信じられません😭😭😠😠😡😡 pic.twitter.com/i6KnXIvErC
— GALE BOOMERANG (@flipflappers557) December 19, 2018
この作詞をした大石昌良が差別主義者DV戦士加藤純一の仲間だと判明したことで、私のけもフレナチス論が正しいと更に更に更に証明された。たいだい、このご時世に『やおよろず』だの『ジャパリパーク』だの安易に使ってる連中がウヨじゃないか怪しまないのは勘が鈍いと言わねばなるまい。
奴らは「フレンズ」以外の存在を認めないであろう。のけものがのけものでいる権利を奪うな!
Welcome to ようこそジャパリパーク!
今日もドッタンバッタン大騒ぎ!
うー、がおー!
関連記事:Twitterはナチス
http://wjn782.blog.fc2.com/blog-entry-239.html -
ずっとブログランキングとか意識してなかったから知らなかったんだけど、ここ3日のPCゲームジャンルでのブログ記事ランキング見てると、うちのブログの記事が毎日1位や2位を複数で独占してる。これまでもそうだったのかよくわからないけど、PCゲーム関係ない記事で独占してるのはちょっとどうかな、と思うし、ブログジャンルの引っ越しも検討しよう。PCゲームブログ探してて、ここの「暴力男は女にモテる」だの「オタクは死ね!」だのの記事を見せられるのも、なんだか違うと感じる人はいるだろうし。
でも、ここは一応当初からエロゲブログなので、どこにも引っ越し先で思い当たるジャンルもないんだよな……。たとえば漢籍ジャンルも探したんだけどなかった。ここって漢籍ブログではあっても、間違っても文学ブログには分類できないし、それに漢籍の記事ってあんまり人気ないから、漢籍ジャンルに引っ越しても、結局は漢籍ブログ記事ランキング1位2位を「まどか☆マギカは陰茎と向き合ってないから程度が低い」とか「ロマンティックあげるよ=暴力男は女にモテる」とかの記事が上位を占めるだけで、PCゲームランキングよりさらに深刻な事態を引き起こすことになるだろう。
ランキングの集計法もよくわからない。拍手数とかでもないだろうし。私のブログよりも盛況なPCゲームブログなんていくらでもありそうなものだけどなあ。
先日、観たこともないアニメについていろいろ評論したので、それもちょっとどうかと自分でも思って、youtubeでまどマギを動画検索したら出てきた。
これ、あからさまに画面のモチーフがエジプトでのDIO戦だし、マミさんのリボンはハイエロファント・グリーンの結界。だから見てるとグッとくるわけです。
テレビアニメ版にこんなシーンなかったはずだし、最初観たとき、一瞬頭に「これジョジョとまどマギファンが勝手に作ったオリジナルアニメか何かか?」と本当に一瞬だけ頭によぎるくらいDIO戦っぽい。で、音響とかでわかるように映画だとはすぐに気づいたんだけど、いやー、少なくとも冒頭だけは花京院とDIOを意識してるっしょ。そうじゃないなら精神に刷り込まれてる。
ジョジョの奇妙な冒険第三部のOVAは非常に評判が悪いのだけど、一点だけ私の好きな点があって、DIO戦がちゃんと闇夜なんですよね。
実は原作だと空が明るい(というか白い)。せっかく、カイロの市街地で! 超人的な能力を有した吸血鬼と! 高層ビルなどのギミックを利用して! 立体的な地形で縦横無尽に戦うんですよ! 闇夜じゃなくてどうするんですか!
承太郎が学ランで全身真っ黒のキャラだから、空をベタ塗りすると潰れるってのもわかるけど、あれ本当にもったいないと今でも思ってる。
花京院がハイエロファントグリーンの結界を張ったところからザ・ワールドに殴り殺されるまでの流れ、闇夜でやったらめっちゃ映えるってわかってるわけですよ。エメラルドグリーンに輝くエジプトのビル群に張り巡らされた触手、その中心で学生服をはためかせながらタワーの頂上に佇む花京院、かっこいいに決まってるじゃん。
しかも、荒木飛呂彦は単行本のカバーコメントで「ウルトラマンの目だけが闇夜で光ってるのを見るとグッとくる」と言ってるんですよ。わかってるんじゃん、こいつ、と。わかってて、なんでやってないんだよ。センスがあってやってないのは尚更たちが悪い。
それがOVAだとちゃんと表現されてるわけですよ。それが非常に良かった。私はそう思ってます。
まあ、これは個人的な思い入れであって、アニメの出来は評判通りめちゃくちゃ悪いんですけどね。ダービー戦以外はお勧めしない。今回のはただのよかった探しです。
ダービー戦はずっとポーカーやらグラスコインやらのテーブルゲームやってるだけなんで、ダメなアニメでもそれなりに観れるんだよ。DIO戦は観なくていい。時間の無駄。無駄っていうか有害。 -
このアニメ、隠れた陰茎のちらつき具合が非常に気持ち悪い。
要は全編オタク男が教室の隅っこでしてる「学校がテロリストに襲撃されて、暗い自分にも話しかけてくれた好きなあの子を救う」的な妄想じゃん。それ以外にどう解釈できるの? ほむら視点では、間違いなくそれしかない。
暁美ほむらとかいう黒髪ロングのキャラ、こいつ中身が明らかに男じゃねーか。「まどかを救うッッッ!!!!」とか戦闘モードでめっちゃいきり立ってるけど、ここで黒光りした戦闘状態なのはオタクの陰茎だろ。オタクはついに自分の陰茎まで美少女化してしまったんだな。
で、黒チンポが救いを求めたピンクのマンコは処女で売春婦で聖母様なわけだろ。まどか様は純粋無垢な心を持つ処女で、誰とでも(自分とも)してくれる売春婦で、すべてを包み込んでくれる聖母様、と。男性に理想化されたユング的女性像の三点盛り。きっしょっくっわっるぅー。
別にアニメだしオタクの妄想でいいんだけどさ、なんでオタクの勃起した陰茎を美少女でコーティングしてんの? 卑劣だよ、それは。卑怯で卑劣で卑猥。卑しすぎだろ、オタク。
古典的な言い回しだけど、パンツを脱げ。卑しくてもいいから自分をちゃんと曝け出せよ。それなら卑猥であっても卑怯でも卑劣でもない。ほむらのガラはお前のブリーフだ。ほむらはオタクのカウパー腺液が染み込んだブリーフ。いや、包皮か? 百合厨って下手したら自分がLGBTの理解者だと思い込んでるけど、美少女を己の陰茎の包皮にしておいて女性同性愛者に理解があるみたいなツラするの、さすがに破廉恥過ぎるだろう。
これ、ボーイ・ミーツ・ガールじゃダメだったんだろうな、00年代のクソ男オタクだから。
ほむらを男にしたらどうなるか。簡単なことで、ストーリーの筋立てが90年代から00年前後、要はエヴァンゲリオン前後に出尽くした凡庸なセカイ系でしかないとバレちゃう。週刊少年ジャンプの能力バトル漫画ですら封神演義で妲己(=象徴的女性)が地球と同化してたのが90年代だもの。その程度に手垢のついた話でしょ、これ。
しかも、ほむらのキャラ造詣は「教室の隅っこにいるおとなしいメガネ」で、魔法少女化してからはメガネを外して「キリッとしたクールで神秘的な雰囲気の美女」になるわけ。これを男性化して教室の隅っこで妄想してる男オタクの自意識と重ね合わせてみればわかると思うけど……大惨事だよね。これは確かに恥ずかしい。
しかし、そこから目を逸らして、ほむらを女性化してしまったせいで、対となる象徴的男性が失われたからこそ、聖母としての表象を持つまどかの意義も薄らいで、結局は消化不良に陥ってしまったんでないの? これも陰茎に向き合えなかった結果のことだよ。まどマギと比較してみると、ガンダムもエヴァンゲリオンも間違いなく陰茎と向き合ったアニメではあったよね。
もちろん、脚本自体は(少なくともテストの点数取り的に一定以上整合しているという意味では)それなりにうまく作ってはあるし、映像や演出なんかもすごく凝ってて、それはそれで十分なことではあるんだけど、それで逆に過大評価されちゃってるし、実際そういう大作アニメとしての売り出し方をしてるし、そのために制作してるから、いまさら佳作に降りることなんてできないんだろうし。既存の枠内で上手いだけ。作家は根本的な部分から逃げた。だったら肩の力抜いて観れる良作「あの花」の方を観るわ……。理詰めで難解な脚本と華美な映像で延々とオタクの陰茎に被さった包皮の美少女化を見せられても困るし。
男オタクに一番人気なのが暁美ほむらなのも大事な点で、これって要はオタクが自分の包皮でシコってるってことじゃん。そりゃもう全面的に掛け値なしのまごうことなきオナニーだよ。なにひとつオナニーじゃない要素がない。お前ら、本当に世界にお前しかいねーんだな。まどかとかも人格じゃなくて装置なんだよ。なんか、さっきまで凡庸なアニメだって言ってたけど、ここまでくると逆に革新的なアニメのように思えてきた。
ほむらは中身が非常に男性的な男性だから、まどかとの関係は女性同士の関係にもなってないし、まどかも理想化された母性そのものだから性別を超えたり無化した関係にもなってない。わざわざ言うのもアホらしいが、ほむらはトランスジェンダーでもない。
00年代後半に流行した百合アニメなんて処女厨の完成形でしかない。00年代後半のオタクは他の男の存在どころか、己の陰茎とさえ向き合わなくなった哀れな奴らだ。その結果がアンチフェミオタクの暴れん坊ペニスよ。女性へのヘイトクライムはすべてオタクの愛好する百合アニメが原因。アメリカでインセルが暴れてるのもトランプが当選したのも日本のオタクのせいなんじゃねーの。ISISを作り出したのも日本のオタク。韓国で過激なアンチフェミ男どもが女性に対して「キムチ女め! 日本アニメのようなスシ女になれ!」とか言いながら襲い掛かってるって聞いたんだけど、これもう明らかに日本のオタクが原因じゃん……。オルタナ右翼はSNSでアイコンを日本のアニメキャラクターにしてるし、マジで世界中のネオナチ化を牽引してるのが日本のオタク。冗談でもなんでもなくヤバい。
で、そんなこんなでこのアニメの放映中に東北で大地震が起こって00年代終了。っていうか、日本終了。ほんと最悪の時代だったし、最悪の国だったな、この年代の日本……。これから更に酷くなるんだけど。
オタクのカウパーが漏れまくった次は放射能が漏れ始めたの、ぜんぜん笑えない。オタクのカウパー漏れは止んでねーし。
陰茎と向き合わない作品は程度が低い。そんなことを教えてくれるアニメでした。まどか☆マギカは00年代日本アニメの集大成であると評価できよう。(つまり最悪)
まあ、観てないんだけどね、このアニメ。点数:ちんこ/100
これ以後、「君の名は。」が性別を意識したアニメになるのかなーとは思ってる。フェミニズムっぽい話をしてるように感じる人もいるだろうけど、エヴァや君の名は。よりも、まどマギの方がフェミニストに叩かれづらい作品の気がする。でも、君の名は。より危ないのは恐らくまどマギの方だと思う。
このアニメほんとに観てなくて、コミカライズで通した話の筋は確認してますが、アニメ本編はどうやっても途中で挫折する。断片的には最後まで眺めた。