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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

生活リズムの回復。


 久方ぶりに5kmほどジョギングをした。私の開発したジョギング「脱法ジョギング」は非常に意識が低いため、しばらく期間が空いてしまってもすぐに復帰できる。詳細は次回の記事で説明しよう。

 今日のコースでは、自分の通っていた小学校から中学校を回って帰宅。10kmあれば、高校も回れただろう。改めて、この空間の狭さに驚いてしまう。高校は近いからという理由で選んだのも確かだけど。

 そういえば、まだ今年は初夢というものを見ていない。見てて忘れたのかもしれないけど、とにかくそんな覚えがない。考えてみれば、長らく夢というものをみた記憶がない。なぜだろうか、よくわからない。

 それと書いていなかったけど、一昨日から瞑想を長くやっている。ようやく運動と瞑想がペースを取り戻してきた。トラブルはあったけど、おかげで新年はいいスタートが切れそうに思う。これがなければ、帰省中は暴飲暴食+遊び歩きの日々だっただろうし。

 明日には関西に行くことになるけど、帰省したこの間、久々に「もう眠れない」というくらい眠れた。長らく私のことを知っている人はご存知かもしれないけど、もともと私はひどい不眠症である。しかし、先月の終わり頃などは常時眠く、いくら眠っても眠り足りず、いくら寝ても身体が休まらなかった。しかし、ここ3日程度はようやく寝転んでも眠りにつけなくなることが出てきた。不眠でさえ過眠に至る酷い有様だったというわけだろう。それが今や軽い不眠にまで回復した。……って、それでいいのか?

 とにもかくにも、明日は早いし、生活リズムをバッチリキメるためにもさっさと寝る。というか、年末からずっと生活リズムがよほどひどく乱れ続けていたんだなーっと今回の件で改めて考え直した。今にして、ようやくリズムが取り戻せた。

 当面の目標は、睡運瞑菜の徹底と粗食・断酒。まだ腹具合は戻っていないけど、いい機会だ。
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731部隊の創設者石井四郎を輩出した京都大学の連中がいけしゃあしゃあと戦前に反戦であったかのように言いふらた結果、自分たちがナチス以下の最低最悪の存在だと自ら示してしまう。


 なに言ってるんだ、こいつ。

 京都大学は中国人や朝鮮人に非道な人体実験を繰り返した731部隊の創設者石井四郎を輩出し、当時在籍していた医学や生物学に関わる大学教授が数多くそれに関わっていたのは有名な話だし、当時京都大学を代表する哲学思想学者の『京都学派』は大東亜共栄圏を構想して民衆に「お国のために死ね」と煽動していたのに。
 もちろん、A級戦犯輩出者数世界一が東京大学であることは言を俟たないが、その陰に隠れていけしゃあしゃあと「世が軍国主義に向かう中でも空気を読まず反発し、軍事教練は適当にこなしてたような」などとあたかも京都大学が反戦であるかのように偽装して、こいつら恥というものを知らないのか? 731部隊はアメリカと協力することで戦犯にならなかっただけだろ? むしろ、戦犯よりタチが悪い連中である。
 そもそも、大規模戦争を起こしづらくなった現代において、細菌兵器などの開発の方がよほど人類的な危機を招いているのが現状であり、この時点で731部隊を裁かなかったことの報いが人類に及んでいるようにさえ思える。

 そもそも、こういう『典型的な京都大学的な自意識』というのは本当に気持ち悪い。京都大学のコスプレ卒業式とか、創立者の像になんかよくわからん装飾を施したりするの、ああいうのにあこがれるのは中学生までにすべきである。「京大生は大学生だから中学生で卒業したら京大ノリがなくなる」というツッコミが来そうだけど、お前らがただのガキだって言ってるんだよ。アホか。
 むしろ、「知性のあるボクたちのおふざけ! 不謹慎!」みたいな『京大ノリ』的自意識こそ、まさに2ch的イデオロギーでネトウヨを日本に蔓延させた元凶だし、本人たちは「東京大学のような一番病のエリートと違って"真の知性"がある」みたいな自意識なんだろうけど、要はこいつらメインストリートを歩むような責任感がないだけな悪い意味でサブカル意識でしかない。

 京大がこういうことを言う背景だって、「東大は戦争協力の首魁としてこういうことは言えないだろうけど」みたいな自意識をスゲー感じるんだよな。それがまた気色悪い。要は東大を矢面に立たせることで、自分たちが責任から逃れているだけ。一番東大に依存しているのがああいう京大自意識の連中。まさに戦犯となることを逃れた731部隊は京都大学を象徴する存在と言えよう。「A級戦犯(東京大学)と違ってツウこそわかる731部隊(京都大学)」みたいな? 死ね。岸とアメリカの関係を見れば、東大も京大も共犯だけどな。


 それにしても「空気を読まず適当にこなしていた」って、いかにも京大らしいクソみたいな自意識だよな。空気を読んで、だからこそサボっていただけだろうに。腹の底で人を馬鹿にしながら、ふざけたふりして物事に責任感を持たないことで難を逃れ、悪事を行ってもその自覚がない。ある意味では、東京大学よりタチが悪い。ある面でヒットラーよりヒムラーの方が邪悪であることに相似たりである。

 当たり前の話なんだけど、本当にガチのマジで空気を読まなかったら反抗するはずだよな。本当に当たり前の話だけど。
 もちろん私だって軍事統制下になれば、必ず命を賭して反抗できる自信なんてないからそれ自体を責める気にはならないし、「戦争が正しいとは思わなかったけど、反抗なんてする勇気はなかった。だからせいぜい軍事教練で手を抜くくらいしかできなかったんだ」なんてことならとても共感しうる話だよ。それか、たとえば「軍に参加しながらも敵地の庶民を被害から匿っていた」なんてのは誇りになるかもしれない。でも、「空気を読まず適当にこなしていた」なんて程度の話は「誰がなんと言おうと主張を貫く京大はどこですか?」につなげるにしては話がショボすぎだろ。本気でこれが自慢になると思っているのか? いや、マジでこれ読んで「ウーム、京都大学が戦時中に軍事教練を空気を読まず適当にこなしていたとは、やはり誰がなんと言おうと主張を貫くのは京都大学ならではであるな!」と思う奴いるのか!? 500以上favがついているのがやべーよ。
 私だって別にものみの塔のようにあらゆる戦争に最後まで反対して投獄されてから反戦だったと主張しろとか言ってるわけじゃねーんだよ。あたかもそういったものと自分たちが同じであるかのようにたかだか「空気を読まず適当にこなしていた」程度の話を自慢して、「誰がなんと言おうと主張を貫く京大はどこですか?」なんて言い出すの、本当にどうなのって話なんだよ。「空気を読まず適当にこなしていた」のど・こ・が・「誰がなんと言おうと主張を貫く」なんだっつーの! テメーんとこの出身者が理科系では731部隊を創設して京都大学に在籍する教授がそれに積極的に協力し、文科系では庶民に戦争で死ねと煽っていたのに、どうやって大戦のことが京都大学の誇りにできるんだよ! お前らの京都大学は中国人や朝鮮人を人間と思わずその身体を解体して殺して拷問や実験を繰り返した大学なんだっつーの!! 京都大学は空気を読んだ上で、適当にこなしてたんだよ! むしろ世間の空気をつくってたのがお前らじゃねーか! その結果、731部隊を自ら生み出し、その責任さえ取らなかったんだっつーの! お前みたいなカスも含めて全部地続きだ。愛校心を持つなとは言わんが、戦中の京都大学を誇ることなどよくできるな。


 こうして総合すると、京都大学の連中は、日本の人民には大東亜戦争の必然性なるものを世間に吹き込んで庶民に戦争で死ねと煽り、植民地の人民には非道な人体実験を繰り返している最中、その学生はそれらの教授からアリガターイ薫陶を受けつつ、京都大学の教授に煽られて人民が窮乏と労役、徴兵に苦しむ中でも、それらと困苦を共有することなく「軍事教練は適当にこなしてた」ということになる。
 ……なぜこんなことを誇りに思えるんだ? これなら本気で大日本帝国の正義を信じて真面目に軍事教練をした方が救いがある。軍部の指導者などを擁護するつもりはないけど、曲がりなりにも反省の弁を述べ、処刑によって末端の兵と同じく死んだ戦犯たちは京都大学の連中と比べたら随分まともだと評価せざるを得ない。
 京大のマヌケどもは「まじめにやらなかったから俺たちスゴイ」と思っているのだろうけど、東大や戦犯と違って連中は『真面目にやることすらできなかった』だけなの。それが京大。731部隊を生み出したのはお・ま・え。クソみたいに斜に構えた態度をアイデンティティにしているお・ま・え・が京都学派や731部隊なんだよ! 死ね。もう死に逃げした連中の代わりにお前が死ね。なにが「京大が世間に屈したそうです」だよ。世間に軍国主義を吹き込んでたのはお前らじゃないか。本気で腹が立ってくる。本当に恥というものを知らないらしい。もう死ね。


 正直、この記事を書き始めた当初は京都大学がここまで最悪の存在だとは思ってもみなかった。私は731部隊や京都学派のことは知っていたので、それを持ち出してちょっとカウンターをかける程度のつもりだったのだけど、まさか上記のツイートとそれが合わさることで、ここまで最悪の存在が眼前に立ち現れるとは思わなかったんだよ、ホント。そういや、青メガネとかシュナムルとか京都大学だもんな……。
 冗談でも誇張でもなく私は泣いているし、人間がここまで醜悪になれることに恐怖を感じている。京都大学はナチス以下。本当にナチス以下じゃん、これ。ネルフとかいう最悪の組織のお偉いさんも京都大学出身ばかりだし、コロナウイルスを開発したのが京都大学であっても驚かない。人類悪である京都大学はこの世から除去しなくてはならない。

【論語私箋】現在に至る道


≪原文≫
 子曰、温故而知新、可以為師矣。

≪書き下し文≫
 子曰く、故きを温(たず)ねて新しきを知る、以て師と為す可し。


 本章句は、『温故知新』という故事成語にて有名であり、これは「古いことを学ぶことで新たな発見ができる」という意味で解釈されてきた。しかし、古いことから新しいことを見いだすことが、なぜ師となることにつながるのだろうか。この解釈では前段が後段の『師』という概念と十全に接続されていないように思われる。
 
 古いものを古いというだけで棄却せず、そこから新しいものを見いだす者、それは確かに有能な発明者である。しかし、師となるために有能な発明者であることは絶対的な条件ではない。孔子自身、「私は過去を祖述するだけで、自らの独創はしない。自身の信念に基づいて先人の業績を愛好しているだけである。私はひそかに、自分の役割は八百年間歴史を語り継いだ伝説の語り部彭祖に比肩するものだと自負している。(※1)」と述べている。彭祖は過去に起こった事実を述べただけで、自ら創作をしたわけではない。孔子は自ら独創的な発明をしていないと主張し、書物のない時代を生きた伝説の語り部彭祖を自らと同一視していた。発明者であることは弟子を教導するための絶対的な資格ではない。

 ところで、師とは相対的な存在である。師は古義では、軍隊の指揮官であったが、ここでは教導者、教師のことである。軍隊の指揮官に指揮される兵士が必要なように、教導者には教導される弟子が必要である。
 師という語から連想される者と聞いて想像を喚起されるもの、年長者、有職故実や古典などの学識が深い者、伝統的な技術に通じた者……こういったイメージに発想を引きずられ、具体的な特性を検討することに気が回らず、ついつい従来的な解釈に納得してしまうのは理解できる。しかし、本章句を正確に解釈するなら、後段に現れる『師』の特性に対して、よりスムーズに接続できる解釈を前段の『温故而知新』に施すべきであろう。師の本質は弟子との関係にある。

 弟子と師が相対的な概念であるのと同様に、『新』は時間における相対的な概念である。弟子と師の概念が互いの存在を必要とするように、『新』にも過去の存在がなければ成立しえない。
 『新』とは何であろうか。「古いことから新しいことを学び取る」という『温故知新』の従来的解釈は、欧州におけるルネッサンスなどの古いものから革新的な概念を発見する歴史的事象を想起させる。また詩経には『周は旧き邦であるが、その天命は新たなものである(※2)』という一節も登場し、これは古くからある周という国が新たに天命を受けて時代を築くという意味で維新の語源となったが、これも「温故知新」という古事成語と重ね合わされる。維新にせよ、ルネッサンスにせよ、その後の未来を切り開く印象が強烈であるために、ついつい『新』という語の含意に、我々は過去との対義語として未来を見出してしまう。そのために、ついつい「過去のものから新たな発明を着想する」という解釈を施してしまうのだ。
 しかし、『新』という概念には『未来』という含意はない。あるいは極めて二次的な含意である。『過去』との対比において、『新』という語が直接含意する所は『現在』である。それは、最新という語が現在そのものか、あるいは過去の中で最も現在に近い時点を意味することからも明らかである。100年前の技術と対比して昨日や今日に発明された技術を最新と呼ぶことはあれども、100年後に開発されると想定される技術を現在から見て最新技術と呼ぶことない。先述の『温故而知新』という前段において対比されているのは、過去と現在である。

 また、『温故而知新』における過去は『古』ではなく『故』の字が当てられている。『故』とは何か。第一義には「事の起こり」「原因」であり、第二義には「経歴」「来歴」である。『故』で示される過去とは、現在に至るまでの過程であると考えられる。また、『温』は『温習』という語があるように、確認することである。温故とは「これまでの過程を確認すること」であると解釈できる。

『これまでの過程を確認することで現在を理解することができる者に、弟子たちを教導する師となる資格がある。』

 このように本章句を解釈すれば、従来の解釈とはまったく違った景色が見えてくる。

 人は何も知らずに、赤子としてこの世界に生れ落ちる。赤子には現在しかない。目の開いた赤子の眼前に家が建てられていても、それを”建てられた家”とは認識しない。土台を築き、柱を立て、床を張り、梁を渡し、屋根をかけ、壁を塗って戸窓を開けた”家に至る過程”を赤子は認識できないのである。赤子には『新』しか存在しない。『新』は過去との相対的な存在であるが、赤子にとっては『新』が絶対である。ゆえに『新』が『新』であることも知ることができない。その赤子に『故』を辿らせ、その果てに『新』を位置付ける営為が教育である。

 もし、この赤子が誰にも何も教わることなく野山に放り出されるとしたら、目の前の家を建てる方法を着想することができるだろうか。ただ一人で誰にも学ばず手本となるものもなければ、ほとんどの場合は一生をかけても斧をつくり木を切るところまでも、おそらく行き着かないはずである。言語も同様で、現在のような複雑な言語を構築することは一代では成し遂げられず、幾ばくかの種類の鳴き声を発明するにとどまるであろう。そのような野生の人類が何千何万集まろうと、一代でコンピュータが発明されることはない。このように、人類が一代のみ存在していても、その有様は所詮動物の一種として他との差異を見出すに足らない存在である。
 しかし、生物の進化は歩みが遅いが、人間の生活は原始から古代、中世から近代にいたる過程で激変している。なぜか。人間が教育という形で過去の事業を引き継いだからである。荀子は言う。「君子と他の人々は生来によって差異があるわけではない。君子は善く物に仮(借り)るのだ(※3)」と。『学』とは、人からの『仮(借りること)』によって成立している。

 我々は時間の中に生きている。現在は過去との連続性に成立している。荀子は言う。「干越夷貉――いかなる民族の子であれども、生まれたばかりの赤子は同じ声で泣くのに、成長するとまったく違った言語を話し始める。これは教育がそうさせているのだ(※4)」と。赤子という素体はあらゆる民族に関わらず似通った性質を持って誕生するが、それ以後に教わったもので性質が異なる。論語では人間について、「うまれつきの性質は似通っているが、習俗は異なっている(※5)」と述べられている。
 赤子が教わった民族の言語は、この赤子が生まれる以前から存在する。そして、言語はその過去、その過去から更にその過去、変化を繰り返しながら連綿として受け継がれてきたものである。言語には、現在を成立する過程が存在している。
 言語に限らず、技術、儀礼、音楽、料理……赤子が生まれたのち、大人になるまでに教育されるものは、その赤子が存在していない時から連綿と続く過程を持ち、時と共に人々により肉付けされ、あるいは削ぎ落とされ、現在に引き継がれてきたものである。赤子は自らが誕生する以前を、自らが引き継ぐことで大人になり、自らもそれを変化させながら、次世代へと引き継ぐ。赤子は成人するにあたり、他者であった過去との連続性に自己を位置付けられる。

 また、これは孔子の教えにおける根本原理である仁とも、儒教における孝の概念とも連続している。孝とは肉体的に過去からの連続性がある両親との精神的な繋がりである。そこから孔子は血縁に由らぬ人から人への思いやりの心『仁』を抽出した。仁とは、他者を自己に重ね合わせること、則ち、他者を自己として受け入れる営為である。それは、自己の存在以前の過程『故』から現在『新』に至るまで学んできた他者である師を、自己として受け入れる営為、則ち『学』にも通じている。そして、孔子と顔回がそうであったように、師弟は血縁を越える関係である。人は『学』によって技術を、知識を、精神を、まるで蝋燭の灯のように、人から人へと伝えることができる。

 孔子は言う。「これが民衆だ。夏、殷、周――これら三代の王朝すべての文化が連続していることは、他でもない彼らが証明している。(※6)」と。また、孔子は弟子の子張に未来を知ることができるかを質問されて、次のように答えた。「殷王朝は夏王朝の文化を引き継いでいる以上、それらを比較検討すれば、何が切り捨てられ、何が追加されたかを知ることができる。周王朝は殷王朝の文化を引き継いでいる以上、それらを比較検討すれば、何が切り捨てられ、何が追加されたかを知ることができる。これらの歴史法則を解析すれば、周の文化を引き継いだ後も、百世先であろうと知ることができる(※7)」と。孔子は、現在存在する人間の文化が過去からの連続性の上に存在することを知っており、それらを取捨選択することで現在に至る人類の発展があることを知っていた。

 人は現在の成立過程を確認することで、現在に至るまでを再生する。家を建築する過程を確認することで家を建設することができるように、学芸にせよ、武芸にせよ、技術にせよ、師が弟子に自らの業(わざ)を伝えることは、現在に至るまでの過程を伝えることである。
 師は過去から現在に至る道を継承し、それを他者に伝えることで、弟子を過去との連続した時間の中に位置付ける者である。ゆえに、これまでの過程を確認することで現在を知ること、それが師の条件となる。


※1 論語述而第七
※2 詩経大雅文王篇
※3 荀子勧学第一
※4 同上
※5 論語陽貨第十七
※6 論語衛霊公第十五
※7 論語為政第二

イスラムとアンチフェミウヨとリベサヨフェミなんて人口競争においては五十歩百歩でしかなく、出生率は思想や宗教より産業構造や人口密度との関連性が高いのではないか。

よくアンチフェミが出すフェミニズム叩きに「フェミは女性にブルカを着せようとしている。イスラムと同じだ。」というものがある。あるいは、「フェミが支持しているのはやさしい家父長制だ」というものがある。これまでの私の発言を見てくればわかる通り、これらについて私は必ずしも否定はしていないし、そもそもネットでそういうことを言い始めた元祖は私と言ってよいくらいである。まっさきにそういう論調でフェミニストを批判したのは、むしろ私だ。
 で、だからこそ思うんだけど、なんでアンチフェミはフェミニズムを叩いているのかよくわからない。だってさー、フェミニズムがイスラム保守主義や家父長制と同じことを主張しているなら、勝手に支持させておけばええやん。だって結果は同じなんだし、それで保守回帰するんだから。私は左翼だし保守回帰が嫌だから全部を叩いているわけで、なんでアンチフェミウヨがフェミを叩いているの? まあ、女が口を出すこと自体を封じたいということだろうし、それはそれで保守回帰としては筋が通ってはいるけれど。まあ、それはさておいて。


 で、ここから本題。その際に用いられるロジックが「男尊女卑なイスラムは人口が増えてフェミやリベサヨで人口が減る。このままではイスラムの天下だ。だから保守回帰して男尊女卑を復活させ、それによって少子化を防がないといけない」というもの。やたらとアンチフェミがあおっているけど、これが本当に信用ならない。
 その前にまずこの前提が仮に正しいとして、そもそも「イスラムが男尊女卑だからこちらも男尊女卑にしよう」というのがわからない。だって、「だったら潔く自分もイスラム化したらいいんじゃね?」としか思えないじゃん。仮にイスラムが男尊女卑なおかげで多産でほかの国がそうじゃないから少産だったとして、なんで向こうの男尊女卑を真似ないといけないの? 自らの特質を失ってなんのために闘うの? そんなことより、私が仮にアンチフェミウヨなら自分がイスラムになるけど。リベサヨフェミと敵対せず、逆に保護されながら家父長制を敷けるんだから。

 で、本当にイスラムがそこまで人口爆発を起こして世界を席巻するの? なんかすっげー怪しい。

 だってさー、延々イスラムの人口爆発によるリベラル側の危機を煽っているアンチフェミはリベラル圏(という名のキリスト教圏)とイスラム圏の二項対立に落とし込んでるけど、連中は儒教という古豪を無視してるんだもん。「子をつくらねば不孝!」という出産推奨の権化みたいな宗教であり、日本の倫理観を形作った宗教の中でも最大のものの一つだ。なぜこれを無視するのか。儒教圏と呼べる国、あるいは国と同様に自治政府を持つ地域と呼べるのは、日本のほかには、中国、韓国、朝鮮、ベトナム(越南)、シンガポール、台湾、香港であろう。

 で、適当に開いた国別出生率を引用。

https://www.globalnote.jp/post-3758.html
177 カナダ 1.50
178 フィンランド 1.49
179 スロバキア 1.48
180 セルビア 1.46
181 アラブ首長国連邦 1.45
181 セントルシア 1.45
183 モーリシャス 1.44
184 日本 1.43
185 クロアチア 1.42
186 ルクセンブルク 1.41
187 ポーランド 1.39
188 ギリシャ 1.38
189 ウクライナ 1.37
190 マルタ 1.37
191 ポルトガル 1.36
192 スペイン 1.34
192 イタリア 1.34
194 キプロス 1.34
195 ボスニア・ヘルツェゴビナ 1.28
196 モルドバ 1.26
197 マカオ 1.21
198 シンガポール 1.16
199 台湾 1.13
199 香港 1.13
201 プエルトリコ 1.10
202 韓国 1.05


 見てください、儒教圏の出生率、その怒涛の低さ。赤字が儒教圏の国であるが、この中でも特に儒教の影響が強いといわれる韓国は、なんと出生率最下位をマークしてます。で、プエルトリコと香港は少し特殊だとして、儒教の根強い台湾は下から4位。シンガポールも少し特殊か。それにしても、ガッツリ最下位争いをしているのが儒教圏の各国(各地域)である。この中では、むしろ日本はむしろ少子化していないくらい。
 これはなぜか。「儒教が男女平等で子供をつくらせる規範がない宗教だからキリスト教圏より更に出生率が低い」とか?

 んなわけねーだろ。儒教が他の宗教と比べて突出して男尊女卑だとは思わないけど、伝統儒教が男女平等とはまったく思えないし、出産をメチャクチャ推進する宗教である。

 これ、私が思うに、たぶん要因のひとつは人口密度です。というわけで、適当に検索した人口密度ランキング。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%AF%86%E5%BA%A6%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
1 マカオ 672,000 32.9 20,426 [2]
2 1 モナコ 32,812 2.02 16,244 [3]
3 2 シンガポール 4,736,000 699 6,773
4 香港 7,022,000 1,104 6,361
5 ジブラルタル 31,045 6 5,174
6 3 バチカン 784 0.44 1,782 [4]
7 4 マルタ 408,000 316 1,293
8 バミューダ諸島 64,863 54 1,201
9 5 バングラデシュ 162,220,000 143,998 1,127
10 6 バーレーン 791,000 741 1,068
11 7 モルディブ 309,000 298 1,038
12 ガーンジー 61,811 78 792 [5]
13 ジャージー 90,800 116 783 [6]
14 パレスチナ 4,277,000 6,020 711
15 台湾 23,049,000 36,188 637 [7]
16 8 モーリシャス 1,288,000 2,040 631
17 9 バルバドス 255,000 430 595
18 アルバ 106,000 180 592
19 マヨット 194,000 374 519 [8]
20 10 サンマリノ 31,358 61 514
21 11 ナウル 10,210 21 486
22 12 韓国 48,332,000 99,678 485
23 プエルトリコ 3,981,000 8,870 449
24 13 レバノン 4,223,000 10,400 406


 このランキングだとモナコやバチカンが上位に入ったりしてピンとのないので、人口1000万人以上を抽出して上位3つを抽出すると、

5 バングラデシュ
7 台湾
12 韓国


 ね? いい勘してるっしょ、私。というわけで、人口密度が高くて発展した国だから台湾や韓国は出生率が高いのだと予測できる。抜き出しからは外したが、ほかの人口過密の都市国家なども低出生率国と顔ぶれが被っており、同様の理由から出生率が低い蓋然性も高いと思われる。東京の狭い家でたくさん子供なんてつくれないのと一緒よねー。え、違う?
 とにかく、これは儒教の思想によって意識が違うとか、そういう話ではない。たぶん、出生率と宗教思想、そこまで関係ない(無関係とは言わないが)。少なくとも、決定的な要因ではないだろう。これは国家の発展と産業構造が主で、それに基づいた人口の問題ではないか。出生率と人口が関係あるだなんて当たり前の話で、台湾と韓国は最近まで発展途上国(地域)の独裁政権下だったし、外国の工場があって安い製品を国外に供給していた国だから、そりゃ元の人口は多い。

 というわけで、「儒教」と「人口密度」という新たな基準が登場することで、なーんか「イスラムの人口爆発ガー、フェミリベラルの少子化ガー、西欧ガー」という話が怪しい話だと分かってくる。

 で、人口密度ランキング上位のバングラデッシュは今回問題のイスラム教国家。韓国や台湾と違い、発展途上国に分類される。1990年まで、中学校の就学率が20%だった国。なので、社会状況が違うため、人口密度は高くても台湾や韓国と比べると出生率が高いのもわかる。
 さて、それでは現在のバングラデッシュの出生率はどうか。アンチフェミの皆さんイチオシのイスラム教国だから、当然ながら高い出生率が……。

111 米領ヴァージン諸島 2.08
112 ジョージア(グルジア) 2.06
112 バングラデシュ 2.06
114 エルサルバドル 2.06
115 ベトナム 2.04
116 コソボ 2.02


 出生率、なんと2.06!

 ……この通り、実はいうほど高くない。人口維持に必要な合計特殊出生率は2.07と言われており、それを下回っているのである。じゃあ、もうこのままだと少子化じゃん。ちなみに、これは2017年のデータで、2019年の出生率はなんと2.0ちょうど。
 実はバングラデッシュ、21世紀から就学率が激増しており、2017年時点で中学校就学率は70%を超えている。1990年までは4を超えていた出生率も、今やこのありさまである。来年には2を割るんじゃないだろうか。
 要は国の発展に伴って、あっさりバングラデッシュの出生率は落ち込んだ。それにしても、中学進学率が90%にも達さない程度の発展で、既に出生率はここまで落ち込むのであるから驚きである。ちなみに、バングラデッシュは痴漢を告発した女学生が逆に不貞だとして殺されるような国であり、男尊女卑はまったく克服されていない。それでもこの調子である。


 で、アンチフェミを見ていて思うんだけど、人口増加のために出生するなら夫婦の出生数は2人じゃ足りないんですよ。3人で当たり前。独身者は当然発生するんだし。「お国のために子を産めー。人口を増やせー」なんて言うなら、3人でも自慢なんかできない。子供は4人くらいが標準くらいじゃないとだめです。そんなのアンチフェミの皆さん、本当にやる気ある? 現状の社会構造から思想だのをちょっといじくったくらいで達成できると思うの? 正気?
 いやね、思想や宗教を過大評価しすぎなんですよ、皆さん。だってさー、東京で既婚家庭のほとんどが4人子供がいる状態とか想像できる? 物理的に不可能とまではいわないまでも、環境的にめちゃくちゃ困難だよね? これを根性でなんとかする気? インセルだのの主張を飲んだり、男尊女卑復活とやらをして、これが解決すると思うの? アンチフェミの皆さん、それ本気で言ってる?
 この状況を打破するには、農村から都市を包囲して革命を起こすくらいしかないよ。私は本気でそれやりたいけど、ネットのアンチフェミの皆様方はそれすんの? ネットでリベラルだのフェミだの叩いても、そんな大変動は起こらないよ。それと、私は左翼なので、革命は起こしても男尊女卑政策なんて敷く気ない。そもそも、都市のインテリやブルジョワなんかを農村に下放すれば解決する問題だしね。
 イスラムの出生率を絡めたフェミvsアンチフェミって、フェイクであり対立煽りの商売でありガス抜きだよ。プレジデントがやたらとテラケイの記事載せてるの見ても、なーんか、フェミとアンチフェミを闘技場で闘わせて見世物にして金を稼ごうって動きをいろんな場に感じるんだよな……。これ、どっちが勝つとかじゃないと思う。すっげーきな臭い。イスラムの出生率の話、カズ藤澤も推しているんだよな。くだらない。「男尊女卑のイスラムは多産で繁栄している!」とかアジってるけど、仮に百歩譲って今後イスラムが人口闘争によって西欧圏などに勝利したとしても、それは相対的に減少が遅かったがための勝利であって、「繁栄」と呼べる質のものにはならないだろう。全体が地盤沈下しているだけである。

 ISIS以上のイスラム原理主義国家であるサウジアラビアも今や出生率は2.53。近年、イスラム教の教義解釈によって、これまで禁止されてきた女性による自動車の運転が解禁されて話題になったけど、これもそういう時代の反映じゃないのかね? 社会構造の変化とともにイスラムの男尊女卑とやらも克服されていくんと違うの? はっきり言って、サウジアラビアでさえ、現状は人口は維持できても、維持できる"だけ"の出生率。しかも、そのうち少子化が進んでゆくのは明白である。イランに至ってはとっくに出生率1.6。西欧先進国と何も変わらない数値である。イランは決して伝統宗教における男尊女卑意識が小さい国ではない。仮にイスラム圏の男尊女卑が克服されなかったとしても、少子化は止まらないと思われる。痴漢を告発した女性が不貞の罪で殺されるような男尊女卑の国でも、出生率はとてつもない勢いで低下しているのだ。
 遅れて近代化した儒教圏が、現在は西欧以上に少子化しているように、イスラム圏にも同じ運命が訪れる可能性は高い。これまで多産だったのに、急速に少子化したら一気に少子高齢化が進むだろう。儒教圏もこのケースだよ。宗教、やっぱりあまり関係ない。

 ところで、このままイスラム圏で少子化が進みながら経済発展したら、そこから西欧に移民する人なんていなくなるんじゃない? 「日本に移民をしたい中国人はいない」なんて最近は言われているけど、西欧とイスラム圏もそういう関係になるかもね。
 そうやって考えると、リベサヨフェミの大本営発表も、ネトウヨアンチフェミのネットdeプラウダも、どちらも怪しすぎる。いつまでもイスラムをマイノリティだと考えているリベサヨフェミと、いつまでもイスラムの社会構造と意識が変化しないと考えているネトウヨアンチフェミは表裏一体の誤りを犯しているのではないかと私は考える。
 いずれイスラム圏の国家が人口減少で移民推進をし始めて、「我が国バングラデシュはアフリカからの移民と難民をこれだけ受け入れたのに、イタリアはこれだけしか受け入れていない。もはや西欧国家は先進国を名乗るのをやめるべきだ。」なーんて話をする日が来るかもね……。イラン人が「イタリア? いい国だよ。よく旅行に行っている。古い文化遺産がたくさんあるし、なにより物価が安い。」と言い出したり。これから数十年単位で人口増加が維持できる地域、アフリカだけだと思うよ。東南アジアも怪しい。

 第三次産業が発展し、都市集中が進めば、出生率は下がって当たり前なんだよ。人の数がそのまま力になり、成果物でそのまま衣食住が充実する第一次産業や第二次産業と違って、第三次産業は人が増えれば豊かになるような性質のものじゃないから。こうした社会構造では、産めよ増やせよが豊かさに直結しない。これは宗教や思想と関係ないし、なんならそういった社会的背景に基づいて思想や宗教が出来上がると考えたほうが合点がいくだろう。マルクス主義の有名なテーゼ、「下部構造が上部構造を規定する」というやつだ。
 フェミニズムについて、よく「近代の産業構造や社会の発展によって隙間に存在するだけの思想であり、主張には何の実効性も意味もない」と嘲笑されることがあるけど、これはアンチフェミがそうなんじゃないの? そもそも、産業構造や社会の発展の隙間に存在するものでない社会思想がどれだけあるのか知らないけど。

 日本で少子化対策といっても、あくまで大幅な人口減少による損害を防ぐために行われるソフトランディングの手段にしかなり得ないだろう。現在、我々の世代に少子化の受難があるのは、いわば氷河期などの気候変動の時期に生まれた受難と似たようなものだと思うしかないと思う。必然的に訪れる災難だよね、これ。私自身も、そういった程度の覚悟はしているし、なんとか減っていく人口でうまく操縦するすべを模索するしかないんじゃないの。資源は有限なんだし、人口が増えても困る。
 ちなみに、そんなに遠くない未来、私は地球の総人口は年間で減少に転じる日が来ると予想している。国連は2100年に地球の総人口は109憶人に達すると予測を立てているけど、そうはならないだろう。私はそれを必ずしも悪いことだとは思わない。人間は情報ではなく物質的存在なのだから、存在するスペースも維持するエネルギーもないなら、人口ピラミッドなるものなんぞ維持してもしょうがないし、そもそも維持できない。

 これはずっと言ってますが、私は日本は既に人口過多だと思いますので、3000万人まで人を減らすべきだと思います。だから少子化対策なんてしなくていいでしょう。人口密度が落ちたら、この国も暮らしやすくなるんじゃないかな。というわけで、日本に住んでる皆様方のうち、やる気のある人たちは勝手に一億総活躍して勝手に一億総火の玉になって勝手に一億総玉砕してほしい。私は引きこもっているから。ほんと、「ありがとー」と「がんばってー」だけで生きていきたいよ、私は。


※追記(2021年5月16日)

 テラケイの「少子化を解消するために男尊女卑を復活するしかない」という内容の記事に実業家の田端信太郎が同意したことで議論が再燃していると聞き、それについてnoteで話していました。そちらを追記として掲載します。

https://note.com/japan74524736/n/ndc851af27e58
https://note.com/japan74524736/n/n39f94ed30685
https://note.com/japan74524736/n/ne2663421bdc7
https://note.com/japan74524736/n/n687e13652c32
https://note.com/japan74524736/n/n2a0d504f7e04
https://note.com/japan74524736/n/n1e72e29c666f

 過去にTwitterに掲載した私の調査では、日本の都道府県別データにおいて、出生率と進学率は相関性あるけど、男女の進学率の差と出生率には相関がまったく見られなかった。よって、これは社会全般の高学歴化を抑制することは出生率の向上に役立つ可能性は読み取れるが、女性の教育を制限して男女の学歴に差別を設けることが特段の出生率の向上につながるという話にはならない。もちろん、単純に学歴自体が抑制されれば少子化に効果があるのだから女性だけの学歴を抑制してもある程度出生率が上がる可能性はあるが、それだと女性に限定する理由が不明である。たぶん大学全廃とかの方がいくらか効果あるし、それなら男女平等なので私も場合によっては支持するけど。

 ちなみに、女性教育の工場と出生率低下の関係については、エマニュエル・トッドが過去に論じていたのだけど、それは「女性の識字率が高まると少子化が進む」というもので、中等教育程度のことは論じられていない。
 これにならえば、識字率を5割以下にするような圧倒的な教育の制限すれば、男女の差別を設けることによる出生率の向上に莫大な効果があるかもしれないが、男尊女卑で少子化解消と主張する連中が娘にスマホも持たせないような世の中を本気で志向しているのか、まったくもって疑問である。

 また、アンチフェミは「女性の社会進出を禁止すれば少子化解決」と主張しているが、日本における女性の就業率と出生率の関係については、出生率が高い地域ほど女性の就業率が高いデータがある。これは相関関係から類推するに地域の保革の政治風土などの問題ではなく、むしろ貧困地域であるか否かとに強い相関が見られ、単純に現在の日本において共働きで生活を維持する貧困層の多産傾向による結果であると考えられる。
 よって、フェミニストが主張するような「男女同権による女性の社会進出で少子化解消」とは思われないが、アンチフェミの「女性に社会進出をさせなければ、少子化が解消される」という話にはまったく結びつかない。フェミニストの見解に誤謬が含まれることは、アンチフェミの正しさを同定しない。
 前近代について言えば、そもそも江戸時代において専業主婦的な家族形態自体が中流以上の武士階級等のものであり、庶民や下級の武士は概ね男女ともに就労をしていた(夫婦のみによる家族形成自体が少ないが)。これは生活のためである。
 一応、江戸時代には飢饉等で一定の時期に経済的に困窮した貧困者の婚姻率が下がったり、出産を控えたり間引きが増えることはあったため、「男女が就労する貧困層が少子化し、女性が就労しない率の高い中上流階級が安定した出生率を保つ」という事態が起こった時期があると考察されるデータは存在するが、これは経済的困窮度の問題であって、男女就労率の問題であると考えるのは強引であろう。
 だって、「飢饉に陥って婚姻や出産を控えたり間引きをしていた江戸時代の貧困農民が女性に仕事をさせなければ、裕福で生活が安定していた上流の武士や商人のように子供を育てることができたはずなのに!」なんて主張は無理くない? アホくさ。

 ところで、こういったデータから見れば、上述の現代日本における貧困率と出生率の相関性を見て、単純に今から貧困化を推し進めれば婚姻や出産が増えるかといえば、それにも疑問が残る。
 これらについては少し複雑な考察が必要になるため、ここで筆を置くが、婚姻や出産は貧困や景気変動、産業構造や就労環境等と関係する部分が大きく、男女の就労率に依存するような考察をする余地があまりないように思えた。江戸時代の貧困層の皆さん、データ見ててもそんなことを言ってられる余裕なさそう。

 もともと、この記事は上記のようなデータを参照して、近代日本の出生率のことや、在日外国人による実体験の話等を交えて移民と出生率の変化を論じる続編が予定されていたのだけど、思った以上に調査や作文が手間だったので原稿を放置し、更には記事を書き上げる前にブログを休止したので、公開されていない。来年ブログは復活する予定なので、機会があれば続きを書くと思う。


 それにしても、田端といい、カズ藤澤といい、あのへんのうさんくさいネオリベ事業家ってホントこういう話好きだなー、と思う。あのへんのアンチフェミにネオリベ打倒の期待なんぞしたらあかんて。


※追記(2021年5月17日)
2100年の世界人口、88億人に 国連予測から21億人減

https://www.afpbb.com/articles/-/3293884
 まーた私の予言が当たったよ。敗北を知りたい。実際、もう少子化はどうしようもないでしょ。前にれいわ新撰組が維新の少子化前提の政策を批判していたけど、その方向性じゃうまくいかんよ。その意気は買いたいところだけど。

「ホモソーシャルの何が問題か」がイマイチ理解されてない気がする。

こういう基本事項が一切省みられないから話が混沌とする。 これとか、 これとか。
 先の人はこういう謝罪文を出したようだけど、ホモソーシャルとはなんぞ、という基本事項をちゃんとおさらいした方がよいのではないかと思う。二番目に挙げたアンチフェミのゴミみたいな言いがかりはひでーなーと思うけど、同時にホモソーシャルのなにが問題なのかについて、Twitterなんかでは順序だてて論じられているところを私は見たことがない。もしかしたらあったかもしれないが、小難しい専門用語が並んでたり、難解な言い回しで書かれてて、私には理解できなかったからスルーして記憶から消えてるような気がする。そんな状況だから、こういうアホらしい話が登場する側面はあるだろう。

 簡素なものでは、ホモソーシャルについては「男性同士の結びつき(同性同士の結びつき)」という説明しかされない。これでは、「男同士のコミュニティの何が悪いんだよ」という反応が出るのは当たり前である。そして、逆転させれば上のような「男だけのコミュニティはホモソーシャルなのでミサイルを撃ち込むべき」だの「男同士で支えあえと言うのはお前たちの批判したホモソーシャルだ」などという勘違いやくだらない煽りが生まれる。
 というわけで、このへんをちょっと整理しておく。

 言うまでもないと思うのだけど、ホモソーシャルの問題は基本的に同性間の友情や愛情そのものではない。同性間で友情や愛情があることのなにが悪いのか。なにも悪いことなどない。そんなことは当たり前の話だろう。
 では、問題となるホモソーシャルとはなにか。ホモソーシャルの根本的な問題点は、「女性を道具として介在させる男性同士の関係」である。これは男だけを社会の構成員として人間扱いし、女を財産、道具として扱うことに他ならないからだ。これだけだとわかりづらいと思うので、説明を続ける。

 これに関しては、はっきり言ってWikipediaの出来が良くない。もちろん、私は専門知識なんぞまったくないので、これを編集することもできないのだけど。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
ホモソーシャル (英: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。友情や師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。対義語であるヘテロソーシャルは異性との同様な関係を指す。2人以上の人間が結ぶ関係は、ホモソーシャル(同性と)、ヘテロソーシャル(異性と)、バイソーシャル(両性と)のいずれかでありうる。

ホモソーシャルという言葉は、イヴ・セジウィックによる「男性のホモソーシャル(同性間の結びつき)への欲望」という議論によって普及した[1]。それよりも早い1976年に、ジーン・リップマン=ブルーメン(英語版)が性的な意味ではなく、社会的な意味での、同性の仲間への選好をホモソーシャリティ(homosociality)と定義している[2]。

男性間のホモソーシャルは体育会系などで顕著に見られる緊密な絆で、しばしばミソジニーあるいはホモフォビアが伴う。ホモソーシャルな関係によって、強制的に異性を愛すること、そして女性の家事労働に頼ることが前提として成り立っている家父長制が構成される。

ホモソーシャルの概念を提唱した、アメリカのジェンダー研究者のイヴ・セジウィックは、「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」ことを指摘した。

なお、研究者の中には、この概念を女性同士の関係にも適用し、「女性のホモソーシャル」を論じる者もいる。東園子は、やおい・ボーイズラブを好む女性オタク(いわゆる腐女子)や演者は女性だけで構成されている宝塚歌劇団のファンの女性の間でホモソーシャルな絆がみられると論じている[3][4]。

近年、ホモソーシャルは男性と男性の繋がりだと誤認されがちだが、女性と女性の繋がりもホモソーシャルとなる。さらに言えばホモという言葉も同性という意味である。


 これ、読んで理解できる人いるの? 私くらいじゃないか、一切前提知識なしでこれを読んでホモソーシャルとはなにかを理解できる人。

ホモソーシャル (英: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。友情や師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。対義語であるヘテロソーシャルは異性との同様な関係を指す。2人以上の人間が結ぶ関係は、ホモソーシャル(同性と)、ヘテロソーシャル(異性と)、バイソーシャル(両性と)のいずれかでありうる。


 これだけでは、単純に「同性間の結びつき」としか読み取れないだろう。これだけ読んで、ホモソーシャルのなにが問題かわかる人がいるのだろうか。いたらすごいと思う。

男性間のホモソーシャルは体育会系などで顕著に見られる緊密な絆で、しばしばミソジニーあるいはホモフォビアが伴う。ホモソーシャルな関係によって、強制的に異性を愛すること、そして女性の家事労働に頼ることが前提として成り立っている家父長制が構成される。


 ここもそうだ。これだけ読んでピンとくる人がどれだけいるのか。ホモフォビアだとか、女性の家事労働に頼るとか、それが問題であることはわかっても、それと同性間の結びつきとの関係がイマイチわからない。

ホモソーシャルの概念を提唱した、アメリカのジェンダー研究者のイヴ・セジウィックは、「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」ことを指摘した。


 これを読んだ段階で私はすぐにピンと来た。でも、たいていの人はピンとこないと思う。

 「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」

 これが一番顕著なのは処女厨の男である。処女厨が意識しているのは、言うまでもなく女性の身体的特徴としての(たとえば処女膜だとか)処女ではない。他の男の存在である。他の女に先を越されたことへの劣等感が処女厨の男を支配しており、あるいは先に処女を「いただいた」男が後の男に対して優越感を持つこと、そこにホモソーシャルにおける女性差別の問題がある。この恋愛関係はその実、男性は女性自身を見ておらず、その先にある男性を見ている。この関係は男同士の関係に女が道具として介在しているだけなのだ。ここでの女は人ではなくモノ、財産なのである。

 財産がそうであるように、ホモソーシャルにおいては、女の奪い合いがあれば、女の分かち合いもある。
 例えば戦国武将の政略結婚を思い浮かべればいい。貴族同士の男性社会において、和睦や同盟の証として娘を相手に差し出す。物語においても、ある男が自分の気に入った若い男に対して、自分の娘を差し出す類型は多い。エロ漫画などにおいても、強姦や輪姦を通じて、男同士が絆を深める描写はよく見られる。部族の長はハーレムの女を部下の男に貸したり与えたりすることで、御恩と奉公の関係を構築する。これらは女という道具、財産を共有することで男同士の関係を深めることに他ならない。
 たとえば、軍隊などをホモソーシャルの例として挙げる人は多いが、単純に男だらけのコミュニティだからフェミニズムにおいて問題になるのではない。たとえば、映画『フルメタル・ジャケット』のハートマンや訓練生の間で問題とすべきホモソーシャリティが現れているのは、訓練生とハートマンとの師弟関係や訓練生同士の義兄弟的な関係そのものではなく、ハートマンの「気に入った、家に来て妹をファックしていいぞ」といったセリフに表れている。「認めた男との間で、その絆を確認するために身内の女性を差し出す」という行為、ここに女性蔑視が存在しているのだ。だからホモソーシャルはフェミニズムにおいて問題視される。
 ホモソーシャルの問題点は「男性間の結びつきばかりで、女性が介在していないこと」ではない。「男性間の結びつきに女性を道具として介在させること」が問題なのである。

 ホモソーシャルはフェミニストによる糾弾はやたら多いのに、なにが問題かはイマイチ不透明で、外から見るとよくわからない。私も理解するまでが結構大変だったし、私が大変に思うということは、ほとんどの人には非常に困難かつ、そういったことを考えたり調べたりする気力も起こらないものだと思う。一度理解してしまえば簡単なのに。

 だから冒頭のような「男だけのコミュニティを嫌悪する男がフェミニズムを利用する」だとか、「男だけのコミュニティや男の友情をホモソーシャルだと糾弾するフェミがいるぞーと騒ぎ立てるアンチフェミが現れて、フェミニストに対してただの矛盾した我儘とのレッテルを貼る」だとか、そういったおかしな話をする連中が現れる。別にそいつらを説得すべきとかそんなことを言うつもりもないけど、それらの批判が的外れであることについては、対外的に説明できた方がいいような気がする。