"漢文練習"カテゴリーの記事一覧
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カゲロウの羽のような、 清らかで可憐な衣裳。 心が憂鬱に沈んでいるなら、 私のそばにいてほしい。
カゲロウの翼のような、 色鮮やかな衣服。 心が憂鬱に沈んでいるなら、 私のそばで休んでほしい。
羽化したばかりのカゲロウのような、 真っ白な麻の衣は雪みたい。 心が憂鬱に沈んでいるなら、 私のそばで眠ってほしい。
蜉蝣之羽 衣裳楚楚
心之憂矣 於我歸處蜉蝣之翼 采采衣服
心之憂矣 於我歸息蜉蝣掘閱 麻衣如雪
心之憂矣 於我歸說蜉蝣(かげろふ)の羽、
衣裳(ころも)は楚楚(きらびやか)
心之れ憂(うれひ)あるや
我に於いて歸り處(を)らん蜉蝣(かげろふ)の翼
采采(いろどり)ある衣服(ころも)
心之れ憂(うれひ)あるや
我に於いて歸り息(やす)まらん蜉蝣の掘り閱(み)せ
麻の衣は雪の如し
心之れ憂(うれひ)あるや
我に於いてや歸り說(やど)らん伝統的には贅沢批判の詩。……ということなんだけど素直に読んだら恋愛か夫婦の詩である。売春宿の客引きという解釈も出来そう。その日に羽化してその日に死ぬカゲロウが「一夜限り」の暗喩とかそんなの。思い付きではあるけどふざけているわけではなく、詩経には他にあからさまな売春の客引きの詩があるのは有名。貴族の家庭の外にある愛人の詩と見るのも面白いかもしれない。 外で戦う男を待つ女が「私のところで休んで」みたいなことを言う詩や物語は枚挙にいとまがない。陳腐と言っていい。それもそのはず2500年前からあったのだから。中国すごい。
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詩経 鄭風
將仲子(あなたにお願い)【現代語訳】
お願い。
私の村に入ってこないで。
私の村のカワヤナギの樹を折らないで。
あなたを愛していないわけじゃない。
お父さんやお母さんが怖いから。
あなたが愛おしいのは本当だけど、
お父さんとお母さんの言葉が、
同じくらい怖いのも本当だから。お願い。
私の家の垣根をこえないで。
私の家の桑の樹を折らないで。
あなたを愛していないわけじゃない。
私のお兄さんたちが怖いから。
あなたが愛おしいのは本当だけど、
お兄さんたちの言葉が、
同じくらい怖いのも本当だから。お願い。
私の家の中庭に入ってこないで。
私の植えたマユミの樹を折らないで。
あなたを愛していないわけじゃない。
人のうわさが怖いから。
あなたが愛おしいのは本当だけど、
人にうわさをされるのが、
同じくらい怖いのも本当だから。【漢文】
將仲子兮 無踰我里
無折我樹杞
豈敢愛之 畏我父母
仲可懷也
父母之言 亦可畏也將仲子兮 無踰我墻
無折我樹桑
豈敢愛之 畏我諸兄
仲可懷也
諸兄之言 亦可畏也將仲子兮 無踰我園
無折我樹檀
豈敢愛之 畏人之多言
仲可懷也
人之多言 亦可畏也【書き下し文】
將(ねが)はくば仲子よ
我が里を踰ゆること無かれ
我が樹の杞を折ること無かれ
豈に敢て之れを愛まん
畏るるは我が父母たり
仲は懷く可きなり
父母の言も
亦た畏るる可きなり將(ねが)はくば仲子よ
我が墻を踰ゆる無かれ
我が樹の桑を折る無かれ
豈に敢て之れを愛(をし)まん
畏るるは我が諸兄なり
仲よ懷く可きなり
諸兄の言も
亦た畏るる可きなり將(ねが)はくば仲子よ
我が園を踰ゆる無かれ
我が樹の檀を折る無かれ。
豈に敢て之れを愛(をし)まん
畏るるは人の多言(うはさ)なり。
仲は懷く可きなり
人の多言(うはさ)も
亦た畏るる可きなり紀元前からの伝統的には鄭の荘公という領主が弟と権力を争って「俺の邸宅に入ってくるな!」とブチ切れたことを風刺した詩とされる。本当か? 「はあ、昔の人が言うならそうなんですかね……」という感じで聞き流すのも可。私は聞き流す。この詩に描かれるような、自然に生じる女性の感情のゆらぎ、それに対する自身の戸惑いやためらいといったものは普遍的な恋心のテーマなので、普通にそのまま読めばいいんじゃないかな、と思う。
ところで、こちらの詩を掲載した別サイトの解説を読むと「自分を求めてやってくる男に、乙女が答えた歌だ。乙女は男が恋しいのはもちろんだが、父母や兄弟たち、近所の噂も気になるから、そんなにあからさまに振舞わないでほしいと、男に向かって懇願しているのである。」とあるんだけど、それは表層的というか、変に道徳的と言うか、言っちゃあなんだけどズレているんじゃないかなあ、と思う。もちろん木を折るモチーフには恐怖の存在を示している。それは男性という存在への恐怖、日常が破壊されることへの恐怖もあろうが、同時にそこに強く惹かれ、その想いが強くなる自身の心情への恐怖も含まれていよう。それは詩が進むにつれて場所は村(里)→垣根(墻)→庭(園)と距離が近づき、もう一方で女性側のためらいというか、ある種の「言い訳」も両親(父母)→兄たち(諸兄)→地域の他人(人)、と遠ざかりながら外に広がっていることからわかる。理屈から言えば村と地域の他人、家の垣根と兄たち、中庭と両親の方が平仄がとれるはず。なのになぜ逆の構成なのか。この特徴を感じ取れないのは朴念仁が過ぎる。嫌よ嫌よも好きのうちってな女性の誘い受け……というのはさすがに品がなさすぎるし逆方向に一面的すぎるけれども、実際には女性とその男性との関係の距離は徐々に近づき、そこで恐怖と共に「同じくらい」の女性側の期待感も膨らんでいることが見えてくる。日常の破壊への恐怖は変革への期待と表裏である。
そこらへんちゃんと拾わないとダメよー、と思っちゃう。とにもかくにも、いかなる解釈を施すにせよ、原初の恋愛詩としてくどくもなく、多層的で解釈の幅を持たせる、とてもよい詩だと思う。
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【現代語訳】
どこに黄色く枯れない草があるのか。
いつまで歩みを続けるのか。
なぜ人は戦わねばならぬのか。
四方をめぐって征服し尽くすまでか。どこに黒く枯れない草があるのか。
なぜ妻と引きはがされる人がいるのか。
哀れなるかな我が出征兵。
孤独なまま民としてすら扱われていない。牛でもないのに、虎でもないのに、
彼らを荒野に引きずりまわす。
哀れなるかな我が出征兵。
朝も夕べも暇(いとま)なし。尻尾の長い狐がいた。
それを草むらに連れていく。
骨組みだけの壊れた戦車で、
あの広い道をただ進む。【漢文】
何草不黃 何日不行
何人不將 經營四方何草不玄 何人不矜
哀我征夫 獨為匪民匪兕匪虎 率彼曠野
哀我征夫 朝夕不暇有芃者狐 率彼幽草
有棧之車 行彼周道【書き下し文】
何の草ぞ黃(き)ばまざらん
何の日ぞ行かざらん
何(いか)にすれば人は將(いくさ)せざるか
經(ゆ)きて四方(よも)に營めばなるか何の草ぞ玄(くろ)くならざらん
何の人ぞ矜(ひとりみ)ならざらん
哀れなるかな我が征きし夫(ひと)
獨り民に匪じと為らん兕(うし)にも匪(あら)ず虎にも匪ず
彼の曠野に率ゐたらん
哀れなるかな我が征きし夫(ひと)
朝も夕べも暇(いとま)なし芃(ながお)を有(も)つが者の狐
彼の幽草(くさむら)に率ゐたらん
棧の車を有(も)ち
彼の周(ひろ)き道を行(ゆ)かん。詩経小雅から『何草不黃(枯れない草はない)』を訳す。これも普段逐語訳的な私にしてはかなり意訳している。上記タイトルだってそのまま訳すと「どの草が黄色くならないのか」みたいになるんだけど、これだとよくわかんないし情感もないっていうか。書き下し文はある程度まで厳格にしているので、逐語訳はそちらに任せる。昨日SNS等のメディアに投稿したものは書き下しもグネグネと変に考えたところもあって普通に間違えていた。こちらを一旦の完成稿としておく。
内容は伝統的に周幽王という暴君が周辺民族の平定のために出征を繰り返したことで、兵役を任じられた民が疲弊していると批判した詩とされる。訳も通例に添って兵を不本意に率いる将軍を詠み人とした詩をイメージしている。ま、どう解釈するかは読者の自由。反戦詩と言えなくもないけど、原義からすると絶対的な反戦に結び付けるにはやや飛躍がある。とはいえ戦争の悲惨、特に侵略戦争における侵略者側の不利益と無道性を述べるには十分か。私としては将軍という王命によって不本意な戦争に部下を戦に駆り立てる立場、被害者と加害者の両面を有する者の心情をよく描いていると思う。「兕(うし)にも匪(あら)ず虎にも匪ず。彼の曠野に率ゐたらん。」の"率い"ているのは誰か。王であり将軍である。「彼」の用法は現代語訳で半ば意図的に誤訳のような文面にしているし、最後の節は結構好き放題に訳していたりする。詩の訳ってたのしー!
最近は漢詩を訳すことの虜になっている。私の漢文翻訳はこれまで逐語訳的で、あまり漢詩の翻訳には自信がなかった。というのも、漢詩は表現の省略や倒置が多く、中国古典流のレトリックの短縮なども多い。なので単純に書き下すだけでも一癖ある。さらに現代語訳では詩情とテンポを重んじて厳格な訳を超えた意訳もした方がよい。私自身があまり現代日本語の詩に興味がなかったので知識面……というより経験面でも不明を感じたというのもある。
もちろん漢詩自体は好きで、特にこの3、4年は漢詩集を買って読むなどもしており、曹操の質朴な詩などを以前から好んで訳しながら読んでいた。仏典に登場する漢訳の偈(インドの頌歌)を訳しているときもついつい情感を込めてしまう自分にも気づいていたし、猫柳さわわ師匠から教えてもらった漢作詩の書籍も購入している。詩を疎んじていたわけではなく、詩に着手しようとしながらも要は尊重するからこそ遠ざける、まさに"敬遠"していたわけである。
詩とは前近代における文芸の"王様"だった。近代では小説の台頭とともにその座を追われたが、詩こそまさに文芸そのもの。孔子も「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」といい、また「詩を知らざれば、もって言うことなし」という。詩という自己個人の心情を互いに伝えあうことから、礼という社会的な相互関係を確立する段階に発展し、そこから最後に音楽によって万人が調和する。自己が他者との関係を始める原初の段階に孔子は詩を据えている。孔子は「述べて作らず」と言ってオリジナリティの創作に慎重な態度であったが、後代の儒者は詩作を絶えず行い続けた。有職故実を尊び、経典の注釈学に没頭した儒者たちにとって、詩こそがクリエイティビティの発露だったわけである。自己の情感は誰にも奪うことのできないものだ。
実は漢文の翻訳を始めた当初は読めないがための意訳をバシバシしていたのだけど(この荘子の翻訳もどきのでたらめ謎通釈なんて二度と書けない!)、ある意味ではこれを改めるために始めたのが徹底した逐語訳で。ここのところ漢詩の役にありがたくも読者の方から反応もそれなりにあり、そのあたりにもう少し挑戦してみようかなー、と思った次第。友人の勧めで谷川俊太郎の詩集も買ってみた。まだ読んでないけど。
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【現代語訳】
大道は平坦なものなのに、
身近なものだと見る者は少ない。
意のままに任せたところで間違いにはならないのに。
物に合わせたところで正しいことにはならないのに。古来から続いてとぐろを巻いた、
鎖のようにぐちゃぐちゃになった、
あらゆる思慮はなんのため?
本当に大事なことは自分にある。さあ心配事なんて天の上に投げ飛ばしてしまえ。
憂鬱なんて地下に埋めてしまえ。
権威ある古典に反逆し尽くして、
風流な文化なんて滅ぼしてしまえ。いろんな学者が小難しいことばかりを言い合う。
火で焼き尽くされてしまえばいい。
志を山の仙境の向こうまで高め、
心を海の向こうまで遊ばせれば、原初の存在は舟となり、
微かなる風が舵となる。
太初の清浄をぐるりとめぐって飛び立とう。
意のままに美しくなれるのだから。【漢文】
大道雖夷 見幾者寡
任意無非 適物無可
古來繞繞 委曲如瑣
百慮何為 至要在我
寄愁天上 埋憂地下
叛散五經 滅棄風雅
百家雜碎 請用從火
抗志山栖 游心海左
元氣為舟 微風為柂
敖翔太清 縱意容冶【書き下し文】
大いなる道は夷(たひらぎ)たると雖も
幾(ちか)しと見る者は寡し
意に任すに非は無し
物に適ふこと可なる無し古來より繞繞(ぐるぐる)とし
委曲(こまごま)すること瑣(くさり)の如し
百の慮(はかりごと)も何の為ぞ
至(まこと)の要(かなめ)は我に在り愁(うれひ)を天の上に寄せ
憂(うれひ)を地の下に埋めん
叛きて五經を散らし
滅ぼして風雅を棄てん百家は雜碎(まばら)なり
用ちて火に從(よ)らんことを請ふ
志を山の栖(ねぐら)に抗(かか)げ
心を海の左に游ばせしめ元氣は舟と為り
微かなる風は柂(かじ)と為らん
敖(めぐ)りて太いなる清きに翔び
意の縱(まま)に容冶(うるは)しく後漢末の儒者である仲長統の漢詩。袁紹に仕えた後、曹操に帰順した。
5年にわたってブログのサブタイトル欄にずーっと掲載している『愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。』はこれが元ネタ。いやー、こんなの私が好きに決まっているっしょ。私の好みを知っている人ならわかるはず。
私にしては珍しく現代語訳を初読者にとって徹底的にわかりやすくしている。「五經(儒教における最も根幹の経典)」を「権威ある古典」、「百家」を「いろんな学者」と意訳する等して予備知識なしで読める……はず。「大道」も意訳してもよかったんだけど、まあいいや。
こんなふうに古典の権威に反逆する詩を唱えながら仲長統は古典の知識になると興奮して激論したとか。うーん、あらゆる面で超共感しちゃうー。前にTruthSocialの人とオフ会した時に一方的にガーーーーーーーーーーーッ! っと中国古典の話をしたので、なんかやべーやつみたいな噂が立ったらしい。むべなるかな。
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天生萬物以養人 世人猶怨天不仁
不知蝗蠹遍天下 苦盡蒼生盡王臣
人之生矣有貴賤 貴人長為天恩眷
人生富貴總由天 草民之窮由天譴
忽有狂徒夜磨刀 帝星飄搖熒惑高
翻天覆地從今始 殺人何須惜手勞
不忠之人殺
不孝之人殺
不仁之人殺
不義之人殺
不禮不智不信人 大西王曰殺殺殺
我生不為逐鹿來 都門懶築黃金台
狀元百官都如狗 總是刀下觳觫材
傳令麾下四王子 破城不須封刀匕
山頭代天樹此碑 逆天之人立死跪亦死天は万物(よろづ)を生みて以ちて人を養ふも、世の人は猶ほ天の不仁なるを怨みたらん。
知らざらんや蝗は蠹きて天下を遍くし、苦しみの蒼生に盡くさるるは王臣に盡くを。
人の生くるや貴賤有り、貴人(たふとき)は長じて天の恩眷(めぐみ)を為す。
人生の富貴は總べて天に由り、草民の窮しみは天譴に由る。
忽ち狂徒の夜に刀を磨く有らば、帝星は飄搖して熒惑高し。
天に翻り地を覆ひて今從り始めん、人を殺して何ぞ須く手の勞を措くべけんや。
不忠の人、殺すべし。
不孝の人、殺すべし。
不仁の人、殺すべし。
不義の人、殺すべし。
不禮不智不信の人、大西王曰く殺せ殺せ殺せ。
我の生まるるが為は鹿を逐ひて來たるにも、都門の黃金台を築くこと懶みするにもあらじ。
狀元百官都も狗の如し、總べて是の刀の下には觳觫の材。
傳へて麾下の四王子に令(しら)せん、城を破らば須ちて刀匕を封ずるなかれ。
山頭は天樹を此の碑に代え、天に逆するが人は立ちても死すべし、跪きても亦た死しすべし。天は万物を生みたまうことで人を養いたまうも、世の人はまだ天が不仁であると怨む。
知らんのか? 蝗が天下のすべてを食い荒らしている。苦しみが蒼生に尽くされるのは、すべて王と臣下のせいなのだと。
人の生まれには貴賤があり、貴人は長じて天の恩恵を為し、
人の生まれの富貴はすべて天に由来し、草民の窮しみも天罰による。
たちまち夜に刀を磨く狂徒が現れ、帝星が風に揺られて熒惑は高らかに輝く。
さあ、天に翻り地を覆う今こそ始めようではないか! 人を殺す手を休めることはない。
不忠の人、殺すべし!
不孝の人、殺すべし!
不仁の人、殺すべし!
不義の人、殺すべし!
不礼不智不信の人について大西王はいう。殺せ! 殺せ! 殺せ!
私が生まれたのは鹿を追って来る(皇帝になる)ためではない。都門に黄金の台を築いて頼みとするためでもない。
状元(科挙の首席合格者)も百官もすべてまとめて狗のようなもの。すべてこの刀の下には死を恐れて震える食材に過ぎぬ。
麾下の四王子に伝達しよう。「城を破ってからも斬殺することに遠慮はいらん。」
山頭の天樹をこの碑と取り換えよ。逆天の者どもよ、立つ者は死すべし! 跪く者も死すべし!
中華邪気眼の定番中の定番である張献忠! 『屠蜀』と呼ばれる大虐殺によって四川の当時の人口は310万人から2万人弱まで減少したという。この詩文はdiscordでもらったもので張献忠のものとして中国のネットに上げられていたものらしいけど、それ以外にソースがない。なんだそりゃ。とりあえずノリで書き下しつつ訳してみた。いやー、10代後半から20代前半の自分のテンションを文字化したような感じで自分のことじゃないのに読んでて恥ずかしい……。デスメタルかよ。
ちなみに七殺碑は以下の方が有名。
天生萬物與人
人無一物與天
殺殺殺殺殺殺天は萬物(よろづ)を生みて人に與ふも
人は一物も天に與ふこと無し
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ天は万物を生じて人に与えたが、
人は一物たりとも天に与えていない。
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。こちらは非常に有名で、ネット上のものじゃなくて前近代から存在する伝承。私もTwitterを始めた当初にも言及していた。ただし実際にこのように記された石碑が存在したかというと怪しいらしい。
この検証も前近代には既に為されており、実際に張献忠が建立した石碑は『聖諭碑』といい、以下のような内容だったとか。
天生萬物與人 人無一物與天 鬼神明明 自思自量
天は萬物を生みて人に與へり 人は一物も天に與ふこと無し 鬼神(かみ)は明明たり 自ら思ひ自ら量るべし
天は万物を生じて人に与えたのに、 人は一物たりとも天に与えていない。 鬼神は明らかに存在しているのだから、 自らによって思索し、自らによって考えよ
というわけで、天と鬼神への篤い信仰を通じて人間の自立を勧める内容。あれ? いいこと言ってんじゃん。初めの二句が七殺碑と伝承と同じであり、後の張献忠の暴虐を受けて伝説が出来上がったのかもしれない。