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焚巣館 -潜夫論 後漢書王符伝・後漢三賢王符讃-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/senpuron/gokanjo_oufuden.html本日の更新。訳したのは去年の正月とかだったんだけども……。
潜夫論の序文の代替として後漢書の王符伝と後漢三賢讃の王符についての節を掲載する。
私が漢文を訳し始めたきっかけのひとつが潜夫論を読みたかったからだったはずなのだけど、ろくに手がつけられていないし、本文もまだ第二篇まで訳していない。そもそも私は三国史記以外ろくに最後まで訳していないわけだけども。いちおう孝経は全訳してあるんだけど、これも去年の正月に訳したまま更新していない。
とりあえず論語注疏と潜夫論は先に訳を済ませておいた方がいいのだろうけども、訳を再開するために読み直してみるに、どうにも潜夫論には興味を失っていて……。ぶっちゃけ孟子や荀子と比較して単純にイマイチできがよろしくないというか。
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『修羅の国』というネットスラングがある。これは暴力が野放図にされ、力のみが支配する無秩序な地域の譬喩、特に福岡県を指す。
福岡県にはヤクザの本部が5つも存在し、その中の工藤会は機関銃や手榴弾を所有する武闘派であることから、現在の日本では珍しい銃撃事件が数多く発生しており、住民生活は脅かされ、やくざの襲撃によって町長が射殺される事件なども発生している。そのため警察も対策専門部署を用意して100人以上の監視員を24時間体制で動員し、手榴弾の発見に10万円の懸賞金をかける等の他の地域では見られないような対策を取っており、更には銃の流出もよくあるためヤクザならざる中学校教員までもが拳銃所持で逮捕される事件が発生する等、このような惨状から修羅の国と呼ばれているわけである。要は武闘派のヤクザが暴れているから、それを誇張して「修羅の国」と呼んでいるわけだ。そこから発展して、現在のように「修羅の国」は無秩序な暴力を表現した呼称となった。
思わぬ糞リプに興奮 大体ツイッターは匿名有象無象の修羅の国なので、無秩序に攻撃を受ける 民度が低いこともあり、スイッチを切り替えないと生きていけない とにかく、言ったきり、草逃げが多く、仮に分別のある相手であっても相手の立場を見切って140文字で適切にリプするのは至難の業
— 泣く子も踊る病弱子育て "芳ばしい" 忍者 (@zabehabiah) November 16, 2022テロリスト
— 兎団Ⅳ No.17 mira melon (@melon_mira) June 11, 2020
テロ行為だ
許されない
日本も外国並みに・・・
陛下 悠仁親王 皇族の方々の
警護をもっと
政府は早く法整備を
日本を無秩序の修羅の国に
してはいけない下足箱からロッカーから寝床、はたまた帰りのバスまで全てが無秩序な場所取りから始まる修羅の国でした。最悪。
— カルメン (@carmen_i) September 23, 2019Twitterなんか見るんじゃなかった 此処は地獄の一丁目 無秩序な暴力に支配された修羅の国
— 毒男 (@from_DQOz) February 12, 2019ネット上では無秩序の象徴として修羅の国を持ち出す例が絶えない。日本のネット上では、なにやらヤクザが銃撃戦をやらかせば、やれこの県は修羅の国だ、暴走族や半グレが集団暴行事件を起こせば、やれこの市は修羅の国だと騒ぎ立て、修羅の国だと表現される。
確かに修羅の国は、作中では武の掟によって統治され、男子の生存率は1%と語られており、極めて危険な国家であることは間違いない。男子の生存率は1%て。
しかし、である。作中の修羅の国には半グレやヤクザのような国家とは別の独立した暴力組織などあっただろうか? ない。あるはずがない。作中のジード一派やジャッカル一派のような野盗集団が修羅の国に存在できるかと言えば、できないのである。そんなものが国内に存在していたら、あっという間に殲滅されてしまうからだ。
また、作中には赤鯱という海賊が登場し、やくざ者の武装集団を結成して近海を襲っているが、かつて100人の海賊を率いて修羅の国に赴いた際には、沿岸の警備を担当していた修羅の国の下級戦闘員であった子供ひとりにあっさりと蹴散らされている。男子の生存率1%の過酷な訓練は伊達ではない。赤鯱自身も腕と脚を一本ずつ失い、自らの息子まで置いて逃げることになってしまったため、彼らは以後に修羅の国に近寄ろうとはしなかった。このように、修羅の国には外部から暴力集団が侵入することもできない。
子供の下級戦士でさえこの実力! というのが修羅の国の触れ込みだった。……当初は。よって、国家とは別の暴力集団が5つも国内に存在する余地は修羅の国にはないし、作中にも存在していない。複数のヤクザ組織が相争い、警察にも手に負えないような地域の譬喩として、修羅の国はまったくふさわしくないだろう。
これはおそらく先行して存在した同作由来のネットスラングの「モヒカンヒャッハー」と混同されて用いられているからである。こちらは作中において、無秩序な荒野を通りかかる通行人や、秩序を形成しつつある村落を襲撃し、村人を次々と殺す無法者の野盗集団、それらが人に襲いかかる際にあげる奇声に由来した表現したものであり、これなら確かに福岡県の様態の表現としてふさわしい。
しかし、こうした野盗は第一部の、特に前半における主要な敵キャラクターであって、第二部の修羅の国には登場しない。理由は上記のとおり、修羅の国では一種の『警察』や『軍隊』に絶滅させられるからだ。
あくまで北斗の拳におけるモヒカンの野盗は、体制と秩序を失った世界における無秩序な暴力の象徴である。こうした状況の表現として、当初は「モヒカンヒャッハー」が用いられたが、これは状況の形容であって地域を形容するスラングではない。そこで地域を指して揶揄するために持ち出されたのが「修羅の国」という表現であろう。名前にインパクトがあるし、モヒカンヒャッハーと同じ作品に由来する国名(地域名)であり、確かに同じく暴力によって一般人を虐げる存在ではあるので、雑に混同されて用いられてしまっているのだろう。事実、「モヒカンヒャッハー」と「修羅の国」は、同じ状況の表現において並列して用いられる場合も多い。
いい緊張感で集中できるかと思ったらガバ祭りでしたw
— つよん@暗影 (@24nGRISSER) December 26, 2020
緊張やばい
修羅の国ですよ!トゲトゲベストきたモヒカンヒャッハーな人達だらけです!交番の掲示板で見かけたけど、クロスボウ使う奴なんて、世紀末のモヒカンヒャッハー!位しかいないだろ。
— たくろー (@b_tairyu) May 1, 2022
流石、修羅の国 福岡。 pic.twitter.com/kly7u9h9ZMしかし、作中での修羅の国は決して無秩序な社会ではない。むしろ過剰なまでに秩序立った社会である。
修羅の国のみなさんが謎の組体操をするイメージ図は、上下関係に基づく秩序ある身分社会の証左。まずこの国には、羅将という国家の首長の下に郡将という地域の首長が配置されており、制度的な統治機構を有している。つまり、修羅の国は明確な領土を有し、それを支配する紛れもない国家である。そして、国内で人々を虐げる存在は、あくまで体制に公認された『修羅』と呼ばれる特権階級なのである。修羅は国の体制内の存在なのだ。言ってしまえば、修羅は公務員であり、あるいは貴族である。
そして、なにより修羅の国の支配体制を鑑みるために重要なのは、『ボロ』という賤民の存在である。修羅になれなかった者や落ちこぼれた者は、『ボロ』に身分を落とされ、一生を賤民として過ごさねばならない。ボロとなった者は、全身をボロ布で覆い、場合によって足の腱を切られ、国内の雑務に使役されながら公然と差別される存在である。ここに修羅の国の成熟した統治システムの存在を読み取らなくてはならない。この「ボロ」のような明確に示された社会制度的かつ文化的に規定された身分としての賤民は、北斗の拳の第一部には、まったく見られない要素である。
また、漫画というメディアは、絵的から描写の意図を読み取ることが重要である。秩序のない世界から始まる北斗の拳において、登場人物は概ね動きやすいTシャツと短パンや、頑丈かつ邪魔にならないジーンズや皮かデニムのジャケットを着用し、あるいは肩パットや鎧のようなもので武装しているが、ボロはダボダボのローブのようにボロ布を纏っている。これは秩序において戦闘からかけ離れた内務の担当者であることや、反乱を起こさぬように抑圧された存在であることが示されている。また、不具者やそれに類する存在であることを示すように腰が曲がり、ひとりの人格を有さないものとして扱われていることを示すように、ガスマスクで顔が覆い隠されている。こうした描写から、彼らが異質な存在だと読者に強く印象を与えるとともに、作中の意図として、制度によって公認された賤民という、これまでなかった役割を有する存在だと示されるのだ。
そして、特権階級の修羅にも等級がある。まず、12歳以上の男子は国家が定めた修練場で特訓と死闘を繰り広げる。しかも、まだ彼らには個人の名が与えられず、仮面をつけることが義務付けられる。これはつまり、彼らが半人前、人間未満として扱われていることを社会的に位置づける文化である。こうして15歳までに100回の死闘を勝ち抜くと、ようやく修練場を抜けて正式に修羅となることができるものの、まだ彼らは仮面をつけたまま、名前を許されることなく治安維持部隊などに編入される。ここで更なる成果を挙げた者だけが、仮面を外し、名を得ることが許される。また、結婚も更なる死闘を勝ち抜いた修羅に与えられた特権であり、配偶者は国から進呈される。よって、女性は結婚と出産のための道具に過ぎない。この過程で死闘に敗れながら命は保った者等がボロになる。
このように「ボロ」「仮面」という国家が制定した服飾や「名」という社会関係上の「称号」という文化的社会的スティグマによって人の上下尊卑と栄辱は視覚的にも社会関係においても可視化され、人の尊厳を体制に公然と組み込み、国家の存在そのものをも正当化するのが修羅の国である。修羅は街で女性を取り上げ、あるいは反乱を企てたボロを惨殺し、後半では反乱の鎮圧のために村ひとつを丸ごと処刑する。これは民衆を虐げるという意味では野盗と同じであるが、これらはあくまで領域国家の公務員による国内の社会治安の維持活動や貴族の儀礼と特権なのだ。
おそらく、修羅の国のモデルのひとつとなっているのは、古代ギリシャの都市国家スパルタであろう。ギリシャには市民と賤民の別があり、スパルタにおける賤民は永遠に市民となることはない。市民から生まれた新生児は政府に公認された役人に見定められ、虚弱な者は山に遺棄される。成長して7歳になると家庭から取り上げて政府主導で共同生活を送らせ、12歳以上になると軍事調練が始まる。軍人としての勇猛さを示す行為として、彼らに対して賤民に対する暴力や盗みが、むしろ奨励された。18歳で国家の承認を得て正式に市民となるが、従軍が義務付けられ、そこで臆病な態度を見せれば、髭の半分を刈られた状態で生活することを強制され、あらゆる共同体から追放される。まさしく修羅の国であるが、スパルタもまた、古代世界においては非常に高度な文明を有しており、治安維持に長けた極めて秩序立った都市国家だった。賤民が反乱を企てているという噂があれば、それだけで処刑部隊を送り込んで虐殺し、国家が成熟すればするほど、賤民への弾圧は苛烈になっていった。暴力の支配と序列によって秩序を形成したのである。
これに近いイメージの社会を近代から探すなら、それは福岡県よりもイタリアにおいて治安警察に強権を付与し、マフィアを根絶したムッソリーニのファシズム党だろう。あるいは、優れた者だけが生き、弱き者は死ぬか隷属すべきだとする修羅の国の在り方は、ナチス政権の優生思想とも近似している。作中でもボロの間で救世主『ラオウ』の到来とともに解放されるとする信仰の存在が描かれており、これはおそらくナチスに弾圧されたユダヤのメシア信仰がモデルであろうから、修羅の国のモデルにはナチス体制が含まれているのかもしれない。また、ヤクザよりもそれを「疑わしきは罰する」という形で罪に問える暴対法の方が修羅の国に遥かに近い。
修羅の国の正体とは、体制なき無秩序や体制外の暴力集団によって危険に陥った国家ではない。苛烈な序列を形成することで、強権的な治安維持を行ないながら、無秩序な世界における暴力集団以上の抑圧と収奪を生み出した国家なのである。
北斗の拳の修羅の国編において描かれていることのひとつは、この苛烈な秩序による暴力と収奪への抵抗である。そして、第一部と比較して評判のよろしからぬ第二部自体、意図してかせずにか、このテーマが冒頭から一貫して描かれているのである。このシリーズでは、それについて論じよう。
あ、一つだけ言っておくと、テロリスト
— 兎団Ⅳ No.17 mira melon (@melon_mira) June 11, 2020
テロ行為だ
許されない
日本も外国並みに・・・
陛下 悠仁親王 皇族の方々の
警護をもっと
政府は早く法整備を
日本を無秩序の修羅の国に
してはいけない
お前の考え方がよほど修羅の国に近いぞ。 -
中国におけるネット上の悪ふざけである。安倍が山上に銃殺された直後、実は私もこういうのを漢作文しようとしていたのだけどテーマを安倍の方にしてしまったため、内容が茫漠すぎて取りやめてしまった。山上をテーマにすればよかったんだよね。そらそうだ。
刺客列伝-山上徹也篇
≪漢文≫夫山上者、字徹也、瀛洲奈良人也、幼喪父、其祖行商、家富、乃奉之。然美况短也、出数年、祖宗、其母難継、遂売祖産以度日。
徹也性温和少言、勤于学業、友皆以敬之。欲求学、然其母无以資之、盖因其母湎于統一邪教、其祖産尽皆用之。徹也无以為学、遂入海上自衛隊、習槍械之構。其兄病、无資以治、乃自縊。親皆逝、徹也流于郷野、働碌以度日。
安倍者、字晋三、瀛洲之前相国也、乃公卿大家、承其父業、四拜瀛之相国、今雖退隠、其威尚存。坊有流言、統一之邪教、乃以資惠与安倍、以受其庇也。徹也聞之、乃帰怨与安倍、欲以除之而后快。
公暦二零二二年、安倍話学于奈良、听者寥寥、其衛亦怠。徹也乃持私械、着便衣以近之、護衛者衆、尚无人察。俄而槍声起、衆皆惘、不知何故、安倍亦回首顧之。徹也持械、復讐之、中其膺、流血及鞋、衆皆惧、欲尋医以救之、然未果、安倍薨。
今安倍亡故、其領国怨之已久、聞其訊、衆皆賛之、乃称山上徹也民族之英雄也、欲封其以華族、並其以无罪。夫有法外狂徒、持双槍、聞名于英雄連盟、遂以其名以誉之、号曰、日服第一男槍也。
≪書き下し文≫
夫れ山上なる者、字(あざな)は徹也(てつや)、瀛洲(やまとのくに)の奈良(なら)の人なり。幼くして父を喪ふも、其の祖(おや)は行商(あきなひ)し、家は富み、乃ち之れを奉(やしな)ふ。然れども美况(よきさま)は短きなり。数年(いくとし)を出(のち)にし、祖宗(おほもと)、其の母は継ぎ難く、遂に祖(おや)の産(たから)を売り、以ちて日を度(わた)る。
徹也の性(ひととなり)は温和(おだやか)にして言(ことば)は少なく、学業に勤め、友は皆が以ちて之れを敬ふ。学を求めむと欲(おも)ふも、然れども其の母に以ちて之れに資(あた)うこと无(な)し、盖し其の母の統一邪教に湎(ふけ)り、其の祖(おや)の産(たから)の尽く皆之れに用うるに因ればなり。徹也は以ちて学を為すこと无(な)く、遂に海上自衛隊に入り、槍械(つつ)の構へを習ふ。其の兄は病み、以ちて治るに資(あづか)ること无(な)く、乃ち自ら縊(くび)りたり。親は皆逝き、徹也は郷(くに)の野に流れ、働き碌(ふち)して以ちて日を度りたり。
安倍なる者、字(あざな)は晋三(しんざう)、瀛洲(やまとのくに)の前の相国なり。乃ち公卿の大家、其の父の業(わざ)を承(う)け、四(よたび)に瀛(やまと)の相国を拜(さず)かり、今は退き隠ると雖も、其の威(ちから)は尚ほ存(あ)らむ。坊(ちまた)に流言(うわさ)有り、統一の邪教、乃ち資惠(たから)を以ちて安倍に与え、以ちて其の庇(まもり)を受くるなり、と。徹也は之れを聞き、乃ち怨みを帰(かへ)すに安倍に与え、以ちて之れを除きて后(のち)の快(こころよし)とせむと欲(おも)ふ。
公暦の二零二二年、安倍は奈良に于(お)いて話学するも、听(き)く者は寥寥とし、其の衛(まもり)も亦た怠けたり。徹也は乃ち私(わたくし)に械(つつ)を持ち、便衣を着て以ちて之れに近づかば、護衛(まもり)の者は衆(かずおほ)かるも、尚ほ人の察(きづ)くこと无し。俄かにして槍(つつ)の声(こへ)は起こり、衆(ひと)の皆が惘(おどろ)くも、何故(なにゆえ)をか知らず、安倍も亦た首を回して之れを顧ゆ。徹也は械を持ち、復たしても之れに讐(あた)さば、其の膺(むね)に中(あた)り、流るる血は鞋(くつ)に及び、衆(ひと)は皆が惧(おそ)れ、医を尋ねて以ちて之れを救はむと欲(おも)ひたるも、然れども未だ果たすことあらずして安倍は薨(みまか)る。
今は安倍の亡き故、其の領(をさ)むる国は之れを怨みて已に久し、其の訊(しらせ)を聞かば、衆(ひと)は皆が之れを賛(たた)へ、乃ち山上徹也を民族(たむやから)の英雄(ますらを)と称(よ)ぶや、其れを封(あた)ふるに華(もろこし)の族(やから)を以ちてし、並びに其れ以ちて罪无しとせむと欲(おも)ひたり。夫れ法(のり)の外の狂(きちがひ)の徒(ひと)有り、双(ふた)つの槍(つつ)を持たば、名をば英雄連盟(ますらをのつらむちかひ)に聞き、遂に其の名を以ちて之れを誉むるに、号(よびな)にして曰く、日服第一男槍(ひのもとのひとのつつのますらを)と以ちてするなり。
≪現代語訳≫
さて、山上という人物は、字(あざな)を徹也(てつや)といい、瀛洲の奈良の人である。幼くして父を喪ったが、彼の祖父は商売に成功して家が裕福だったので、彼を養うことにした。ところがよき日々は長くは続かなかった。数年ほど後になると、祖宗を彼の母は受け継ぐことができず、遂に祖父の財産を売り払うことで日を送ることになった。
徹也の性格は温和であり、口数は少なかったが、学業に勤めていたので、友人は皆がそのことに敬意を持っていた。学業を修めたいと思っていたが、彼の母親はそのことにお金を使おうとはしなかった。おそらく彼の母が統一邪教に耽溺し、彼の祖父の財産をすべてそれに尽く用いたことが原因であろう。そのため徹也は学問を修めることができず、遂に海上自衛隊に入り、銃の構造を習得した。彼の兄は病み、その後も治ることはなく、そのまま自ら首を吊って死んだ。親族は皆が逝去し、徹也は故郷の田舎に流れ、働いて僅かな給料を得て日を送っていた。
安倍という人物は、字(あざな)を晋三といい、瀛洲の前の相国である。元は公卿の大家であり、彼は父親の地盤を継承し、四度にわたって瀛洲の相国の地位を授かり、現在は位を退き第一線からは身を引いたが、その威光はまだ健在であった。街中に次のような流言が立った。「統一の邪教は、どうやら安倍に融資することで、彼から庇護を受けているらしい。」これを聞いた徹也は、そこで怨みを安倍に向け、彼を除きたくて堪らなくなった。
公暦の2022年のこと、安倍は奈良で遊説していたが、聴衆の数は物寂しく、彼の護衛も怠けていた。徹也はそこでひそかに銃を隠し持ち、普段着を身につけてそこに接近した。護衛の者は数ばかりは多かったが、それでも誰も気づくことはなかった。突然、銃声が鳴り響き、人々は皆が呆気に取られるばかりで、なにが起こったのかまったく理解できず、安倍も同じく首を回してそちらを振り向いた。徹也は銃を持ち、またしてもそれに讐(むく)いると、彼の胸に命中し、流血が靴を濡らした。人々は皆が驚いて恐怖し、医者を尋ねて彼を救おうとしたが、果たされることなく安倍は薨去した。
現在は安倍の亡き故、彼の領めていた国の人々は彼を怨んで日は長かったことから、その知らせを聞いた人々は皆がそのことを讃え、山上徹也を民族の英雄と称するようになり、彼を中華民族の一員に封じるとともに、彼を無罪にせよと主張した。ところで、英雄連盟(リーグオブレジェンド)で名が知られていた双(ふた)つの銃を持つ法外の狂徒は、遂に彼の名をもってそれを褒誉され、『日本鯖第一の銃士』と号(よびな)されるようになった。
≪注釈≫
瀛洲……東海の向こうにあって仙人が住まうという伝説の島。転じて日本を指す。
相国……漢王朝における行政の長。人臣における最高位であり、立場としては皇帝のすぐ下の位である。ここでは日本国の内閣総理大臣を指し、おそらく君主制を擁する国家の首相であるが故であろう。
英雄連盟、リーグオブレジェンド……中国で人気のネットゲーム、らしい。
日服第一男槍(ひのもとのひとのつつのますらを)、日本鯖第一の銃士……日服は日本のサーバーのことを指す中国のネットスラング。上記のネットゲーム発祥の語だからであろう。鯖は日本におけるサーバーを指すネットスラング。
内輪ネタ臭さがあるため、そのへんはあまり好きではない。ネトゲの話とかされてもなあ……。そこで山上が話題になった結果、ノリでこういう文章が出てきたのかも知らんけど、たとえば日本でこういうお遊びをしたとして、最後に嫌儲の話とか挿入されるとなんか違う感が出ない? それと事実誤認も目につく。
ところで、私は現代中国語を知らないのだけど、本文は割とそういった表現と思わしき語がいくつか見られる。それが結構興味深かった。 -
ジョギングが続かない!
ジョギングを長続きさせるのは難しい。3日坊主でも続けば立派なもので、1日走れば次の日は休み、そのままズルズルとやめてしまうなんてほうが当たり前だ。もちろん、単純に継続して外に出るという定期的な活動の慣習化自体がおっくうというのもあるのだけど、ジョギングはウォーキングとは違って負荷のある運動かつ長時間の持久運動なので、その日のコンディションがモチベーションに相当大きく影響し、ちょっとでも疲れを感じていたりとか、身体に違和感があれば、なんとなーく休んでしまいたくなる。特に初心者なんかは、その日のコンディションがよくなければ、そもそも3kmや5㎞も走れなかったりするので、ジョギング自体ができなかったりする。
しかし、私の発明した「脱法ジョギング」であれば、コンディションがあまりよくなくとも、ジョギングに不慣れであっても、5kmや10kmを走ることができ、しかも体への負担が小さいため、走り始めるまでの心理的ハードルもググっと低くなる。その方法を伝授しよう。
脱法ジョギングとは何か
では、まずジョギングについて考えていこう。ジョギングとウォーキングは違う。ウォーキングは歩くこと、ジョギングは走ることである。では、「走る」とは何だろうか。「歩く」とは違う「走る」という形態。とりあえず、ジョギングをジョギングたらしめる「走る」動作について考えてみよう。
まず、ジョギングでの走りは、歩くのと違って地面を蹴るようにして前に出し、歩くよりも腿を高く上げてリズミカルに足を進める。腕は、一般に肘を直角に近い形で曲げた状態で振る。実際にしてみればわかると思うけど、この基本的な動作をしていれば、それは「歩く」ではない。間違いなく、ジョギングとしての「走る」という動作となる。つまり、この動作があれば、すなわちジョギングとなる。
さあ、あとは簡単。この動作で可能な限り遅く走り始めるのだ。そうすれば、疲れることなく楽に長い距離をジョギングすることができる。もちろん地面を蹴って足を大きく動かすので、歩くよりもスピードがどうやっても出てしまいやすい。しかし、それを押してできるだけ遅く、何なら歩くよりも遅くするつもりで走り続けるのだ。そう、下手をするとウォーキングよりも遅いペースで展開するジョギング。これが脱法ジョギングである。「ジョギング」という定義から外れずに、ジョギングらしからぬペースで走ってしまうのである。
脱法ジョギングの理論と実践
上を見て、なんだかバカみたいな話だと思われたかもしれない。しかし、実際やってみるとわかるけど、動作はジョギングなのでウォーキングよりも大きく身体が動くため、ジョギングとしての充足感は相当に得られるし、走るための筋肉もしっかりと使われ、走力も体力も確実に鍛えられる。
そもそも、遅いペースを維持するのも結構大変なもので、走っているうちにだんだん加速していき、気が付くと通常のジョギングペースに落ち着いていたりする。それなのに、最初の時点で体力を温存しているからか、明らかに無計画に走るジョギングよりも疲れず余裕があり、自分に意外と体力というか、長く走る能力があるのだと気づかされて、結構自信につながったりもするので、継続するモチベーションも高まる。また、加速によって体力が消耗していると気づいたら、すぐに元の歩くより遅いペースに戻せば、体力の消耗が防げる。最初が遅いペースなので、そちらに戻すのも容易い。
ジョギング初心者のはらむ問題として、「ペース配分」という概念が身についていないことが挙げられる。最初になんとなくの気分で走り出して、それをジョギング速度のポイントゼロとし、それより遅ければマイナス、それよりも早ければプラス、というような感覚で走る。しかし、当然ながら最初が一番体力が有り余っているのだから、これだと最初を頂点にして徐々にペースが落ちていくだけになったりする。これでは走りを愉しむよりも消耗ばかりが先立ってしまうだろう。
あるいは逆に、走り続けていく中で慣性に則って無意識にペースがどんどん加速していき、最初からペースが速いのにさらに加速するものだから、それに伴って知らぬ間に体力がどんどん消費されていき、想定以上に早くバテてしまったりしまったりもする。また、初速をベースとして体も頭も認識しているので、いきなりペースを落とすのが難しくなる。『脱法ジョギング』では、初速をできる限り遅くすることで、そうした問題を起こさないようにすることができる。
しかも、上に書いた通り、余裕のある走りというものをずっとしていると体力がある状態で身体をしっかり動かしている感覚が得られるので、自信がわいてくるし、次の日も嫌な気持ちにならず、軽い気持ちでまた走れるようになる。それにコンディションが悪くとも、歩ける程度の体調であれば、それと同じかそれより遅く走ることは概ね可能だ。
そんな感じで、できるかぎりめちゃくちゃ遅く走るだけの『脱法ジョギング』は結構いい感じだという話です。もうちょっとしっかりした記事を書こうと思っていたのですが、時間がないのでざざっと書いてこのへんで。 -
ジョギングが続けられない
ジョギングを長続きさせるのは難しい。3日坊主でも続けば立派なもので、1日走れば次の日は休み、そのままズルズルとやめてしまうなんてほうが当たり前だ。もちろん、単純に継続して外に出るという定期的な活動の慣習化自体がおっくうというのもあるのだけど、ジョギングはその日のコンディションがモチベーションに大きく影響し、ちょっとでも疲れを感じていたりとか、身体に違和感があれば、なんとなーく休んでしまいたくなる。
特にジョギングを始めたばかりの頃というのは、人を挫折に導く要因がたくさんある。本当にジョギングに出ない言い訳が次から次へと頭に浮かぶし、走りなれていないうちは、いざジョギングを始めても、前日の運動だとか日頃の疲れだとか、不摂生だとか寝不足だとか、そういったことが影響すると息が上がったり、足が痛くなったりして、200メートルも走らないうちに走るのをやめてしまうなんてのもザラである。私はそうだった。先に情報収集なんぞを無駄にしていて頭でっかちになっているものだから、「20分以上の継続した有酸素運動でないと効果がない」だとか、いらん知識を頭に詰め込んでしまって、「じゃあ、20分走れないなら意味ないじゃん。はい、やめやめー。」なんていう"賢明な思考"のおかげで、ジョギングの機会を失してしまった時期もあった。あーあ、くだらない。
かつての私は、「調子がいい日でないと、まずろくに走れない」という問題を抱えていた。そして、一時期は「20分以上走れないと意味がない」というくだらない知識に振り回されて走らない言い訳に用いていた。
後者の思い込みについては、自身のモチベーションを下げるだけのつまらない思い込みだと割とすぐに気づいて無視するようになったものの、それですぐに走れるようになったわけではない。コンディションの悪い日は、1分も走れないものだから、さすがにこれをジョギングした日に数えるわけにもいかず、そういった不安定かつ虚弱な体に鞭を打って気合と根性で走ったり走らなかったりして、なんとか30分5km程度は継続して走れるようにはなったものの、その一回でバテバテで翌日まで疲れを持ち越し、しかもよくわからない達成感と当時の疲労感へのトラウマ的な恐れが無意識に自分を支配し、ジョギングに復帰するタイミングを逸して……といったことを繰り返し、結局「1か月に1回5㎞走る」というような、おおよそジョギングをしているとは言い難い時期が長らく続いていた。
上記の状況は本当に初心者の時期のことであるが、ここまで大げさでなくとも、私は長い間ジョギングをやったりやらなかったりしていたのは事実で、しかもサボりから再開しようとしても、実際に再開するまでの期間が空きがちであった。「脱法ジョギング」を発明するまでは、である。私は「脱法ジョギング」を発明することによってジョギングの長期定期化と、多忙期等による休止時期から再開までのタイムラグをなくすことに成功した。これから、その方法について記そう。
脱法ジョギングとは何か
この「脱法ジョギング」を行なったしたのは、しばらく体調などを言い訳にしてジョギングをサボっていた時期から再開するための日であった。当時、ジョギングなんてコンディションがとてもいい日でも8km程度が限界で、10kmなど走ったことがなかった。しかも、そんなに走っては、のち1週間程度は走らなくなってしまう。しかし、とある思い付きによって始めたある方法で走ってみると、その日は簡単に13kmを走破し、その後も2日に1回10km以上のジョギングを行えるようになった。