史記 項羽本紀鴻門之会の後半である。いやー、なんというか……面白いね! 単純に話が面白い。翻訳はできるだけ軽ぅーく読めるようにしたつもり。口調でキャラ付したりしてラノベみたいな感じにしてみたりして……たのしい!
鴻門之会 後半
クソガキには付き合っておれんわ!(豎子不足與謀)
前回
【現代語訳】
沛公が出発してから項王は都尉の陳平を使わせて沛公を呼び出した。沛公はいう。
「あいさつもせずに、いま出てきたわけだけどさ、こんなことしちゃっていいのかね?」
樊噲はいう。
「でかいことやるんなら細かいことは気にするな。大げさな儀礼の時に細かい譲り合いの言葉なんていちいち口にしないだろうが。言ってみれば今のあいつらは包丁とまな板、俺らは魚や肉みたいなもんだ。どんなあいさつするつもりだよ!」
こうしてそのまま逃げ去った。
ここで張良に謝罪のため待機するよう言いつけると張良が尋ねた。
「大王よ、いらっしゃい。何かおみやげは持たせてくれるんですよね?」
「俺は手持ちの白い宝玉を項王に献上し、ヒスイの柄杓も亜父にあげるつもりだったんだけどさ……あいつらがちょうど怒っちゃったもんだから献上しないことにしていたんだ。あんたさ、俺のためにこれらを献上しちゃくれないかね?」
張良は言った。
「ええ、かしこまりました。」
まさにこの時、項王の軍は鴻門の下にあり、沛公の軍は霸の上にあった。互いに四十里ほど離れており、沛公はそこで車騎を放置して抜け出し、ひとりだけ馬に乗って、同行する樊噲、夏侯嬰、靳彊、紀信等四人は剣と盾を持って徒歩で走った。酈山の下から芷陽を道にしてこっそりと進んだのである。
沛公は張良に言った。
「この道なら我が軍にたどりつくまで二十里もかからんよ。俺が軍中まで着いたところを見計らい、お前さんはそこで中に入るといい。」
沛公が去ってからこっそりと軍中までたどり着いたところで、張良が謝罪に入って言った。
「沛公はべへれけに酔っぱらい、ごあいさつできませんでした。謹んで使臣の張良が白い宝玉を奉納し、もう一度大王を拝して足下にお供えさせていただきたい。ヒスイの柄杓も再び大将軍を拝し、足下にお供えさせていただきたい。」
項王はいう。
「沛公はどこにいる。」
張良はいう。
「大王が彼のあやまちを叱責するつもりだと聞いてひとり抜け出し、とっくに軍中にいますよ。」
そこで宝玉を受け取った項王は、それを座敷の上に置いたが、ヒスイの柄杓を受け取った亜父はそれを地面に置き、抜いた剣を叩きつけてそれを真っ二つにした。
「クソガキが……付き合っておれんわ! 項王の天下を奪うのは間違いなく沛公だ。われらの仲間は今に奴らの捕虜となろう。」
沛公は軍にたどりついてから立ち上がり曹無傷を誅殺した。
【漢文】
沛公已出、項王使都尉陳平召沛公。沛公曰、今者出、未辭也、為之柰何。樊噲曰、大行不顧細謹、大禮不辭小讓。如今人方為刀俎、我為魚肉、何辭為。於是遂去。乃令張良留謝。良問曰、大王來何操。曰、我持白璧一雙、欲獻項王、玉斗一雙、欲與亞父、會其怒、不敢獻。公為我獻之張良曰、謹諾。當是時、項王軍在鴻門下、沛公軍在霸上、相去四十里。沛公則置車騎、脫身獨騎、與樊噲、夏侯嬰、靳彊、紀信等四人持劍盾步走、從酈山下、道芷陽閒行。沛公謂張良曰、從此道至吾軍、不過二十里耳。度我至軍中、公乃入。沛公已去、閒至軍中、張良入謝、曰、沛公不勝桮杓、不能辭。謹使臣良奉白璧一雙、再拜獻大王足下。玉斗一雙、再拜奉大將軍足下。項王曰、沛公安在。良曰、聞大王有意督過之、脫身獨去、已至軍矣。項王則受璧、置之坐上。亞父受玉斗、置之地、拔劍撞而破之、曰、唉、豎子不足與謀。奪項王天下者、必沛公也、吾屬今為之虜矣。沛公至軍、立誅殺曹無傷。
【書き下し文】
沛公は已に出づ、項王は都尉の陳平を使はせて沛公を召さしむ。沛公曰く、今の者(こと)出づるも、未だ辭(ことば)せざるなり。之れを為すは柰何(いか)に、と。樊噲曰く、大いに行かば細かき謹しみを顧みず、大いなる禮は小さな讓るを辭(ことば)せず、と。如今(いまごろ)は人の方(まさ)に刀俎を為し、我は魚肉と為らむとす。何ぞ辭(ことば)為(あ)らむ、と。是に於いて遂に去る。乃ち張良に令(いひつけ)して留まらせしめて謝らせしめむとす。良は問ひて曰く、大王(おほきみ)よ、來たれ。何をか操(も)たむ、と。曰く、我は白璧の一雙を持ち、項王に獻(たてまつ)らむと欲(おも)ひ、玉斗の一雙、亞父に與(あた)へむと欲(おも)ふも、其の怒りに會(あ)ひ、敢へて獻(たてまつ)るをせず。公よ、我が為に之れを獻(たてまつ)るべし、と。張良曰く、謹みて諾(う)けむ、と。當に是の時、項王の軍は鴻門の下に在り、沛公の軍は霸の上に在り、相ひ去ること四十里。沛公は則ち車騎を置き、身を脫ぎて獨り騎(の)り、樊噲、夏侯嬰、靳彊、紀信等四人と與に劍盾を持ちて步(かち)にして走り、酈山の下(ふもと)從(よ)り、芷陽に道して閒(ひそ)かに行かむ。沛公は張良に謂ひて曰く、此の道從(よ)り吾が軍に至るは、二十里を過ぎざる耳(のみ)。我が軍の中に至るを度(はか)り、公は乃ち入るべし、と。沛公は已に去り、閒(ひそか)に軍の中に至らば、張良は謝に入りて曰く、沛公は桮杓(べへれけ)に勝へず、辭(ことば)すること能はず。謹みて使臣の良は白璧の一雙を奉り、再び拜みて大王(おほきみ)の足下に獻(たてまつ)らむ。玉斗の一雙は、再び拜みて大將軍の足下に奉(たてまつ)らむ、と。項王曰く、沛公は安ぞ在らむ、と。良曰く、大王(おほきみ)に之れを過ちを督(とが)めむとする意(こころ)を有(も)つと聞き、身を脫(いで)て獨り去り、已に軍に至らむ、と。項王は則ち璧を受け、之れを坐の上に置くも、亞父は玉斗を受け、之れを地に置き、劍を拔きて撞(う)ち、而りて之れを破れり。曰く、唉(ああ)、豎子(こわらは)は與に謀るに足らず。項王の天下を奪ふ者は、必ずや沛公なり。吾が屬(ともがら)は今に之の虜(とりこ)と為らむ、と。沛公は軍に至り、立ちて曹無傷を誅殺(ころ)せり。
あくまで翻訳なので本文に沿った内容である。ただ、「でかいことやるんなら細かいことは気にするな。大げさな儀礼の時に細かい譲り合いの言葉なんていちいち口にしないだろうが。」は本文だと「大行不顧細謹、大禮不辭小讓」というしっかりした対句の格言であり、それを前提にして訳せば、「大いなる行いは微細な謹みを顧みず、大いなる礼は小さな謙譲をゆずらない」といったところか。おそらく本来は成語の引用か何かで、さもなくば即興で斯様な格言をつくったことになるわけであるが、いずれにせよ今回の訳のような荒っぽい言い回しはそぐわないかもしれない。樊噲は劉邦の弟分の荒くれ者として描かれるし、実際に豪快な描写もあるのだが、一方で前回の項羽への諫言なども含めて史記における彼の描写はやけにインテリゲンチャな雰囲気をまとっていることがままある。今回の訳では樊噲のキャラ立てと劉邦との関係をコメディ調に描くため、さらに張良との差異化にのため、そういった点を捨象しており、このような訳となった。その点は注記しておこう。
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