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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

ホームページに中華民国憲法総綱の書き下し文と現代日本語訳を追加。
焚巣館 -中華民国憲法-

 本日の更新。中華民国憲法である。blueskyで投降したものを転載。

 成立が1946年、公布が1947年とされているけど、起草は1936年とされる。だからというべきか、文体は中華人民共和国憲法と比べ、古い文語的表現……のはず。中国語はわかんないけど漢文として読むのは中華人民共和国憲法より遥かに容易い。

 今回は総綱、つまり全体の根本的な理念、つまり憲法の精神を現わしているわけであるが、いやー、素晴らしい! 「民が所有し、民が統治し、民が享受する(民有民治民享)」がよい。民主国家の原則をとてもシンプルに表現している。とてもよい。


 清の末期。西洋列強の衝撃を受けた清王朝は、否が応でも政治的な改革の必要に迫られることになった。その中で、康有為らを始めとする開明派の儒者は、中国の旧来の政体では中国を維持できないと考え、西洋の政治制度を積極的に取り入れるべしとの政治運動を推進した。これを変法運動という。その中のひとりに、梁啓超という儒者がいた。

 梁啓超は当初、孟子の民本思想に基づいて民主制を説明していた。これは日本の中江兆民と軌を一にしている。孟子の思想を実践するためには、西洋の民主制を中国に取り入れる必要があるのだ、と。彼らの運動は遂に時の皇帝である光緒帝の協力を得るに至る。かくして立憲君主制に基づく民選議会の開催実現まであと一歩のところまで改革を進めることができたが、そこで西太后らのクーデターにより事態は一転、変法派の儒者たちは弾圧され、その中のひとり譚嗣同は処刑される。梁啓超はなんとか日本へ亡命する途を得た。

 こうして日本に亡命した後、自らの学問を研鑽する中で梁啓超は、孟子には近代民主制における重大な視点が欠けていると考え始めた。それは人民の権利である。孟子は確かに人民に益する政治をすべきだと君主に説いてきたが、それは保民(人民の安全保障)や牧民(人民の養育)といった内容で会って人民の権利を論じたものではない。だから目的は違えど人民の主体性を侵犯する点では変わらないのだと梁啓超は考えるようになった。これは重大な指摘だ。明哲な梁啓超は、「儒教は"of the people by the people for the people"のうち、"of the people"と"for the people"は語れども、"by the people"を語らなかった点が欠点である」と述べている。

 とはいえ、ここまでであれば、よくある儒教批判に過ぎない。しかしながら、一筋縄にはいかないのが梁啓超という人物、そこいらの西洋主義者が「孟子の保民思想は民の主体性を奪う」と、梁啓超と同じような主張をすれば、彼は猛然と反論を始める。「保民(人民の安全保障)を主張してはならないというのなら、虐民(人民への虐待)でも主張しろというのか? 孟子は説得の対象が君主だったから君主のすべきことを述べただけである。」と。更には自ら指摘した"儒教におけるby the peopleの欠如"についても、梁啓超自ら「それではギリシャの市民に限定された民主制がby the peopleといえるのか、欧州の議会政治・多数決政治や、近年のソビエトが真のby the peopleなのか。このようにby the peopleとは現在に至るまで実現を語ることは欧州諸国にもできていないのだ。実現できないことを軽々しく語らないのは、むしろ賢明である」と批判し、孟子の立場を擁護する。これもまた鋭い指摘である。奴隷制を前提とするギリシャの民主制が果たして民主制といえるか、代議制と多数決主義が真に民意を反映するのか、ソビエト連邦が真の民主性だなどと誰が言えようか。のちに梁啓超は第一次世界大戦後の欧州の荒廃を目の当たりにし、「欧州の代議制には弊害が存在し、これを孟子の民本思想が矯正できる」と主張し始め、議会政治の外における政治運動「全民政治」「国民運動」という非代議制の直接民主制の道を模索することになる。確かに孟子は「貴民軽君(人民を貴び、君主を軽む)」を主張し、人民への虐政を行なう為政者に対する革命を正当化する。孟子の民本思想は、単に民と隔絶した為政者のみを主体と見る思想だと捉えるのも無理があるのだ。梁啓超は思想の振れ幅の激しさが現在も批判されるが、これを私は思考の柔軟さと多面的な視点を有していたものだと好意的に評価したい。

 さて、中華民国憲法に話を戻そう。好悪いずれに評するにせよ、梁啓超の弁に基づけば、伝統儒教とは、民を根本とする視点を有していながら、一方で民を国家の所有と統治の主体だと明確化はしなかったことになろう。だからこそ冒頭の「民が所有し、民が統治し、民が享受する(民有民治民享)」という言葉は意義深い。中国は前近代の伝統から歩を進めたわけである。実のところ、19世紀の西洋においても近代革命のほとんどは立憲君主制に基づくものか、あるいは植民地独立革命である。つまり民衆が自ら王を打倒するフランス革命式の市民革命を成し遂げた国家はほとんどない。中国は西洋のほとんどの国より早くに自らの手で王制を廃する革命を起こした国家なのである。国家の所有を民に帰する国家がどれほどあろうか? 孟子の革命論は民衆の主体性に国家を帰する論理に他ならないはずである。してみれば、もちろん憲法の条文は近代民主制の原則としての「民が所有し、民が統治し、民が享受する(民有民治民享)」を読むこともできるが、もう一方で三千年に及ぶ中国の民衆思想のひとつの結実として見ても、きわめて感慨深く思うのである。

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