"易経"カテゴリーの記事一覧
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䷓觀
【漢文】
觀。盥而不薦、有孚顒若。【書き下し文】
觀 。盥 すれば、而 ち薦 なくも、孚 有りて顒若 なり。【現代語訳】
観測者。手を浄めれば、供物がなくとも、まごころからおごそかに。【漢文】
大觀在上、順而巽、中正以觀天下。觀、盥而不薦、有孚顒若、下觀而化也。觀天之神道、而四時不忒、聖人以神道設教、而天下服矣。【書き下し文】
大いなる觀 は上 に在 さば、順 にして巽 しき。中 の正 にして以ちて天下 を觀 ればなり。觀 の盥 すれば、而 ち薦 なくも、孚 有りて顒若 なるは、下 に觀 りて化 ゆればなり。天 つ神 の道を觀 るは、而 ち四 の時 も忒 りなし。聖人 、神 の道を以ちて教 を設 け、而 りて天下 は服 へり。【現代語訳】
大いなる観測者が上 に坐さば、素直かつ恭しくなる。中立にして公正、これによって天下を観測するからだ。「観測者が手を浄めれば、供物がなくとも、まごころからおごそかに」なるのは、下を観測して教化するからだ。天上に坐す神の道を観測すること、それは四季のいずれにおいても変わらない。聖人が神の道によって教えを設ければ、天下は帰服する。【漢文】
風行地上、觀。先王以省方、觀民設教。【書き下し文】
風 、地 の上に行 くするは、觀 なり。先 の王 は以ちて方 を省み、民 を觀 りて教 を設 けり。【現代語訳】
風が地上に吹きわたる――観測(観)だ。太古の聖王はそこで地方を振り返り、民を観測して教を設けた。【漢文】
初六。童觀、小人无咎、君子吝。【書き下し文】
初六。童 の觀 、小人 に咎无し、君子に吝あり。【現代語訳】
初六。童子の観測者。小人に咎なし。君子に吝あり。【漢文】
初六童觀、小人道也。【書き下し文】
初六の童 の觀 は小人 の道なり。【現代語訳】
初六の「童子の観測者」とは小人の道である。【漢文】
六二。闚觀。利女貞。【書き下し文】
六二。闚 ひ觀 る。女 の貞 しきに利 し。【現代語訳】
六二。門の隙間からそっと観測する。女性の貞淑に利あり。【漢文】
窺觀女貞、亦可醜也。【書き下し文】
窺 ひ觀 りたる女 の貞 しきは、亦た醜 づ可きなり。【現代語訳】
こっそりと観測するという女性の貞淑は、恥ずべきことでもある。【漢文】
六三。觀我生、進退。【書き下し文】
六三。我が生くるを觀 らば、進むもあり退くもあり。【現代語訳】
六三。我が人生を観測してみると、進むこともあれば退くこともあった。【漢文】
觀我生、進退。未失道也。【書き下し文】
我が生くるを觀 らば、進むもあり退くもあるは、未だ道を失せざればなり。【現代語訳】
「我が人生を観測してみると、進むこともあれば退くこともあった」のは、まだ道を見失っていないからだ。【漢文】
六四。觀國之光、利用賓于王。【書き下し文】
六四。國の光を觀 る。用ちて王に賓 するに利 し。【現代語訳】
六四。国の光を観測する。王の賓客となって登用されることに利あり。【漢文】
觀國之光、尚賓也。【書き下し文】
國の光を觀 るは、賓 するを尚 はばなり。【現代語訳】
「国の光を観測する」のは、賓客となりたいからである。【漢文】
九五。觀我生、君子无咎。【書き下し文】
九五。我が生くるを觀 る。君子に咎无し。【現代語訳】
九五。我が人生を観測する。君子に咎なし。【漢文】
觀我生、觀民也。【書き下し文】
我が生くるを觀 るは、民を觀 るなり。【現代語訳】
「我が人生を観測する」とは、民を観測することだ。【漢文】
上九。觀其生、君子无咎。【書き下し文】
上九。其の生くるを觀 る。君子に咎无し。【現代語訳】
上九。自らの人生を観測する。君子に咎なし。【漢文】
觀其生、志未平也。【書き下し文】
其の生くるを觀 るは、志の未だ平がざればなり。【現代語訳】
「自らの人生を観測する」のは、志がまだ果たされていないからだ。易経の風地觀を現代語訳。3月1日に翻訳していたのだけど放置していた。
神道という語の出典と考えられるもののひとつなので訳してみた。上位者の監視、それによる公正、これをつかさどるのが「天之神道」、つまり天井に存在する神であるというお話。人類の普遍的な宗教観が垣間見える。冒頭から手を洗うためのお浄めのたらい(盥)、供え物をささげる(薦)。厳粛さ(顒若)といった儀礼のイメージが述べられる。
ホームページに漢訳聖書の訳を載せるにあたって冒頭にて掲載してみようかと考えている。
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焚巣館 -周易-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/shuueki/main.html本日の更新。といっても以前にブログで訳と所感をつづったものの改訂版。
ずっとホームページを更新していなかったので、リハビリ的に更新したもの。実際には4月11日の時点で既にhtmlは打ち込み済み。少し見直してからアップロードしただけである。
易経というか、四書五経をすべて原文で読むのはとてもとても意義があると思うけど、それらを全訳してホームページに掲載するとかさすがに労力がえげつないことになる。だからコーナーを設けるのはためらっていたわけなんだけど……。今回それを思い切ってやっちゃったわけである。どうなることやら。
ちなみに冒頭に掲載した「陰と陽が入れ替わりを繰り返し、未来の生成が過去の生成を継承する。万物とは生成を永続するもので、これを『易』という。」という周易正義の訳めっちゃよくない? と我ながら思うのだけど、どの部分の訳なのか完全に失念してしまった……。あれ? 三ヶ月以上前に周易正義の原文からピックアップしてさらさらっと訳したものなので……。
って、内容からして私が易経に深くハマったきっかけのひとつである「生生之謂易」という繋辞伝のフレーズの註釈だろう……と思ったら、あった。
生生之謂易,陰陽轉易,以成化生。
[疏]正義曰:生生,不絕之辭。陰陽變轉,後生次於前生,是萬物恒生,謂之易也。前後之生,變化改易。生必有死,易主勸戒,獎人為善,故云生不云死也。正義曰:生生,不絕之辭。陰陽變轉,後生次於前生,是萬物恒生,謂之易也。前後之生,變化改易。生必有死,易主勸戒,獎人為善,故云生不云死也。
いやー、スッキリした。よかったよかった。これは中国思想研究者の中島隆博の著書『悪の哲学』を読んだ後に訳したものだから、文章の雰囲気にその影響があるのだとよくわかる。
ちなみに既に訳して他ソーシャルメディアに掲載したものに『火山旅』があり、これも近々アップロードする予定。逆に言えば、他はしばらくいいかなーって感じ。論語注疏の訳をさっさと進めたい。あとは繋辞伝の書き下しは複数回やったことがあるけども、こちらはどうするか不明。おそらくホームページのどこかには掲載するけども。