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塗説録

愁いを天上に寄せ、憂いを地下に埋めん。

ジョギングを続けられない人向け意識低い系ジョギング法『脱法ジョギング』


ジョギングが続かない!

 ジョギングを長続きさせるのは難しい。3日坊主でも続けば立派なもので、1日走れば次の日は休み、そのままズルズルとやめてしまうなんてほうが当たり前だ。もちろん、単純に継続して外に出るという定期的な活動の慣習化自体がおっくうというのもあるのだけど、ジョギングはウォーキングとは違って負荷のある運動かつ長時間の持久運動なので、その日のコンディションがモチベーションに相当大きく影響し、ちょっとでも疲れを感じていたりとか、身体に違和感があれば、なんとなーく休んでしまいたくなる。特に初心者なんかは、その日のコンディションがよくなければ、そもそも3kmや5㎞も走れなかったりするので、ジョギング自体ができなかったりする。

 しかし、私の発明した「脱法ジョギング」であれば、コンディションがあまりよくなくとも、ジョギングに不慣れであっても、5kmや10kmを走ることができ、しかも体への負担が小さいため、走り始めるまでの心理的ハードルもググっと低くなる。その方法を伝授しよう。


脱法ジョギングとは何か

 では、まずジョギングについて考えていこう。ジョギングとウォーキングは違う。ウォーキングは歩くこと、ジョギングは走ることである。では、「走る」とは何だろうか。「歩く」とは違う「走る」という形態。とりあえず、ジョギングをジョギングたらしめる「走る」動作について考えてみよう。

 まず、ジョギングでの走りは、歩くのと違って地面を蹴るようにして前に出し、歩くよりも腿を高く上げてリズミカルに足を進める。腕は、一般に肘を直角に近い形で曲げた状態で振る。実際にしてみればわかると思うけど、この基本的な動作をしていれば、それは「歩く」ではない。間違いなく、ジョギングとしての「走る」という動作となる。つまり、この動作があれば、すなわちジョギングとなる。

 さあ、あとは簡単。この動作で可能な限り遅く走り始めるのだ。そうすれば、疲れることなく楽に長い距離をジョギングすることができる。もちろん地面を蹴って足を大きく動かすので、歩くよりもスピードがどうやっても出てしまいやすい。しかし、それを押してできるだけ遅く、何なら歩くよりも遅くするつもりで走り続けるのだ。そう、下手をするとウォーキングよりも遅いペースで展開するジョギング。これが脱法ジョギングである。「ジョギング」という定義から外れずに、ジョギングらしからぬペースで走ってしまうのである。


脱法ジョギングの理論と実践

 上を見て、なんだかバカみたいな話だと思われたかもしれない。しかし、実際やってみるとわかるけど、動作はジョギングなのでウォーキングよりも大きく身体が動くため、ジョギングとしての充足感は相当に得られるし、走るための筋肉もしっかりと使われ、走力も体力も確実に鍛えられる。
 そもそも、遅いペースを維持するのも結構大変なもので、走っているうちにだんだん加速していき、気が付くと通常のジョギングペースに落ち着いていたりする。それなのに、最初の時点で体力を温存しているからか、明らかに無計画に走るジョギングよりも疲れず余裕があり、自分に意外と体力というか、長く走る能力があるのだと気づかされて、結構自信につながったりもするので、継続するモチベーションも高まる。また、加速によって体力が消耗していると気づいたら、すぐに元の歩くより遅いペースに戻せば、体力の消耗が防げる。最初が遅いペースなので、そちらに戻すのも容易い。

 ジョギング初心者のはらむ問題として、「ペース配分」という概念が身についていないことが挙げられる。最初になんとなくの気分で走り出して、それをジョギング速度のポイントゼロとし、それより遅ければマイナス、それよりも早ければプラス、というような感覚で走る。しかし、当然ながら最初が一番体力が有り余っているのだから、これだと最初を頂点にして徐々にペースが落ちていくだけになったりする。これでは走りを愉しむよりも消耗ばかりが先立ってしまうだろう。
 あるいは逆に、走り続けていく中で慣性に則って無意識にペースがどんどん加速していき、最初からペースが速いのにさらに加速するものだから、それに伴って知らぬ間に体力がどんどん消費されていき、想定以上に早くバテてしまったりしまったりもする。また、初速をベースとして体も頭も認識しているので、いきなりペースを落とすのが難しくなる。『脱法ジョギング』では、初速をできる限り遅くすることで、そうした問題を起こさないようにすることができる。
 しかも、上に書いた通り、余裕のある走りというものをずっとしていると体力がある状態で身体をしっかり動かしている感覚が得られるので、自信がわいてくるし、次の日も嫌な気持ちにならず、軽い気持ちでまた走れるようになる。それにコンディションが悪くとも、歩ける程度の体調であれば、それと同じかそれより遅く走ることは概ね可能だ。


 そんな感じで、できるかぎりめちゃくちゃ遅く走るだけの『脱法ジョギング』は結構いい感じだという話です。もうちょっとしっかりした記事を書こうと思っていたのですが、時間がないのでざざっと書いてこのへんで。
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脱法ジョギング


ジョギングが続けられない

 ジョギングを長続きさせるのは難しい。3日坊主でも続けば立派なもので、1日走れば次の日は休み、そのままズルズルとやめてしまうなんてほうが当たり前だ。もちろん、単純に継続して外に出るという定期的な活動の慣習化自体がおっくうというのもあるのだけど、ジョギングはその日のコンディションがモチベーションに大きく影響し、ちょっとでも疲れを感じていたりとか、身体に違和感があれば、なんとなーく休んでしまいたくなる。

 特にジョギングを始めたばかりの頃というのは、人を挫折に導く要因がたくさんある。本当にジョギングに出ない言い訳が次から次へと頭に浮かぶし、走りなれていないうちは、いざジョギングを始めても、前日の運動だとか日頃の疲れだとか、不摂生だとか寝不足だとか、そういったことが影響すると息が上がったり、足が痛くなったりして、200メートルも走らないうちに走るのをやめてしまうなんてのもザラである。私はそうだった。先に情報収集なんぞを無駄にしていて頭でっかちになっているものだから、「20分以上の継続した有酸素運動でないと効果がない」だとか、いらん知識を頭に詰め込んでしまって、「じゃあ、20分走れないなら意味ないじゃん。はい、やめやめー。」なんていう"賢明な思考"のおかげで、ジョギングの機会を失してしまった時期もあった。あーあ、くだらない。

 かつての私は、「調子がいい日でないと、まずろくに走れない」という問題を抱えていた。そして、一時期は「20分以上走れないと意味がない」というくだらない知識に振り回されて走らない言い訳に用いていた。

 後者の思い込みについては、自身のモチベーションを下げるだけのつまらない思い込みだと割とすぐに気づいて無視するようになったものの、それですぐに走れるようになったわけではない。コンディションの悪い日は、1分も走れないものだから、さすがにこれをジョギングした日に数えるわけにもいかず、そういった不安定かつ虚弱な体に鞭を打って気合と根性で走ったり走らなかったりして、なんとか30分5km程度は継続して走れるようにはなったものの、その一回でバテバテで翌日まで疲れを持ち越し、しかもよくわからない達成感と当時の疲労感へのトラウマ的な恐れが無意識に自分を支配し、ジョギングに復帰するタイミングを逸して……といったことを繰り返し、結局「1か月に1回5㎞走る」というような、おおよそジョギングをしているとは言い難い時期が長らく続いていた。


 上記の状況は本当に初心者の時期のことであるが、ここまで大げさでなくとも、私は長い間ジョギングをやったりやらなかったりしていたのは事実で、しかもサボりから再開しようとしても、実際に再開するまでの期間が空きがちであった。「脱法ジョギング」を発明するまでは、である。私は「脱法ジョギング」を発明することによってジョギングの長期定期化と、多忙期等による休止時期から再開までのタイムラグをなくすことに成功した。これから、その方法について記そう。


脱法ジョギングとは何か

 この「脱法ジョギング」を行なったしたのは、しばらく体調などを言い訳にしてジョギングをサボっていた時期から再開するための日であった。当時、ジョギングなんてコンディションがとてもいい日でも8km程度が限界で、10kmなど走ったことがなかった。しかも、そんなに走っては、のち1週間程度は走らなくなってしまう。しかし、とある思い付きによって始めたある方法で走ってみると、その日は簡単に13kmを走破し、その後も2日に1回10km以上のジョギングを行えるようになった。


生活リズムの回復。


 久方ぶりに5kmほどジョギングをした。私の開発したジョギング「脱法ジョギング」は非常に意識が低いため、しばらく期間が空いてしまってもすぐに復帰できる。詳細は次回の記事で説明しよう。

 今日のコースでは、自分の通っていた小学校から中学校を回って帰宅。10kmあれば、高校も回れただろう。改めて、この空間の狭さに驚いてしまう。高校は近いからという理由で選んだのも確かだけど。

 そういえば、まだ今年は初夢というものを見ていない。見てて忘れたのかもしれないけど、とにかくそんな覚えがない。考えてみれば、長らく夢というものをみた記憶がない。なぜだろうか、よくわからない。

 それと書いていなかったけど、一昨日から瞑想を長くやっている。ようやく運動と瞑想がペースを取り戻してきた。トラブルはあったけど、おかげで新年はいいスタートが切れそうに思う。これがなければ、帰省中は暴飲暴食+遊び歩きの日々だっただろうし。

 明日には関西に行くことになるけど、帰省したこの間、久々に「もう眠れない」というくらい眠れた。長らく私のことを知っている人はご存知かもしれないけど、もともと私はひどい不眠症である。しかし、先月の終わり頃などは常時眠く、いくら眠っても眠り足りず、いくら寝ても身体が休まらなかった。しかし、ここ3日程度はようやく寝転んでも眠りにつけなくなることが出てきた。不眠でさえ過眠に至る酷い有様だったというわけだろう。それが今や軽い不眠にまで回復した。……って、それでいいのか?

 とにもかくにも、明日は早いし、生活リズムをバッチリキメるためにもさっさと寝る。というか、年末からずっと生活リズムがよほどひどく乱れ続けていたんだなーっと今回の件で改めて考え直した。今にして、ようやくリズムが取り戻せた。

 当面の目標は、睡運瞑菜の徹底と粗食・断酒。まだ腹具合は戻っていないけど、いい機会だ。

731部隊の創設者石井四郎を輩出した京都大学の連中がいけしゃあしゃあと戦前に反戦であったかのように言いふらた結果、自分たちがナチス以下の最低最悪の存在だと自ら示してしまう。


 なに言ってるんだ、こいつ。

 京都大学は中国人や朝鮮人に非道な人体実験を繰り返した731部隊の創設者石井四郎を輩出し、当時在籍していた医学や生物学に関わる大学教授が数多くそれに関わっていたのは有名な話だし、当時京都大学を代表する哲学思想学者の『京都学派』は大東亜共栄圏を構想して民衆に「お国のために死ね」と煽動していたのに。
 もちろん、A級戦犯輩出者数世界一が東京大学であることは言を俟たないが、その陰に隠れていけしゃあしゃあと「世が軍国主義に向かう中でも空気を読まず反発し、軍事教練は適当にこなしてたような」などとあたかも京都大学が反戦であるかのように偽装して、こいつら恥というものを知らないのか? 731部隊はアメリカと協力することで戦犯にならなかっただけだろ? むしろ、戦犯よりタチが悪い連中である。
 そもそも、大規模戦争を起こしづらくなった現代において、細菌兵器などの開発の方がよほど人類的な危機を招いているのが現状であり、この時点で731部隊を裁かなかったことの報いが人類に及んでいるようにさえ思える。

 そもそも、こういう『典型的な京都大学的な自意識』というのは本当に気持ち悪い。京都大学のコスプレ卒業式とか、創立者の像になんかよくわからん装飾を施したりするの、ああいうのにあこがれるのは中学生までにすべきである。「京大生は大学生だから中学生で卒業したら京大ノリがなくなる」というツッコミが来そうだけど、お前らがただのガキだって言ってるんだよ。アホか。
 むしろ、「知性のあるボクたちのおふざけ! 不謹慎!」みたいな『京大ノリ』的自意識こそ、まさに2ch的イデオロギーでネトウヨを日本に蔓延させた元凶だし、本人たちは「東京大学のような一番病のエリートと違って"真の知性"がある」みたいな自意識なんだろうけど、要はこいつらメインストリートを歩むような責任感がないだけな悪い意味でサブカル意識でしかない。

 京大がこういうことを言う背景だって、「東大は戦争協力の首魁としてこういうことは言えないだろうけど」みたいな自意識をスゲー感じるんだよな。それがまた気色悪い。要は東大を矢面に立たせることで、自分たちが責任から逃れているだけ。一番東大に依存しているのがああいう京大自意識の連中。まさに戦犯となることを逃れた731部隊は京都大学を象徴する存在と言えよう。「A級戦犯(東京大学)と違ってツウこそわかる731部隊(京都大学)」みたいな? 死ね。岸とアメリカの関係を見れば、東大も京大も共犯だけどな。


 それにしても「空気を読まず適当にこなしていた」って、いかにも京大らしいクソみたいな自意識だよな。空気を読んで、だからこそサボっていただけだろうに。腹の底で人を馬鹿にしながら、ふざけたふりして物事に責任感を持たないことで難を逃れ、悪事を行ってもその自覚がない。ある意味では、東京大学よりタチが悪い。ある面でヒットラーよりヒムラーの方が邪悪であることに相似たりである。

 当たり前の話なんだけど、本当にガチのマジで空気を読まなかったら反抗するはずだよな。本当に当たり前の話だけど。
 もちろん私だって軍事統制下になれば、必ず命を賭して反抗できる自信なんてないからそれ自体を責める気にはならないし、「戦争が正しいとは思わなかったけど、反抗なんてする勇気はなかった。だからせいぜい軍事教練で手を抜くくらいしかできなかったんだ」なんてことならとても共感しうる話だよ。それか、たとえば「軍に参加しながらも敵地の庶民を被害から匿っていた」なんてのは誇りになるかもしれない。でも、「空気を読まず適当にこなしていた」なんて程度の話は「誰がなんと言おうと主張を貫く京大はどこですか?」につなげるにしては話がショボすぎだろ。本気でこれが自慢になると思っているのか? いや、マジでこれ読んで「ウーム、京都大学が戦時中に軍事教練を空気を読まず適当にこなしていたとは、やはり誰がなんと言おうと主張を貫くのは京都大学ならではであるな!」と思う奴いるのか!? 500以上favがついているのがやべーよ。
 私だって別にものみの塔のようにあらゆる戦争に最後まで反対して投獄されてから反戦だったと主張しろとか言ってるわけじゃねーんだよ。あたかもそういったものと自分たちが同じであるかのようにたかだか「空気を読まず適当にこなしていた」程度の話を自慢して、「誰がなんと言おうと主張を貫く京大はどこですか?」なんて言い出すの、本当にどうなのって話なんだよ。「空気を読まず適当にこなしていた」のど・こ・が・「誰がなんと言おうと主張を貫く」なんだっつーの! テメーんとこの出身者が理科系では731部隊を創設して京都大学に在籍する教授がそれに積極的に協力し、文科系では庶民に戦争で死ねと煽っていたのに、どうやって大戦のことが京都大学の誇りにできるんだよ! お前らの京都大学は中国人や朝鮮人を人間と思わずその身体を解体して殺して拷問や実験を繰り返した大学なんだっつーの!! 京都大学は空気を読んだ上で、適当にこなしてたんだよ! むしろ世間の空気をつくってたのがお前らじゃねーか! その結果、731部隊を自ら生み出し、その責任さえ取らなかったんだっつーの! お前みたいなカスも含めて全部地続きだ。愛校心を持つなとは言わんが、戦中の京都大学を誇ることなどよくできるな。


 こうして総合すると、京都大学の連中は、日本の人民には大東亜戦争の必然性なるものを世間に吹き込んで庶民に戦争で死ねと煽り、植民地の人民には非道な人体実験を繰り返している最中、その学生はそれらの教授からアリガターイ薫陶を受けつつ、京都大学の教授に煽られて人民が窮乏と労役、徴兵に苦しむ中でも、それらと困苦を共有することなく「軍事教練は適当にこなしてた」ということになる。
 ……なぜこんなことを誇りに思えるんだ? これなら本気で大日本帝国の正義を信じて真面目に軍事教練をした方が救いがある。軍部の指導者などを擁護するつもりはないけど、曲がりなりにも反省の弁を述べ、処刑によって末端の兵と同じく死んだ戦犯たちは京都大学の連中と比べたら随分まともだと評価せざるを得ない。
 京大のマヌケどもは「まじめにやらなかったから俺たちスゴイ」と思っているのだろうけど、東大や戦犯と違って連中は『真面目にやることすらできなかった』だけなの。それが京大。731部隊を生み出したのはお・ま・え。クソみたいに斜に構えた態度をアイデンティティにしているお・ま・え・が京都学派や731部隊なんだよ! 死ね。もう死に逃げした連中の代わりにお前が死ね。なにが「京大が世間に屈したそうです」だよ。世間に軍国主義を吹き込んでたのはお前らじゃないか。本気で腹が立ってくる。本当に恥というものを知らないらしい。もう死ね。


 正直、この記事を書き始めた当初は京都大学がここまで最悪の存在だとは思ってもみなかった。私は731部隊や京都学派のことは知っていたので、それを持ち出してちょっとカウンターをかける程度のつもりだったのだけど、まさか上記のツイートとそれが合わさることで、ここまで最悪の存在が眼前に立ち現れるとは思わなかったんだよ、ホント。そういや、青メガネとかシュナムルとか京都大学だもんな……。
 冗談でも誇張でもなく私は泣いているし、人間がここまで醜悪になれることに恐怖を感じている。京都大学はナチス以下。本当にナチス以下じゃん、これ。ネルフとかいう最悪の組織のお偉いさんも京都大学出身ばかりだし、コロナウイルスを開発したのが京都大学であっても驚かない。人類悪である京都大学はこの世から除去しなくてはならない。