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前回の記事にある通り、ブログやホームページの更新通知用にTruthSocialで紹介してもらったMisskeyに登録してみた。始めた当初は誰もフォローしていないうちからTLに流れてくるイラストの大群。「……うーん、ここは絵描き用のメディアなんじゃないか?」……と、どうにも自分が場違いな気がしてすっかり気後れしてしまい、「もしかしてここ使っている人ってみんな絵を描く人? 紹介されて始めてみたけど場違いだったかもしれない……。」
とつぶやくと、現地の方々から「そんなことないよ!」という旨のコメントが多数(本当に多数!)届いた。誰もFFでないガチのアカウント設置当初の段階のつぶやきで200以上のリアクションと20以上のコメントがあったのでだいぶ驚いた。そこで他の方の書き込みをアカウント別にもう少し細かく見ていると確かに絵を描く人もそうでない人もあり、長めの文章を上げている人も結構いる。
で、ここでMisskeyの特徴をひとつあげておくと字数制限が3000字だということ。長い。TruthSocialやthreadsの1000字制限と比較しても莫大に長い。これはTwitterの類型メディアとは呼べないのでは? それくらい長い。以前も書いたように私がTruthSocialに居着いたきっかけが1000字制限による漢籍翻訳の投下しやすさだったので、試しにMisskeyでも投下してみたところ、超いい感じ✨ であった。他の方のアカウントを見てみると結構ミニブログのような形で用いる人が多く、もしかしたら使いやすいかもしれないなー、と思っている。
というわけで、初日だからまだ何とも言えないけど、案外ここに居つくかもしれない。てかスケベピクチャーが次々と流れてくるし、漢籍の翻訳文は流し放題だし……楽園なのでは? なんだかまったりした雰囲気だし、半ば隠居先という感じで。
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出自北門、憂心殷殷。
詩経邶風北門の訳。せちがらい詩として有名である。2500年以上前からこのような詩が詠まれていたことは我々に勇気を与えてくれることであろう。詩経の詩は内容の善悪を先に問うものではない。まずあるのは孔子のいう通り思無邪(まじりっ気のない思い)なのだ。
終窶且貧、莫知我艱。
已焉哉、天實為之、謂之何哉。北の門自(よ)り出づること、憂ふ心は殷殷(ぼやり)とせり。
終に窶(やつ)れて且も貧しき、我の艱(くるしみ)を知るもの莫し。
已焉哉(やみぬるかな)、天(あめ)よ實(まこと)に之れを為さむ。之の謂(いへらく)は何ぞ哉(や)。北の門から出てみれば、憂鬱な心がぼんやりと湧きあがる。
とうとう痩せこけてしまって、しかも貧乏だ。俺の苦しみなんざ誰もわかっちゃいねえんだ。
あーあ、もうどうにもなんねーわ、これ。天よ、(お前が)マジこんな状況にしてくれちゃったわけじゃん。その意味って何よ?王事適我、政事一埤益我。
我入自外、室人交徧讁我。
已焉哉、天實為之、謂之何哉。王(おほきみ)の事(つとめ)は我に適(むか)ふ。政事(まつりごと)は一(ひとえ)に埤(あつ)く我に益(ましまし)ならむ。
我の外自(よ)り入(かへ)らば、室(いへ)の人(ひとびと)は交(こもご)も徧(あまね)く我を讁(とが)む。
已焉哉(やみぬるかな)、天よ、實(まこと)に之れを為さむ。之の謂(いへらく)は何ぞ哉。王からの仕事が俺に向かってくる。政務は一方的にぶ厚く俺のものばかりがどんどん増やされてゆく。
俺が外から帰ってみれば、家族が代わる代わるみんなで私を責め立てる。
あーあ、もうどうにもなんねーわ、これ。天よ、(お前が)マジこんな状況にしてくれちゃったわけじゃん。その意味って何かあるの。王事敦我、政事一埤遺我。
我入自外、室人交徧摧我。
已焉哉、天實為之、謂之何哉。王(おほきみ)の事(つとめ)は我に敦くなり、政事(まつりごと)は一(ひとえ)に埤(あつ)く我に遺さるる。
我の外自(よ)り入(かへ)らば、室(いへ)の人(ひとびと)は交(こもご)も徧(あまね)く我を摧(そし)りたらむ。
已焉哉(やみぬるかな)、天(あめ)よ實(まこと)に之れを為さむ。之の謂(いへらく)は何ぞ哉。王からの仕事が俺にばかり増やされて、政務は一方的にぶ厚く俺ばかりに回される。
俺が外から帰ってみれば、家族が代わる代わるみんなで俺をバカにしてくる。
あーあ、もうどうにもなんねーわ、これ。天よ、(お前が)マジこんな状況にしてくれちゃったわけじゃん。その意味って何なんだよ!引越し作業と仕事でほぼ2徹していた時に仕事の休憩時間で訳した。別に仕事が詩のような状態なわけでも家庭がそうなわけでもないんだけど、生活の中で極限状態であることに変わりはないためか、なんか精神状態と詩がハマっちゃっている気はせんでもない。
ちなみに、「あーあ、もうどうにもなんねーわ、これ。」の部分は原文で「已焉哉」で、最初は「もうおしまいだ」という伝統的慣用訳をしていたんだけど、なーんとなくしっくりこなくてやめてしまった。というのも、社会的身分は一定有しており、その上で日常自体のひどい有様を嘆いていることについて「もうおしまいだ」という絶望の句を発するのはまったく間違いではないものの、もっとよい訳があると思ったからである。
そこで「已焉哉」を分解してみると以下のような構成になっている。
已→やむ(止まる、停止する)、おわる→行き詰まり、おしまい
焉→これ、ここ→終焉「焉(ここ)に終わる」などの強調表現
哉(かな)→感嘆の語だから一般的には「もうおしまいだ」という訳が通用されているわけだけど、今回の詩は日常における閉塞感のニュアンスによるものだと思われるので、要はどん詰まり、それを口から語られるような生きた言葉で、しかもそれぞれの語に語彙をしっかりと対応させた訳……! という検討に検討を重ねた結果、
「あーあ(哉)」
「もうどうにもなんねーわ(已)」
「これ(焉)」という訳に相成ったわけである。逐語訳的でありながらしっかりとニュアンスの伝わる自信ある訳だ。えへんえへん。
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ホームページとブログを放置してずっとやっていた疑似TwitterのTruthSocialにもさすがに飽きてきた。本格的にホームページとブログへ移行することにしたい(まーた言ってるよ)。もちろん今後はTwitterに戻る気もないし、「東夷の倭人」としてSNS等のソーシャルメディアに触れること自体が少なくなると思う。いやー、そろそろ実名でインスタグラムやFacebookで✨キラキラ生活✨の写真等を上げるのを主にしようかと……。ただ、ひとつだけブログ告知用のアカウントが欲しいのと、単純にもっと漢籍の話ができる趣味の友達と知り合ったりとか集まれる場がほしいと思っていて、これからどうしようかなあ、と悩み中。東夷の倭人名義とするかサイト名義にするかはわからないけど、何らかのアカウントはどこかに用意するつもり。
候補地はいろいろ人から教えてもらったけど、まだ未定。どんどんアカウントを作成していく予定。
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前回の続き。全訳に着手しているもの
The Analects(英訳論語)
これは語釈にめちゃくちゃ手間がかかっており、そのせいで更新できていないのが明らか。どうしよう。第一章だけは余釈以外ができているので、可能な限り早く上げたい。球陽記事
今年の春に沖縄にいったのがきっかけでネット検索して発見したもの。琉球国の史書。朝鮮、越南に続いて遂に琉球! というわけである。全24巻+附巻4巻+外巻4巻であり結構多いけど第1巻の途中までしか訳していない。何気に19巻+外紀5巻+続巻5巻の大越史記全書より巻数が多い。全訳できる気がしない。でも少しずつやるつもり。陸賈新語
前漢の儒者である陸賈の著書。読んだ感じ、これは潜夫論にもおそらくは影響を与えていて、漢の儒教を解き明かすにあたって重要な典籍だと思う。それに朱熹自身の著した朱子学の入門書である近思録とも構成が似ていて、不明でよく知らないけど後世において自由著述の儒書におけるスタイルの型も確認したいので、その最古級である本書はちゃんと読んでおきたいところ。道基第一はすべて書き下した。全十二章で構成されているのでまだまだ先は遠い……。これまた2023年7月から放置中。神滅論
南北朝時代の儒者の著書。この頃には仏教が大いに流行したので、これに対抗するため儒教は仏教批判の理論を構築することになった。その際のもの。この神滅論は中国の無神論だと説明される文章が非常に多いが、ここでの『神』は『精神』のことであり死後に人間の精神・知覚が消滅することを主張したものであって、一般に言う超越的な存在や信仰を否定する無神論のことではない。仏教は輪廻転生・地獄等の概念を用い、死後の精神の存在を信仰する。これに対して死後に人の精神が消滅すると儒者が主張したもの。儒教において死後の精神を以下に扱うかは実のところ定まった方がない。孔子が怪力乱神を語らず、鬼神を敬してこれを遠ざくとか、未だ生を知らず焉んぞ死を知らんやとか言っていたからだ。儒者が死後の精神の消滅を断じたことが珍しいと言えば珍しい。ネット上だとなぜかブッダが死後の精神の存在を否定したという説がまことしやかに流布しているけど、これは仏者の謀略(たばかり)である。近代化にはまったく貢献せず、その後になって突然あたかも仏教は無神論だの哲学だのであって宗教じゃないんだ主張し始めた恥知らずの仏者どもを……みたいな話は今度また別の機会に。これは一昨日、無理やり訳をすべて終わらせた。なので全訳完了未公開状態である。真誥
序文だけ今年8月にちょろっと訳した。興味はあるんだけど優先順位は高くない。神道の原型を構築したもの……だとオカルト系の人が言っていた。とりあえず序文だけさっさとホームページに掲載しておこうと思う。列子
私はよく論語とか孔子とかの話をしているけど、これらは対話の対象であって素の私に近いのは列子である。内容はこれぞ中国の書籍ってカンジで、おとぎ話や笑話的な説話を含んでおり、肩の力を抜いて是非みんな読んでほしい。私としても徳間書店版の『中国の思想』の『老子・列子』で訳文を読んだだけなこともあって、漢文を読めるようになったらぜひとも原文を読みたいと思っていたし、ブログでも早い段階から何度もめちゃ拙い訳文を掲載している。今ならもっといい感じで訳せるゾ。ある意味では故郷に帰るような気持ちで私も訳してみたくなったわけである。すいすい訳せて天瑞篇がすぐに訳せてしまった。頭にもすいすい入る。読み直してみると、けっこう自分の思想的な軸になっている古典だと改めて思うというべきか、それとも素がそうだから初めからこの古典が自分っぽい考えが多いのか、もはやまったく判断がつかない。ホント自分に馴染む古典だ。こういう存在はありがたい。10年前から言っていることだけどさ、これぞ中国の古典って感じなのよ、私にとって。好き荘子
老子道徳経
那先比丘経
神皇正統記
ただでさえ訳が途中の漢籍がホームページにごろごろ転がっているのに更にこんなにできるわけがない! アホなのか?しかし他にも一部訳をもくろんで手を付けているものが以下。
講孟箚記
律蔵
聖書
いやあ、どうなっちゃうんだろうね……。封神演義
一昨年くらいから訳してて昨年の1月には放置。さすがにこの全訳はやる気なし。どこまで訳すか不明。モチベなし。確かカクヨムに投稿しようとしていたんだった。まだ探したらあるはずなんだけど、とりあえずこんな感じ。うおおお、明日は必ずホームページを更新する!
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興味のある人がいるのかわからないけど、訳している漢籍について現状整理。
論語注疏
やるやる詐欺。とはいえ一応は八佾篇(第三)の中盤である子曰君子無所爭章まで訳している。更新は為政篇(第二)の子曰攻乎異端章まで。本来的にはこれを先にすべきなのだけども。ちなみに漢文翻訳を始めたばかりの頃の拙い訳が為政篇(第二)の二番目の子曰詩三百章まで進んでいたんだけど、リニューアルして新訳が既に追い越している。未公開分は比較的新しく、4月から5月頃に訳したものが多い。放置期間は半年近いんだけど、他は1年とか2年とか平気で放置しているので。三国史記
一応は全訳が完了! 典籍としてはホームページで唯一の全訳公開中の漢籍である。しかし初めての漢籍全訳であり訳が拙いのでリニューアル作業にすぐとりかかったものでもある。リニューアルは現在、新羅本紀と高句麗本紀は二巻、百済本紀は一巻、それと列伝がいくつか公開されている。未公開で訳が終わっているのは、新羅本紀は3巻の翻訳に去年4月に書き下しに着手していたみたい……。完全に放置されとる。高句麗本紀は4巻が既に訳されているが注ができていない。百済本紀も昨年の3月時点で既に3巻がほぼ訳されている。蓋鹵王もすべて書き下されてて現代語訳も半分以上終わっている。なんでこんな中途半端なまま残したんだろう……。更新時期と訳した時期が乖離するのヤだから先にさっさと公開したいと思う。ところで高句麗本紀4巻と百済本紀2巻が更新されていない理由は注である。未公開分は注で詰まっているものが多い。ちなみに公開していない全訳済のものには『立憲法議』『孝経』がある。東明王篇
これも一応は全訳したつもりだったのだけど、実は朱蒙の父親である解慕漱が河伯に結婚の挨拶をするあたりが抜けていた。たぶん私が文章を借りたページで抜けていたんだと思うんだけど、参照元を喪失してよくわからなくなっている。で、原文の参照元が不明の漢文訳を載せるのも問題あるし、三国史記と併行していた訳文だから拙いってこともあって訳を完全に最初からやり直す、三国史記と同様のリニューアルをしていたんだけど、2023年の年始の前後くらいに序を公開した後はちまちま本文を訳したりしなかったりで現在放置中。ただし書き下しはすべて完了しているので、あとは現代語訳するだけである。現代語訳も半分以上終了。これもさっさと公開したいなあ。広開土王碑
これは全訳が完全に終わってリニューアルの予定もない数少ないもの。まあ碑文なんでそんなに長くもないのだけど。ただし注の城の名前が『調査中』となっている。これはもうしばらくは放置する予定。中国史書における古代朝鮮と周辺国の記述
史記から新五代史までの中国正史に記載された朝鮮および周辺諸民族(主に東夷)の列伝等を訳そうという企画。よくよく考えたら最初のアンソロジーと言えるかもしれない。三国史記と並行していたので、案の定リニューアルすることになったけど、拙かった漢書、史記、後漢書がリニューアルできたので後はいいかなーって感じ。①史記②後漢書③三国志④晋書⑤宋書⑥南斉書⑦梁書⑧魏書⑨周書⑩隋書⑪南史⑫北史⑬旧唐書⑭新唐書⑮旧五代史⑯新五代史……という十五史のうち公開しているのは⑥南斉書まで。未公開分については⑦梁書は現代語訳がすべて終わっているが注ができていない。⑧魏書も半分以上は現代語訳が終了している。どちらも2023年5月頃まで作業している。うーん。⑨周書も序文と高麗はすべて訳しており、序文の注はすべて完備。高麗の注が途中で止まっている状態である。ちなみに三国史記と同様、今回も注で更新を投げている。これは改めた方がいいと感じるなあ。それと全訳と一部訳とは別に新たに撰集のコーナーを用意してこれを移動する予定。大越史記全書
外紀一巻が公開中。ちなみにこれも実は外紀2巻の武帝紀は2023年時点でとっくに訳しているので更新はできるはずなのだけど、これも注で投げている。ああ……。易経
これは全訳自体をする気がイマイチ欠けている。公開しているのは天地否のみ。火山旅が既訳でホームページ未公開。過去にTwitterで上げたことがあって本文は保管されているんだけど、アカウントを消したため序文の一部が紛失している。まあすぐに訳し直せるけども。これは全訳するか自体が不明なので当面はキニシナイ(・A・)孝経
正月休みを利用して一昨年から昨年にかけての年末年始に一気に全訳した。ただ、これは余記が主でなんとなく進んでいない。先に訳文だけ公開するのもアリかどうしようか。潜夫論
漢籍の翻訳を始めた動機のひとつにこれを読みたいというのがあったのだけど、読んでみるとイマイチだと感じるようになってモチベが下がっている。序文に代えての後漢書王充伝と後漢三賢王符讃、そして巻一の讃学第一まで公開中。未公開分だと務本第二はすべて訳しているけど余記がまだ書けていなくて更新していない。訳していた時の感覚とか忘れていて書きかけの余記の内容もイマイチだと感じているのでさっさと書き直して上げた方がいいのだろう。未訳部分を新たに訳すような興味はイマイチ削がれている……。遊心安楽道
公開中なのは序文と第一のみ。これは正真正銘の訳したところまでの公開である。少しだけ第二の冒頭を書き下しているけども、それだけ。これは注を付けていないので訳したらすぐに更新できるため、未公開分が存在していない。いやあ、改めて注とか余記は鬼門だなあ。遊心安楽道は個人的に早く訳したい気持ちもあるのだけど、優先順位は高くないカンジ。共産党宣言
公開中なのは序文と①と銘した冒頭のみ。これ実は当初の想定より本文が長いことに気付いて後から分割することを考えた形なので、いくつにわかれるのかまだ自分でもわかっていない。ちなみに堺・幸徳版でいう「東洋を西洋に從屬させた」まで訳しているので、たぶんだいたい半分に達しないくらいまでの進行具合。小品のつもりが思ったより時間がかかっている……。5月から放置。女子解放問題
序文に該当する部分のみを公開中。訳しはじめて気づいたけど、これも論文としては結構長いので、共産党宣言と同様に分割して掲載することにした。序文部分を含めて七つの段落に分かれているので、とりあえずそれに準じて訳す予定。第三段落まで訳しており、注は第二段落まで付しているため、そこまではすぐに公開できる。4月から放置。贈侯官林宗素女士
鞏金甌
国民革命歌
義勇軍進行曲
全訳している……とはいえ一篇の短い漢詩や歌詞なので当然である。このあたりは全訳にひとつひとつ入れるのも変なので、これも新設する撰集コーナーに移動予定。中華民国憲法
これも出オチ感がある。百七十五条中十条まで書き下し、八条の途中まで訳した。モチベない。……という現状整理である。とりあえず注を後回しにしてでも三国史記の既に訳した未公開部分をさっさと更新した方がいい気がしている。続いて中国史書における古代朝鮮と周辺国の記述、大越史記全書の既訳。論語注疏は完成を最優先にしつつも他の漢籍のストックの掲載をもっと優先することにしようと思う。ストックと呼ぶにはもう時間を置きすぎ。書き下し文を読んでいるとうわー、昔こんなカンジだったんだー、ってなる。
長くなったので既に訳に着手しながらホームページにコーナーすら設けていない漢籍については次回に整理する。