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風邪をひいたという記事を書いていないのにいきなりこんなことを書くのもなんだけど、風邪が治った。おとといの晩くらいにはおおむね完治し、昨日から本格的に仕事に出てジョギングを再開している。
先週の木曜日から熱が出たのだけど、その日の検査では新型コロナでもインフルエンザでもないとのこと。で、その日は仕事をやめて帰ったのだけど高熱がでる。40℃越え。やば。翌朝には37℃まで熱が下がったけど、のどがずっと痛かった。症状としてはのどの痛みがずっと続く。これは新型コロナに感染したときもそうだったので、なんか今でもステルス新型コロナか何かが出たんじゃないのかと疑っている。
ただ今回の風邪で特異だったのは口内炎だ。これがずっと治らず続いて非常に痛かった。実は熱が出る先週の木曜日の更に前の週の土曜日から口内炎ができ、しかも噛んでできたわけではないのに血が出た。いま思うとこれが予兆だったと思う。痛みが完全に引いたのは昨日なので、傷もないのに10日ほど続いたことになる。
ちなみに自分が風邪をひいた際、ほとんど同時に自分の参加しているディスコードサーバーやソーシャルメディアでも新型コロナでもインフルエンザでもないのに発熱を伴うのどの痛みや咳の症状を訴える人が大量に現れた。また、職場で多数がそのような症状を発症したとの報告も入っており、どうにも何らかの流行り病があるようだ。まあそこでは口内炎については聞いていないし、同じものなのかはわからない。今後何かわかるかもしれない。
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先週、パソコンが(おそらくハードディスクから)ぶっ壊れたのでホームページのデータが消し飛んだ、かもしれない。データの復旧に向けてとりあえず修理店に渡しておいた。別にホームページから直接ダウンロードすれば大半は取り戻せるし、翻訳作業はGoogleドキュメントでやっているのでダメージは大したものではないのだけど、アップロードしていないデータがないわけではないし、めんどくさいのがそれがなになのか確認もできない点で、いろいろめんどくさい。最近なんだか仕事以外の何もかもが上手くいかないなあ……うーん。まあWindows10から11に代えたかったしOfficeも期限が切れて放置していたやつだから壊れるタイミングとしてはちょうどよかったと思う。新しいパソコンと出会えることをたのしみとするか。今後バックアップはこまめにとっておこう。
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とあることがあって先月末からブログの更新がほとんどできなかった。
ただ、ホームページの更新だけはほとんど毎日やっていたので、その間の更新記事を今さらひとつひとつ書くのは億劫……。しかし、個人的にせっかく論語の全章句にひとことコメントをする機会を逃したくない。それと現状のホームページ更新ペースだと毎回ブログ記事がホームページ更新記事になってしまうのだけど、実はブログの更新を休んでいたおかげで逆にブログ記事を書くモチベーションが生じていたりもする。この間にソーシャルメディアもかなり休んでいたことから、閲覧の慣習もなくなっていってしまっているため、やはりBlueskyだろうとなんだろうと関係なく、ソーシャルメディアよりブログに主軸を移したい。何度目の宣言だって感じだけども。
というわけで、今後は一週間分のホームページの更新記事をまとめて書くことにしようと思う。生活環境も変わることになりそうだし……。
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焚巣館 -三国史記 第二巻 阿達羅尼師今-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/sangokushiki/02kan/01atara.html本日すこしだけ修正した。十九年(西暦172年)二月の「二月、有事始祖廟。京都大疫」という記事について、元の訳は以下の通り。
二月、始祖廟になにかがあった。京都(みやこ)に大いに疫病があった。
「なにかがあった」ってなんだよ……。とはいえ、なにがあったかわからないのだからどうしようもない。漢文翻訳完全初心者の4年前の頃(いやー、ずいぶん経ったもんだなあ、ホント)のブログ記事でも「始祖廟での「事」というのはなにだろうか。有事ということは、いい意味ではないだろうが、よくわからない。」とすっとぼけたことを私は言っている。
で、これについてかなり前に似たような記述が春秋から見つかった。
有事于大廟。仲遂卒于垂。
敢えて直訳的にざっくりと訳せば、「大廟にて有事。仲遂が垂にて死亡」といったところ。これだけでは何が何だかさっぱりわからない。これについて最古級の注釈である左氏伝には次の通り書いてある。
「有事于大廟」について。襄仲が卒去したのに繹(正祭の翌日の小祭)を執り行うのは非礼である。(有事于大廟、襄仲卒而繹、非禮也。
これだけだとまだよくわからないが、人死にが出たのに大廟で「有事」したのが非礼だったという指摘がある。ぼんやりと言葉の趣旨の像が浮かび上がってきた。
これに対する更なる註釈として、唐代に完成した左伝正義を見ると、次のようにある。
"有事"とは"祭"である。仲遂が卒去したのは祭と同日であり、"有事"と省略して書いたのは、繹(小さな祭)を悪の発生源としたからである。(有事、祭也。仲遂卒、與祭同日。略書有事、爲繹張本。)
つまり有事とは祭祀のことだったわけである。人死にが出たのに大廟という厳正な場でお祭りをしたことが非礼だったという記録だと、少なくともそのように当時の春秋学では解釈されたわけである。ああ、スッキリ。
さて、三国史記の編纂は唐より後なので、当然ながら上記の解釈を前提に記されているわけである。これを踏まえて「二月、有事始祖廟。京都大疫」を私が訳すと、次のようになった。
二月、始祖廟にて行事を執り行ったが、京都(みやこ)に大いに疫病があった。
ここでは原文のニュアンスを残すため「"行事"を執り行った」と訳しておくが、本文の意図としては祭祀を暗示しておろう。また、春秋左氏伝の趣旨から見て、この記述は逆説であるから、本文の意図は「始祖廟で慰霊祭を執り行ったのに疫病があった」であったものだと解釈すべきように思う。というわけで、ここに記した内容と同様の趣旨の訳注もホームページに追記しておいた。
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焚巣館 -論語注疏 学而第一 曾子曰愼終追遠章-
本日の更新。曾参の言葉である。
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/rongochuso/01_gakuji/09ohaariwotsutsushimite.html為政者の徳に影響されて人民の営為も変化するという儒教の考えを「化」あるいは「教化」という。つってもこのブログでは何度も書いていることだけども。上下の道徳ですなあ、と批判的に見ることもできるし、為政者の責任を重く見て享楽放逸や暴虐無道を許容しないための政治倫理とも言える。親への孝と葬儀を重く見る姿勢は、儒教一般に通じるものであると同時に特に曾参にみられる傾向である。この手の話もおそらくブログでは過去に何度もしていると思う。
注疏には孝経に記されるような親への葬儀にかかる儀礼とその精神についてちらほらと記されている。ざっくり読んで「伝統儒教ってこんな感じなんだなー」と思うにはいい章句かもしれない。祖霊崇拝は天の存在と並んで為政者が自らより上位の存在を想定するという伝統儒教においては極めて重要な点である。そのへんは今度またふさわしい場で話しておきたい。
あんまり言うことがない。まあ地味な章句である。