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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

来年度の共通テストを受ける

 ノリで文系三科目の共通テスト(共通一次、センター試験の後裔)を来年度に受けることにした。そもそも年始の土日はいろいろ仕事の用が入りがちなのに当日に受けられるのか? という別の不安もあるのだけど、それはその時の出たとこ勝負でいいや。最悪の場合は仕事を優先することになるかもしれないけども、いちおう可能な限り今から用は空けておく。翌日の新聞とかで解いても同じっちゃ同じなんだけど、せっかくだからモチベーションを高めるために受けるつもりでやってみよう。

 自分も思想や宗教の趣味者かつ時事に関わる仕事に就いているので、しっかりした世界史の知識はほしかった。自分の経験で言えば朝鮮の古代史である三国史記をすべて読んだだけで近代朝鮮史の見方までガラッと変わった。もちろん史書の原著を読むのと教科書レベルのお勉強ではまったく深度が違うけど、歴史背景を知るのは大切だと思ったわけである。これまで私のTwitterアカウントがたまに歴史系アカウントと見られていたこともあったけど、実際に論じていたのは宗教と思想が主で歴史はそのための予備知識でしかなく、あとは政治に関する問題意識からある程度は知っているだけ。他分野の必要に応じて獲得した知識のためそれぞれが細切れになっているところがあり、前から文化圏を跨いだ時系列など結構あやしい自覚はあった。だけど今さら中学だの高校だのの世界史をやるのもなー……と思っていたりもして、手につかなかったわけである。

 それに仕事で英語も使うけどノリですべて処理しているため結構粗があるし、読むのに引っかかりが結構ある。あと漢文の翻訳をしていると、やはり翻訳それ自体に内在する問題が目についてくる。するとラテン語やドイツ語、フランス語といった原著は無理でも、せめて周辺言語である英語でくらいは西洋の思想書を読みたい気持ちが湧いている。だけど漢文に比べてモチベーションが湧かず、集中してやる機会をなんとなく逸していた。

 なので高校の文系三科目の総ざらいくらいはしておきたいと前から思っていたところで、他所で入試に関する話題があったので、思い切って受験してみようかな、と。受験社会はカスだと思っているけど、科目ごとのカリキュラムの構成自体は指標として悪くないと私も一定の評価はしている。特に英語はまだ乱読すれば身につくし資格試験も豊富だけど、興味のない分野を含めての世界史全体のことはなかなかこういう機会でもないとねえ……。

 私は大学に入る気がないし、仕事もあるから仮に入学しても通うことはできない。それにいい歳こいたおっさんなので、今さら受験生みたいなお勉強をベタにするつもりはなく、その上でケアレスミスを除いて全教科満点を取れるくらいにはしておきたい。漢文翻訳のサイトを運営しているので古文と漢文は一切なにもしなくてもほぼ満点を今からでも取れるだろうし、英語も仕事で使うから今すぐにでもそこそこはいけるはず……たぶん。知らんけど。世界史は高校の範囲がよくわからないけど、今の知識量ならイチからやるという話にはならないと思う。

 ところで最初は早稲田大学の入試を受けてみようと思っていたのだけど、仮に私が受かっちゃうと入学辞退した際に補欠合格になった人が入学金数十万円を金ドブしてしまうと聞いてやめることにした。これでも過去の最高裁判決でマシになった方で、それまでいわゆる滑り止め大学にはすべて入学金と初年度前期の学費を納めるのが通例だったとか。ひええ。冷やかし受験をしようとしていた私がいうのもなんだけどもイビツだよねえ、受験界のシステムって。じゃあ仮に本気の受験だったとして「滑り止め」を蹴ることによる他人の経済的損失は必然と片付けられて看過されていいのって話で。で、実際には私大入試なんて「滑り止め」なんて言いつつも「力試し」「受験に慣れるため」とかでいくつもの大学に合格していくつもの大学を蹴るなんていくらでもあるわけで、冷やかし受験とそれ以外の受験に明確な境界なんてない。そもそもまず受験料が高い。3万5000円て。そのお金でみんなおいしいもの食べた方がいいよ。

 こういうシステムを見るに今の受験文化なんて豊かだった時代の日本社会の遺物よね。かといって大学無償化の議論にもぜんぜん乗れない……という無償化の問題点は過去に何度も説明しているから省く。むかし受験や大学の制度や社会的な位置づけの問題についてもっと熱っぽく批判していたことは古くからの読者には周知の事実だけど、もはや必然としてこのような腐敗したシステムは瓦解するであろうから、その手の話を自分からわざわざするモチベーションも低くなっている。そんな斜陽世界の試験を今さら受けてみようってわけ。その方が肩の力が抜けるからいい塩梅だ。

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