-
焚巣館 -論語注疏 為政第二 子曰由誨女知之乎章-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/rongochuso/02_isei/17yuuyo.html本日の更新。ひさびさの論語注疏である。訳どころかhtmlまで去年の私がつくっていた。なにげに論語注疏の訳を最後に手掛けたのがちょうど1年前の今日だった。ちなみに八佾第三の子曰君子無所爭章まで。
画像は去年つくった釣りサムネイル。上記のページもSNS等のソーシャルメディアでhtmlを引用したら表示されるはず。
PR -
焚巣館 -先秦諸子詩歌-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/kanshi_senshin_shoshi/main.html先秦諸子の書物に引用された詩を集めたもの。過去に訳していたものとざっくり思いついたものだけを訳して掲載した。ただし詩経に掲載された詩は省いているので結果として逸詩集となる。
というか、諸子百家の書に掲載されたとかいう謎の基準でコーナーを設けず、最初から先秦逸詩集とかにしておけばよかった。この区分のために春秋左伝に掲載された逸詩は省かれている。諸子百家の書に引用されているかを基準に掲載を決めているのであって、諸子百家が作詩したものを集めているわけではない……はずなのに、孔子の作詞だからということで史記からも掲載しているものがあるし、自分でも何が何だかわからない。完全に企画を誤った。正直言って集めるコンセプトみたいなのがイマイチ固まっていない。
コーナーに対する熱意が消沈しているだけで、詩についてはたのしく訳した。すべての詩にコメントも付けたよ。つけただけみたいなのもあるけど。
-
焚巣館 -述志詩-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/jutsushishi/jutsushishi.html本日の更新。昨年11月に後半部分のみを訳していたが、そのあと2月頃に全訳した。
忍者ブログに移行して以来、ずっとブログの表題のところに掲げている一節「愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。」の元ネタであることは既に述べたけど、訳したのは前回のブログ記事を書いた頃が初めてで、訳しながら「こんなにいい詩だったのか!」と驚嘆したものである。そして自分で訳したものを自ら読み直すたびに更なる驚嘆に驚嘆を重ね、私の最も好きな漢詩となった。ホント好き。いい。マジでいい。
しかし、ここで大きな不安がひとつ生じた。それは……前半部分がクソみたいな内容だったらどうしようというものである。マジでどうしよう。本気で不安だった。この詩にはちょっとした思い出も付されており、なおのこと思い入れができてしまっていたのだ。これもあって訳になかなか手が伸びなかったのである。
しかし、それでも内容はやっぱり気になったので実際に訳してみた結果……最高だった。もう最高。高きを最もにする内容である。私は賭けに勝利した。
この詩の訳はソーシャルメディアにて先行して何度も掲載しているのだけど、ずいぶん評判もよい。漢詩の訳なんて感想が来たこと全然ないのだけど、これについてはくる。
とにかく最高なんで読んでほしい。最高なので。
-
今日はホームページを更新しなかった。これまで一年近く放置していたのだから一日ホームページを更新しないくらいでなんだという話であるが、このところ連日更新していたので、そういうことを書きたい気分になったのである。
ブログも書くことがない。そもそもこれまでろくにブログも更新しなかったのだから一日更新しないくらいなんだという話であるが、このところ連日更新していたので、なんとなく休むのがためらわれてこういうことを書くことにしたのである。
こうやってブログを書きながら、口内炎が長引いていて喉が痛く、食事に大きな苦痛を伴っているとか、いろいろと自分の今の状況を差し支えない程度に書けばいいんじゃないかとと今になって思いついたりもする。こういうことをブログに書く慣習が失われたので、その発想に至らなかった。そんな感じ。
-
焚巣館 -詩経 關雎-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/shikyou/01shuunan/01kansho.html本日の更新。もともと古代詩というコーナーを設けようとしていたのだけど、整理がうまくいかず、とりあえず詩経のコーナーを独立して設置することにした。これ以外に諸子百家の書籍に掲載された詩を集める『先秦百家詩撰』と前漢、後漢(もしかすると三国時代)の詩歌を集めた『漢代詩歌』のコーナーを設ける予定。關雎は詩は今年の初めごろに訳していた。
中国における最も権威ある古代の詩集である詩経、その最初に掲載された詩である。そもそも『詩』とは漢詩のことであり詩経の詩であるから、この詩こそが詩の中の詩、あらゆる詩はこの亜流にすぎぬ。論語においても孔子がこの詩を絶賛する章句がある。
ここまで言うといて今日は時間がないから解説はしないけども。また今度やる。たぶん。