"論語注疏"カテゴリーの記事一覧
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焚巣館 -論語注疏 学而第一 曾子曰吾日三省吾身章-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/rongochuso/01_gakuji/04warehini.htmlさてはて、ひさびさのホームページ更新。曾参の言葉。「三(みたび)吾が身を省みる。」という言葉は有名で、「吾が身を三省す。」とも読み習わす。東京の神保町に通う人にはおなじみかと思いますが三省堂の語源です。
これについて伊藤仁斎は、すべてが人間関係にかかる問題であることを指摘している、と吉川幸次郎が紹介していた。又聞きである。論語古義の内容ってどうだったっけ……。
というところで、国書データベースの論語古義を開いてみると、あったあった。
傍線部に「これらの三者はどれも人のためのことでおざなりにしてはならないことですよ~」みたいなことが書いてある。習わざるを伝えることは未然に防がれた。
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焚巣館 -論語注疏 学而第一 有子曰其爲人也孝弟章-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/rongochuso/01_gakuji/02sonohitotonariya.html
本日の更新。論語の二つ目の章にして、目上への服従を説くという、うんざりするようなステレオタイプな「儒教」という風の言葉であるが、これは孔子の言葉ではなく有子の言葉である。孔子も親や年長者への孝行や謹慎を説くことはあるが、読んだ印象は柔和なものが多く、あるいはその外にある別の普遍的な意味が込められていたりとかして、いずれにせよ、ここまで硬直的なものではない。なので、論語を好む人でもこの章句を嫌う人は多いだろう。私も初めて読んだとき、ずいぶん嫌な気持ちになった。ただ、今にして思うに、この言葉が硬直的なことにも由来があると思う。有子は孔子の死後、彼の後継者と目された弟子である。孔子という偉大な存在の後を継ぐことは、さぞ大きな重圧であっただろう。孔子は祖としての特権というべきか、あくまで自由に発言していたことだろう。しかし、その人ならぬ後継者は、その奔放な発言から教学を体系化する必要がある。この章句は、その過程を表す発言であろう。
この章句の内容が硬直的なのは間違いないが、同時に論理的である。孔子の人格の上に乗ることで成立した彼の自由な思想を後世に伝えるために、後継者は孔子の人格から彼の思想を引き離し、それを入れるための代わりの箱――つまり論理の型にはめ込む必要があった。後世の儒教はそのようにして成立して言った。本章句は、その過程が描かれたものだと解することができよう。
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焚巣館 -論語注疏 学而第一 子曰學而時習之章-
https://wjn782.garyoutensei.com/kanseki/rongochuso/01_gakuji/01manabi.html本日の更新。論語の本編に入る。訳し直していて改めて思うけど、やはり論語は別格である。
さて、せっかくホームページという手段で発表をするのだから、構成も書籍ではできないような、ホームページならではのものにしようと思い、このような形となった。伝(論語の本文)、集解(3世紀に論語集解に付された註釈)、疏(本文についての解釈)、注(論語集解の註に対する注釈)によって構成されているので、これをきっかりと以下のようにわけることにした。
伝 漢文 人不知而不慍、不亦君子乎。 書き下し文 人の知らざるも 而 ち慍 らざるは、亦た君子 ならずや。集解 漢文 慍、怒也。凡人有所不知、君子不怒。 書き下し文 慍は怒なり。凡そ人に知らざる所有り、君子は怒らじ。 現代語訳 『慍』とは『怒』である。どのような人にも知らないことはある。君子は怒らない。
疏 子曰學而……君子乎 漢文 疏、子曰學而至、君子乎。
○正義曰、此章勸人學為君子也。子者、古人稱師曰子。子、男子之通稱。此言、子者、謂孔子也。曰者、說文云、詞也。從口、乙聲。亦象口氣出也。然則、曰者、發語詞也。以此下是孔子之語、故以、子曰冠之。或言、孔子曰者、以記非一人、各以意載、無義例也。白虎通云、學者、覺也、覺悟所未知也。孔子曰、學者而能以時誦習其經業、使無廢落、不亦說懌乎。學業稍成、能招朋友、有同門之朋從遠方而來、與己講習、不亦樂乎。既有成德、凡人不知而不怒之、不亦君子乎。言誠君子也。君子之行非一、此其一行耳、故云、亦也。基本的にホームページの漢籍置場は自分用に読んで参照するためのものなので、自分が読みやすいようにしていくつもりなのだけど、これは結構いい感じじゃないかな、と思ったりする。
ちなみに、論語序で説明されているけど、儒教の基礎経典は六経(詩経、尚書、儀礼、楽経、周易、春秋)であり、もともと論語は経ではない。そもそも六経は諸子百家の発生する以前の中国思想における共有財産であり、儒教占有の経典ではない。たとえば墨家も盛んに詩経や尚書を引用しているし、老荘思想も老子道徳経、荘子の二書に周易を加えて『三玄』という経典のくくりをつくって顕彰している。してみれば、孔子の死後にまとめられた『論語』という儒家のみに帰する典籍は、本来は『経』ではないのである。諸子百家の発生とともに生じた六経への補足情報は『伝』といい、たとえば六経のひとつ春秋についての伝は『春秋左氏伝』、周易には『子夏易伝』、詩経には『韓詩外伝』などがある。なので、論語も伝に属している。それが論語の本文を『伝』と記す所以である。ただ、漢代の時点で六経に論語を加えて『七経』という経典のくくりができたりとか、更に上記の春秋左氏伝や孟子を含めて『十三経』とするくくりが宋代に登場する等、実は『経』と『伝』というものの区分は結構あいまいである。
というわけで、『経』『伝』『註』『疏』『注』という段階が文章には存在していて、そのへんを明確に区分して記したいと思い、このような構成にしている。このへんに関する凡例もホームページに載せたいなあ……。
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というわけで、本日第二弾。なんだかんだで慣れてきたんだろうね、漢文。
もう今日で学而篇は終わらせます。
今回は子貢と孔子の問答。
≪白文≫
子貢曰、
貧而無諂、富而無驕、何如。
子曰、
可也。
孔曰、
未足多。
未若貧而樂、富而好禮者也。
鄭曰、樂、謂志於道、不以貧為憂苦。
子貢曰、
詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與。
孔曰、
能貧而樂道、富而好禮者、能自切磋琢磨。
子曰、
賜也、始可與言詩已矣。
告諸往而知來者。
孔曰、
諸、之也。
子貢知引詩以成孔子義、善取類、故然之。
往告之以貧而樂道、來荅以切磋琢磨。
疏。
子曰至來者。
正義曰、
此章言貧之與富皆當樂道自脩也。
貧而無諂、富而無驕、何如者、
乏財曰貧、佞說為諂、多財曰富、傲逸為驕。
言人貧多佞說、富多傲逸。
若能貧無諂佞、富不驕逸、子貢以為善。
故問夫子曰、其德行何如。
子曰、可也者、
此夫子答子貢也。
時子貢富、志怠於學。
故發此問、意謂不驕而為美德。
故孔子抑之、云、可也。
言未足多。
未若貧而樂、富而好禮者也者、
樂、謂志於善道、不以貧為憂苦。
好、謂閑習禮容、不以富而倦略、此則勝於無諂、無驕。
故云、未若、言不如也。
子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與者、
子貢知師勵已、故引詩以成之。
此衞風淇奧之篇、美武公之德也。
治骨曰切、象曰瑳、玉曰琢、石曰磨、道其學而成也。
聽其規諫以自脩、如玉石之見琢磨。
子貢言、貧而樂道、富而好禮、其此能切磋琢磨之謂與。
子曰、賜也、始可與言詩已矣者、
子貢知引詩以成孔子義、善取類、故呼其名而然之。
告諸往而知來者者、
此言可與言詩之意。
諸、之也。
謂告之往以貧而樂道、富而好禮、則知來者切磋琢磨、所以可與言詩也。
孔子と子貢の問答は論語において頻出であるが、これがその第一弾である。
有名な「切磋琢磨」という熟語が注疏にて登場する。ここで論じられている通り、子貢が述べた切磋琢磨は詩経からの引用である。
≪書き下し文≫
子貢曰く、
貧にして諂ふこと無く、富にして驕ること無きは何如。
子曰く、
可なり。
孔曰く、
未だ足らざること多し。
未だ貧にして樂しみ、富にして禮を好む者に若かざるなり。
鄭曰く、樂は道を志すことを謂ひ、貧を以て憂苦と為すことなし。
子貢曰く、
詩に云く、切るが如く磋るが如く、琢するが如く磨するが如しとは、其れ斯の謂か。
孔曰く、
貧にして道を樂しみ、富にして禮を好むに能ふ者、自ら切磋琢磨するに能ふ。
子曰く、
賜や、始めて與に詩を言ふ可きのみ。
諸れ往を告げて來を知る者なり。
孔曰く、
諸は之なり。
子貢知りて詩を引き以て孔子の義を成し、善(よみ)して類を取る。
故に之れを然りとす。
往は以て之れに告げる貧にして道を樂しむ、來は以て荅ふる切磋琢磨す。
疏。
子曰至來者。
正義曰く、
此の章、貧之れと富、皆當に道を樂しみ自ら脩むるを言うなり。
貧にして諂ふこと無く、富にして驕ること無きは何如とは、
乏財曰く貧、佞說を諂と為し、多財曰く富、傲逸を驕と為す。
人、貧ずれば佞說多く、富多かれば傲逸なるを言ふ。
若し貧の諂佞無く、富の驕逸せざるに能へば、子貢以為らく善なり。
故に夫子に問ひて曰く、其の德行何如、と。
子曰く、可なり、とは、
此れ夫子、子貢に答ふるなり。
時に子貢富し、志は學に於いて怠なり。
故に此の問を發し、意は驕らずして美德を為すの謂なり。
故に孔子之れを抑へて云く、可なり、と。
未だ足たざること多しと言ふ。
未だ貧にして樂しみ、富にして禮を好む者に若かざるなりとは、
樂は善道を志し、以て貧を憂苦と為さざるの謂なり。
好は閑習禮容を謂ひ、富にして倦略せざるを以て、此れ則ち無諂に勝り、驕ること無し。
故に云く、未だ若かざるは、如かずを言ふなり。
子貢曰く、詩に云く、切るが如く磋るが如く、琢するが如く磨するが如し、其れ斯の謂かとは、
子貢師の勵を已に知る。
故に詩を引きて以て之れを成せり。
此れ衞風淇奧の篇、美武公の德なり。
治骨曰く切、象曰く瑳、玉曰く琢、石曰く磨、道は其れ學びて成すことなり。
其の規諫を以て自ら脩め、玉石の見、琢磨するが如しと聽く。
子貢、貧にして道を樂しみ、富にして禮を好む、其れ此の切磋琢磨の謂に能はんかと言ふ。
子曰く、賜や、始めて與に詩を言ふ可きのみとは。
子貢は知して詩を引くを以て孔子の義を成し、善して類を取る。
故に其の名を呼びて之れ然れり。
諸れ往を告げて來を知る者なりとは
此の言、詩の意を言と與にす可し。
諸は之なり。
之れ往を謂ひて以て貧にして道を樂しみ、富にして禮を好むこと、則ち來を知る者は切磋琢磨、與に詩を言ふ可き所以なり。
この問答は、富者と貧者の有り方についての議論である。
注疏では、子貢が裕福であったことを前提として論じ、この質問も自らが傲慢でないことを誇示するために為されたものだと解釈されている。
子貢は生前に商業で財を築き上げた人物で、司馬遷の史記において、孔子の弟子として仲尼弟子列伝に記録があると同時に、財を成した人物を集めた貨殖伝にも名を残している。
この解釈に従えば、子貢は孔子に自らの行状を誇示したが、それを孔子に窘められ、しかし子貢はその意図を瞬時に察知して詩の引用によって見事に表現したため、孔子が驚嘆して子貢を讃えた、ということになるだろうか。
この短い問答のうちに、教訓とともに、子弟両者の関係、特性が現れた、非常に読みやすい章句である。
≪現代語訳≫
【本文】
子貢曰く、
貧にして諂ふこと無く、富にして驕ること無きは何如。
子曰く、
可なり。
【註】
[孔氏]
また十分でないところが多い。
【本文】
未だ貧にして樂しみ、富にして禮を好む者に若かざるなり。
【註】
[鄭氏]
樂とは道を志すことを指し、貧しいことを憂苦としない。
【本文】
子貢曰く、
詩に云く、切るが如く磋るが如く、琢するが如く磨するが如しとは、其れ斯の謂か。
【註】
[孔氏]
貧困にあっても道を楽しみ、富裕であっても禮を好むことができる者は、自ら切磋琢磨することができる。
【本文】
子曰く、
賜や、始めて與に詩を言ふ可きのみ。
諸れ往を告げて來を知る者なり。
【註】
[孔氏]
諸とは、之である。
孔子の論旨を理解した子貢は詩を引用し、孔子の義を言語化し、それを整えてそれを類比させた。
ゆえに、これを孔子は是認したのである。
往とは、孔子が子貢に告げた「貧にして道を樂しむ」であり、來とは、子貢が孔子に答えた内容「切磋琢磨」である。
【疏】
子曰~來者
[正義]
この章は、貧困であっても富裕であっても、いずれにせよ道を楽しみ自ら修めるべきであると論じている。
・本文「貧にして諂ふこと無く、富にして驕ること無きは何如」について。
財産が乏しい状態を貧と言い、佞説が諂である。
財産が多い状態を富と言い、傲逸が驕である。
人は貧ずれば佞說が多くなり、富が多ければ傲逸になると言われている。
もし貧でありながら諂佞でなく、富でありながら驕逸でなくいられるならば、善であると子貢は考えた。
ゆえに、夫子に「其の德行何如」と問うたのである。
・本文「子曰く、可なり」について。
これは夫子が子貢に答えた内容である。
当時の子貢は裕福であったが、学を志すに関しては怠慢なところがあった。
だからこのような問いを発して、「自分は驕らずに美德を為している」と言いたかったのである。
ゆえに、孔子はそれを抑えるように、「可なり」と言ったのだ。
まだ十分でないところが多い、という意味である。
・本文「未だ貧にして樂しみ、富にして禮を好む者に若かざるなり」について。
樂とは、善道を志すことで、貧困を憂苦としないことを言うのである。
好とは繰り返し鍛錬をすることでよく慣れ、美しく礼節を弁えることであり、富であっても粗雑な対応をしないようにすることで、こうすれば諂うこと無きに勝り、驕ることもない。
だから、「未若とは、不如のことである」と言うのだ。
・本文「子貢曰く、詩に云く、切るが如く磋るが如く、琢するが如く磨するが如し、其れ斯の謂か」について。
子貢は師が激励をしていることを既に察知していた。
ゆえに、詩を引用することで、それを言語化した。
引用されたのは衞風淇奧の篇、美武公の徳である。
物を砥ぐにあたって、対象が骨であれば切、象であれば瑳、玉であれば琢、石であれば磨と言う。
道とは、学んで完成させることである。
戒めることによって自らを修めること、それは玉石をよく見ながら、琢磨することによく似ていると聞いたことがある。
子貢は、貧困であっても道を楽しみ、富裕であっても禮を好むこと、それがこの切磋琢磨であるとは言えないだろうかと孔子に問うた。
・本文「子曰く、賜や、始めて與に詩を言ふ可きのみ」について。
孔子の意図を察知した子貢は詩を引用することで、孔子の義を言語化し、それを整えて類比させた。
ゆえに、その名を呼んでそれを是認したのである。
・本文「諸れ往を告げて來を知る者なり」について。
この言葉は、詩の意図するところとを言葉を重ね合わせることである。
諸とは、之のことである。
ここでいう「往」が「貧にして道を樂しみ、富にして禮を好むこと」であれば、「來」を察知するとは「切磋琢磨」と返答したことであり、両者の言葉は対応している。
孔子が子貢を、一緒に詩について論ずることができると評価した所以である。
異常が現代語訳。
さて、子貢は貧者については「無諂」、富者については「不驕」であればよいと考えていたようであるが、それに対して孔子は貧者は「楽道」、富者は「好礼」であればその方がよい、と答えた。
この二者の違いはいったい何だろうか。
子貢の挙げた「無諂」と「不驕」は否定形によって成立しており、いずれも消極的であるが、孔子の「楽道」と「好礼」は積極的であり、楽しむ、好む、非常に前向きな態度である。
そして、子貢の挙げた概念はいずれも外在的な態度であるのに対し、孔子が挙げた概念は、内在から自発的に行われるものである。
子貢が外面的で消極的な態度を主として挙げたのに対し、孔子は内発的な能動性と積極性を主として挙げた点、これが大きな差異である。
また、孔子の「楽道」「好礼」にも「楽」と「礼」という「礼楽」を意識した語が用いられている。「礼」は規律であり異を敬することであり、「楽」は調和であり同と親しむことである。この両者の特質は、貧者と富者が自らの生活において有意な精神のありようを正確に導き出している。
子貢の返答「切磋琢磨」とは、このように自らの言葉を更に錬磨した形で返した孔子に対する賛辞であろう。
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とりあえず、学而篇はさっさと終わらせたいので、こちらを書いた。
三国史記はもうホームページのみの更新で、ブログの記事にはしなくなっているけど、論語注疏はどうしようか考え中。あんまり論語の一章句一章句について漫然と語ることも少ないしなーって思うし、これはこれでいい機会だとも感じている。
今回は孔子の言葉。
≪白文≫
子曰、君子食無求飽、居無求安、
鄭曰、學者之志、有所不暇。
敏於事而慎於言、就有道而正焉、可謂好學也巳。
孔曰、敏、疾也。
有道、有道德者。
正、謂問事是非。
疏。
子曰君子至也已。
正義曰、此章述好學之事。
君子食無求飽、居無求安者、
言學者之志、樂道忘飢、故不暇求其安飽也。
敏於事而慎於言者、
敏、疾也。
言當敏疾於所學事業、則有成功。
說命曰、
敬遜務時敏、厥脩乃來、是也。
學有所得、又當慎言說之。
就有道而正焉者、
有道、謂有道德者。
正、謂問其是非。
言學業有所未曉、當就有道德之人、正定其是之與非。
易文言曰、
問以辨之、是也。
可謂好學也已者、
揔結之也。
言能行在上諸事、則可謂之為好學也。
なんとなく、今回の章句は、別章句の「子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り。(衛霊公第十五)」と口調が似ている気がするけど、内容にも同一性がある。
要は、
これである。
≪書き下し文≫
子曰く、君子食しては飽くるを求むること無く、居しては安を求むること無し。
鄭曰く、學者の志、暇あらざる所有り。
事に於いては敏にして言に於いては慎み、有道に就きて正す。
好學と謂ふ可きのみ。
孔曰く、敏は疾なり。
有道、有道德者なり。
正は事の是非を問ふを謂へり。
疏。
子曰君子至也已。
正義曰く、此の章好學の事を述べり。
君子食して飽くるを求むること無く、居しては安んずるを求むること無しとは、
學者の志、道を樂しみ飢へを忘るるを言ふ。
故に其の安飽を求むる暇あらず。
事に於いては敏にして言に於いては慎みとは、
敏は疾なり。
當に事業を學ぶ所に於いて敏疾たれば、則ち成功有らんと言ふ。
說命に曰く、
敬遜に務むること時れ敏なれば、厥れ脩むること乃ち來たるとは、是れなり。
學べば得る所有り、又た當に言を慎み之れを說ぶべし。
有道に就きて正すとは、
有道は道德有る者の謂なり。
正は其の是非を問ふことの謂なり。
學業は未だ曉(さと)らざる所有らば、當に道德有る人に就き、其れ是の之れと與に非を正定すべし、と言ふ。
易の文言に曰く、
問ひて以て之れを辨ずとは、是れなり。
好學と謂ふ可きのみとは、
揔結之れなり。
在上の諸事を行ふに能へば、則ち之れを謂ひて好學と為す可しと言ふなり。
以上が書き下し文。
ところで、ここでの「学」「学ぶ」とは、言うまでもなく書物を読むことではないし、ましてやテストに向けて問題集を解くようなことではない。日常の修身のことである。ゆえに、自らが就く相手も道徳者である。論語における「学」のニュアンスを誤ると、その言葉の意味が狭いものになってしまうので注意すべきである。
≪現代語訳≫
【本文】
子曰く、君子食しては飽くるを求むること無く、居しては安を求むること無し。
【註】
[鄭氏]
学者の志とは、絶え間ない継続と言い換えてもよい。
【本文】
事に於いては敏にして言に於いては慎み、有道に就きて正す。
好學と謂ふ可きのみ。
【註】
[孔氏]
敏とは、疾である。
有道とは、道徳を有した者である。
正とは、事の是非を問うことである。
【疏】
子曰君子~也已。
[正義]
この章では、好学について述べられている。
・本文「君子食して飽くるを求むること無く、居しては安んずるを求むること無し」について。
学者の志とは、道を愉しみ飢えを忘れることだと言っている。 ゆえに、安居や飽食を求める暇はない。
・「事に於いては敏にして言に於いては慎み」について。
敏とは、疾である。
事業を学ぶにあたって、敏疾であれば成功するであろうと言っている。
書経「說命」に言われる「敬遜に務むること時れ敏なれば、厥れ脩むること乃ち來たる」とは、このことである。
学ぶことがあれば得ることもあり、そうした際も言葉を慎みそれを愉悦とする。
・本文「有道に就きて正す」について。
有道とは、道徳を有する者のことである。
正とは、その是非を問うことである。
学業において、まだ理解できていないところがあれば、すぐに道徳を有する人に就き、それについてその道徳者とともに非を正しく定めよと言っている。
易の文言に言われる「問ひて以て之れを辨ず」とは、このことである。
・本文「好學と謂ふ可きのみ」について。
揔結の辞がこれである。
ここまでに挙げられた諸々の事を行うことができれば、これを好学であると言うことができると言っている。
学ぶことは死ぬことと見つけたり。
学者たるもの、安居に留まったり、飽食に溺れたりするようなことがあってはならない。
飽食と安居を求めるのは人民だけでよい。
学者なら死ねい!
ということなのだろう。