前回の続き。
全訳に着手しているもの
The Analects(英訳論語)
これは語釈にめちゃくちゃ手間がかかっており、そのせいで更新できていないのが明らか。どうしよう。第一章だけは余釈以外ができているので、可能な限り早く上げたい。
球陽記事
今年の春に沖縄にいったのがきっかけでネット検索して発見したもの。琉球国の史書。朝鮮、越南に続いて遂に琉球! というわけである。全24巻+附巻4巻+外巻4巻であり結構多いけど第1巻の途中までしか訳していない。何気に19巻+外紀5巻+続巻5巻の大越史記全書より巻数が多い。全訳できる気がしない。でも少しずつやるつもり。
陸賈新語
前漢の儒者である陸賈の著書。読んだ感じ、これは潜夫論にもおそらくは影響を与えていて、漢の儒教を解き明かすにあたって重要な典籍だと思う。それに朱熹自身の著した朱子学の入門書である近思録とも構成が似ていて、不明でよく知らないけど後世において自由著述の儒書におけるスタイルの型も確認したいので、その最古級である本書はちゃんと読んでおきたいところ。道基第一はすべて書き下した。全十二章で構成されているのでまだまだ先は遠い……。これまた2023年7月から放置中。
神滅論
南北朝時代の儒者の著書。この頃には仏教が大いに流行したので、これに対抗するため儒教は仏教批判の理論を構築することになった。その際のもの。この神滅論は中国の無神論だと説明される文章が非常に多いが、ここでの『神』は『精神』のことであり死後に人間の精神・知覚が消滅することを主張したものであって、一般に言う超越的な存在や信仰を否定する無神論のことではない。仏教は輪廻転生・地獄等の概念を用い、死後の精神の存在を信仰する。これに対して死後に人の精神が消滅すると儒者が主張したもの。儒教において死後の精神を以下に扱うかは実のところ定まった方がない。孔子が怪力乱神を語らず、鬼神を敬してこれを遠ざくとか、未だ生を知らず焉んぞ死を知らんやとか言っていたからだ。儒者が死後の精神の消滅を断じたことが珍しいと言えば珍しい。ネット上だとなぜかブッダが死後の精神の存在を否定したという説がまことしやかに流布しているけど、これは仏者の謀略(たばかり)である。近代化にはまったく貢献せず、その後になって突然あたかも仏教は無神論だの哲学だのであって宗教じゃないんだ主張し始めた恥知らずの仏者どもを……みたいな話は今度また別の機会に。これは一昨日、無理やり訳をすべて終わらせた。なので全訳完了未公開状態である。
真誥
序文だけ今年8月にちょろっと訳した。興味はあるんだけど優先順位は高くない。神道の原型を構築したもの……だとオカルト系の人が言っていた。とりあえず序文だけさっさとホームページに掲載しておこうと思う。
列子
私はよく論語とか孔子とかの話をしているけど、これらは対話の対象であって素の私に近いのは列子である。内容はこれぞ中国の書籍ってカンジで、おとぎ話や笑話的な説話を含んでおり、肩の力を抜いて是非みんな読んでほしい。私としても徳間書店版の『中国の思想』の『老子・列子』で訳文を読んだだけなこともあって、漢文を読めるようになったらぜひとも原文を読みたいと思っていたし、ブログでも早い段階から何度もめちゃ拙い訳文を掲載している。今ならもっといい感じで訳せるゾ。ある意味では故郷に帰るような気持ちで私も訳してみたくなったわけである。すいすい訳せて天瑞篇がすぐに訳せてしまった。頭にもすいすい入る。読み直してみると、けっこう自分の思想的な軸になっている古典だと改めて思うというべきか、それとも素がそうだから初めからこの古典が自分っぽい考えが多いのか、もはやまったく判断がつかない。ホント自分に馴染む古典だ。こういう存在はありがたい。10年前から言っていることだけどさ、これぞ中国の古典って感じなのよ、私にとって。好き
荘子
老子道徳経
那先比丘経
神皇正統記
ただでさえ訳が途中の漢籍がホームページにごろごろ転がっているのに更にこんなにできるわけがない! アホなのか?
しかし他にも一部訳をもくろんで手を付けているものが以下。
講孟箚記
律蔵
聖書
いやあ、どうなっちゃうんだろうね……。
封神演義
一昨年くらいから訳してて昨年の1月には放置。さすがにこの全訳はやる気なし。どこまで訳すか不明。モチベなし。確かカクヨムに投稿しようとしていたんだった。
まだ探したらあるはずなんだけど、とりあえずこんな感じ。うおおお、明日は必ずホームページを更新する!
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