いま、お前みたいな者が幸せになってはいけない、お前は性犯罪者予備軍だ、お前は怠惰で中途半端な人間だ、お前はいるだけで空気を乱して迷惑だ、と頭のなかでぐるぐるしてるんだがどうしたらいい?
— うちゅうじん( ●.●)ノ~~ (@jimmynicol88888) 2019年11月10日
なんとなく「睡眠運動瞑想野菜」で検索していたら、恐ろしいツイートを見つけてしまった。ただただ私は哀しい。あまりに哀れな人だ。なぜなら、彼は普段、ここで書かれるような妄念と同様の内容で他人に攻撃ばかりをしている人だからである。
彼が普段、人を見下したり、いつも上から目線で他罰的にふるまっているのは、これが理由なのだろう。あるいは、人を見下したり、上から目線で他罰的にふるまったりしているからこのようになってしまったのかもしれない。
いずれにせよ、彼は病魔に侵されている。事実、彼が他人を責めるツイートは、いつも自傷行為のようであったし、時に責めたあとで自らと相手を重ね合わせてひく場面が何度もあった。私はようやく、彼に対して持っていた違和感に合点がいった。
この苦しみを軽減させるのは簡単である。あらゆる人に幸せになる権利があることを認めればいい。どんな悪人にも幸福になる権利はあるのだ。それを認めるだけで、簡単にこのような空虚な自責心から解放される。
私はこのようなことで悩むことはまったくない。なぜなら、いかなる悪人にも幸福になる権利があると信じているからである。自分が最も嫌悪感を催すような人間に対して、その人の幸福を私は心から願っている。だからこの人のように惑わされることがない。
私のことを嫌っている人や私が嫌っている人が、どうか幸せであってほしい、私はそう心から願っている。彼は嫌いな人や悪人の不幸を願っているのだろう。だからこうなるのである。こうなると自分が善良だと思わないとやっていけなくなり、自らの善性を確認するために他罰的になり、また自らを苦しめる。まさにこの男は無惨な亡者だ。
試しに毎日、自分の嫌いな人を思い浮かべ、どうかこの人が幸せでありますようにと10分間祈るがよい。それを毎日続ければ、他人を上から目線で責めたり、見下したりすることが少なくなり、自分に対しても寛容になるであろう。おそらくこのような人は、心からそれを唱え続ければ涙があふれてくるはずである。
近頃は自己肯定感という言葉が流行しているが、この言葉に振り回されてはならない。他人を肯定すれば、自然と自己を肯定することになる。
どうかこの人に幸福が訪れますように。自らを悪人であるとみなして自己を放棄することなく、幸福でありますように。
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コメント
1. 無題
2. Re: タイトルなし
3. 無題
4. Re: タイトルなし
5. 無題
勝手にそうだと判断してしまいました。謹んでお詫びしたいと思います…。